12.理想郷の代償

「あ、あれは……」


 遅れてやってきた可憐も、柵の向こうの光景に息を呑む。


「メアリーか!?」


 可憐の口からも改めて突きつけられる現実。

 胸を押し潰されそうになりながらも、俺は項垂うなだれたまま、


「ああ、そうだっ……あのローブっ、間違いないっ……」

「ローブ? ……いや、そうじゃなくて、あの真ん中にいる……」


――ん? 真ん中?


 慌てて顔を上げると……。

 四本の火柱に囲まれた中央付近に石造りの祭壇があり、積み上げられた大量のまきと、一本の太い磔柱たっちゅうが立てられている。

 俺の位置からではちょうど死角になっていたうえに、メアリーのローブを呑み込んだ火柱に気を取られて気がつかなかったのだ。


 そして、磔柱にロープで縛りつけられていたのは――。


「め、メアリー!?」


 気を失っているのか、顎を引いてがっくりとこうべを垂れている。

 服は、カラフルな刺繍の儀式服に着替えさせられているが、見覚えのある艶やかな金髪が、不規則にぜる火の粉の向こうではらはらと揺らめいて……。


――間違いない! メアリーだ!


「な、なんで? そのローブの子は?」


 横に立っている可憐を振り仰ぐと、


「亜人の生贄文化については授業で習った記憶がある。確か、生贄より先に冥界での形代となるものを燃やして、最後に生贄の魂を天に捧げるんだとか……」

「かた……しろ……?」

「ローブを着せられているのは、恐らくメアリーに似せた形代だろう」

「……んなっ!」


 再び柵の向こう側へ視線を戻す。

 その時、火の点いた松明たいまつを持って祭壇へ近づく人影が見えた。


――あれは確か……レアンデュアンティア三兄弟の一人、キールだ!


「おれつえぇぇぇっ!」


 青白い光を放つ俺の両手を見て、ザワザワとさんざめくノームたち。

 しかし、六尺棍にしながら構わず命じる。


「リリス! すぐにメアリーを連れて来い!」


 俺の言葉を待つまでもなく宙へ舞い上がり、すでにメアリーの元へと一直線に向かっていたリリス。

 祭壇の手前で眩しく輝くと、メイド騎士モードのリリスたんに変身する。


「な、なんだっ!?」


 驚いて立ち止まるキールの目の前でレイピアを一振り。

 メアリーを縛っていたロープが切れ切れに四散する。

 剣を鞘に戻し、広げたリリスの両腕に、拘束を解かれたメアリーの身体がふわりと舞い降りた。


「あ、あれは確か……人間どもの使い魔か!? 討ち払えっ!」


 祭壇を眺めていたバッカスが、大袈裟に右手を振り回しながら叫ぶ。

 ……が、言い終える頃にはもう、そこにリリスの姿は無かった。


 柵を挟んで俺の前まで戻ったリリスが、一旦メアリーを地面に置き――。

 続けて抜剣したかと思うと、目の前の木柵がバラバラになって地面に散らばった。

 周囲のノームたちがどよめき、後退あとずさる。


 ……が、構わず俺は、


「メアリィ――ッ!」


 急いで駆け寄り、小さな肩を抱き上げた。


「大丈夫、息はあるわ」


 言いながら、元のサイズに戻ったリリスが俺の肩に収まる。

 リリスの声に頷きながら、俺はメアリーの頬についたすすを手で拭いて、


「メアリー! しっかりしろ! メアリー!」


 メアリーが「んん……」と小さな呻き声を漏らし、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 碧色の瞳孔が少しだけ左右に動き、それから俺を見止めて動きを止めた。


「メアリー! 俺だ! 分かるか?」

「……パ……パパ……?」

「ああそうだ! もう大丈夫だ!」

「パパ……どうして……来たの、ですか……」

「……え?」


 絞り出すように発せられたメアリーの意外な問いに、俺は一瞬言葉を失った。


――どうして? 来ちゃいけなかったとでも言うのか?


「な、何言ってんだよ……おまえを助けに来たに決まって――」

「メアリーが、生きていたら……ずっとパパに、迷惑をかけます」

「そんな心配を、誰がしろと!?」

「バッカスも、大長老も、そう……言ってました」

「あんな連中の言うことなんて気にするな! 俺が大丈夫って言ってんだから、大丈夫なんだよ!」

「……それだけじゃ……ありません。メアリーは、考えました……」


 虚ろだった碧眼の焦点が次第に定まってゆく。


「パパと一緒に行けば、一生迷惑をかけます。もしここに残っても、パパは優しいですから、ずっとメアリーのことを、気にかけながら生きて、いくことになります……それくらいは、メアリーにだって、分かります……」

「何、言ってんだよ!? そんなこと、子供が気にするようなことじゃ……」

「それに、ここのみんなも、メアリーの死を望んでいるのです。メアリーに生きていて欲しいと思っている人は一人もいません。だからメアリーは、メアリーはっ……」

「メアリー……」

「メアリーは……本当のパパとママのところへ行こうって……決めたのです」


 そっか……そうだったんだ。

 メアリーは最初から分かってたんだ。


 何日も何日も、誰一人メアリーを探しにくる者はいなかった。

 みんなに見捨てられたことが分かっていたからこそ、ここへ来る事を拒んでいたんだ。たとえここに来ても、自分の生還を喜ぶ者は一人もいないのだ、と。


 こんな幼い子が、自ら命を諦めるほどに追い詰められていたと言うのに、誰一人手を差し伸べようとはしなかった。


 俺は、本当の意味で分かっていなかったんだ。

 両親を目の前で失い、さらに同族のみんなから死を望まれるという状況が、メアリーの生きる気力をいかにむしばんでいたかということを。

 本当に自分は生きていていいのか……この小さな胸の中で、ずっと自問自答していたに違いない。


 争いのない、理想の社会?

 こんな小さな女の子に、死が生よりも楽だと思わせるような理不尽な社会がか?

 こんな幼い命を踏み台にすることが、理想郷の代償だって言うのか!?


――ふざけるなっ!

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