第十一章【オアラ洞穴④】地下空洞

01.お礼よ、お礼!

 ……むぎ。

 ……くん。


 誰かが俺の頬をペチペチと叩いている。


 何だよ、うるさいなぁ。

 体もいてえし……もうちょっと、休ませてくれよ……。


 ……つむぎ! 

 ……つむぎくん!


 今度は、はっきりと聞こえた。

 俺の名前を呼ぶ、二人の声。


 ……この声は、紅来くくる

 もう一人は、リリスか。


 縫い付けられたようなまぶたを無理やりこじ開ける。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、暗闇の中でゆらゆらと揺れる炎。


 ――松明たいまつ


 さらに、松明が握られた腕に沿って、ゆっくり目だけを動かしてゆくと――。


「く……くる……」


 そこでようやく、ぼんやりと記憶が戻ってくる。


 崩落に巻き込まれながら感じた、いつ果てるとも知れない落下感。

 停止したような時間の中で、とにかく紅来が下にならないよう、必死で体を反転させて……突如、背中に強い衝撃を感じたところまでは覚えている。

 そこで意識を失ったのか、プッツリと記憶が途絶えていた。


 俺の意識が戻ったことで安心したのだろう。紅来が、ほっとしたように微笑みながら、


「よかったぁ! 紬、なかなか起きないから。頭も、大丈夫? 何があったか、覚えてる?」

「ああ、多分。……紅来も、大丈夫なのか?」

「うん。私も少し前に気づいたところだけど、かすり傷程度だよ。紬がクッションになってくれたおかげだね」


 にっこりと微笑んだ紅来の顔を覆い隠すように、今度はリリスの顔が、目の前にニョキッと現れる。俺の胸の上から顔を覗きこんできたのだ。

 俺の頬をペチペチやってたのはこいつか。


「私のこともお忘れなく~」

「近い近い!」


 リリスを払い退けようと右手を持ち上げた瞬間、背中が痛んで思わず片頬が歪む。


「うっ……!」

「ちょっと、紬くん? 大丈夫?」


 心配そうに覗き込んでくるリリス。

 もう一度ゆっくり、右手と、そして左手。さらに両足も動かしてみる。

 背中だけでなく、全身のあちこちがズキズキと悲鳴が上がる。


 ただ、これは恐らく打撲による痛みだ。

 骨折や、大量の出血を伴うような重傷を負っている感覚はない。

 もちろん、打撲だって受ける範囲によっては軽視出来ないのだろうけど……。


 紅来が、近くに転がっていた俺の鞄から薬瓶を取り出す。


「はい、ポーション」


 テイムキャンプの時にも使った、鎮痛作用もある高級品だ。


「一人で飲める? 何だったら、口移しで飲ませてやってもいいよ?」


 紅来が薬瓶を振りながら、悪戯っ子のようにクツクツと笑う。


「そっか、その手があったか。紅来とも口移ししておけば、もう鬱陶うっとうしい詮索もされなくなるだろうしな」

「ばっ、馬鹿! 何言ってんの? 冗談よ!?」と、珍しく狼狽うろたえる紅来。

「あたりまえだろ。早くよこせ」


 ポーションと言っても、元の世界にあったような内科的な薬ではない。

 こちらのポーションは魔法職の一つ、薬師くすしによって作られた魔法アイテムで、体力回復にしろ鎮痛効果にしろ即効性は半端ない。


 飲んだ瞬間から、体力が戻ると同時にすぅ――っと全身の痛みが引いていく。

 再び両手を動かしてみると、まだ多少の違和感はあるものの、ほとんど気にならない程度まで痛みは引いていた。


 そのまま地面に両肘を着いて上半身を起こすと、紅来が慌てて近くの岩に松明を立てかけ、空いた手で俺の体を支えてくれた。


「背中にも、目立った外傷はないみたいね。……痛みは?」

「大丈夫。薬が効いたみたいだ」


 これなら問題なく立ったり歩いたりできそうだ。


「ありがとう」と言いながら、体に添えられた紅来の手を外すと、

「え―っと、そのぉ……こっちこそ、さっきはありがとう」

「ん?」


 体に付いた土汚れをはたき落としながら、紅来の方へ向き直る。

 顔はあちこち土で汚れ、トレードマークだった編み下ろしのポニーテールもあちこちほつれて乱れていた。剥き出しの腕や膝にも、小さな掠り傷が目立つ。

 その姿に、改めてとんでもない事態に巻き込まれたのだと実感させられた。


 いつも悪戯っ子のようにくりくりとよく動いていた大きな瞳は、しかし今は、揺らめく松明の炎を映しながら、真っ直ぐ俺を見つめ返していた。


「さっき? なんの話?」

「落ちる時の話だよ。私をかばってくれたでしょ?」と、いつになく真剣な眼差し。

「ああ、まあ、成り行きというか……体が、自然とね」

「紬一人なら、十分に逃げられたでしょうに……」

「おまえを置いて? 冗談だろ」


 自分の行動にまったく後悔はない。

 こうなった今でも、それは自信を持って言える。


「俺はポーション係で松明係だったからな。最後までパーティーを後方支援する義務がある!」

「なに? 急に班長っぽいこと言っちゃって。自分の命を危うくしてまで徹する義務でもないでしょ」

「もし、あの時紅来を置いて自分だけ助かったとしても……」

「うん」

「一生、その時の選択を後悔しながら生きることになると思ったんだ。自分自身が許せない自分にはなりたくないんだよ、絶対」

「………」

「なぁ――んてな! ちょっと格好つけすぎたか? あはは……」


 急に恥ずかしくなり、後ろ頭を掻きながら照れ笑いをしてみせる。

 ……が、相変わらず真剣な眼差しの紅来がおもむろににじり寄ってきたかと思うと、素早く俺の頬にキスをする。


 はあ?

 え……ええっ!?


 突然のことに、頬を押さえながら呆気に取られて目をしばたたかせる。

 さすがの紅来も、照れたように俺から視線を逸らした。


「ええ――っ!?」

「な、なによ?」

「いや……そりゃ、こっちのセリフだろ。……今の、なんぞ?」

「〝なんぞ〟ってことはないでしょ! こんな美少女にキスさせといて」

「おまえが勝手にしたんだろ!」

「お、お礼よ、お礼! チークキスってやつよ!」


 チークキス……確か、元の世界では、ヨーロッパ辺りで行われていた、頬と頬を付ける挨拶のことをそう呼んでいたはずだけど……。

 でも今、完全に唇が触れていたよな?


「こ、この世界のチークキスって、こんななの?」

「なによ、この世界って?」

「あ、いや……っていうか、チークキスなんてしてるやつ、初めて見たから」

「そりゃあ、そのへんの市民はそんなことしないでしょ」

「おまえは、どのへんの市民なんだよ……?」

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