05.私の初めてはあれだから
それ以降は、人通りのない林道を、二人で何を話すわけでもなく駅に向かってテクテクと歩く。
クラスの女子で一番よく話したのは、同じ弓道部の
その繋がりで、
こちらが気まずくなっていろいろ話を振っても「そう」とか「ふうん」みたいな
相槌があるうちはまだいい。話しかけ過ぎると、途中からそれすらなくなる。
嫌われているのかとも思ったが、誰に対しても同じ態度だということが分かってからは、性格なんだと割り切って無理に話しかけることはしなくなった。
逆に立夏にはそれが居心地がよかったようで、それまでのような妙な緊張感がなくなり、俺も二人でいる時は黙ってる方が落ち着けるようになっていた。
この世界で、俺と立夏がどんなふうに付き合ってきたのかは分からない。
とにかく表情に乏しいのでよく分からないけど、ダイアーウルフ戦前の準備室での様子を見る限り、それほど好かれてはいなかったと思う。
幸か不幸か、あの時の負傷で周囲からの評価は概ね改善したように感じるけど、それでも立夏の無表情は相変わらずだ。
前を行く桃色の髪が、夕日に照らされて赤みを増してゆく。
この世界では、得意属性をイメージして髪の毛にカラーを付けたりするのは、ごく一般的なお洒落らしい。
百五十センチちょっとと小柄ながら、自分の背と同じくらいの魔導杖を持ち、俺からキルパンサーの注意を逸らそうと詠唱する姿は今思い出しても胸が熱くなる。
キルパンサーの体当たりを受け、気絶から目覚めた直後で自らも満身創痍だったはず。
にも関わらず、あの極限状態で俺に向けた笑顔に、どんな意味があったんだろう。
このぶっきら棒なクラスメイトのどこにあんな〝熱〟があったのかと、今でもあの時の立夏と普段の彼女のイメージが上手く結びつかない。
不意に、薄桃色のエアリーショートをパッと拡げながら、くるりとターンをする立夏。
夕日に照らされたその見返り姿に思わず
いつも通り、無表情な立夏。
少し驚いていたであろう俺の顔を、無遠慮に見つめてくる。
「…………」
元の世界でも、こんなふうに人をジッと人を見る彼女を何度か見かけた。
学校の廊下だろうと街中であろうと、本人の中で何か気になることがあると、こんなふうに凝視するので、華瑠亜あたりに「立夏! 見過ぎっ!」と、よく注意されていたのを覚えている。
こちらでもその癖は同じだったので、別段気にもしていなかったのだが――。
五秒……。
十秒……。
三十秒……。
い、いくらなんでも、長くね?
「な、何?」と、堪えきれずに聞き返した俺に、ようやく立夏も口を開く。
「覚えているから」
「……え?」
「キャンプでのこと、全部」
ファッ!?
全部って、ポーションのことも、全部!?
施療院で覚えてないって言ってたのは……あれは嘘?
再び、前を向いて歩きだす立夏。
頬の赤味が増したように見えたのは、それも夕焼けのせい?
それにしても、わざわざあんなこと言うってことは……。
口移しのことか、あるいはリリスの巨大化のことしかないよな。
どっちだ? あるいは、どっちもか?
しかし、下手に確認してやぶへびになるのは避けたい。
特に口移しの件でそれをやったら、いろいろと致命傷になりかねない。
とりあえず、どちらにでも当てはまりそうなことから確認してみよう。
「あれは……緊急事態だったから」
「うん」
「やっぱ……ショックだよな?」
「べつに」
「…………」
俺はアホか!
どちらにでも当てはまることで確認したって、どっちか判断できないだろ!
ここは思い切って――、
「ああいうのって、完全に意識のない時は危険みたいだけど……ぼんやりとだけど意識が戻ってたみたいだから、立夏……」
「うん」
「…………」
うん、明日もよく晴れそうだ。
思わず天を仰ぐ。
しっかり覚えてんじゃん! 口移しの件!
このあとは、何が正解なんだ!?
と、とにかく何か話さないと!
「えっと、いきなりやったわけじゃないからな? ちゃんと最初は、
「うん」
「え~っと……初めてだったのか経験済みなのかは分からないけど――」
「初めて」
あ、そう。
「…………」
だ、だめだ! 黙ってる場合じゃない!
「あんなのただの施療行為だし、初めてにカウントすることないからな?」
「…………」
立夏から返事が返ってこない。
どうやら、だんまりモードに移行してしまったようだ。
初めての
いや、そもそもキスですらないわけで……。
俺のフォローが正解だったのかどうかもよく分からないが、これ以上何を言ってもドツボになりそうな気がする。
仕方なく、二人で無言のまま駅まで歩く。
駅舎の前に着くとまた、振り向いた立夏が俺の顔をジッと見据える。
やはり、頬の赤みが濃いように見える。熱でもあるんだろうか?
どこか焦点の合っていないぼんやりとした藍色の瞳の奥で、かすかに瞳孔を揺らせたあと――、
「あなたが、ノーカウントにしようが忘れようが、どうでもいい」
「……うん」
「でも、私の初めてはあれだから」
「…………!」
どう返したらいいのか、すぐに言葉が出てこない。
「じゃあ、また」
それだけ言うと、立夏は背中を向けて駅の階段をパタパタと駆け上っていく。
また?
……ということは、致命傷は避けられた?
あの口移しが立夏の〝初めてのくちづけ〟だと宣言することに何の意味がある?
あるいは、特に何の意味もない、ただの気まぐれな発言?
立夏の考えがまったく読めない。
「何の話だったの?」
ポーチから顔を出したリリスが、不思議そうにこちらを見上げている。
「何でもない」
「もしかして、えっちぃ話?」
「うるさい。おまえには関係ない」
「ひどっ! そういう言い方するんだ!」
「俺にもよく分からないんだよ!」
気が付けば、空はいつの間にか、立夏の髪のような茜色から、瞳のような群青に変わろうとしていた。
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