第44話

 病院へ戻った僕らが扉の外から中を覗くと、今度は受付に先ほどの看護師が頬杖をつきながら座っていた。


 こちらに気づいた彼女はカウンターから出て扉を開き、「やっと来た。ずいぶん遅かったね」と言った。


「どこまで行ってきたの?」


「近くの神社と、大通りのパン屋です」と僕が答えると、彼女は頭の中に地図を描き、「あぁ、あそこね。あの店はあんパンが美味しいの。食べてみた?」


「いえ、食べてないです」


「じゃあ、何食べたの?」


「ミルクパンとサンドウィッチです」と僕が答えると、「ちなみに俺はクロワッサンとカレーパンっす」と後ろから藤沢が続いた。


 彼女は腕を組んで頷き、「二人とも悪くないチョイスね。次はあんパンをぜひ試してみて」と言った。


「ところで」と言葉を切った彼女は藤沢の方を向くと、「君は何者かな?」と今さらながら尋ねた。


「『何者』って言葉を病院の受付で聞かれるのも変な感じですね」と笑いながら答えた藤沢は、「俺はこいつの友人で藤沢って言います。まぁ簡単に言うと、付き添いですね」と肩を竦めながら言った。


 薄々感づいてはいたが、彼は結構根に持つタイプだ。


「あぁ、そう」と納得したように頷いた彼女は手招きし、「まぁいいわ。二人でいらっしゃいよ」と言って廊下の奥へと歩き始めた。


 ナースステーションよりもさらに奥へ進むと共用の談話スペースが広がっており、そこには飾り気のない木製の椅子と机がいくつか並んでいた。彼女は適当な机を選んで椅子を引き、僕らも彼女に促されるまま向かい合う形で椅子に腰掛けた。


 周囲を見回したが、ほかにこの場を利用する者の姿は見当たらない。彼女は脇に抱えていた一冊のファイルを机の上に置くと、そこへ被せるように両手を乗せ、一度神妙に咳払いをした。


「まず教えて。あなたはどうして葉山蓮介さんを探しているの?」


 真剣な表情で彼女にそう問われた僕は、「その人が本当に僕の探している人なのかどうか、それはまだ分かりません」と答えた後、鞄から一枚の写真を取り出した。


 それは随分と昔に母が撮ったであろう写真で、若かりし頃の葉山蓮介が写っていた。


 写真を見た彼女は驚いたようにぴくりと眉動かしたが、顔を上げて僕を見ながら、「それで、どういった理由でこの人を探してるの?」と尋ねた。


「その人で間違いないですか?」と僕が尋ねると、彼女は小さく頷き、「確かに葉山さんみたいね」と答えた。


「おぉ、マジで当たりとはな!」と藤沢に言われ、僕は興奮した気持ちを抑えながら、「その人は、僕の父なんです」と言った。


「今もここに通院を?」


「息子さん?」


 眉をひそめた彼女は再び写真を眺め、「葉山さんから息子がいるって話は聞いたことがあるけど、こんなに大きなお子さんとは聞いてないのよね」と怪しむように言った。


「父と話をしたんですか?」と続けて僕が尋ねると、「ねぇ。お願いだから本当のことを話して」と彼女は懇願するような声で言った。


「でないと、これは見せられない」


「だからこいつの父親だって言ってるじゃないすか。写真だって持って――」と藤沢が抗議しようとするのを僕は制し、「分かりました。事情をお話します」と彼女に言った。


 どのみち父とは苗字が違うのだから、疑われるのは初めから覚悟していた。僕は鞄から一枚のクリアファイルを取り出し、そこから出した用紙を机の上に広げてみせた。


「これは?」と問いかけながら用紙を手に取った彼女に向け、僕は自身の名前と、葉山蓮介が離婚する以前の家庭に生まれた息子であることを告げた。


 すると彼女は困惑した様子で「離婚?」と言いながら、用紙を睨みつけた。


「これは、戸籍謄本ね」


「戸籍の移動欄を見てもらえれば、僕の話が嘘ではないということが分かります」


「お前、そんなもんまで用意してきてたのか」


「念のためにね」


 彼女は真剣な眼差しで戸籍の移動欄に目を通していたが、やがて顔を上げると、ゆっくり視線を僕の方へ遣った。


「僕の話を聞いてもらえますか?」と僕が言うと、彼女は静かに頷き、「……聞かせて」と答えた。


 僕は過去に我が家で起きた出来事を、掻い摘んで彼女に説明した。初めは険しい顔つきで聞いていたが、話していくうちに彼女は少しずつ夢中になり始め、最終的には机の上で拳を握りしめながら親身になって聞いてくれた。


「正直、父に帰ってきて欲しいわけじゃないんです。ただ成り行きで、父の消息を知る機会があったから訪ねてきただけで……」と補足して、僕は説明を終えた。


「お姉さんだけが頼りなんですよ!」と藤沢は被せるように訴えている。


「……そう。よく分かった」


 彼女は柔らかな笑みを浮かべ、「遠くからわざわざこんな田舎まで来てくれたんだもん。私も、知ってることは全部教えてあげる」


「ありがとうございます」


 僕らは安心したように顔を見合わせたが、彼女は突然困ったように眉を下げ、「でもね、残念なことに、あの人が今どこにいるかまでは私たちも分からないの」と言った。


「ここにはもう通院してないんですか?」と藤沢が聞くと、彼女は首を振り、「もう随分前から来ていないわ」と答えた。


「分かる範囲のことを教えて下さい」


「いいわ。まずね――」と言うと、彼女は分厚いカルテのファイルを開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る