第25話

 日が暮れた頃に藤沢から連絡が入り、部屋に戻った僕は着替えてまた外出をした。


 僕らはオープン直後のビアカフェで待ち合わせるとカウンター席に並んで座り、まずは小瓶のビールで乾いた喉を潤した。


 多少日焼けしたようにも見える藤沢は、カシューナッツを齧りながらもぞもぞとポケットから煙草の箱を取り出している。


 今日も涼しげなワイドパンツを履き、シャワーを浴びて来たのか身体からお花畑のような匂いが漂っている。


「夏目はバイトとかしないの?」


「向こうではしてるよ。今はしばらく休みをもらってる」


「大学は? あんまり休んだら留年とかにならない?」


「意外と心配性だね」と僕は答え、ビールをぐいっと飲みながら、「分からないけど、何とかなるでしょ」


「お前って肝が座ってんのな」と呆れたように言いながら、藤沢は煙草に火をつけた。


 煙はゆっくりと宙を舞い、まるで水彩画に描かれた雲のように中空を漂った後、やがて空気中に溶けていく。


 彼は煙草を左右に振りながら煙の揺れる様子を眺めていたが、「あぁ、ナナちゃんまた来ないかな」と呟くと、カウンターに突っ伏した。


「僕じゃ不満だって言うなら、ほかのお友達を誘えばいいだろ」


「夏目さんよ、そろそろ気づけ。ほかにお友達なんていると思うか?」


「そういえば、昼間に駅前で見かけたよ」と僕が言うと、「俺のお友達をか?」と鼻で笑いながら答えた彼だったが、しばらくして「えっ、ナナちゃんのこと…?」と尋ねた。


「何で呼んでくれないかね」


「バイトだったんだろ?」


 僕は冷ややかな眼差しを送ってそう答えた後、「それに遠めに見かけただけで、話したわけじゃないから」と言った。


「何で声掛けなかったのさ? また人見知り発動か?」


「いや、そうじゃないけど」と否定しつつ、僕は昼間見た奇妙な光景を思い出すと、しばし悩んだ末にそのことを彼に説明した。


 ひとしきり黙って話を聞いていた彼は、顎に手を遣りながら俯くと、まるでロダンのようなポーズを取って考え込んだ。


 僕は目の前で瓶の補充をする店員を眺めながら、彼の考えがまとまるのを待った。


 店員は作業をしながら、垂れた前髪を鬱陶しそうに払っている。切ってはならない制約でもあるのだろうか。


「ふむ。俺が思うに、あの子は宇宙人なんだ」


「…………」


 長い時間考え込んだわりに、下らない結論を述べるものだ。


「冗談にしては、いつもよりキレがないね」と僕が言うと、彼は手を振りながら、「いやいや、だっておかしいだろ」と答えた。


「普通その辺に落ちたものはつまみ食い禁止だし、その辺に落ちてる蝸牛が食べものじゃないってことくらい、小学生でも知ってるよ」


「やっぱり見間違いかも」


「でもさ、この前一緒に飲んだ時も思ったけど、あの子は驚くほどに世間知らずだよな」と彼は言った。


「あれがまた可愛らしいところなんだが、バーボン以外のアルコールを全く知らない二十歳の女の子って、さすがに稀だよな?」


「だからって、蝸牛は食べない」


「やっぱ宇宙人なんだよ。地球の地質調査にでも来たんだろ。そんでサンプルがてら試食してみたわけ」


 そんな適当なことを言いながら、藤沢は店員に追加の注文をしていた。僕もさっさと飲み干し、ついでに同じものを頼んだ。


「しかし謎な子だったよな」


 注文したビールを受け取った彼はそれを一口含み、「『ここからそう遠くないところに住んでます』って言ってたけどさ、本当かどうかも分からないし。今思えば、『ここからそう遠くない』って何だか怪しげな言い回しだよな」


「学生って感じにも見えなかったね」


「そうそう」と藤沢は頷き、「ありゃ、とんでもない箱入りだな」


「箱入り……」


 箱入りという言葉を聞いた僕は、とてつもなく巨大な箱に閉じ込められたナナの姿を想像していた。


 そこは壁一面が真っ白で、家具と呼べるような代物は何一つ置かれていない。


 中央には巨大な酸素カプセルのような形のガラス瓶が設置され、溶液のたっぷり詰まった瓶の中で彼女は赤ん坊のように丸まって浮かび、次の活動を行うための英気を養っている。


 父親は頭の狂った科学者で、嫌がる娘の身体を使い、人体実験を……なんて。ばかばかしい妄想だ。宇宙人説の方がまだ現実的な推論に思えてくる。


 飲み物が手元に届くと、僕は勢いよくそれを流し込んだ。


「もし今度見かけたら、家までつけてみたら?」


 藤沢は張り切った声でそう話すと、カシューナッツをひと掴み口の中に放り込んだ。


「宇宙船が見れるかも」


「君はいい趣味をしている」


「お前が今日したのも似たようなもんだろ」


「一緒にするなよ」


「俺には声も掛けずにさぁ」


「もう、しつこいな!」

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