第18話

 およそ狂気じみた彼らのレクリエーションが終わると、前列にいた卑しい客層は瞬く間に会場を後にした。その中には平岡と連れの女の姿も見られたが、藤沢は気づかぬふりをして煙草を蒸かしている。


 代わりに今更ながら来場する客が増えていき、それらの目当てが最後のバンドであることは明白だった。


「普通はライブ中にこんな客が入れ替わることってないんだけどな。あいつらが気に入らない連中は終わってから来るみたいだからさ」と藤沢は僕に説明した。


「あと、片付けに時間掛かるからしばらくは始まらないよ」


「ずいぶんと散らかしていったしね」


 辺りには踏み荒らしたお札や食べかす、飲み物などが散乱しており、スタッフがせっせと清掃活動を行っている。


 正直なところ、僕は一刻も早く地上に出てここよりも幾分かマシな空気を吸いたいと思っていた。


 だが今日の藤沢は、一人で放っておくにはどうにも繊細すぎた。落ち着きなく貧乏ゆすりをする彼の姿を横目に、僕は出来るだけ能天気な顔で隣に居座り続けた。


 二人でスタッフが片づけを行う姿を眺めていると、「ねぇ、きみ――」と言いながら藤沢に近づく者があった。


 鼻筋の通ったその男は落ち着き払った風格が顕著に現れ、僕らよりもずいぶん歳上に思えたが、顔は恐ろしく童顔で、身体からとても華やかな香りが漂っていた。


「藤沢くんだよね? さっきステージの上から君を見つけてさ」


「ステージ?」と藤沢は眉間に皺を寄せ、「もしかしてあんた――」


「僕は諸星と言います」と、彼は姿勢よく微笑みながら片手で顔を覆い、「あのバンドでは、虎を担当させてもらっているよ」と言った。


「君は眞人の友達だろ? 以前はうちのバンドにも所属してた」


「友達っていうか」と藤沢は言いづらそうに口籠もり、「それより、昔のメンバーまで把握してるなんて大したもんすね」と答えた。


 藤沢は愛想良くしようと努めているようだが、それでもどこか余所余所しい雰囲気が漂い、相手とあまり目を合わそうとしなかった。


 諸星という男はそんな彼の空気を意に介さず隣に並び、「君はギターが上手かったからさ」と答えた。「眞人とも仲が良さそうに見えたし。まさか観に来てくれてるとは思わなかったよ」


「知り合いが誘ってくれたもんで、それを目当てに」と藤沢が答えると、諸星は納得したように「なるほどね」と呟き、落ち着き払った様子で舞台の方をちらりと眺めた。


 やがて藤沢の方へ視線を戻すと、観察するような目つきで彼を眺め、「今のうちのやり方は気に入らない?」と尋ねた。


「そんなことないっすよ。すっげー盛り上がってましたし」


「いやいや、あんなのは金目当てだってこと、誰が見ても分かるよ」と諸星は開き直ったように笑い、藤沢のそばに寄りながら、「――眞人にはもっと、有用な金の使い道を知ってほしいと思うのだけれど、なかなかどうにも上手く行かない。諸悪の根源は、本人の自覚のなさだね」と小声で言った。


「良いんじゃないすか、今のあいつがそれで満足してるなら」と、藤沢は素っ気なく答えたが、彼はそれに対して少し呆れたように「やれやれ。満足してるもんか」と呟いた。


「友達としては、あれで良いと思う? 君が同じ立場だったらどうかな?」


「俺の意見なんか参考にならないでしょ。メンバーからも抜けたし、前のバンドのことなんてすっかり忘れちゃいましたから」と藤沢が答えると、彼は前のめりになり、「なるほどねぇ」と頷きながら答えた。


 この男は一体、何を言いたいのだろうか。なぜ元メンバーとしての彼ではなく、友達としての彼の意見を聞く必要がある?


 わざわざ昔の友達に聞かずとも、あのバンドにとって最も改善すべき点は現在の所属である彼が一番よく分かっているはずだ。


 諸星はしばし考え込むように俯き、「――あの子に必要なのは、やはり崩壊と再生かな。それしかないよね」と誰に言うでもなく呟いた後、「ありがとう、これで決心がついたよ」と藤沢に握手を求めた。


 それに応じて藤沢が左手を出すと、男は力強く彼の手を握り、「あのさ――」と言って口籠ったあとで少し間を空け、「いや、何でもない。それじゃね」と挨拶を寄越してその場から歩き去った。


 あとには彼の華やかな香りだけが、妙に居座っているように感じられた。


「何か、感謝されることした?」と僕が問いかけると、藤沢は「さぁ」と応えながら自身の掌を見つめ、考え込むように俯いた。


「なぁ、何か変だよな?」


「うん、ちょっと変わった人だね」と僕が答えると彼は首を振り、「あいつさ、指先が水ぶくれだらけなんだよ。まるで素人が弾き始めたばっかって感じの手だった」


「あまり経験が長くないとか?」


「その割には、俺がバンドに居た頃から見てたって言うし、……よく分かんないよな」

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