第12話

 僕らはコーヒーを一気に飲み干すと、急いで支度をして家を出た。ちょうど藤沢が父親から借りている車が近くの駐車場に停めてあり、二人してシルバーのシビックセダンに乗り込むと、朝の街を突っ走った。


 通勤ラッシュの時間帯はとうに過ぎており、交通量もまばらで信号機は僕らの通行を歓迎するかのように青信号が続いた。


 彼は運転しながら器用に煙草を咥えると、僕にも一本寄越した。窓を全開にして火をつけた彼の煙草から立ち上る煙は、外に出ると風に乗って素早く流れていく。


 つられて僕も、助手席の窓を開けた。午前中の風は未だ涼しげで、窓枠から頭を出すと髪が舞い上がり、それが妙に気持ち良かった。


「気持ちいいね」と僕が呟くと、藤沢が「何か言ったか?」と問いかけてきた。


 僕は窓外に頭を出したまま、「もっと飛ばしてよ!」と大きな声で叫んだ。彼は「へいへい」と気怠そうに答えながら、アクセルのペダルを深く踏み込んだ。


 火葬場へ到着すると、建物の入口付近に一台の霊柩車が止まっていた。もしかすると、祖母を乗せてきた車かもしれない。僕らは少し離れた場所に車を停め、こっそりと火葬場の様子を見に行った。


 入口から室内を眺めると、次男がソファに座って微睡んでいるのが見えた。母や長男の姿は見当たらない。


「きっと、これから始まるんだよ。外で待ってようぜ」と藤沢が言い、僕らは車まで引き返した。


 しばらく待つと、意外にも煙突の先から薄っすらと煙が上がるのが見えた。


 きっとあの煙が、祖母の一部なのだ。すべてが分解され、融和し、身も心も軽くなった彼女は、空へ帰っていく。


 お別れの台詞など、いざその時がやって来れば勝手に思い浮かぶものだと思っていた。けれど実際は煙を見つめることに必死で、僕の頭の中はただ真っ白だった。


 祖母が亡くなったことに対する実感が、僕にはまだ湧いてこない。久々に帰省をしたものの互いに予定が合わず、今回は見送りになった。そんな風にすら感じられる。


 もう二度と会えないなどと考えようにも、今一つ現実味がなかった。


 僕は今まで祖母と過ごした時間を思い返しながら、煙が昇っていく様を見送った。その過程でようやく心の中に浮かんだひとつの言葉は、それほど淋しげな響きではなかったように思えた。


 見送りを終え、二人で車内に乗り込むと、今度は目的地も決めずに僕らは街を走りまわった。


「俺のこと、ちゃんと紹介してくれた?」


 藤沢は火のついていない煙草を口に咥え、前方を向いたままそう尋ねた。


「残念ながら、それだけは伝え忘れたね」


 そう答えた僕は、藤沢から貰った煙草に火をつけた。「その方が、ばあちゃんも心配せずに済むし」


 吐き出した煙は身体から離れると風に舞い、空を目指した。


「ひどい言い方だねぇ」と彼は笑いながら、「腹減ったな、何か食いに行く?」と言った。


 僕の頭に真っ先に浮かんだのは、一つだった。


「チョコミントのアイスが食べたい」


「うげぇ。あれ旨いか? いまいち良さが分かんないんだけど」


「君に分かってもらう必要はないよ」


「へいへい。それじゃ、行きますか。――相棒」


 灰色に囲まれた都市の隙間を縫うように、僕らは走った。今ではそれらの景色が、ほんの少しだけ以前よりも色づいて感じられた。

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