第40話
翌日、約束の時間の少し前に到着するとすでに藤沢が待っていた。あれで意外とまめな性格をしている。
「荷物それだけ?」と藤沢はこちらのリュックサックを指差しながら言い、小さく頷いた僕は彼が斜めがけにしているボストンバッグを見つめながら、「そっちはキャンプにでも行くみたいだね」と答えた。
「おっ。カメラ。何で思いつかないかな」
藤沢は僕の首にかかった一眼レフカメラを見ながらそう嘆くと、続けて手に持った飲み物を眺め、「あぁ、飲み物買い忘れたな」と困ったように呟いていた。
あの大荷物には一体何が入っているのか。
最寄駅から数駅乗り継ぎ、景色に緑の割合が増え始めたところで僕らは海沿いを走る列車に乗り込んだ。
それは軍の装甲列車のようにがっしりとした外観で、乗車して車両に移ろうとした際には扉が核シェルターの入口かと思えるほどに重たかった。
「えっと、7ーA、Bは……ここか。夏目さん、奥どうぞー」と彼は自然に窓際の席を僕に譲り、座席上部の棚にせっせと荷物を載せている。
まもなくして列車は出発したが、速度が出ないわりに横揺れが激しく、通路を挟んだ隣の座席で睡眠をとっていた男性は通路に投げ出されそうになっていた。
「何か、空いてるな」
「平日だしね」
今のところの感想としては乗り心地もいまいちで、休日になれば混み合うかどうかも甚だ疑問だった。
車両内は二人掛けの席が通路を挟んで両側にある計四列シートの構成となっており、僕らと反対側には先ほどの居眠り男が、その二つ前方の席ではスーツを着た中年男性が一心不乱に新聞を読み耽っていた。
男の凄まじい貧乏ゆすりに耐えかねて彼のすぐ前の座席についた若い男は険しい顔つきで上から覗き込んだが、当の本人は全く殺気に気づいていない様子だった。
そのままひと悶着起きるのではないかと僕は内心で予感したが、若い男は声を掛けずに通路の反対側に移った。わざわざ決められた席に留まってストレスを受ける必要もないというわけか。
僕らの列は先頭に二人組の中年女性が腰掛けていて、彼女らは藤沢を遥かに凌駕する声量で会話を繰り広げていた。どうやらこの先のとある駅から登山に向かうようで、二人が持参した弁当の内容からソーセージのメーカーまですべてが筒抜けだった。
「うるせぇ奴らだなぁ」とぼやく藤沢はおもむろにイヤホンを耳に差すと、一人で音楽を聴き始めた。
僕は窓から外の景色を眺めるものの、『海沿いの列車』という触れ込みの割に海はなかなか姿を現さない。藤沢も同じことを思ったらしく、「海沿いの列車ねぇ……」と呟きながら欠伸を漏らしていた。
窓一面を覆い尽くす緑を横目に列車はのんびりと走行していたが、長いトンネルに入ると大学付近の地下鉄となんら代わり映えしない風景になった。
「ほら、これ聴いてみ」
藤沢はイヤホンの片方を外して僕に寄越しながら、「男のアイドルなんて今まで聴いてこなかったけどさ、これは良いよ」と言った。
「どれどれ」
僕はイヤホンを受け取り、耳に差し込んだ。聴こえてきたのはゆっくりとした曲調の歌で、歌詞が上手く聞き取れなかった。
「なにこれ? 英語?」
「いや、韓国語」と彼は答えると、「K-POPの中でも、こいつらは段違いだな」と言って音量を調節した。
「へぇ。K-POPね」
僕はしばらくの間、その曲に耳を澄ました。
歌詞は不明だが、情緒的で悪くない曲である。外の景色は相変わらず真っ暗で、他にする事もないので僕は携帯電話を使って歌詞の検索をすることにした。
「これって、曲名は?」
「スプリング・デイ」
「こんな暑い時期に『春の日』って」
「別にいつ聴いたって良いだろ。チューブは冬に夏の歌作ってんだからさ」などと、隣で屁理屈をこねる藤沢はさておき、歌詞を検索すると割合すぐに見つかった。
――終わらない、冬の日か。
まるで我が家に巣食うあの人の心模様を表しているように思えた。
そういう僕の心もまた、あっさりと雪解けを迎えてはくれないけれど。それでも少しずつ、いつかは温かい季節へと移ろいゆくだろうか。
「いい曲だね」
「だろ?」と言いながらイヤホンを受け取ると、藤沢は嬉しそうにそのアーティストについて語ってくれた。
トンネルを抜けると鋭い陽光が車内に差し込み、それと同時に見事な大海原が姿を現した。それは先日彼女と眺めた海よりもひときわ色鮮やかで、ブルーハワイのかき氷みたいな青だった。
車窓のすぐ真下に海が広がって見え、まるで列車が水の上を走行しているように感じられた。遠方にはいくつか小さな島が浮かび、その付近では水面を飛び回ってウェイクボードをする人々の姿も見られた。
やがて海沿いの小さな駅で列車がしばらく停車すると、景色を撮影したい者は列車を自由に乗り降りして構わないというアナウンスがあった。
藤沢は煙草の箱を片手にさっさと立ち上がると、「なぁ、降りてみようぜ」と言った。
「え、降りるの?」と僕が気乗りしない調子で応えると、彼は窓際に置かれた僕のカメラを指差し、「夏目さんは、そいつを何のために使うつもりだい?」と呆れた声で言った。
「あぁ……」
確かに。せっかくカメラを持ってきたのだから、記録を残しておいて損はないか。
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