この心臓の鼓動は

遊佐文久

第1話

 「俺がお前に会ってからもう1年になるのか……。ふぅん、もう高校生……。その制服、よく似合ってるぜ」


 家族でもないのにしみじみと、感動してるみたいな口調で永希(なき)は言った。


 「なあ、窓の外、見てみろよ。真っ青な空だ。桜が咲いて…、あ、そうだ。そう言えば知ってるか。サクラサクって志望校に受かる事を言うらしいぜ。今のお前にぴったりだよな」


 「…うん、そうだね」


 僕は話す事が得意じゃない。ややもすると僕の返事はそっけなくなる。しかし、永希はそんな事は全く気にならないようで、そんな彼と話すのは気が楽だ。

 彼は深々とチョコレート色のソファに沈めていた腰を持ち上げ、背後の窓を顧みた。


 「おう。こんな長閑でめでたい良い日なんだ。何か、お前に良い出会いがある気がするぜ」


 かかっ、と永希は笑い、その直後、聞き慣れた音が鳴り響くのが聞こえた。目の前の風景はグレイに染まり、意識は引き戻される。



 ピピピピ ピピピピ………


 カチッと目覚ましを止め、体を徐に起こした。永希の言葉を思い出す。

 がしゃっとカーテンを開け、空を見ると、寝台の天蓋みたいな黒い雲に覆われ、雨が降っている。正直永希の言うような明るく穏やかで、小鳥や人の声が溢れる天気よりも、薄暗くて、すべての音を雨音が吸い込むような天気のほうが好きだ。でも、今日に限っては何となく残念な気がした。


 「制服、しつけ糸取らないと…」


 ベッドから降り、大きな勉強机の上、筆立ての中からハサミを抜き、全てのしつけをとった。


 

 文化祭やオープンキャンパスに全く赴かなかった僕は、今日、見慣れない高校の校門をくぐり、クラスわけの紙を確認した。


 天羽靂(あもうれき)


 それが出席番号一番の生徒の名前だった。僕はつい、その顔も性別もわからない生徒の名を二度見した。


 靂……。


 今まで忘れた事は無い、決して忘れてはいけない、僕にとってそんな名だった。

 その後、迷子の生徒を探しに行くことになったり校舎に猫が侵入していたり色々とあったが、始業式は恙無く進行し、生徒たちは各々の教室へと戻っていった。



 「私はこのクラスの担任をつとめる桜美こすもだ」


 始業式の後、こすも先生は自己紹介をした。白い肌、ウェーブした明るい茶髪、薄桃色のワンピース、何より人形のように整った可愛らしい顔が目を引く綺麗な先生だった。しかし、表情がわかりづらい。愛想という言葉を知らないような無表情だ。


 「どうせ今後各科目の先生に授業で何度も自己紹介させられるだろうが、あなた達にも出身中学に、名前と一言、なにか言ってもらおう」


 先生は、言葉とは裏腹に全く興味はなさそうにそう言った。


 「はい、出席番号一番天羽、どうぞ」


 「はぁ、有馬中、天羽靂です。どうも」


 靂……、珍しい名前にも思えるが、僕の知る名字では無い。特徴的な髪色だ、と思った。白髪が多く、もはや遠目からはグレイに見える。


 「そうか。ところでその髪は地毛か?」


 え、いや、まあ、気にはなるけど。そんなはっきり聞いていいことなのか?いや、知らないけど。


 「ああ、地毛です。小学生の時分から白髪が多いと指摘を受けてきましたが、最近はおれも鏡を見ると驚きます」


 彼は先生に外見について指摘されても意に介さない風だった。天羽靂。長方形のフレームを持つ眼鏡、その奥には吊り目がちで利発そうな目が鋭く光る。童顔で愛嬌があるが、その顔には如何にも性格がひねくれてますと言いたげに薄笑いが浮かべられている。しかし、やはりあの何処迄も、愚かなまでに人の良いあいつに似ている所がある、気がする。


 「でも、やっぱり気のせいか…」


 誰にも聞かれない程度に呟く。雰囲気とか、似ているどころか正反対っぽいし。何か性格悪そうだ。


 「そうか」


 先生は、自分から聞いておいてそんな気のない返事をするなよ、と言いたくなる様な返事をし、何も無かったように次の出席番号の人間に自己紹介をさせた。


 


 

 





 

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