左手にパン。右手に刃物。

佐武ろく

左手にパン。右手に刃物。

僕は5時間目を保健室でサボっていた。



「次の授業はでなさいよ?」

「はーい」




適当に返事をしながらベッドに寝転がっていると先生が湯気の立ち昇るコーヒーカップを持ってやってきた。白衣に身を包んだ保健室の先生は割と美人で有名だ。一応言っておくが僕は先生に会いたくてサボっているわけではない。ただただ単にめんどうなだけ。先生は火傷しないようにゆっくりとカップを傾けながらベッド際の椅子に座った。



「何の授業だったの?」

「えーっと。――倫理」

「坂本先生ね」

「うん」

「いい先生じゃない。可愛いし」




倫理の坂本先生はおじいちゃんで癒しキャラとして人気が高い。



「別に坂本先生が嫌いだからサボってるわけでも倫理が嫌いだからってわけでもないかな。ただ何となくめんどうなだけ」

「ふーん」




先生はそう素っ気ない返事をするともう一口コーヒーを飲んだ。



「私が高校の時の倫理の先生もダンディで男女問わず人気が高かったなぁ」

「先生にも高校時代があったんだ」




僕は思い浮かんだことを何も考えず口から外界に放り捨ててしまった。思い出に浸る先生はその言葉に眉を顰める。



「失礼な!教室に帰すわよ」

「ごめんなさい」




本当に申し訳ないと思った部分が4割、教室に戻りたくないと思った部分が6割。もし先生が帰すなどと言わなければ10割の気持ちで謝罪できたと思う。



「素直に謝れるならよろしい」




そう言うと先生はコーヒーを一口。



「そういえば『左手にパン。右手に刃物。』っていうの知ってる?」

「いや。知らない。なにそれ?」

「私が高3の頃さっき話した倫理の先生が担任だったんだけど、放課後におしゃべりしてるときに話してくれたんだけど」




またコーヒーを飲む。本当にコーヒーが好きだな。



「何日も食べて無くてお腹を空かせた人が君に食べ物を求めている。今、君は左手にパンを持ち右手には刃物を持っている。そして君の取れる選択肢は3つ。パンを与える、無視してその場を立ち去る、刃物で突き刺す」




先生は選択肢の1つをあげる度に指を上げていく。



「さぁ。どうする?」




僕に向けられた手は答えを求めていた。



「――パンをあげる」

「私もそう答えた」




先生は僕へ向け指を叩くように振った。



「そして先生はこう続けた。ほとんどの人がそう答えると思う。多分、無視したら人でなしって言われるだろうし刺しでもしたらそれは犯罪だ。だけど、これはそういうことじゃない。パンを与えることは愛、刃物を使うことは相手を傷つけること」




実際にパンの時には左手を出し、刃物の時にはコーヒーカップを握っている右手を出す。



「飢えている人にパンを手渡し愛で接することもできるし、刃物で相手で傷つけることもできる。やるかやらないかは別として君はどちらの選択もできる。つまりどういう行動をとるかは常に君次第ってこと」




正直に言って何が言いたいか分からなかった。



「どういうこと?」

「まぁ、簡単に言えば。君は言動や行動で常に相手を傷つけることも愛してあげることもできるからそれを覚えておいてってことだよ」

「無視っていう選択肢は?」

「それは時と場合、人によってパンにも刃物にもなるからどっちとも言えないって言ってたかな」

「ふーん」

「別に常に人に愛をもって接しろっていう話じゃなくてどんな状況でも誰にでも常に選択肢があることを覚えておいてそのうえでどうするかは君次第だよって話だから」




何となくだけど理解はした。



「先生ってさ...」

「ん?なに?」

「美人だよね」

「おっ!パンをありがとう」

「でもさ。飢えている人にあげるとしたらパンだと口の中の水分なくなるしスープとかあげた方がいいんじゃない?もしくは水もあげるとか」

「そういう話じゃないけど、確かにその通りだね。君は優しいね」




そう言うと先生は立ち上がった。



「その優しさをいつまでも持ち続けるんだよ」




そして仕事へ戻って行った。

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左手にパン。右手に刃物。 佐武ろく @satake_roku

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