第6話 凶刃
六限目の最終授業が終わり、学生たちはサークルやアルバイト、または帰宅するため、談笑しながら教室を去っていく。
ふと顔を上げると、リリウムがぼんやりとしているうちに教室には誰もいなくなっていた。声を掛けてくれる友達がいたのは小学生くらいまでだったろうか。一人でいることにはもう慣れている。
リリウムは情報端末をかばんに押し込むと教室を後にする。そして、ぎくりと足が固まった。廊下にはナタン・レイヴンブランドが立っていた。
「ようやくでてきたか。ほんとにすっとろい女だな、お前は」
「ナタン……」
教室に留まっていたのがよくなかった。授業終わりの生徒たちに紛れて退出すればナタンをやり過ごせたかもしれなかったのに……周囲を見渡してみるが漆香もガイストもいない。
震えそうになる身体を堪えてナタンを見た。
「婚約者を迎えるときくらい笑顔を見せたらどうなんだい?」
「私はあなたを、……婚約者だなんて、思ってないから」
リリウムは小さい頃からナタンのことが嫌いだった。はじめ出会ったときはブサイクな顔だなと笑われてひどく傷ついた記憶がある。以来、会うたびにナタンはリリウムをイジメるので、だんだん生理的に受けつけなくなっていった。
「話があるなら、早く言って……」
「はいはい――次の試験、俺が相手をすることになったんだ。それを伝えたかっただけさ」
「試験……? どうしてあなたが――」
「さあね、リリウムと戦いたくないって生徒ばかりなら高学年からでも割り当てるしかないんじゃないの? 教師たちも大変だ」
「……っ、しらばっくれないで……」
魔導兵器開発の試験は、同学年の戦術学科の生徒と対戦形式で行われる。対戦相手を選ぶのは教師だ。選んだ生徒がナタンであるという事は、つまりそういう事だ。
前回の魔導力学の試験でも似たようなことがあった。
提出した論文データが誤っているとして落第点をつけられたのだ。論文データは
漆香にも相談してみたが、誰かが学校に圧力を掛けているとしか思えない、と言われてしまった。
アルマリット・ハイスクールを退学させられたら、リリウムの当主としての資質を疑われ、ヴェーロノークはいずれ没落していくと確実視される。レイブンブランドの現当主は今ある資産だけでも回収しなくてはならないと強制執行をはじめるだろう。
「……あなたは、……こんなの、ゆるされない……」
「心外だなあ、試験受けれなかったら即退学だよ? 感謝してくれたっていいんじゃないの? ……ま、俺に勝てるわけないし、試験するだけ無駄だと思うけど」
「そんなこと……」
あなたになんか負けない、と力強く否定できたら――と思う。リリウムの兵器開発の成績は上の中くらい。試験は勝敗ではなく、開発した兵器を多角的な視点で総合評価される。
ナタンのことだから本気で襲いかかってくるだろう。兵器の性能評価など下せないくらい圧倒的な勝利を試験監督に見せつけるつもりかもしれない。それか、評価そのものを歪めて落第点にしてしまうか。
「次の試験に落ちれば退学。そしたらヴェーロノークは俺のものだ――愉しみだよ」
「……っ」
勝てる要素はなに一つない。万にひとつ勝てたとしても、勝利は握りつぶされてしまう。暗い未来だけが目の前に想像されていく。涙で視界が滲んで、顔を伏せようとした――そのとき。そっと肩を抱きしめられた。
「そんなことにはならんさ……レイヴンブランドひとつ満足に従えられんきさま如きに、負けるはずがない」
「ガイストっ!?」
いつの間にか現れた
「……お前は、リリウムの……。機人族が何のつもりだい?」
「主人の敵を排除する。それが、
「はははは――、排除だって? 魔術も使えない劣等種族が俺を止められるとでも? 笑わせてくれる!」
ナタンは背後に控えていた機人族のメイドから乱暴に
「ガ……ガイスト、あなたじゃ……」
ナタンは総合格闘技の授業において対戦相手を痛めつけて医務室送りにしたことがあると聞いている。単純な戦闘でガイストに勝ち目があるはずがない。壁になってくれればいいだけなのに、余計な挑発なんかしたら機人族を道具くらいにしか考えていないナタンはガイストをバラバラに壊してしまうだろう。
「心配するな。奴は弱者だ」
「え……なっ……ちょ、……ま、まって――」
リリウムが制止の声を掛ける間もなく、ガイストは薄く笑みを浮かべながらナタンに対峙した。
「来るがいい、きさまなど素手で十分だ」
「へえ……ここまで、馬鹿にされたのははじめてかもしれないね。俺が、弱者? 人族の情けで生かされている機人族が……生意気な」
ナタンは端正な顔に青筋を浮かべてる。そして、魔力を解き放ちながらレイヴンブランドを抜き放った。
「解体してやる――!!!」
ナタンの魔力が廊下を駆け巡り、廊下の窓ガラスが砕け散った。隣の教室にいた生徒や通りすがりの生徒たちの悲鳴が響き渡り、我先にとその場から逃げだしていく。
「ガイスト……っ」
ナタンがレイヴンブランドを腰だめに構えながら突っ込んでくる。魔術で身体能力を強化しているのか。一歩の踏み込みだけで爆発的な加速力を得て、ガイストとの距離を一息で詰めた。
「スクラップだ、劣等――!!!」
「ふ――っ」
ナタンが魔力を得て輝くレイヴンブランドを逆袈裟に斬りあげる。ガイストは目にも止まらぬ早業でレイヴンブランドの刀の平を弾き飛ばした。そして、しなやかな足を高く上げてナタンの胸元に突き蹴りを放った。
「が、はぁ――っ!?」
ナタンは強烈な蹴りを受けて床に転がるも、身体を跳ね起こして再びレイヴンブランドを構えた。
「ぅぐ……な、んだと……機人族のくせに、なぜ魔術を……!?」
「魔剣技を使うくせに魔闘術を知らないのか。元々は魔術の使えない人族の技だぞ」
「魔……闘……術……?」
魔闘術なんて言葉はリリウムも初耳だった。ナタンが使っているのも魔剣技なんてものではなく、武器に斬撃強化と硬質強化の
「己の身体のわずかな魔力を独特の呼吸法で練り上げ魔術を受け流す波動と為す……もはや忘れ去られてしまったようだがな」
「忘れられた技など、所詮淘汰された貧弱な技じゃないか! そんなものでいつまでも凌げるものか!」
ナタンは雄たけびを上げて斬りかかる。一撃必殺ではなく多段斬撃へ。周囲の被害も考えず、無尽の太刀筋を繰り出した。魔力を宿した刃の竜巻が廊下の壁を天井を斬り刻む。そして、教室の壁をささらのように裁断していく。まるで岩盤破砕機が廊下の中心で動きだしたかのように破壊の渦が広がっていく。
「児戯だな。この程度なのか、きさま」
しかし、ガイストは涼しい顔で激しい斬撃の嵐をいなしていく。汗だくでレイブンブランドを打ち込むナタンであったが、わずかな足運びだけでその場を一歩も動かないガイストは圧倒的であった。
「そうかい、なら――これでどうだ!!!
ナタンは魔術を発動する。魔力で生み出した不可視の手で掴み上げたのは……。
「ぁ……ダメ……!」
リリウムはガイストとナタンの攻防の端に映る人影に気づく。ナタンが連れていた機人族のメイドたちだ。彼女たちはナタンの荷物を抱えたまま廊下にへたり込んでいた。
「役に立て、お前たち!」
「きゃぁぁぁぁぁ!?」
「いやぁぁ!」
ナタンは
回避しようと身じろぎするガイストにナタンが吼える。
「はっ、いいのか! 避ければリリウムに当たるぞ――!!!」
機人族のメイドたちが大砲で撃ちだされた砲弾の如くガイストに迫る。直撃すればただでは済まない。
「ち――弱者ではなく下種だったか」
咄嗟にガイストは機人族のメイドたちを受け止めようと身構えるも、ナタンは予想通りだと言わんばかりに嗤う。
ガイストはナタンの先の先の動きを見た。ほとんど表情を崩さないガイストは苦い顔をしていた。そして、「メイド服が汚れるのを防ぐために」はじめて跳び退いた。一瞬でリリウムをお姫様抱っこで抱えて、――の飛び散る範囲から逃れた。
ナタンの斬撃が荒波のように機人族のメイドたちを呑み込んだ。一瞬で彼女たちのホムンクルスの身体はバラバラに斬り裂かれ、人造の肉塊と
リリウムは小さく悲鳴を上げて顔を背けた。
「へえ、うまく避けるじゃないか。血みどろにしてやろうと思ったのに」
「そこまでして勝ちたいのか」
「一太刀も当たらないまま終わるのは気にくわないじゃないか。あーあ、まったく……面白くないな」
唐突にナタンが攻撃の手を止めた。さきほどのまでの殺気をキレイに静めて、レイヴンブランドから滴り落ちる
何故、ナタンが戦闘をやめたのか。その理由は階段を駆け上がってきた人物にあった。
「なんだこれは!!!」
現れたのは漆香だった。生徒たちの通報によって駆けつけた漆香は辺りの惨状に声を荒げた。
ナタンの斬撃によって廊下は斬り刻まれ、一部の天井が崩落して上の階が見えている。砕けたガラスが散乱する床には血飛沫とホムンクルスの残骸が散らばっている。
「ナタン!!! どういうことだ、これは!」
「はいはい、俺が悪かったよ。修理費はレイヴンブランドが持つし、それに……ほら。すぐに元通りにさせるからさ」
「そういう問題ではない!!!」
怒鳴りつける漆香とヘラヘラと笑いながら歩き去ろうとするナタン。二人をすり抜けるように黒服の男たちと機人族のメイドたちがゾロゾロと姿を現した。彼らの胸元にはレイヴンブランドのバッチがつけられている。
黒服の男たちが魔術を唱えると見る間に崩壊した校舎が修復されていく。機人族のメイドたちは床に散らばったホムンクルスの残骸を集め、べっとりと張り付いた血飛沫をふき取っていく。泡沫の悪夢であったかのように、ものの数分で戦闘の痕跡を片付けると風のように去っていった。
ナタンも漆香の諫言をひらりと躱していずこかへと消えていってしまう。
静けさを取り戻した廊下をぼんやりと眺めていると、リリウムの頭にひんやりとした掌が触れた。ガイストだ。乱れた髪を撫でつけるように優しく頭を撫でられる。
「怖い思いをさせたな、もうだいじょうぶだ」
「子供、じゃないんだから……、やめて。……守ってくれたことは、感謝してる……けど」
「礼を言うぐらいだったら強くなるんだな」
ガイストにこつんとおでこを小突かれた。
そう、でも本当にガイストの言うとおりだ。強くならないといけない。ナタンに勝たなければ試験は不合格になってアルマリット・ハイスクールを退学することになる。
ナタンが学校に圧力をかけているなら、不正をできないくらいの圧倒的な勝利でナタンを打ち破るしかない……と思う。
「うん、がんばる……」
ナタンに勝つための努力を精一杯やろう、と。リリウムは力強く頷き返した。
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