第23話
どれくらいの間、そのまま天井を見つめ続けていたのだろうか。
やっとアースがふらりと立ち上がったのは、もう部屋が真っ暗になってからだった。
明かりをつけてから、先ほどまで着ていた通りに服を身に纏ったものの、どう謝ればいいのか思いもつかない。
その場の限りの嘘では遠からず今度こそ決定的な破綻が訪れてしまうだろう。
ふうと思わずため息がこぼれてしまう。
部屋の壁につけられていた鏡を見ながら、髪を編もうとしたが、長いせいで、考えごとをしながらではうまく纏まらない。ましてや、今朝と違い今は一人だ。
諦めて束にした髪を布でくるむと、その布ごと頭に巻きつけて部屋を出た。
化粧をしていない顔を頭で覆った布で隠すようにしながら、部屋番号を聞いていたマルカの部屋に行こうとする。確か二階の一人部屋だったはずだ。
もしシリオンが外に出ていなければ、今いる場所はそこしかない。
「とにかく謝らないと……」
―――でも、なんと言って?
それがまだ思いつけないのに、気持ちはもしシリオンに見捨てられたらと悲鳴を上げるように叫んでいる。
ただ会って、側にいさせてほしい――。
そう思うことを止められず階段の下まで来た時に、おやという顔をしたマルカに出会った。
マルカの手には湯気をあげている木製のお椀と皿が三対、木の盆に載せられておいしそうな甘辛い匂いをまいている。
「おお、今ちょうど部屋に食事を持っていこうと思っていたんだ。ここの名物はアルペーヌ山羊の蜂蜜漬け唐辛子焼きらしいぞ。それに熊肉のビーフシチュー。熊と牛の格闘をぜひお楽しみくださいとあったので両方もらってきた」
これで帝国にまた伝説を一つ作ると笑っているところを見ると、どうやらシリオンに食べさせて観察するつもりらしい。
「シリオンはマルカ……のところにいますか?」
「ああ、来ているぞ。ひどく落ち込んでいて面白かったから、そのまま見ていたんだが。さすがにずっとだから、うっとおしくなってきたところだったんだ。あのシー・リオンのまさかの落ち込みよう! 士官学校からあいつを見ているがありえない光景すぎて、笑うのに腹が痛い」
豪快に言い放つと、実際にマルカは声をあげて笑っている。
そしてにやっとアースを見るとかがみこんで顔を寄せた。
「あの陛下があそこまで落ち込むとは。さては喧嘩でもしたのか?」
「ええ――まあ」
「だろうな! そうでなければ無理矢理手を出してお前に嫌われたかのどっかだと思っていたんだ!」
―――合意で手を出して、しかも嫌われたのはこっちですが。
言葉に出せずにつっこむ。
「それで仲直りをしてやるつもりはあるんだろう?」
「ええ、もちろん」
「ならば話が早い。部屋の奥で粗大ごみさながらに固まって一言もしゃべらないあいつを早く回収してくれ。さすがに時報のように一分に一回大きなため息をつかれては、こっちの気までふさがってきた」
「―――落ち込んでいる? シリオンが?」
今更ながら、それが頭にひっかかった。
「怒っているじゃなくて?」
「いや、今のシー・リオンは完全な生ごみ状態。話しかけても返事をしないし、ずっと端に座って何かぶつぶつ呟いたかと思うと、盛大なため息をついているし。あれがわが国の主かとおもうと、さすがにこちらがなにか切なくなってきた」
―――シリオン。
さっき部屋を出て行った背中越しに見た横顔を思い出す。
―――怒っていない?
ひょっとすれば、謝れば許してもらえるかもしれない。
やっと湧いてきた一筋の希望に、アースの背筋がまっすぐに伸びたときだった。
「ああ、いたいた」
上り始めた階段の途中でかけられた声に、マルカと同時に後ろを振り向く。
すると、一階の床では、夕方見た兵士が僅かに鎧の兜を目の上で持ち上げながら、階段を上っていく二人を見つめているではないか。
「なんの御用でしょう?」
騎士で培った丁寧な言葉遣いで、マルカがにっこり笑うと、さりげなくアースの前に出て自分の背中に隠した。
けれど兵士は悪びれる風情もなく、にこやかに笑いかけている。
「いやあ、実は夕方見たあんたらのこと、つい関所で喋っちまってさ。すごい美男美女のお客が来ていると話すと、もうみんな見たいみたいと言い出して」
「まあ、それは光栄ですわ。明日関所を越える時には通らせてもらいますので、どうか皆様によろしく――」
にっこりとマルカが笑うと、兵士はちょっと安心したようだ。そして、更に言葉を続ける。
「それが関所の隊長まで見たいと言い出してさ。なにしろこんな山の中だろう。 みんな娯楽が少ない上に、今日は都からの使いが来てやってる宴会にも女手がたりなくてな。ぜひ酒の酌だけでも来てもらえないかって言われて」
それにマルカの眉がぴくりと動いた。
「私たちは酌婦ではありませんわ」
マルカの表情が変わったのに気がついたのだろう。急に相手の兵士が慌てだす。
「わ、わかってるよ。ただの普通のお酌だけさ。みんな毎日同じ生活で退屈しているんだ」
「生憎、彼女の夫が待っているので食事を運ばなければなりません」
けれどにべもない一礼をすると、アースを隠すようにして階段を上がろうとする。
それに兵士の男が焦った。
「あ、あんたら商人の一家なんだろう? 隊長に取り入っておいたら、これから通商の時も何かと融通をきかせてもらえるし、絶対損にはならないって!」
「失礼いたします。皆様には明日ご挨拶できるのを楽しみにしていますわ」
けれどただ背中を向けると、食器を載せたお盆を持って階段を上っていこうとする。
「待てって!」
しかし慌てた男の伸ばした手が、食器を持っているマルカではなく、その隣で背中のほとんどを覆っているアースの長い布にかかった。
「あんたが駄目なら、こっちでもいいからさ。旦那の為だろ―――」
そう言って引っ張ったせいだった。
頭に巻いてあっただけの布が外れ、その中から人並みより長い髪が宿の明かりに照らされながら、ざらりとほどけ落ちる。それは外の夜のように黒く、まるで機にかけられて織られていく絹糸のように長い。
それが頭に巻いた布から飛び出し、照らされる明かりの中で扇のように広がっていくのを、アースは黒い目を見開いて見つめていた。
外れる布をおさえようとしたが、もう間に合わない。
膝までもある長い髪が階段に露になり、それに周りの人々の目が釘付けになっている。
膝にも届く長い髪、そしてはっきりと見えた黒い瞳。
「じゅ、十賢だ!」
手配書に書かれていた容姿と寸分変わらない姿が明かりに現れたではないか。
咄嗟に叫んだ兵士の声に、周りのざわめきが突然大きくなった。
「貴様、塔から逃亡したという十賢だな! おとなしくー」
けれど続けようとした瞬間、男の体はマルカがとりだした剣で一刀の元に切り倒されていた。
長いドレスで隠れた足に剣をくくりつけ、いつでも抜けるようにしていたらしい。
けれど兵士からこぼれた血に、宿にいた客たちが次々に悲鳴を上げる。
「何事だ!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。シリオンがすぐに剣を持って二階の手すりの側まで走ってきたが、アースの髪が露になって立っている姿に全てを理解したらしい。
「ちっ」
すぐに使い込まれた階段を駆け下りると、アースの側に立ち剣を構える。
「シリオン! ごめん! ばれた!」
「ああ、かまわん。ちょうど一暴れしたかったところだ」
そう言うと、反対側でアースを守っているマルカに半分だけ振り向いて伝える。
「マルカ正面突破だ。関所を破るぞ!」
「仰せのままに」
言うと同時に、二人して剣を構える。
「アース、走れるか?」
「うん」
置いていったりはしないとわかる言葉が、とても嬉しい。
「じゃあ、マルカ! 背後を守ってついてこい!」
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