第5話 待っていた約束
息も切れながら駆け込んだ居室で、アースが入口にかけられた帳を掴んで下を向いていると、突然ぱちぱちという拍手が聞こえてきた。
「さすが、アース! まさか幼い時に未来の皇帝まで籠絡していたなんて」
「え?」
不審そうに顔を上げると、目の前ではまさに今の今、悩んでいた相手であるフラウが金の髪の中で、それ以上に目をきらきらとさせて立っている。
「それに皇帝を男色の道に目覚めさせて女への興味をなくす! こんな平和的な解決法を思いつくなんてさすが十賢だわ!」
「ちょ、ちょっと待った! いつ男色なんて⁉」
「あら。だってそっくりの姿なら、二番目に大事にできるのよね? それってつまりそういうことじゃないの? 毎日抱きしめたら妄想とか、その顔で浮気をしたら相手を抹殺とかまで宣言していたし」
――どこから聞いていた⁉
「いや、でもまさか男を恋愛の対象になんて……」
「あら。アースをそういう対象で見てる人って少なくないと思うわ。その証拠に――アースへの他国からの勧誘を妨害しているのはイシュラお兄様でしょう?」
「妨害⁉」
「知らなかったの? アースにどこからも就職依頼が来ないのも、お兄様がサウル大臣達に命じて他国からの手紙を全て握り潰していたからでしょうに」
「ひ、姫っ!」
あっけらかんと話すフラウの後ろで、サウル大臣と近衛隊長はひどく慌てて真っ青になっている。
――そういえば、シリオンもさっき僕への手紙に返事がないと言っていた……!
シリオンからだろうが、シー・リオンからだろうが、この二年他国からの手紙は事務書類以外もらった覚えがない。
確かに、そうすれば就職先は必然的にこの国の王家か塔しかなくなる。
「す、すみません! イシュラ王子に命令されて! でも、アース様にこの国に残ってほしいのは王子のみならず私達みんなの願いなんです!」
「そうです! 優しげなのに一歩間違えると毒舌のそのギャップに王子だけじゃなく、みんな萌えを感じているんです!」
「ほら? ギャップ萌えってあるでしょ?」
「…………絶対、自分が対象にはなりたくなかった…………」
「大丈夫です! たとえ皇帝がアース様に惚れていても、絶対に諦めさせますから! その証拠に話を聞いたイシュラ王子が、暗殺計画を装う犯人を用意すると言っていましたし!」
「――――え?」
――暗殺?
シリオンを? イシュラが?
まさかと、アースは部屋を飛び出した。
走ってシリオンの所へ戻ろうとするが、思ったよりも距離がある。必死で走ろうとするのに、ドレスが足に絡まってうまく走れない。
――狂言? シリオン暗殺が?
違うと頭の中で何かが瞬いた。
急ぎたいのに、姫の衣装が重たい。
――シリオンは何て言っていた⁉
ここに来る途中で誰かに襲われたと言っていなかったか。
命を狙われるのも笑い話にできるほど日常茶飯事なのだと。しかし、まだ内々の求婚の話を知っている者は、そんなに多くはない筈だ。本人と身内、側近のごく少数を除いて――。
それなのに、その道中を狙らわれた‼
――もし僕が思っている通りだとしたら、さっき警護の者を遠ざけて一人きりになっている今が危ない!
せめて警護の者を呼び返していてほしいと思いながら走るのに、女のドレスは刺繍や飾りでひどく動きにくくて、普段の衣装とはあまりにも違う。
それでも、必死に庭の入口の回廊の所にまできた。
そこの暗がりに一人の男が立っている。
白い壁の暗がりにもたれていたイシュラはゆっくりとこちらを振り返り、長く伸ばした足で道を塞いだままアースを見つめた。
それにアースは立ち止まると、大きく息を繰り返した。
――そうだ……話した……。
小さい頃、フラウ姫の教育係を任命された時に、まだ頼りになる王子だと信頼していた彼に。
「俺のところに来る約束を反故にして、どこに急いでいる?」
ゆっくりとこちらを見つめてくる紫の瞳に、アースは息を一つつくと、できるだけ冷静に話そうと震える唇を開く。
「イシュラ王子……なんですね。シリオンを襲ったのは……」
それに王子は酷薄な表情でくっと唇を歪めた。
「ああ、昔お前がいつか迎えに来てくれると夢見るように話していたからな」
知っていた。
シリオンが誰なのか。
たぶん当時塔に連れてきた師匠に、旅先で寄った貴族の館の話を聞いて、イシュラ王子はアースの約束の相手を知っていたのだ。
「知っていたならどうして――!!」
思わず叫んだが、叫ぶまでもなく答えはわかっている。
「どうして? お前は俺のものだろう?」
「ちがう!」
違う――――絶対に違う!
「王室が今までお前を食わせてやった。お前に与えた知識も、服も、与えた水の一滴までもが王室のものだ。それなら、お前は俺のものだろう」
「違う、違う違う‼」
今まで王室の金で生きながらえてきたのは真実だ。でも、それで自分の全てが彼のものかといわれれば、それは絶対に違う。
しかしイシュラ王子は、そう全身で叫ぶアースの腕を取らえようと、固い手を伸ばしてくる。
「違わない。既に十賢で、最早この国と塔の為だけに生きる存在。後は心だけ手に入れれば、全て俺のものになる」
「僕は僕のものだ! たとえ王子であろうと、心まで囲われる気はない!」
その手をはらいのけると、アースは体当たりをするかのようにイシュラ王子の横を駆け抜けた。
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