第3話 優先すべきこと


 ――どこで、間違えたんだろうなあ……。


 控えの間に下がると言って部屋を出たアースは、片手にずうんと顔を埋めながら悩んでいた。


 豪華なドレスを着て歩いているが、足取りはやはりとぼとぼとしたものになってしまう。


 ――いつの間にか、私が俺に変わっていた。ってことは、あれはシリオンの本音ってことだ……。


 崩れた髪を直すと言って、なんとかシリオンから離れたが、頭の中はひどく動転している。


 考えた内容がうまくいかなかったのもショックだが、それ以上に、相手がシリオンだったのが衝撃で立ち直ることができない。よりによって、やっと会えたシリオンに女装を晒してしまった。


 ずっと待っていたのに、これでは再会を喜ぶどころか、一生自分だと名乗ることさえ覚束なくなってしまったではないか。


 ――おかしい……。


 昔よりずっとかっこよくなっていた。もしも、こんな出会い方でなかったら、嬉しくて今すぐにでも名乗りをあげて約束を覚えているか尋ねていただろう。


 ――それなのに……。


 本当に、僅かなボタンの掛け違いなはずなのに、どうしてここまで違ってしまったのか。


 ふらふらと思考の迷路に陥りかけた時、突然隣の緋色の絨毯が敷かれた廊下から伸びてきた手に、中空でぐいっと腕を掴まれた。


 驚いて振り返ると、アースの背より高い位置から冷たく輝く紫の双眼が見下ろしている。咄嗟に捕まれた腕を振り払おうとしたが、強い力で許されない。


「面白い恰好をしているな」


「イシュラ王子!」


 叫んだアースの後ろで、サウル大臣たちが慌てて平伏しているのが目に映る。


 銀に近いような白金の髪は短いが、高い身長と相まってひどく高圧的な印象を感じさせる。この国の第一王子だから、生まれながらに身についたものなのだろうが、アースが礼をするために腕を離させようとするのさえ許さない。


「妹のところに来ていると聞いたが、なぜ来ない? 王宮に来れば俺のところに来るように伝えてあっただろう?」


 その言葉にアースの背中に冷たい汗が滲んだ。


「今は……フラウ姫の御用の最中なので……」


「ふん」


 しかし手は離されない。


「碌な用事ではあるまい?」 


 だから構わないだろうとそのまま腕をひかれて歩き出そうとするのに、アースは必死で足の甲に力を入れて引っ張られるのに耐えた。


 動かない腕から抵抗しているのが伝わったのだろうか。更に力を入れようとしたイシュラ王子の後ろから、サウル大臣が慌てて言葉を取り繕う。


「お、王子! 姫の楽しみの邪魔をしては、後でアース様がどんなお咎めにあうかわかりませんので……どうか、今回は――」


 それに妹の気性を思い出したのだろう。しばらくイシュラはアースの腕を掴んだまま離さなかったが、やがて真っ青なサウル大臣達の様子に面白くなさそうに渋々アースの腕から指を離した。


「わかった、後で来い」


 逃げるなと目の鋭さで威嚇するが、頷かないアースにますます面白くなさそうに紫の目を眇めていく。背にかけた緋色の長いマントが翻り、それがアースの前から去っていくまで、アースは動きを拒むようにじっと体を強張らせていた。


 靴音が絨毯に沈みながら、それでも緋色が遠ざかっていくに従い、強張っていた息が戻ってくる。


 やっと指が動きを思い出して、ゆっくりと握りこめた。


 ――……逃げないと……!


 イシュラの背はこんなにも遠ざかったのに、まだ指先から震えが消えない。


 やっと自分の手で包めた指は、自分でも驚くほど冷えきってしまっている。


 ――この国から逃げないと! 自分はきっと、どこにも行くことが許されなくなる。


 その張りつめたように青ざめたアースの顔を見ていたサウル大臣が、場を和ませるように後ろから声をかけた。


「アース様、しっかり!」


 そして、振り返ったアースにほっとして笑いかける。


「先ず姫からの任務を達成しないと! このままでは、姫に結婚式まで身代わりに差し出されかねません!」


「そうです。我々もそれは絶対に阻止しますが、姫ならそのまま嫁入りだってさせかねませんから!」


 それこそ大変と笑いながら、周りではサウル大臣や近衛隊長が必死にアースを励ましている。


「そうだね、冗談じゃない」


 言われる冗談に、やっとアースは弱々しく微笑めた。折角シリオンに会えたのに、名乗れないとか女装を晒してしまったとかで、いつまでも落ち込んでいる場合ではない。


「とにかく今はきっちり嫌われて、二度と会いたくないと思ってもらわないと!」


 そうすれば、丸く収まる。


 ――フォローは後だ! 


 もし、今この姿で幼い頃に会った相手だと気づかれたら、シリオンに一生変態の烙印を押されてしまう!


 それに冗談でなくフラウなら花嫁衣裳を着せるぐらいやる。それどころか、そのまま輿入れさせて初夜の床にまで押し込みかねない。さすがにそんな状態になってばれるのは最悪すぎるだろう。


 だから今は、この任務を一刻も早く達成して、この国を離れる環境を手に入れることが優先。あの王子の側から離れられれば、いつか所在のわかったシリオンに正々堂々と会うこともかなうだろう。


 だからアースはきっと落ち込んでいた頭を持ちあげた。


 ――そうだ! シリオンに出会えたんだから、顔ぐらいいざとなれば変えればいい!


 確か、医術の十賢がそんな技を知っていたはずだ。この国を離れられたら、それだってできるし、たとえ無理だったとしても、いざとなれば、顔を酸で焼くか、大きな傷を作ればかなり人相は変えられるはずだ。


 かなり物騒な考えで意識を強引に切り替えると、アースははらはらと心配している大臣たちを見回した。


「大丈夫、次の手は考えてある!」


 だから、はっきりとアースは顔を前に向けた。


「男は浪費家の女は嫌いなものだ。ましてや、帝国の皇后に立つ女性ならそんな女は絶対にふさわしくないと映るはず!」


 だから今度はそれでいくと優しげな面立ちに力強い瞳を浮かべるアースに、大臣たちはおおっと歓声をあげた。

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