帝国の花嫁
明夜明琉
第一話 身代わりの花嫁
第1話 とんでもない命令
アースが王宮の金の扉を開けると、突然レースで縁取りをされた花柄のクッションが顔面に飛びかかる勢いで挨拶をしてきた。
飛んできたクッションを片手の慣れた仕草で受けとめると、長い黒髪を揺らしてアースはにっこりと中に微笑みかける。
「こんにちは、フラウ姫。ご機嫌斜めなようだね」
「あら、アースだったの?」
てっきり父である王か説得に来た家臣の誰かだとばかり思っていたフラウは、金の巻毛に包まれた顔を少しばつが悪そうに、次に投げつけようとしていた本を抱えなおして誤魔化している。
「ごめんなさい。また父上が私に無理矢理嫁に行けって説得に来たのかと思って……」
「聞いたよ。オリスデン皇国の皇帝が求婚が来るそうだね」
フラウを刺激しないように、アースは柔らかな長い黒髪を揺らしながら穏やかに話しかけた。膝まで伸びる長い髪と、その身に纏う幾重にもひだをつくられた柔らかな服は、この王国にある賢者の塔で長年修業したことを現している。年の頃はフラウの一つ上の十七くらいだろうか。黒い瞳にひどく穏やかな笑顔を浮かべるこの青年を、フラウの周りにいた家臣達は救いの存在のように手を合わせて眺めていた。
「ええ、そうよ。ばりばりの政略結婚! 我が国の周り中攻め落としておいて、国内に戦火を持ち込みたくないのなら結婚しませんかって、プロポーズのセンスとしてもどうなのよ!?」
「うん、それはプロポーズの名前を借りた脅迫だね。脅迫文として対処を考えたらどうだろう?」
「考えたわよ! 一、相手を倒す! 二、相手を殴る! 最終手段は、顔を見た瞬間に刺し殺すよ!」
「うん、なんで僕が君の説得役に呼ばれたのかがわかったよ」
小さい頃、賢者の塔で秀才と認められて以来、なにくれとなく勉強相手を勤めてきた一つ下の姫の華やかな金の巻き毛を、アースは溜息をつきながら見つめた。
「アース様、お願いです。残る頼みの綱は貴方だけなのです」
そうアースの膝に取り縋るようにして身を乗り出してきたのは、サウル大臣だ。
「姫に言ってやってください、そんなことをした瞬間我が国は火の海になるって」
右から嘆願してくるのは、王族を守る近衛隊の隊長だ。
「ああ。うん……」
困ったように、アースは縋ってくる二人の体を受け止めながら、心の中でオリスデン皇国の若き皇帝の噂を思い出していた。
元はオリスデン王国の二番目の王子だったらしい。けれども、戦場での進撃は破竹の勢いで、兄の死により正当に王位を継承してからは、更に周辺国を飲み込み、昨年ついにその併合した国々の頂点として国名を帝国に改めオリスデン皇帝一世を名乗ったのだ。
逆らう者には容赦しない――それなのに占領した国々に敷いている政治は、温情溢れる仁政らしい。
征服者なのか。それとも優れた統治者なのか。知の塔では、その姿についていろいろと議論がかわされている存在で、アースも賢者の塔にいる者として興味がないと言えば嘘になる。
「確かに、オリスデン皇帝は怖い噂も多いけれど、でも顔は絶世の美男子だそうだよ。会ってみるだけでも目の保養じゃないかな」
アースの言葉に振り向いたフラウはきっと指をつきつけた。
「私は顔に皺のない男なんて、認めない! 私の異性としての守備範囲は、最低でも私より十五は年上! 額に人生の苦悩を刻み、手には長く働いた証が懊悩のように刻まれている姿だけが、私の女心を刺激するのよ!」
「オリスデン皇帝だって、あと十五年もすれば、きっと君好みの男になるし、うまくしたらそれよりも早く老けて、よぼよぼの寝たきり老人になってくれるかもしれないよ?」
「求婚の言葉に、『私は貴方を愛さないので、貴方が誰を好きでもかまいません。浮気も恋愛も自由なのでお気楽に』そんな言葉を言ってくる男のセンスってどうなの?」
「うん。プロポーズとしては最悪だけど、ブラックジョークとしてはネタにつかえる貴重な体験かも」
「どこの世界にプロポーズで生涯笑い話になりたい女がいるっていうのよ!?」
言葉を返しながら、フラウは咄嗟にアースに容赦のない扇子の一撃を加えていた。それがアースの黒髪に当たり、周りの臣下達を慌てさせる。
「ひ、姫! アース様にそんなご無礼な……」
「仮にも賢者の塔十賢に……」
「十賢ねえ……」
その言葉にフラウはにやりと嫌な笑みを浮かべる。
直感的に嫌な予感がした。フラウがこんな笑い方をする時は、碌に目にあった試しがないのだ。
「そうね。じゃあ、穏便にことをすませるためにこうしましょう? アース! 貴方が私の身代わりをして国に戦火を引き入れないように見事オリスデン皇帝に嫌われてきなさい!」
「は――⁉」
――身代わりって⁉
言われた意味がわかりたくない。それなのにフラウは容赦する気がまったくないように、にっこりと笑みを重ねてくる。
「もちろん、姫としての命令よ? 牢獄に閉じこめられたくなければ、死力をつくして嫌われてね」
「ちょ、ちょっと待った⁉」
慌てている間にも、フラウの命を受けた侍女たちがいそいそと嬉しそうに、アースの四方を取り囲んでしまう。
「ちょ、ちょっと! 一応僕は男なんだけど!」
「あら? だいじょうぶよ。私の侍女のプロの腕を信じなさいな?」
「いや、いや! 男が女装して誤魔化すなんて無理がありすぎる! せめて女性に―――!」
しかしそんな叫びはフラウにとってそよ風にすぎない。
「女らしくないごつい姿の方が、嫌われやすいでしょ? そ・れ・に! 女性に頼んで、何か間違いがあったらどうするの?」
「僕はどうでもいいのか!?」
「ないように、せいぜい嫌われるのをがんばるのよー」
侍女に取り囲まれて、奥の部屋へと押し込まれていくアースを見守るフラウの美貌は、振るハンカチの向こうでまるで花が咲いたように華やかだった
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