人は死んだらどうなるの?  ―宮沢賢治の絶詠の考察-

永谷 瞬

第1話 本論文の要約



 筆者は幼い頃から宮沢賢治の童話、詩と触れ合う生活を送ってきたが、そのきっかけは祖父が与えてくれた『宮沢賢治童話大全』であった。その祖父は10年前に突然死し筆者は深い悲しみを負うこととなった。祖父の戒名に雲という字がついたことで、祖父と雲や空を結びつけて考えることが増えていった。筆者が高校生のある日出会ったのが、空に関わりのある賢治の絶詠であった。卒業論文執筆の際、賢治の死と絶詠を考えることは祖父の死を改めて考え直すことになると思い、このテーマを設定した。

 本論文の目的は以下の2点である。一つ目は宮沢賢治の絶詠と病に伏せる最晩年の姿を追い、そこにいかなる意味が見いだせるかを考察する。二つ目はそれによって、筆者が祖父亡き後に行ってきたグリーフワークの意義を検証すると共に、筆者が考える現時点での死生観を言語化することとする。

 研究の方法は以下の通りである。

 第1章では、宮沢賢治の年譜や、死をモチーフにした晩年の作品「疾中」から「疾いま革まり来て」の精読を行う。彼がどのように死を迎えていったのか、その様相を知るとともに一次資料に自分なりの考察を加える。

 第2章では、賢治の死生観について先行研究を検討し、賢治の死生観に多大な影響を与えた妹トシの死を、小此木啓吾が提唱した対象喪失という観点から考察する。また筆者の祖父が亡くなった後、筆者がどのようなグリーフワークを行ってきたかを文章化し、その検証を以上で得られた考察をもとに行う。

 第3章では、賢治の「死に方」を、賢治の最後の手紙と言われる柳原昌悅宛の手紙や死の前日に書かれた絶詠から読み解いていく。ここでは賢治自身の死の過程をE.キューブラ―・ロスが提唱した死の受容という観点から考察する。

 結論では以上を総括し、賢治の絶詠及び死に方、そして祖父の死が筆者の死生観に及ぼしたものを内省し、筆者自身の死生観について現時点での考察をまとめる。


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筆者の永谷瞬です。いつもお世話になっております。

やっとこさ卒論が終わりまして。記念の公開となります。

脚注や出典、資料すべて含めて25000字ほどとなっておりますので、1話1000字づつに区切って、話数ごとに題をつけました。したがって、引用で終わって次話から解説をしていたり、読みにくいところがあったりするかと思いますがご容赦ください。

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