掌編集
N.C
乱杭刃
熱風吹き荒ぶ砂漠の中を、二つの影が確かな足取りで歩いていた。一人は百九十に届こうかという長躯。もう一人は、それより頭三つ分以上は小さい矮躯だ。二人は暗緑色のフーデッドローブを纏い、フードを目深に被っている。防塵マスクで顔下半分を覆い、防塵のゴーグルも付けた念の入れようだ。パッと見て、男か女かを判断するのも難しい。
そんな二人は、砂漠の砂丘を抜け、稀にある水場に腰を下ろしながら、一つの場所を目指していた。その場所は、砂漠の最中に突如として存在する一つの街。領主の館を最奥に置き、街の中央を館と入口を繋ぐように通りが貫き、その周りを民家が固めた縦長の街。大規模と言われれば大規模に思え、小規模と言われれば小規模にも思える。そんな中途半端な規模を持つ街である。砂漠の中ということもあって大繁栄を誇っているわけではない。しかし、人が住める程度の繁栄を維持している街だ。
そこに、長躯と矮躯はある目的があった。それも、これを達成せしめなければ死んでしまうとも言えるような、きわめて重要度の高い目的である。
砂漠の細かな砂に足を取られながら進む。長躯が転びそうになるたびに、フードの中で金属のぶつかる無造作な音がしたが、長躯は気にも留めない。その代わりに、少し遅れ、砂に足を取られて転んだ矮躯にゴーグル越しに目線をやった。矮躯は顔を上げ、頷く。それを見た長躯は目線を前に戻して、押し付けるように踏み込み、砂丘を上っていく。遅れる形で矮躯も小走りに追って、また転んだ。長躯はフード越しに頭を掻いて、転げ落ちないようにゆっくりと砂丘を下り、矮躯の腕を掴んで無理矢理に起こし、先程と同じように踏み込みながら砂丘を上がっていく。
「うおっ!?」
「……!」
諸共転げ落ちた。
二人が街に到着したのは、それから二時間から三時間は経った頃だった。太陽は相変わらず、無慈悲に熱を放出して確実にこちらの命を削っている。宿屋に泊るなどしなければ、砂漠特有の過酷な温度差にやられてしまうだろう。近くに少し大きめのオアシスがあることと過酷な温度差を鑑みて、湯屋程度ならあるだろうと推測できる。
そのために場所など聞こうと街並みを見回し、人を探す。しかし探すと言っても、街の入り口であるここに人通りがないわけがなく、人には事欠かない。砂を水で固めて作ったような脆そうな家々が通りを挟むように立ち並び、通りには出店などが出ている。
そして、彼らを見て得た一つの事実を、長躯が口にした。
「みんな、景気悪い顔してやがるなぁ。しかも服装もボロ布一枚で身体包んでるような感じだ。これじゃあ、夜の極寒にゃあ耐えらんねぇだろうよ」
声量は普通と変わらないにも拘らず、道行く人々はそれを咎める気配はない。それを気にしないほど度量が大きいのか……あるいは、それを気にしないほど切迫した状況にあるのか。
長躯は横で矮躯が首肯するのを確認して、眼前を通り過ぎようとする痩せぎすの青年に、体面を取り繕うような敬語で声を掛ける。
「すみません」
「……はい? なんでしょう?」
痩せぎすの青年は、微妙に焦点の合ってないような瞳で見て、数秒の空白ののち、長躯に疑問を投げた。空腹のあまり、意識が朦朧としているような風情だ。
ただ長躯はそれらを眼中に入れず、ただ湯屋の所在のみを問うた。
「湯屋は、ありますか?」
「湯屋……です、か。一応の、ところは機能して、いますが、領主様が、独占していらっしゃい、ますので、とても高額で、入ることもできないと、思いますが」
途切れ途切れの言葉に長躯は首肯で返す。それと同時に、長躯は彼の身なりを確認した。一枚のボロ布を身体に巻いたような貧相な装束は砂に塗れ、身体は薄汚れて悪臭を放っている。高額ゆえに湯屋に出入りできない影響だろう。
それを確認したうえで、あくまで敬語を貫徹させた。
「そうですか。湯屋はありますか。ありがとうございます」
長躯が一礼し、それに倣うように矮躯も腰を折った。青年は平手を上げて去っていく。フラフラと蛇行するような足運びで家々の間を抜けていった彼に目線を向けている矮躯に、場にそぐわない極めて陽気な口調で長躯は言う。
「まぁ、気にすんなよあんなの。そこら辺の奴らもそんな感じだしな」
まぁ。
そう言って、長躯は続けた。
「目的はしっかりとあるんだ。問題なく行動できるな」
それに矮躯は頷き、長躯の袖の端を握った。それを見た長躯が矮躯の頭をフード越しに撫で、矮躯は嬉しそうに息を吐く。
「そういえば、領主にはどこで会えるんだ? まさか街の視察とか、してねぇだろうしなぁ」
そう言うと、矮躯が握った袖を引っ張った。疑問の一声で矮躯を見た長躯は、矮躯が指差していることを見咎める。その指差しの延長線上に視線を這わせ、目的地まで到達したとき、長躯は思わず感嘆の声を漏らした。
「おうふ。なんたるフラグ」
長躯の前に、豪奢な衣装を羽織った男がいたのだ。前と言っても数十メートルは先に、豆粒のように見えるに留まる。それがなぜ見えるのかと言えば、街の人々が軒並みひれ伏していたからだ。屋台を出していた人々も道行く人々も、通りの端に綺麗に並んで額を熱砂に擦り付けていた。それだけでも、如何に彼が人々に畏怖されているのか、その度合いがわかろうというものだ。
しかし二人は恐れない。人々の平伏を脇目に見て、通りの真ん中を突き進んでいく。遠目でも領主が眉をひそめているのがわかる。
それでも、なお行く。人々の慌てた様も、領主を守る近衛兵も一切合切気にしない。ただ、目的の為に一直線に邁進する。
「貴様ら、何者だ! 領主様に向かい不敬であるぞ!」
近衛兵の放つ紋切型の警句も気にせず、彼はフードを脱ぎ、ゴーグルを外し、最後に防塵マスクを剥がした。
現れたのは、まさしく異形の相貌。三日月の口には乱杭歯が並び、顔の半分は焼け爛れ、焼け爛れの方の目も無惨に潰れている。生き残っている片目も白目は黄色く濁り、黒い虹彩が不気味に輝いていた。眼球は忙しなく泳ぎ、時折、音を立てて乱杭歯を噛み合わせている。
それに近衛兵から領主、そして人々が恐怖の声を短く上げるを見て、長躯は一際大きく乱杭歯を打ち合わせる。
「愉快だな。この俺見て、そんなに怖いか? ただの醜い男だろぉ?」
そう言い、彼はフーデッドローブから片腕を引き抜いた。しかし徒手ではない。彼の手には、一つの刀剣が握られていた。刀身が浅く弧を描き、腹には波のような紋様が走っている。この砂漠の街で一般的に知られる武骨な剣とは一線を画す流麗さが、その刀剣にはあった。
長躯は、領主やその取り巻きに見せつけるように、刀身を横にした。刃毀れ一つない刀身が陽光を反射し、煌びやかに光る。
「いいだろ、これ? 鍛冶場にいるのが生き甲斐な馬鹿親父が鍛えた武器でなぁ。刀っていうらしいぜ?」
そう言い、彼は刃を領主に向け、峰を己に向けて切先を空に向けるように構えた。その際に、もう片方の腕もフーデッドローブから抜き、ローブをマントのように棚引かせる。
「貴様は何者だッ!」
近衛兵の誰何の声に、異形の長躯はただ笑う。
「名前なんて、名乗るほどのものでもねぇ。ただ、名乗るとするなれば……俺は、乱杭刃だ!」
名乗りを上げ、乱杭刃は右足を踏み込み、前方に低空で跳躍する。落着と同時に、制動を掛けた左足を軸として回転を行った。回転に合わせ、刃で薙ぐような形で刀身の向きを調整する。
そして結果が弾き出された。領主と近衛兵。総勢五名の首が一斉に刈り取られたのだ。その刎頸の一撃を、平伏する人々はそれを呆然と見上げた。
そして続いたのは歓喜の声だ。圧政を敷いていた領主の突然の暗殺。喜ばない人間がいようはずがなかった。
だが、その熱狂も次の瞬間に急冷することになる。
「やれ」
長躯の短い命令で動いた矮躯が、領主たちの死体を喰い始めたからだ。矮躯はいつの間にかフーデッドローブから防塵マスクにゴーグルと、素性を隠す全ての装束を廃していた。軽装の衣服の下の肌はわずかに蒼い。瞳も純金と見紛うまでの金色で、形状を除けば明らかに人間と呼べる代物ではなかった。
人々の顔が恐怖に歪み、その中の一人がたまらず叫ぶ。
「あ、『青褪めた獣』……!」
それは、ここやその周辺地域での魔物の呼称だった。魔物、モンスター、青褪めた獣などの名前で呼ばれるそれは、どんなところにだろうと存在する人類種の脅威である。膂力などは容易く人類種の上を行き、知力でさえ肉薄する人類種の天敵。しかも、人に酷似しているというのは、青褪めた獣の中でも最高位に位置するような強大さを意味する。しかもこの青褪めた獣は、
「ぐ、グールなのか!?」
グール。またの名を屍食鬼。死体を喰らう青褪めた獣である。それの最高位ともなれば、もはや恐怖や畏怖といった感情より諦観が先行するほどだ。
しかし、乱杭歯の長躯は宥めるように彼らに言った。
「安心してくれ。こいつは、俺が斬殺した死体以外喰わないポリシーを持ってる」
そして続ける。
「それと、この領主の臣下はどこだ? 十中八九館にいるだろうけどな」
彼は三日月のように笑う。彼らの中の一人が、そんな男に疑問を投げた。
「何故! 青褪めた獣が人間と共にいる! 貴様、何が目的だ!」
「目的? そんなの、悪政敷いてる為政者の斬殺に決まってるだろ?」
事も無げに彼は言う。そして唖然とする聴衆に向かい、未だ喰らい続けるグールの肩を抱いた。
「このグールの女は、元々北方に住んでたグール族の長の娘でな。見せしめに性的奴隷にされて、廃人になる寸前だった。そうなる前に俺が助けてやったんだ」
そして続ける。
「それで、まぁ、そういうこと以外の知識持ってなかったからなぁ。適当に知識叩き込んで、多少は真っ当にしたんだけどよ? どうにも、あれだ。こいつ奴隷にした連中がいけ好かんでなぁ。基より圧政を敷く為政者が俺は大嫌いでなぁ。いい機会だから、世界中を放浪して悪政の為政者を殺すことにしたんだ」
「殺した後は、どうするんだ」
「証拠はこいつに喰わせて、おさらばだ。飛ぶ鳥跡を濁さず、っていうだろ? まぁ、血痕とかは残るから、それは砂かけるなりして処理してくれや」
長躯の人斬りは、捕食中の己の下僕を指差した。蒼肌の少女はあたかも駄菓子を口に含むように肋骨を折り砕き、咀嚼している。既に領主の衣服は、濡れ冷めて固まった細砂の上に、無造作に置かれていた。今、彼女は最後の近衛兵の骨肉を貪っているところだ。
「おい。今日はここの湯屋借りるぞ。お前もこんな奴らの汚物浴びて不快だろ。洗い流しちまえ」
彼は着々と減っていく刎頸の骨肉を指差しながらグールに言う。彼女は体液に塗れた衣服を見回し、静かに首肯した。
それを確認した乱杭刃は、周囲を見渡して言う。
「領主の臣下の場所を教えてくれ。全員斬り倒す。そのあとに湯屋借りて、俺らは帰るからな」
あたかも散歩の続きをしようとするかのような長躯の言葉に、一人の男が言葉を差し挟んだ。
「待て! 新しい人材の育成や為政者の選出! それらをやってくれるんじゃないのか!?」
「あぁ? なに馬鹿で寝惚けたこと言ってんだ。そんなことするわけねぇだろ?」
「為政者を斬殺したということは、つまり為政者の後釜がいるということだ! 貴様らは! 革命を行う組織ではないのか!?」
男がそう糾すと、人斬りは身体を仰け反らせて呵々大笑した。
「随分と都合のいい解釈だなぁ。……そんなわけねぇだろ? 俺がいけ好かねぇと思ったから斬殺しただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。後釜なんか知るか。俺はただ、斬りたいから斬った……そぉれだけだ」
案内しろ。
そう言って、長躯は衆人に背を向ける。そして最奥の館に向けて足を数歩進めたとき、不意に振り返った。彼は雛のように後追う蒼肌の少女の頭を手櫛で梳りながら、乱杭歯を見せつけるように笑う。
「俺はこいつと会ってから、足跡を残さないように目的遂行してんだ。もしお前らが足跡になるっていうなら――――容赦なく消させてもらうぞ」
そこで、やっと彼は白日に晒していた刀を腰の鞘に収めた。刀の柄を幾度か叩いた長躯は満足そうに口端を吊り上げ、館に視線を向けようと顔を動かす。
しかしそれを止める声があった。
「やれるもんならやってみろ! 俺が将来この街出て、お前のこと言いふらしてやる!」
その声の主は、幼い少年。親らしき女が口を塞ごうとしたが無意味だった。まだ分別の解らぬ子供が何を言おうと相手にしないだろうと少年なりに考えて出た行動なのだろう
しかしそれは見事に裏切られた。
「すみません! あとで言って聞かせますので――」
「いや。その役は俺がやってやるよ」
庇うように前に出た女を蹴倒して、長躯は少年を睥睨する。少年は、血の気を引かせながらも果敢に長躯を睨み据える。
その瞬間。ローブから予備動作を抜いて閃いた斬撃が、少年の股から頭頂までを綺麗に割断した。
両断された少年が後方に倒れる。貫通した斬撃によって二分された少年の身体は、地面に接すると同時に右半身と左半身を分離させた。その間から内臓が零れ、切断された胃から消化物が流れ出る。
その光景に絶句する女を前に、彼は如何にも面倒くさそうな所作で、グールに捕食を命令した。
しばし、砂漠の乾いた熱風に音が乗った。肉を裂き、骨を砕き、血を啜る異音。そしてそれを味わう咀嚼の音だ。目の前で己が息子を惨殺された女は、泣き叫びながら蒼肌の少女に掴みかかり、少年の遺骸から引き剥がそうと躍起になる。しかしそれに少女は端正な顔を不快に歪め、力任せに振りほどき、地面に叩き付ける。女は短く悲鳴を吐いて、続いて喘鳴を漏らし、事切れた。青褪めた獣が、激情に任せた膂力を揮った結果だ。
「なんだよ。死体増やすなよ」
長躯の苦情に、矮躯はただ首を傾げた。それに彼はただ苦笑して、すぐに仏頂面に戻し、衆人環視に命令する。
「俺は領主の臣下を斬殺してくる。だからお前らは、湯屋で歓待の準備でもしてろ。折角圧政を取り除いてやったんだしよ。ちょっとは、贅沢させてくれや」
そう言い、長躯は悠然と館へと歩んでいく。少年を完食した少女は、絶命した女とその横に打ち捨てられたボロ布を一顧だにせず、乱杭歯の人斬りに追随した。
その後、彼らは臣下を全て斬殺し、処理し、湯屋でくつろいで去っていったという。
また、統括者を失った砂漠の街は次第に衰退し、最後には街としての体裁すら失ったという。
樹海の最奥に、一つの大きな国家があった。肥沃な大地と豊富な淡水、そしてそれによって育まれた多くの動植物によって支えられ、大いに繁栄している国家だ。この国家の先代国王は善政を敷いていた。しかし、先代国王が退位し、現在の国王になった後には、今までの善政とは真逆の圧政が敷かれた。悪法が罷り通り、悪政が成立していた。重税は序の口で、激しい階級制度から差別意識を植え付ける情操教育、果ては幼い少女を娼婦として貴族に召し上げる法律など。
そして、それを耳にした乱杭刃は、悪政を敷いている為政者の粛清という目的を遂行する。
この国家の腐敗体制というのは最早手の施しようがないまでに悪化していた。故に、乱杭歯の人斬りはその悉くを斬殺した。
頭頂から股下までの一刀両断。
頭部をスライスした裁断殺害。
腹を掻っ捌いて内臓ぶちまけ。
そうやっていって、最後に外道の極致とも言える当代の国王の眼窩を抉って刳り抜き、眼球を蒼肌の少女に喰わせたりして可能な限り甚振った。娼婦として薬漬けの毎日を送っていた少女たちを解放し、高価な調度品を街中にばら撒いた。
そして、最後の仕上げとして、二人は地下牢へと下っていく。粘つく湿気に二人して顔をしかめながら、螺旋階段のように作られた石段を降り、やがて広い場所へと辿り着いた。獣脂の蝋燭で照らされたそこは薄暗く、比類ないほどに汚らしい。所々から発せられる人肉の腐臭に眉を寄せて、目的の地下牢まで歩いていく。地下牢は通路を挟んだ向かい合わせの個室に分かれ、その全てが堅牢な鉄格子によって脱出を遮っている。個室の多くには人骨が入っており、時折腐敗した肉をこびり付けたものもあった。先代国王の重臣や懐刀などが幽閉された場所だ。
そこにいたのは一人の壮年だった。以前の砂漠街よりなお酷い装束を身に着け、痩せこけた顔をこちらに向けている。
「先代国王だな?」
長躯の言葉に、力なく壮年は頷いた。だいぶ衰弱している。
しかし、それだけでも凄まじいことなのだ。当代の国王の治世は四年余りに及び、その間、彼はここに幽閉され続けてきたのだから。
「大した根性だよな」
長躯は素直に感嘆する。四年余りのこの劣悪な環境に耐えてきたのだ。称賛に値するものだろう。矮躯も無言ながら拍手をしている。
それに痩せこけの壮年は不快そうに顔を歪めた。
「あの男の、走狗か。今度は、何用だ。私は、如何な、所業にも、屈するつもりは、ないぞ」
「いやいや。あの男っていうのが当代国王を指すっていうなら、アイツは疾うに地獄行ってるぜ」
「……なに?」
「目ん玉刳り抜いて舌を串刺しにして身体の皮剥ぎながら、筋繊維を一本一本千切りながら惨殺した」
壮年はその言に絶句する。
それに頓着することなく、長躯は告げた。
「出ろ。四年ぶりの娑婆だぜ?」
地下牢の鉄格子の四方を蒼肌の少女が噛み砕き、破断させる。耳障りな金属音を奏でて地面に倒れた鉄格子を踏み、長躯が壮年に迫る。壮年は長躯を見上げ、彼は壮年の手を取って強引に立ち上がらせた。筋力の衰えた壮年は引き摺り上げられるように立ち上がり、長躯はそんな彼の腕を肩に回して支え、地下牢から出る。
「力、あるんだからよ。お前がやってくれや」
そう言って、瀕死の壮年を蒼肌の少女に放り投げる。壮年が石畳に叩き付けられる前に、少女が壮年を受け止め、背中に背負った。それを確認した長躯は、腰に手を当て身体を伸ばし、螺旋階段のある出口に足を向ける。
「よし、じゃあ帰るか。この男は、街中に適当に捨てれば介抱する奴もいるだろぉ。信頼も厚かったらしいしな」
その言葉にグールが頷く。それを見て、壮年は不思議そうに首を傾げた。
「屍食鬼、か。しかも最高位。手懐け、飼っているのか?」
長躯は不愉快そうに顔を歪めた。
「あぁ? 飼うとはまた、人聞きの悪い言い方だなぁ……。共に、在るんだよ。異論は斬り捨てる」
静かな憤激を秘めた言葉に、壮年は長躯の気持ちの深度を悟った。
「言葉が悪かったな。詫びよう。すまなかった」
「詫びなら飯でも奢ってくれや。ここ樹海の奥だからだいぶ苦労してよぉ。保存食も無くなっちまった。干し肉なりなんなり、そういうのを持たせてくれると万々歳だ」
「可能な限り、尽力しよう」
「助かるなぁ」
会話をしながら、彼らは階段を上っていく。螺旋階段を上る中で、三人は無言だ。誰一人言葉を発さず、螺旋階段を上がりきった。
囲まれていた。
「あぁ?」
階段の出入り口で長躯は疑問の声を上げる。鎧を纏った重装から衣服を着た軽装、それらが剣や槍を構え、こちらを剣呑に睨んでいる。
「あぁ。悪政の召使か」
長躯が両手を打ち合わせる。それを合図に現政権を守護していた兵たちが、一斉に突貫してきた。
「なんだ? まだ甘い蜜吸い足りねぇか? まだこの悪政があればいいと、その愚考から外れられねぇのか?」
長躯は腰の鞘から抜刀する。
だろうなぁ。なら。
そう前置きして、言った。
「死んで、外れろ」
一閃。その膂力が生み出した斬撃は、迫りくる剣と槍を残らず明後日の方向に吹き飛ばす。
呆然とする兵士たちに含み笑いを見せながら、乱杭刃はもう一度刀身を振るった。
断頭の一撃が放たれ、兵士全員の首から上が宙に飛んだ。半円を作るようにして突撃してきた兵士の足が一斉に止まり、そして糸を切られた操り人形のように頽れる。長躯は腹を裂いて内臓を取り出すと、豪奢な絨毯の敷かれた床に撒き散らした。鮮血と消化物と体液が荘厳な王宮の一角を台無しにし、しかし長躯はそれに構わず、屍に刀身を突き立て掻き回し、念入りに殺害する。
最後の死体が解体し終わると、彼はやり遂げたような爽やかな笑顔で浮かべ、屈めていた身を起こした。
そして言う。
「目的遂行。これが最後なら悪政は断絶だ」
その光景に壮年は青褪めながら、傍目から見て不気味極まりない笑みを刻んだ長躯の顔に問いを投げた。
「現状の政権を悪政と断ずるならば、兵力を全て削ることを厭わんのか?」
「そんなの当たり前だろ。悪政に浸かった兵力は、全て掃討だ」
その言葉に、壮年は苦渋の表情を浮かべた。
そして、自身の懸念を吐露する。
「兵力も決定力もない国家など、滅びるだけだぞ。一体誰が国家を導くというのだ」
「お前が指揮執れよ。元々、悪政の為政者を生んだのはお前の不始末だろうが。自分の不始末を自分で処理できねぇのは、ガキだけだぜ?」
その言葉に、蒼肌は視線を長躯に寄越す。
お前が言うな。
そう言わんばかりの呆れ目だった。
その目線に苦笑して、人斬りは円弧の流血を睥睨する。
「大勢に流されて個々の意思を失った愚か者。こいつらを評するならそんな感じかねぇ」
「それは力ある者の言葉だ。力無き者に、それを言うのは無情というものだろう」
「無情だろうがなんだろうが、関係ねぇ。己を貫いて殉ずるのが人生だろ? それをそんな国家一つに委ねるっていうのは、弱いんじゃねぇか?」
嘲弄するように彼は笑う。それを見た壮年が嘆息し、少女が微笑んだ。
「じゃあ、いくか。お前は処理を頼んだぞ」
仕切り直すように彼は言い、少女は背中の壮年を受け渡した。
のちに国王の口から語られたことだが、彼らはその後、しっかりと食糧をせしめて、振舞われた豪勢な食事を貪っていったという。
そして悪政の立ち消えた国家は再び繁栄を取り戻し、元の輝きを取り戻したという。
人斬りと屍食鬼。この二人は、そのあまりに逸した人間性から、救済者というフィルターをかけられることはなく、殺人者としてそれらの民衆から正しく恐怖の対象とされた。
故に、彼らは閉鎖的な己が街でこう語り継ぐ。
彼の者らに伍する者おらず。
故に、彼の者ら来たれば最大限の礼を以て饗せよ、と。
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