今日は何の日
エイドリアン モンク
今日は何の日
ケーキが食べたい。
若い男がそう思ったのは、仕事帰りの終電の中だった。
ケーキといっても、最近はやりの、おしゃれに飾り付けされた甘さ控えめのケーキじゃ無い。どっしりとしていて、クリームがたくさんついた食べ応えのあるケーキだ。
そうだ、ホールケーキにしよう。どうせ明日は休日だ、それくらいの楽しみは許される……はず……。
そこまで考えると、若い男は眠りに落ちてしまった。危うく、降りる駅を乗り過ごすところだった。
翌朝、さわやかな小鳥の鳴き声……ではなく、スマホの機械的な着信音で目が覚めた。課長からだった。電話に出ると、不機嫌そうな声で、若い男の後輩が大きなミスをして、取引先が大激怒していると伝えた。
「とにかく二人でお詫びに行って、現場を納めてこい」
「課長はどうされるのですか?」
「俺は部長と改めてお詫びに伺う」
平社員が二人出て行って、収まる話じゃ無いだろうと若い男は思った。だが、それを言えるはずもない。
「とにかく、すぐに行ってこい」
課長は一方的に言って電話を切った。後ろの方から、子ども達の声が聞こえた。
なるほど、確かに今日は行きたくないわな-若い男は不本意ながら納得した。
今日はクリスマスイブ、一年で子ども達がもっとも楽しみにするイベントの一つだ。この日に仕事に行けば家族からどんな顔をされるか、独身の若い男にも想像がつく。
救援は来ないか-半ば諦めつつ、後輩に電話をかけた。
「なんすっか?休みの日に」
俺だって休みの日にお前の声なんて聞きたくない-と言いたいのはぐっとこらえて、状況を説明した。
「……それ、今日じゃないとまずいすっかねえ?」
てめえのせいじゃないか!怒鳴ってやりたいのを、またまたぐっとこらえた。
「当然だろう?先方はこっちのミスのせいで全員休日出勤なんだ」
それからも何かぶつぶつ言っていたが、若い男は後輩に落ち合う場所を告げて電話を切った。大きなため息をついて、天井を見上げた。
身支度を調えて駅に向かう途中、ケーキ屋の前を通った。まだ準備中で、店の外には小さなテントが張られ、長机が置かれている。今日は客がたくさん来るから、ここでケーキを受け渡すのだろう。
今日は絶対ケーキを食べるぞ。若い男は改めて固く誓い、駅に急いだ。
取引先の会社では、担当の部長に怒鳴られまくった。当然だ、一つ確認の電話を入れておけば済んだ話が、それをしなかったせいでここまで大騒ぎになってしまったのだ。若い男は後輩とひたすら頭を下げて、嵐が過ぎるのを待った。
それから、休日出勤してきた取引先の社員達と、問題への対処を始めた。敵意……いや、殺気を感じた。いやいや、お怒りごもっとも。
事態を収拾させて取引先を出たときには、夕方になっていた。街は、いつも以上に人、特にプレゼントやケーキの箱を持った親子連れやカップルであふれている。
「迷惑かけてすみませんでした」
たいして申し訳なさそうに、後輩が言った。
「ほんと、マジで勘弁してくれよ」
「いやー、ゆとり教育で育ってきちゃったせいですかねえ」
お前の場合は、ただ単に能力が低いだけだーこんなことを言うとこのご時世、パワハラになってしまう。
「……俺も、ゆとり世代だけど?」
それが精一杯の皮肉だった。若い男の皮肉は、後輩には伝わらなかった。
「あっ、そうすっか」
後輩がスマホを見た。
「じゃあ俺、彼女と待ち合わせしてるんで、失礼します」
おいおい、課長への報告は?さっそく「報・連・相」を忘れてるじゃないか。ああいういい加減な奴のくせに、女には結構モテる。若い男は、世の不条理を感じずにはいられなかった。
しかたなく、若い男が課長に連絡すると、先週提出した報告書を、明日までに書き直すように言われた。散々、何度も課長に確認して、ゆとりを持って提出しておいたのに、ギリギリまで課長は書類に目を通さなかったらしい。
「分かりました」
電話を切った。余談だが、若い男の働く会社は、先日働き方改革の取組みで国から表彰された。
「働き方改革万歳」
若い男は会社の方向へ歩き出した。通りに面した店からは、様々なクリスマスソングが聞こえてくる。
若い男が仕事を終える頃には夜になっていた。思ったより手間取ってしまった。
まだ間に合うか?若い男は急いで会社を出た。会社の近所のケーキ屋、売り切れ。二件目も同じ。は売れ残りを防ぐために、注文を受けた数プラスアルファ程度しか作らないらしい。しかも通常のケーキも、今日は少ししか作らなかったそうだ。クッキーなどの焼き菓子は残っていたが、そんな物では今の若い男は満たされなかった。
いや、まだ店はあるはずだ。スマホの地図アプリで検索した。あった、駅を挟んだ反対側の商店街に一軒ある。
男は走った。イルミネーションで飾られた街のなか、幸せそうな顔をして歩く人の波をぬうように全力で走った。
駅の反対側についたときには息が切れていた。
本日の営業は終了しました。
若い男にとってこの上ない残酷な言葉だった。
なんだよそれ……一気に全身の力が抜けて、空腹がおそってきた。そういえば、朝から何も食べていない。
とにかく何か食べよう。若い男の目に寂れた居酒屋が目に留まった。あそこでいい。ケーキが食べられなければ、何でも同じだ。
店に入ると、常連客らしい三人組の中年の男達以外、客はいなかった。店の中は、外観と同じように、寂れていた。床は打ちっ放しのコンクリートで、メニューは少し黄ばんでいる。取りあえずビールとつまみを注文した。
店内には昔の曲が流れているが、三人組の大きな話し声でそれがかき消される。四人とも、この商店街に店を構える店主たちらしい。子ども達が独立して、クリスマスも、もはや関係ないということを誰かが言っていた。話は、商売、ニュース、近所の噂、ギャンブル、下ネタころころ変わる。聞こうと思わなくても、自然と耳に入る。
若い男は三杯目のビールを注文した。今日は、疲れているせいか、いつもより酔いが回るのが早い。うっかり手が当たって、飲みかけのビール瓶を倒してしまった。店主が台ふきんを渡した。
「おい、兄ちゃん。しっかりしろよ」
慌てている俺を見て、三人組の一人、小太りの男が笑いながら言った。
「どうした、彼女に振られてやけ酒か?」
今度はめがねをかけた男が言った。
プツン。
切れた。切れるときって、本当にプツンと音がするらしい。若い男はゆらりと立ち上がって、三人組のテープルの前に立った。三人組は戸惑った表情で若い男を見ている。
「あんたら、俺が何だって?」
「悪かった、酔っ払いの冗談だ。勘弁してくれよ」
坊主頭の男がその場を収めようと笑いなが言った。だが、もう遅い。
「いや、勘弁できん」
若い男がバンと、机に手をついた。
「俺はねえ、今日一日散々な目にあったんですよ。馬鹿な後輩のせいで頭を下げ、適当な上司のせいで余計な仕事をさせられて……」
「そうか、それは大変だったな」
坊主頭の男が、心から同情しているかのように言った。
「ところで皆さん、今日は何の日かご存じですか?」
男たちを見回した。
「ご存じの方は手を上げて」
「……クリスマスイブだろう?」
めがねをかけた男が恐る恐る言った。
「ぶー。不正解です。今日はですねえ……」
若い男が改まって言った。
「今日は、俺の誕生日でーす」
今度はゲラゲラ笑った。男達が身をのけぞる
「そうか、おめでとう」
小太りの男が言った。
「ケーキ」
「は?」
若い男のつぶやきを、坊主頭の男が聞き返した。
「俺はねえ、今日はケーキを食べようと思ってたんですよ。でも、どこも売り切れだった」
若い男が机の上で拳を握りしめた。
「いつもそうだ。クリスマスイブと重なって、誕生日は友達から忘れられ、家族はクリスマスと俺の誕生日のお祝いを一緒にした。いいですか、俺はねえ、この都会で、彼女も友達もいないなかでも一生懸命にがんばっているんですよ」
若い男が机を強くたたいた。枝豆の殻が飛んだ。三人の男たちが、びくりと体をこわばらせた。
「それなのに、ケーキを食べることすら俺には許されないのですか?この国は一体どうなっている?一体何のための消費税増税なんだ」
若い男はそのまま泣き崩れた。三人組の男、カウンターから出てきた店主が、どうしたものかと顔を見合わせている。
クリスマスイブ、寂れた居酒屋で、知らないおじさん達に囲まれて泣き崩れている。メチャクチャだ。
どれくらい時間がったっただろうか。
「おい、にいちゃん」
坊主頭の男が、若い男の肩を揺すって、顔を上げさせた。目の前にはコンビニの小さなケーキが置かれていた。生クリームのケーキで、小さなサンタクロースの人形がのっていた。
「こんな物しか買えなかったけど、一緒に祝おうぜ」
「ろうそくはないか?」
めがねの男が店主に聞くと、奥から仏壇用のロウソクを持ってきた。
「こんなのしかない」
小さなケーキには不釣り合いだ。
「まあ、ないよりましか」
めがねの男が、ケーキに刺した。
ロウソクに火がともされ、部屋の電気が消される。四人の男達が、同じパートを歌っているはずなのに、少しずつズレた音程で誕生日の歌を歌ってくれた。
「さあ、火を消せ」
若い男はロウソクの火を消した。四人が拍手をしてくれた。
クリスマスイブ、寂れた居酒屋で、知らないおじさん達が誕生日を祝ってくれている。メチャクチャだ。
「おい、来年は一緒に祝ってくれる人をみつけろよ」
小太りの男が言って、他の男たちが大笑いした。
フォークで大きく切って食べたケーキは、甘くて、クリームがたっぷりで、少ししょっぱかった。
今日は何の日 エイドリアン モンク @Hannibal
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