第八章 レインベルク王国の動乱 〜呪われた王子と醜悪な魔女〜

第103話 夢

「……誰か……助けて……助けて……」


 何もない空間に響く声。


 周囲には誰もいない。いや、正確には二人しかいない……。


 一人は助けを求め泣きじゃくる少女。


 もう一人は――雪のように白い髪、血のような紅い瞳、頭からは犬のような耳、臀部からは尻尾が覗く獣人の少女パフ。パフは周囲を見渡して結論を出す。これは夢だと。なぜ、夢と決めつけるのかというと。最近になり同じ夢を何度も見ているからだ。


(……また、この夢……。毎日なんで同じ夢ばかり見るんだろう……?)


 そう、これは夢。パフが見ている夢。最初は夢だとは思わずパフは少女へと泣いている理由を尋ねた。しかし、パフの声は目の前にいるはずの悲しみに暮れる少女に届かなかった。少女は泣きながら助けを求める。だが、パフにはどうすることもできない。助けることも話を聞くこともできない不毛な状況だがパフは諦めずに声をかける。


「ねぇ……。どうしたの? 何を泣いているの? 理由を教えて?」


 何度も繰り返した質問を今回もする。いつものように少女は答えずに泣きながら助けを乞い続ける――と思っていたが、少女は唐突に驚いた様子で顔を上げると周囲を見渡す。見渡した際にパフの姿が見えたはずだが、少女はパフに気づいた様子なく声を上げる。


「……誰かいるんですか? 私の声が聞こえているんですか? ……お願いします! 助けて下さい! 私の――」


 初めてパフの声が少女へと届いた。しかし、少女が語り続けているにも関わらず時間が来てしまう。パフが目覚める時間が……。


「待って!」

「えっ?」「何だ? どうしたよ?」「どうかしたのか? パフ」

「大丈夫ですか?」「くー。くー。……まだ、研究が……。むにゃ……」


 声を上げながら飛び起きるパフにカイ、ルーア、リディア、ナーブが心配そうに声をかける。クリエに限っては眠りながら寝言を漏らしている。だが、声をかけられたパフは夢のことが気になり呟く。


「……あなたは、誰なの……」


 パフの呟きに誰も答えることはできない。その後、パフは慌てた様子でカイ達へ謝罪を繰り返す。


 カイ、リディア、ルーア、パフ、クリエ、ナーブの六人は、アーロに付き添われ王都へと向かう。サイラスから王都レインへの道中だが旅は至って平穏だ。リディアを勇者として迎えるためでもあり、カイ達が乗っている馬車は一際大きく六人が入っても余裕のある程だ。ただし、問題もある。それはパフが乗り物に弱いということだ。馬車のように揺れる物に乗っていると酔ってしまうパフ。当初はパフを気遣い馬車での移動を断ったが、アーロとしてはただでさえ王都へリディアを連れて行く任務が遅れている手前もあり、一分一秒でも急ぎたかった。代替案としてリディアだけでも馬車で王都へ先に行ってもらい、パフを含めたカイ達は後から行くという提案がされる。だが、その提案はリディアから即座に却下される。そもそもリディアは王都へ行くことへ同意したが、勇者として……国賓として招かれることに対しては同意していない。王都へ行く理由はカイとパフ――大切な家族の願いだからだ。つまり、リディアからすればアーロが困ろうが王都にいる王族が困ろうが知ったことではないという言い分だ。アーロが困り果てる中、助け舟を出したのがクリエだ。


「ふふふふふ。しょうがないわねー。アーロ! これは貸しよ! あとで百倍にして返しなさいよね! パフ。これを飲んで」


 不敵な笑みを浮かべながら自信満々という表情でクリエはパフへ小さな飴玉のような物を差し出す。手渡されたパフは不思議そうに飴玉を眺めて聞き返す。


「あのー。クリエさん。これは何ですか?」

「よくぞ聞いてくれました! それは私が乗り物酔いを落ち着かせるために作った魔法の丸薬がんやく。名付けて『酔わないちゃん』よ!」

「え……? よ、酔わない……ちゃん……ですか?」

「そう! 『酔わないちゃん』! 可愛い名前でしょう?」

「そ、そうですね……」


 純粋な眼差しで同意を求めるクリエにパフは何も言えなくなる。一方、周囲で見ていたカイ、ルーア、ナーブ、アーロは溜息を漏らし、頭を横に振りながら何とも言えない表情でいる。そんな周囲の状況はお構いなしにクリエは説明を続ける。


「この『酔わないちゃん』を飲めばあら不思議! 気分は落ち着き乗り物に酔うこともないわ!」

「そうなんですね……。ありがとうございます! クリエさん!」

「気にしないでよ。乗り物って揺れるから嫌になるわよねー」

「はい……。乗り慣れていないせいか……、どうにも気分が悪くなってしまうんです……」

「わかるわー」


 乗り物酔いについて二人が熱く語り合っているとリディアがある疑念を持ち尋ねる。


「クリエ」

「うん? なーに? リディアさん」

「お前の言い方から察するにお前も乗り物に弱いのか?」

「うーん。人並だとは思うんだけど……。どうしても、長い時間乗っていると気持ち悪くなるのよねー」

「そうなんですね。じゃあ、クリエさんと私は仲間ですね!」

「うん? そうね。仲良しよねー!」


 リディアとの話もそこそこにクリエとパフがじゃれあう。しかし、そこへナーブが真実を告げる。


「……いえ。先生は別に乗り物に弱くないですよ……」

「えっ? そうなんですか? じゃあ、何で――」

「ちょっと、ナーブ! その言い方じゃあ私が嘘を言っているみたいじゃない!」

「まぁ、……そうですね。正確に言います。先生は普通に乗っていれば乗り物酔いをおそらくしません……。ですが、長時間じっとしていることが苦手な先生はどんなに揺れが激しかろうが研究のためと思いついたことを熱心にメモに書き記したり、簡単な作業を始めたりと長時間下を向く癖があるのです。長時間下を向いていれば酔いやすいのでやめるように注意をしても聞いてもらえず……」


 そう、クリエが酔う理由はパフとは根本的に違う。パフは獣人特有の鋭い感覚を有している。そのために必要以上に揺れることを身体が拒絶……いや、感じ過ぎてしまい気分を害するのだ。乗り慣れていないことも理由だが、最大の理由は種族特有の事情がある。しかし、クリエはナーブが言うように長時間下を向くという無謀な行為が祟っている。つまり両者の酔い方は根本的に違うのだ。


 兎にも角にも二人は馬車移動では『酔わないちゃん』を服用する。気分を落ち着ける副作用で少し眠りやすくなっている二人は道中で何度も眠っていた。パフが不思議な夢を見ることになったのはこの頃からだ。



「夢?」

「はい。最近、同じ夢ばかりを見るんです……。不思議な夢を……」


 王都へとあと少しの距離まで迫ったある夜。野営をして焚火を囲んでいる中でパフは毎日のように見る夢の話をカイとルーアへ話す。とはいえ、夢の話をされたカイ達はどう返答して良いかわからずに顔を見合わせてしまう。


「えーっと……。その夢に出て来る女の子は……知り合いなの?」

「……いいえ。多分、知らない子です……」

「あっ? 何で多分なんだよ? 夢で何度も会ってんだろう?」

「……正確には会ってないんです……。夢の中では姿がぼやけていてよく見えないんです。それに、あの子も私が見えていないみたいでした……」


 要領の得ないパフからの説明にルーアが苛立ったように食いつく。


「あのなぁー……。そんなんでわかるわけねぇーだろう! それに夢なんだろう? 気にすんなよ。どうせ慣れない馬車移動で疲れて――」

「わかってます! ただの夢です。でも……、あの子……助けを求めているから……」


 珍しく興奮する様子のパフにカイ達が驚いていると。自分が迷惑をかけていると感じて焦った様子で謝罪をする。


「ご、ごめんなさい……。お話を聞いてくれているのに……私……」

「い、いや、別にいいんだよ。ルーア! お前の言い方が悪い!」

「何でだよ! だって! 夢だぞ! どうもできねぇーだろうが!」

「そうでもないわよー」

「えっ?」

「んだとー? いきなり入ってくんなよ! 眼鏡ちび!」


 話に割り込んできたのはクリエだ。軽く欠伸をしながらクリエはパフの横に座り話を続ける。


「ふわぁー。あー、ごめんねぇー。別に話の邪魔をするつもりはなかったのよ。でも、話を聞いてると少し私のせいかもしれないから……」

「えっ? クリエさんのせい? 何でですか?」


 当然のようなパフからの疑問にクリエは右手で軽く頭を掻きながら口を開く。


「実は……、パフに飲ませた『酔わないちゃん』だけど……。ちょっとした副作用があるのよ」

「副作用? それって少し眠くなることですよね? それならクリエさんが最初に説明してくれたじゃないですか」

「そう。精神を落ちつけることで脳が休息を促される。……でもね、ただの眠りじゃないのよ。実はこの薬で眠っている間は普段使われなていない脳の力を活性化させることができるの!」

「はい……?」


 興奮した様子で説明をするクリエだが、難しい専門用語で説明するために話の内容が半分もカイとパフには理解できない。唯一、ルーアはクリエの説明する内容を理解する。説明を聞き終えたルーアが面倒そうにカイとパフに要点だけを簡単な言葉に直して説明する。


「まぁ、要するに……。お前が飲んだ薬で眠ると普段は使われない脳みその未知の部分が働くんだとよ。とはいえ、それがどう作用しているのかも、そのせいで同じ夢を見ているのかはわからないってよ。ただ、可能性としては……。誰か助けを求めている奴の声をお前が無意識に拾っている可能性は否定できねぇーってことらしいぜ」

「誰かが……助けを……」

「パフ……。大丈夫?」

「はい……。大丈夫です……」

「おい! 話を聞いてたのかよ! 可能性だぞ! あくまでも可能性があるだけだ! 普通に考えればただの夢に決まって――」

「私……。そろそろ休みます。カイさん。ルーアさん。お話を聞いてくれてありがとうございました!」


 頭を下げてカイとルーアに感謝を伝えるとパフは踵をかいしてテントへと向かう。流れるようなパフの動きにカイもルーアも言葉をかけることもできずに見送る。この夜、パフはまた夢を見る。いつもと同じ夢を……。しかし、助けを求める少女が何者なのかも、どこにいるのかも、なぜ助けを求めているのかも、わからず夜が明ける。


 次の日、カイ達一行はついに王都レインへと到着する。


◇◇◇◇◇◇


 魔王城のある一室。


 円卓に三人の強者が座している。


 一人は絶世の美女と言って過言ではない姿の女性――ではなく正体は粘液魔物スライムを統べる女王『粘液女王スライムクイーン』サーベラス。


 一人は三メートルを超える巨体の魔獣『魔獣王ビーストキング』リガルド。


 一人は漆黒のローブと特徴的なピエロのような仮面をつけた魔術師『魔導ウィザード支配者マスター』レイブン。


 五大将軍の三人は円卓を囲むように座るが談笑するわけでも、目を合わせることもなくただ黙って座り続ける。自分達を呼びつけた人物を待ち続ける。だが、待っていることに飽きたのか……。はたまた、この状況に苛立ったのか……。『魔獣王ビーストキング』リガルドが口を開く。


「ちっ! いつまで待たせやがるんだ! ……テメー達に言っておくぞ? 次の戦争は俺様が行く! 邪魔をしたらただじゃおかねぇーぞ!」


 一方的なリガルドの宣言にサーベラスは笑みを浮かべながら右手でひらひらと返事をする。レイブンは仮面の下で溜息をつきながら小さく頷く。だが、二人の返答に納得しないリガルドは鼻息荒く詰め寄る。


「テメーら! 返事をしろ!」

「うん? 何よ。リガルド。手で返事はしてあげたでしょう? 見てなかったの?」

「……うるさい……」

「何だと!? テメーら!」


 サーベラスとレイブンの態度が気に入らないリガルドは語気を強めて立ち上がる。しかし、このタイミングで待ち人である人物が到着する。部屋へと入って来たのは漆黒の鎧を身に纏った五大将軍を束ねる者『魔人王デーモンキング』ユダだ。


「騒々しいな……。お前らは静かに待つこともできんのか?」

「ユダ……」

「あらー。あなたが遅刻なんて珍しいんじゃない?」

「テメー! 俺様を待たせやがって!」


 到着したユダに対してそれぞれ違った感想を述べているが、ユダは口元に軽い笑みを浮かべながら三人を見渡す。


「ふふ。少しは私の気持ちを体験できたかな? お前達はいつも私を待たせていたからな。たまには逆の立場を味わうのもいいものだろう?」

「そんなことはどうでもいい。それよりも私達を招集した理由は――」

「言うまでもないだろう? 戦争を再開する」



 その言葉が意味することは……、勇者を血祭りにあげるということ。衝撃的なユダの発言にリガルドは笑みを強め、サーベラスは気怠そうに欠伸を、レイブンは微動だにしないが仮面の下で表情を引き締める。三者三様の反応をする三人だが、リガルドが興奮したように吠える。


「よし! 俺様に行かせろ! 俺様が勇者をぶち殺してやる!」

「ほぅ……。リガルド。お前が立候補するか。だが、勇者は強いぞ? あのトリニティを打ち破るほどだ」

「けっ! トリニティ。あの糞不死者アンデッド……。あいつは五大将軍の面汚しだ! おめおめと勇者に負けやがって!」


 敗北したトリニティへの罵倒に内心ではユダ、レイブンは気分を害するが表情には出さないように努める。残る一人のサーベラスは特に同意することも否定することもせずにつまらそうに自分の爪や髪を弄っている。感情的になりがちなリガルドを制止するかのようにユダが場を仕切る。


「まぁ、落ち着け。リガルド。お前の意気込みは買ってやる。さてと、サーベラス。レイブン。お前達はどうだ?」

「別にー、興味ないわねー……。元々、戦うのはそんなに好きじゃないし。命令されれば行くし、そうでないなら好きにさせてもらうわ」

「珍しく意見が合う……。サーベラスに同意。命令されれば誰とでも戦う。命令がないのであれば待機させてもらう……」

「そうか……。お前達の考えはよくわかった。では、命令を下そう。次の戦争は――」


 これからユダが発する言葉がカイ達を含む多くの人々に深く関わっていくことになる。

 

 平穏だった時代の波が荒れ始める……。

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