第57話 アイシャとウェルド……そして、アイウェルン
机に置いてあった本を見たアイウェルンは動きを止める。
「えっ……? これって……」
アイウェルンは本を手に取って驚いていた。そんなアイウェルンヘバルが淡々とした口調で説明をする。
「そちらは、ウェルド様がアイウェルン様のために用意された物です」
「それは……わかります……。でも、どうして……? なんで、この本を……? 私が花のことを好きって知っているの……?」
アイウェルンが持っていた本は花を育てるための本、それ以外にも花の辞典、小さな小瓶には花の種がいくつも入っていた。アイウェルンの疑問に対してバルは丁寧に応対する。
「アイウェルン様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが……、ウェルド様は仰っていました。アイウェルン様から聞いたと……」
「えっ? 私が? そんな……、だって、私は生まれてすぐに――」
「聞いたのは、アイウェルン様が貴族の屋敷にいらっしゃるときです」
バルの言葉にアイウェルンは驚愕する。しかし、すぐに大きく首を横に振りながら否定をする。
「嘘です! 私はウェルド様と会話をしたことなんて、ほとんどありません! 花の話しなんて全然――」
「ウェルド様は時折こちらに帰っていらしてました。帰られて仰ることはほとんどがアイウェルン様のことでした。……いつも、嬉しそうに話をしていました。『今日は娘の好きな物が聞けた』『娘はお菓子を作るのが上手いんだ』『娘は将来、孤児院で働きたいらしい』など多くのことを語っていました……」
バルの言葉を聞いてアイウェルンは絶句する。バルから語られた内容は全て事実だったからだ。しかし、ウェルドへそれらについて話をしたことなどアイウェルンは思い当たらなかった。だが、アイウェルンは少しだけ思い出す。
(……まさか……? 会話って……、あのときの……?)
◇◇◇◇◇◇
スターリンの命令でアイウェルンはウェルドに言伝をする。そして、二人はそのままスターリンの元へと赴く。会話はほとんどない。そんなとき、ウェルドが呟くように口を開く。
「……お前は仕事以外に何かしているのか?」
「えっ? どういう意味でしょうか? ウェルド様?」
「意味などない。聞いただけだ」
「あっ。も、申し訳ありません……。えーっと。実は花が好きです」
「花……?」
「はい! 綺麗な花やいい匂いがする花は心を落ち着かせてくれるんですよ! 近くにあると元気をもらえます!」
「そうか……」
ウェルドは素っ気のない返事をして会話は終了する。
別のとき――
アイウェルンと他のメイドが食事をとっている時、ウェルドが近くを通る。
「あっ! ウェルド様じゃないですかー!」
「ちょ、ちょっと! ウェルド様にそんな態度をとるのは失礼よ!」
「えー? そう? アイウェルンは真面目だなー」
「そういうわけじゃあ……」
そんなメイド二人をウェルドは眺めながら口を開く。
「どうでもいいが、何か用なのか?」
「えっ? あーっ! ごめんなさい。ウェルド様。すっかり忘れてました!」
「だから! 失礼でしょう!」
「あははははは……。じゃあ、ウェルド様にもこれをあげますよ」
メイドはウェルドへある物を差し出す。
「これは……?」
「それはアイウェルンが作ったお菓子ですよ。この子ってば、お菓子作りの天才なんですよ! とっても美味しいですから食べて下さい。それとー、これでさっきのことは許して下さい!」
「ちょっと、私なんかのお菓子をウェルド様に……。あ、あの、ウェルド様……。お口に合わないかもしれませんので……」
「もらっておこう。それから、私への態度に関しては気にすることはない。ただ、スターリン様の前ではあのような態度をとるなよ?」
「ありがとうございます! 心得てますよ!」
「……ありがとうございます。ウェルド様……」
さらに別のとき――
アイウェルンがデイン家の庭の掃除をしていると人の気配に気がつき向きをかえる。するとウェルドが庭を歩いていた。お辞儀をして見送ろうとするとウェルドが声をかける。
「ご苦労。精が出るな」
「いえ。当然のことをしているだけです」
ただの社交辞令。通常ならこれで何も言わずにウェルドは立ち去るが、今日は立ち去らずに珍しく話しかけてきた。
「……お前はメイドの仕事に満足しているのか……?」
「えっ……? ウェルド様……?」
アイウェルンの問いにウェルドは何も答えない。アイウェルンはウェルドの真意がわからずに戸惑う。しかし、何気なしに自分の素直な気持ちを伝える。
「……いいえ。私はメイドに満足していません……。私はできることなら孤児院で働きたいです」
「孤児院……。なぜだ……?」
「それは……、私のような……。いいえ、両親のことを知らない子供に希望を与えたいんです」
「……そうか。邪魔をしたな……」
「いいえ」
同意するわけでも、否定するわけでもなく、ウェルドはその場を後にする。
◇◇◇◇◇◇
アイウェルンは思い出した。会話――というには、あまりにも素っ気なく一方的だった。アイウェルンとウェルドの関わりは一般的にいわせれば会話と呼べるようなものではない。しかし、ウェルドにとってはアイウェルンと交わした言葉の一つ一つが大切な宝物だった。生まれて間もないときに別れ二度と会えないと思っていた娘との関わりは何よりも嬉しい時間だった。
アイウェルンは机の本を、小瓶に入った種を、調味料を、料理器具を、孤児院のアイデアとなる図面を、ウェルドが――父親が用意してくれた物を一つ一つ見た。そして、そのうちに視界がぼやける。知らず知らずのうちにアイウェルンの瞳からは涙が零れる。
(……私のために……? 私のために調べたの……? 用意してくれたの……? 馬鹿じゃないの……。……あんな……、ただの立ち話……。……嘘だと思わなかったの……? 冗談みたいな……夢の話なのに……。本気にしてくれたの……?)
「……お父さん……」
アイウェルンは自然と本を抱きしめながら父親を想い涙する。そんなアイウェルンにバルは小さいがしっかりとした口調で声をかける。
「……アイウェルン様。ウェルド様の……いえ、あなたのお父様の想いを最後まで聞いてもらえますか?」
アイウェルンは涙を拭いながらバルへ自分の素直な想いを伝える。
「……はい! お願いします!」
アイウェルンの言葉にパルは満面の笑顔になり、バルは微笑みながら『
◇◇◇◇◇◇
「――これが、全てだ。本当にすまない。私は何もお前に残せなかった。……だが、最後に言わせて欲しい。私のことはどう思ってもいい。父親と名乗る価値のない男だ。恨んでくれても、呪ってもらっても構わない。しかし、アイシャ……母親のことは恨まないで欲しい……。アイシャはお前を心から愛していた。お前のことを誰よりも愛していたのだ。そのことは忘れないでやってくれ……。そして、これから言う言葉は忘れてもいい。とるに足らん私の想いだ……。私は――」
『
「――私はどうしようもない男だ……。娘のお前に苦労ばかりかけている。何もしてやれなかった……。父と名乗ることも……、臆病な私にはできなかった……。おまえに名乗って……、お前から否定されることを……恐れたのだ……。情けない男だろう……? そんな弱い男なんだ……。それでも……私は……お前を心から愛している! 迷惑かもしれないが、この想いに嘘はない! 世界中を敵に回そうが! 誰に恨まれようが! 地獄に落ちようが! お前のことを愛している! そして、最後にもう二人の私の娘……バル、パルよ――」
ウェルドの言葉にバルとパルは目を見開き驚愕する。使い魔である自分達を娘と呼んでくれたウェルドに驚きを隠せなかった。そんな二人にウェルドは伝える。
「――お前達に願ったこと……。アイウェルンを主人として支えて欲しいという願いだが……。お前達に無理強いをしていることはわかっている。それでも、頼む。せめて、傷ついているであろうアイウェルンが立ち直るまでの間は面倒をみてやって欲しい。お前達には苦労ばかりをかけた……。これは、私からの最後の願いだ。命令ではない……。そして、お前達も幸せに生きてくれ。……それでは、さらばだ。アイウェルン、バル、パル……。私の最愛の娘達よ……」
◇◇◇◇◇◇
そして、『
その場にいた三人全てが涙していた。アイウェルンは父親の愛を感じて泣き崩れ、バルとパルはウェルドに娘と認めてもらったことを喜ぶ反面で、もう二度と出会うことができないことを悲しんでいた。
どれほどの時間が経過したかはわからない。
しかし、バルが始めに気持ちに整理をつける。妹のパルは泣いているがパルにも言い聞かせて立ち直らせる。そして、自分達の主人であるアイウェルンへと歩み寄る。
「……アイウェルン様。ウェルド様の……いいえ、お父様の想いを受け取ってもらえたでしょうか?」
アイウェルンは涙を流し続けていたが、頷きながら答える。
「……はい……はい……。ウェルド様の……お父さんの……そして、お母さんの気持ちが……わかりました……」
「……それは、良かったです……。アイウェルン様。僕達はそろそろお部屋から出ますが……。何かして欲しいことはありますか?」
バルの問いにアイウェルンは首を横に振る。
「……いいえ。……大丈夫です。……私も休ませてもらいます」
「わかりました。では、また明日」
「失礼します……」
そういうとバルとパルはアイウェルンの部屋から静かに出て行く。一人になったアイウェルンはいろいろと考えていた。自分は捨てられたわけではなかった。愛されていなかったわけではなかった。むしろ愛されていたが故に生きているのだと。母親であるアイシャ、父親であるウェルド、この二人からの愛を感じている。しかし、同時に寂しさを覚える。もう、この世界に自分を愛してくれる両親はいないのだと。そんなどうしようもない寂しさがアイウェルンを襲う。
アイウェルンは首を横に振り何かを決意する。すると、おもむろに立ち上がり机の引き出しを、鏡台の引き出しを開けて何かを探しだす。目的の物であるハサミを見つけ出したアイウェルンは意を決して使用する……。
翌朝
日が昇り、大地に明かりが降り立つ。穏やかな風と気持ちのいい草木の香りを感じる。バルとパルは一階と庭の掃除を始める。いつもの日課だが今日はいつもと違うこともある。それは、自分達の主人たるアイウェルンがいることだ。主人を迎え入れるため、家事にはいつも以上に気合が入っている。掃除が終わった二人はバルが朝食の準備を行い、パルがアイウェルンを起こすために部屋へと赴く。
軽やかな足取りで二階への階段を上り、すぐに目的の場所であるアイウェルの部屋の前へ到着する。パルは少し息を吸いこみ気合をいれると扉を軽く叩く。
「アイウェルン様ー! 朝ですよー! 起きて下さーい!」
パルの呼びかけに部屋の中から返事がなかった。パルは首を傾げる。そして、扉を背にして腕を組みながら思案する。
(うーん……。もしかして、アイウェルン様はまだお休み中……? 昨日はいろいろあったからなぁ……。もう少し寝かせてあげた方がいいのかなぁ?)
そんなことを考えて扉に寄りかかった瞬間。扉がゆっくりと動いてしまう。扉は完全にしまっていなかった。
「わ、わ、わ、わぁーーーーーーー!」
大きな音と一緒にパルは部屋の中に後ろから倒れ込むように入っていく。
「あっちゃー……。やっちゃった。また、姉さんに怒られるなぁー。……まぁ、しょうがないか……。アイウェルン様を起こして謝ろう。アイウェ――」
失礼にも主人たるアイウェルンの許可なく部屋へと入ってしまったパルは、気持ちを切り替えてアイウェルンを起こすためにアイウェルンを見る。しかし、予想だにしない光景を目の当たりにしてしまう。そのため、絶叫をあげる。
「あ、あ、あ、アイウェルン様ーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
パルの絶叫に驚いたバルは一階からすぐに二階へと駆け上がる。
「パル! 何があったの? アイウェルン様に何か――」
パルに事情を聞いていたバルも部屋の光景を見て驚愕する。部屋の至る所にある物が落ちていた。それは、アイウェルンの長かった髪の毛だった。
「うーん……。あれ……? ここは……。あ、そっか。ここは、お父さんが用意してくれた部屋……」
そういうとアイウェルンはベッドから起き上がる。そして、部屋の中で大きな口を開けて目を丸くさせている二人のバンシーへ何事もなかったかのように挨拶をする。
「おはようございます。バルさん。パルさん」
アイウェルンの挨拶を聞いても二人は反応できなかった。主人に対してとても失礼な行為だが、アイウェルンはそのことよりも二人が驚いていることが理解できなかった。
「あのー? どうかされましたか?」
アイウェルンからの心配そうな声を聞いて、やっと我に返ったバルはパルの頭を軽く叩きすぐにアイウェルンへと謝罪する。姉から頭を叩かれたパルも我に返り謝罪をする。
「も、申し訳ありません! アイウェルン様!」
「あ、す、すみません! アイウェルン様! そ、その、び、びっくりしちゃって……」
「馬鹿! パル! 余計なことを――」
「びっくりですか……? あぁ……、そうですよね……。すみません。綺麗なお部屋を私の髪の毛で汚してしまいました」
そういうアイウェルンの姿は昨日とは違っていた。長かったアイウェルンの髪の毛は短くカットされている。そのため、部屋の床にはアイウェルンの薄紫色をした髪の毛が散らばっている。バルとパルはアイウェルンを心配して質問をする。
「あの……、アイウェルン様……?」
「ど、どうして、髪の毛を切っちゃったんですか?」
二人の心配そうな言葉に対してアイウェルンは満面の笑顔で答える。
「うん? それは……、今までの私じゃないから……」
『えっ?』
「私は……もう……デイン家に仕えていたメイドのアイウェルンじゃなくて……。お母さんとお父さんの……アイシャとウェルドの娘であるアイウェルンだから!」
二人の両親を誇りに思いながらアイウェルンは胸を張る様に答える。その姿を見たバルとパルは一瞬だけ驚くが意味を理解すると満面の笑顔で大きく頷きながらアイウェルンを称える。
「はい! アイウェルン様! その通りだと思います!」
「うん! 僕もそう思います! ……でも、髪の毛はもう少し整えた方が……」
「あー……。やっぱりそうですよね……。つい、勢いでやってしまいました……。はははははは……」
アイウェルンは自分の短くなった髪を鏡で見ながら乾いた笑いをする。そこへ、バルが自信満々に答える。
「ご安心して下さい! 僕が朝食の後に髪を整えます! 僕はアイウェルン様に仕える従者! その程度のこと朝飯前です!」
「ほ、本当ですか! では、是非お願いします!」
「はい! お任せ下さい!」
「さっすが、姉さん! 頼りになるー!」
「パル。おだてたって何も出ないよ?」
そんな他愛のない会話が続き三人は楽しい時間を過ごしていた。しかし、一階へ朝食をとりに行くと全員の表情が曇る。バルが朝食作りの途中で席を外してしまい。朝食の卵焼きが真黒な炭になっていたからだ。三人は苦笑いをしながら炭の様な卵焼きを食べた。だが、それでも三人はとても楽しいと心の底から思っていた。
◇
アイウェルン、バル、パルと暮らして一週間程が経過する。少しづつだが、アイウェルンも新しい生活に慣れてきていた。今日は三人で周囲に生えている山菜を摘みに来ていた。バルとパルはアイウェルンの左右につきながら仲良く談笑しながら歩いている。
「アイウェルン様! アイウェルン様! 今日は僕がお食事を作りますね! 何か作って欲しいものはありますか?」
「パル。アイウェルン様に馴れ馴れしいよ。もう少し敬意を払いなさい!」
「うふふ。気にしなくていいのよ。バル。それで、パルが得意な料理はなんなの?」
「僕の得意料理ですか? えーっと。鍋物です!」
「……鍋物って……。パル……。それって、ただ煮込むだけだからでしょう?」
「えっ? そうだけど?」
パルの言葉にバルは頭を抱える。そんな二人をアイウェルンは愛おしそうに眺める。出会って一週間程度だが、アイウェルンは二人を信頼して心を開いていた。そのため、二人のことをバル、パル、と呼び捨てにしている。本当はアイウェルンも敬称は不要と説明するが、その点については二人は譲ることはなかった。そのため、アイウェルンもそのことに関しては諦めている。それでも、二人と過ごす時間は心地よいと感じられている。
そんなとき、突如として二人の動きが止まる。不思議に思ったアイウェルンは二人に声をかける。
「あれ……? どうしたの? バル、パル」
しかし、呼びかけられたはずのバルとパルは身動き一つせず、その場に停止するように動きが固まっている。異常な事態にアイウェルンが二人に駆け寄るよりも早くアイウェルンに声がかけられる。
「なるほどな。貴様が魔王城から逃げ出したという人間の娘か?」
突如として声をかけられたアイウェルンの身体は硬直する。聞き覚えのない声だったが、すぐに理解する。先程、男が言ったある言葉に思い当たることがあったからだ。それは、男の口から出た――『魔王城』という言葉だ。アイウェルンは呼吸も忘れたように緊張した面持ちでゆっくりと声の方へと顔を向ける。そこにいたのは、全身を漆黒の鎧と
『
「……あなたは……。魔王の関係者ですか……?」
「ほぅ……。大したものだな。並みの人間は私の姿を見るだけで、恐怖により何もできなくなる者もいるのだが……。お前は心が強いのだな。まぁ、だからこそ魔王城から生きて地上に生還できたのかな?」
ユダと対峙しているだけで、アイウェルンは逃げ出したい気持ちで一杯だった。しかし、それはできなかった。なぜなら、アイウェルンにとって大切な家族がすぐ近くに動きが停止した状態でいたからだ。バルとパルを置いて自分だけが逃げることはアイウェルンにはできなかった。アイウェルンは覚悟を決めてユダに願い出る。
「……あなたがここへ来た理由はわかっています……。私を殺しに来たんですよね? 私は逃げも隠れもしません……。でも! お願いします! 後ろにいる二人には手を出さないで下さい! 二人は何も知りません! ですから! どうか、お願いし――」
「はぁー。……勘違いするな」
アイウェルンの話は途中だったがユダはため息交じりに話の途中で口を挟む。
「別にお前を殺しに来たわけではない。殺すつもりならわざわざ『
そういうとユダは何もない空間からウェルドの亡骸を出現させる。ウェルドの――父親の亡骸を見たアイウェルンは全てを忘れて叫んだ。
「――ッ! お、お父さん!」
「何? 父だと? ……あぁ、そういうことか……。だから、こいつは自らの命を懸けてまでお前を救ったのか……。守るべき者がいたから本当の魔法を使えたのか……」
ユダはアイウェルンとウェルドの関係を理解したように口に出すが、アイウェルンはユダの言葉は全く耳には入らずに喚き散らす。
「返して! 返して下さい! お父さんを返してく――」
「あぁ、喚かずとも返してやる」
「――えっ?」
当然というような口調でウェルドを返すと言われてアイウェルンは拍子抜けしたように間の抜けた声を出す。
「なんだ? 返して欲しいのだろう?」
「……は、はい。そうですけど……。なんで……」
「ふん。先程も言ったがここへ来たのは貴様を殺しに来たわけでも、貴様に用があったわけでもない。たまたま、こいつの生まれ故郷であるシーム村を探し出したところに貴様がいただけだ。父親なのだろう? ならば貴様が弔うがいいさ。所詮、私は頼まれたから仕方なく来ただけだ」
「頼まれた……?」
「あぁ、そうだ。トリニティ――といってもわからんか……。
「お父さん……」
アイウェルンはウェルドを――父親を愛おしそうに見つめながら思い出していた。あの時の父親からの言葉を……。
『騎士たるあなたなら信じられる……。私が見事にあなたを出し抜き、アイウェルンを救った暁には……。アイウェルンを見逃して欲しい。それが願いです!』
命を懸けて自分の命を救ってくれた父親の姿をアイウェルンは思い出していた。しかし、そんなことには構わずにユダが動き始める。
「さてと、私はもう帰るとするか……。あぁ、一応は忠告しておいてやる。小娘。貴様がここにいる限り安全は保証してやる。しかし、我々のことを他の人間に触れまわるなよ? 殺しはしないが、余計なことをすれば拘束はさせてもらう。ふふふふ。なに、約一ヵ月程の辛抱だ……。一ヵ月を過ぎれば黙っている必要もなくなる」
ユダの忠告にアイウェルンは嫌な予感が全身を駆け巡る。
「……一ヵ月……。……辛抱……? どういうことですか……。一ヵ月を過ぎれば何があるというんですか?」
アイウェルンの質問にユダは口元を歪めて宣言をする。
「何があるかだと? 簡単だ! 一ヵ月以内に我らは人間共へ宣戦布告をする!」
「――ッ!」
「ふふふふ。そうなれば、貴様が我らのことを語ったところで何の問題もない! 何しろ、多くの人間が我らの存在を認識して恐怖をしているだろうからな! それと教えておいてやる。最初の戦争開始の地はサイラス! だから、一ヵ月程は大人しくしていることだな」
「そ、そんな……」
ユダの発言にアイウェルンは驚愕する。そんなアイウェルンを気にすることなくユダはその場を去ろうとする。だが、歩みを止めると再度アイウェルンへ向き直る。
「忘れていた……。これも返しておく」
ユダはロケット型のペンダントをアイウェルンへと投げつける。ペンダントを受け取ったアイウェルンは不思議そうな表情で尋ねる。
「あ、あの……、こ、これは……?」
「それは、その男が死の間際まで握っていた物だ。大事な物なのだろう? 遺品なのだから貴様が持つべきものだ」
その言葉を最後にユダの姿は煙のように姿がかき消える。アイウェルンはペンダントを恐る恐る触りながらペンダントのロケットを開く。すると――
「これ……。若いけどお父さん……? それにお母さん……? あと、私……?」
ペンダントの中に写っている。三人の姿を見てアイウェルンは呟くように口に出す。写っているのは若きウェルド、その妻であるアイシャ、幼きアイウェルンだ。
(お母さん……。初めて見た。私にそっくり……。違うか……。私がそっくりなんだ……。お父さんも若い……。お父さん。こんな笑顔で笑うことがあったんだ……)
ペンダントに写っている母親と父親の姿を見てアイウェルンは笑顔になる。その時、声が響く。
「あ、あれ!」
「アイウェルン様?」
「バル! パル! 動けるの! 良かった!」
「えっ? なんのことで――」
「あ、アイウェルン様! そ、その人は――」
「うん! お父さん。……帰ってきたよ……。ねぇ……、お帰りなさい……。そして、今まで本当にありがとう……」
突然のことにバルとパルは混乱する。混乱する二人にはアイウェルンが事情を説明する。そして、三人はウェルドを丁重に弔った。
◇
「ウェルド様……」
「泣くな! パル!」
「でも……、姉さん……」
「うるさい! 僕達よりもアイウェルン様の方が悲しいんだ!」
バルとパルは涙を流してウェルドの死を悼む。そんな二人の肩を抱き寄せてアイウェルンは語る。
「……そんなことはないよ……。私も悲しいけど……、あなた達も悲しいはずだよ……。だって、言っていたじゃない……。お父さんにとってはバルもパルも大切な娘だって……。だから、無理しないで泣いていいんだよ……?」
アイウェルンの言葉を受けてバルとパルは声を出して思いきり泣いた……。
誰もいない村の中で三人の鳴き声がこだまする。
悲しい感情を吐き出した三人は帰路に着く。その途中でアイウェルンからこれからのことが話される。
「ねぇ……。バル、パル。聞いて欲しいんだけど……」
「何ですか? アイウェルン様」
「どうかしましたか?」
「私ね……。ここに孤児院を作ろうと思うの」
アイウェルンの突然の言葉にバルとパルは顔を見合わせる。
「えーっと。ここにって……。この場所にですか?」
「えぇ」
「で、でも、ここには人は住んでいませんよ? 孤児院ってたしか身寄りのない子供を預かる場所じゃあ……」
「うん。そうだよ。でも、さっきの人が言ってたの……。これから、戦争が始まるって……。きっと、多くの人が親を失うことになると思うの。私達には戦う力はないけど、そんな困った人を助けられるように準備をしたいの! ……どうかな?」
バルとパルは顔を見合わせると満面の笑みで頷きながら答える。
『賛成です!』
「良かったー! じゃあ、今日はもう遅いから明日から本格的に動きましょうね!」
「はい! お任せ下さい! アイウェルン様!」
「僕も頑張りまーす! あっ! でも……」
「うん? どうしたの? パル」
パルが何かを考えていることに気がついたバルが質問をする。
「うん。孤児院を作るなら名前が必要かなって……」
「あぁ、そうだね。アイウェルン様。どうしますか?」
二人からの言葉にアイウェルンは満面の笑みで答える。
「大丈夫! 名前はもう決めてあるから!」
「えっ! そうなんですか?」
「じゃあ、教えて下さいよー!」
二人から急かされたアイウェルンはペンダントを開けて、母親と父親の顔を見ながら宣言する。
「いいよ……。私達の孤児院の名前は――」
『アイシャとウェルドの家』
「それって……」
「ウェルド様と……」
「うん! お母さんとお父さんの名前をもらったの! だって、私がこうしていられるのは二人のおかげ……。バルとパルにとってもお父さんの名前は特別でしょう? だから、二人の名前をつけたの。いつまでも私達を見守っていて欲しいって願いをこめて……」
アイウェルンの言葉にバルとパルは歓喜したように跳ねまわるように喜ぶ。そんな二人を眺めながらアイウェルンは思っていた。
(ありがとう。お母さん。私を生んでくれて……。愛してくれて。ありがとう。お父さん。私を最後まで守ってくれて……。ありがとう……。こんな素敵な家族を残してくれて!)
後々、この孤児院『アイシャとウェルドの家』の噂は広がっていく。いつも笑顔で優しい女性と小さい二人の女の子が切り盛りをする素敵な孤児院として……。
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