すべての王国の終わり Ⅰ

 一八七六年、四月アプリオル十三日。

 ヨエンスー工廠製護衛砕氷艦『帰鳥』リントゥーコト、バルト海ハビスピーマデヲ五〇ノットニテ航行。〇八五二バルト海上・ヘンセニテ海底電信ケーブル遊弋底接続作業ノ為シバシ停泊セリ。再航行ハ〇九三二ヲ予定。


 ――驚くべきことに、一見電信が不可能に思える船上でも、設備さえ整っていれば電信の実行自体は問題なく行える。海底に敷設された電信ケーブルを一部外側へと耐腐食のコイル型にはみ出し形成した「電信遊弋底でんしんゆうよくてい」という設備が存在するからだ。船が保有する電信設備を遊弋艇に直挿しすることで、二時間前後の時間ロスはあるものの、電信を海上で実行することが出来る。特にこのような広大戦域の作戦では、遊弋底電信の存在意義は大きい。

 現に、こうしてカンパネルラが鎮座するヘリスヘイジまでの航海において、重要な情報がネモとマゼンテよりもたらされる運びとなっていた。ネッドとムラマサは電信交換手から感熱紙を受け取り、顔を突き合わせて中身を確認する。


『ロシアハサンクトペテルブルク・〈空駆け〉ヨリ定期連絡/凍血城塞ロシア電信経由ニテ、バルト海周域ノ機雷源海図ヲ送信/走行ハ順調。〈鸚鵡貝〉ノーチラス隊各員ヘノ武運ヲ祈念シタシ/打電者・氷海軍極点遠征部隊第一特別連隊〈鸚鵡貝〉技術顧問マゼンテ・グラウベン=ネーヴェ』


 再びかたかたと音を立て始めた電信機を見ながら、二人は電信交換手から少し離れた壁に寄りかかった。

「クリミア戦争の負の遺産トーピードか。南北戦争ン時の機雷源はすぐに掃討されたのに、何だってこっちのはそのまま律義に残してるのかねェ」

「む。ネッド殿は知らんのか。北海方面軍を転々としていたという話ではなかったか」

「仮にそっちに居たとして、何で士官クラスでもなかったオレがそれを知ってると思うんだよ。機雷源設置要綱なんて特A機密だぜ」

 この連絡で送られてきているのは、一八五四年にロシアのバルチック艦隊がバルト海を封鎖するために設置した機雷の地図だ。

 通常ならば、パリ条約にもある通り、機雷は終戦後速やかに掃海されることが決まっていたが、ことバルト海封鎖機雷源に関しては別の話である。

「――凍血城塞のマカロフ大尉が、『氷惨の侵攻を防ぐ』という名目で毎年機雷を敷設し続けているが……真の狙いは勿論異なる」

「ロシアっつーと北海の最要衝だ。ってこたァ、防衛に対しての発言権は申し分ないな。となると狙いはバルト三国の抑え込みか? オーメスの野郎の好き勝手を防ぐのは、まァあるだろ。そもそも奴さんクーデター起こす気満々だったからなァ」

 ムラマサが頷く。

「概ねその通りで御座る。最も、機雷源自体はオーメス殿が着任する前から設置されていたことを考えるに、当初は防衛目的というのも嘘ではなかったのだろう。ロシアとバルト三国の力関係上、ロシアが無理やりに機雷の敷設権をもぎ取ったとしても何らおかしくはない」

「フーム……その上、機雷はスウェーデン資本のノーベル製だろ。こないだコルト・インダストリアルとかとチラチラ武器博やってたじゃねェか」

「うむ。要するに、うぃん・うぃんと言う奴で御座るよ」

 ムラマサは蟹の鋏のようにした人差し指と中指をくいくいと曲げる。

「……副隊長、そういうのどこで覚えてくンだよ」

「む? ネモ殿に教示頂いたが、何か可笑しい所でもあっただろうか」

「気にすんな。『ノーチラス』真の愚か者はアイツだってことだ間違いねェ」

「むう」

 ムラマサは釈然としない、という顔を浮かべながら煙管を取り出し、霧箱から薬草を入れてしゅぼっと燻らせる。

 常日頃から、彼がこうして煙をたなびかせる姿を見て、ネッドはやっと彼が年長者だということを認識できている。そうでなければ、本当にあどけない少年のようにしか見えなかっただろう。

「……ヴェルヌ殿たちには」

「あん?」

「彼らには、こういうことをあまり考えさせたくはないな」

「まァな」

 ネッドも懐からブリキのスキットルを取り出そうとして、やめた。

 酒を飲みながらする話ではないと思った。酔わなければやっていられない話を、酔わずに受け止める覚悟が、これから先も求められると思った。

「ムラマサ」

「うむ?」

「オレはまあ、副隊長殿と飲む酒を、わりと悪くはないと思ってる。このオレがだぞ。これは、非常に、非常に珍しいことだ」

「光栄で御座るな。ネッド殿ほどの兵子にそれほど評されるのは、末代までの誉れであるよ」

「御託は良い。聞かせろ」

“銛撃ち”は、鋭くムラマサを睨みつける。

「あんた、カンパネルラの砲撃をどうやって誘導するつもりだ」

 ちゃきりと音がした。

 ネッドのあばらに、拳銃が一瞬のうちに突き付けられている。

 彼は後ろ盾が存在しない状況で不審を問うた、自身の失策を後悔した。

「ネッド殿」

 ムラマサの声音は平生と全く変わりない。

 殺意への変速が、何の予兆も無く行われている。

「どのように聞いた?」

「……オーメスの部屋に、集音機の端末を指弾で撃ち込んだ。あんたがドアが開く一瞬の時にバレない射線を見計らっただけだよ、クソ」

 一歩でも間違えれば、自分はここで死ぬ――栄光個体との戦いを目前にしても、そのような愚行に、解っていながら平然と手を染めかねないほどの透明な殺意をネッドは感じている。

「ふむ。ネッド殿の独断か? 嘘はばれる、慎重にな」

 はったりやブラフではないと判断できる。やろうと思えば、“加速”によって、ネッドの瞳孔運動や微かな震えも感知できるだろう。

「……独断だよ。俺はマジで何も知らねェ。あんたがオーメスの野郎に妙に突っかかるから、らしくねェと思っただけだ――実際はオーメスが死ぬよかやばい状況になってたわけだけどな」

「成程。では、貴殿はこのことを秘密に出来るか? 拙者に距離や速度は関係がないぞ」

「あんたの能力は知ってるに決まってんだろ。こんなとこで死にたかねェ」

「ならば重畳」

 あばらに突き付けられていた固い感触が消えた。

「拙者は信用できないか? ネッド殿」

「……知らねェよ。だがまあ、信じてみたいとは思う。っつーか、信じさせてくれ。世界政府が信用出来ねェってのには俺も同意だが、だからってすぐさま砲撃か? 革命家気取りのカス共と何も考えが変わらねえじゃねェか――少なくとも、俺の戦友でニューヨーク勤めのやつは何人も居るんだ。もろ手を挙げて賛成出来る訳ねェだろ」

「安心召されよ」

「なんだ。砲撃しねェのか?」

「否、砲撃は敢行する」

「駄目じゃねェか! 問題が全く解決してねェだろ!」

 ネッドが思わず声を荒らげると、各所との打電を交わしていた電信交換手がびくりとした顔で彼らの方を振り向いた。

 ネッドは咳ばらいをして、声量を落とす。

「じゃあどうすンだよ。まさか窓からカスみてェな高官どもを一人ずつ放り投げるわけにも行かねェだろ」

「――少し、見解の相違があるようで御座るな。『カンパネルラが紐育ニューヨークに向けて砲撃した』という事実さえあれば構わないのだ」

「……何だと?」

 飲まないとやっていられないとネッドは思う。その言い方では、まるで。

「――世界政府を攻撃する、別動隊が居るのか?」

 ムラマサは三たび頷いた。

「ネッド殿はこうした方面に関しては流石に勘が働くな。何処からの手勢かと言う疑問は明かさなくて良いのか?」

「疑い始めたらキリがねェだろ、そんなモン。栄光個体の襲来が予想出来てたってのかよ」

「……そこまでは、拙者も解らん」

「なんだよ、そりゃア」

 話にならない。元よりのらりくらりとした人物だと感じていたが、まさかこれほどの食わせ者だとは全く思わなかった。

 大体、ムラマサは最も肝心な事実を見落としている。

「そもそも――勝てるのかよ。カンパネルラに」

 ネッドは、オーメスが建てた作戦を記憶の中で反芻する。

 偽装の無人船団を推進力だけ保持したまま先頭に配置し、ヘリスヘイジを視認次第、打撃戦闘員は小型ボートに乗船する。その後はダミーの船団を盾としながら可能な限りカンパネルラに接近し、雪花鉱の位置同定完了と同時に白刃戦で目標を破壊するという立案だった。

 本艦隊は打撃部隊の後方――射程外で基構分化氷惨や砲撃の迎撃に努めつつ、順次ダミーの「盾」として後方から発進させていく手はずだということだ。

 カンパネルラが仮に接近してきた敵への迎撃手段を有しているとしても、砕氷艦を盾に接近できるのならば、ある程度の防御は保証される。また、壊れた戦艦そのものを足場にすることもできる。

 正直な所、まずまずの作戦だとネッドは思う。

 しかし、栄光個体は真に恐るべき存在だ。どのような持ち札を隠しているのか、こと接近段階に至ってもまるで判断が出来ない。ヘリスヘイジ観測局との通信に至ってはとっくに途絶していた。

「副隊長殿の『計画』について、現状俺は肯定も否定もしねェよ。殺されたくねェし、上手くいくとも正直思えねェ。今はぶっちゃけあんたがカンパネルラとの戦いで八百長しねえかが心配だ」

「ふむ。心配召されるな、ネッド殿」

 しかしそんなネッドの不安を見越したように、ムラマサは鷹揚に腕を組む。

「何か保証が?」

「拙者は侍だ」

「はぁ?」

 ネッドは面食らって、ムラマサの顔を見たが――彼は至極真面目腐っているようにしか見えなかった。まるで、自身が本当にそうであると信じ込んでいるような。一息に気が抜ける。喉がからからだったことに、今更気づいた。

「いくさに手抜かりなどない。主命あらば、味方を一所懸命の覚悟で守る」

「……さっきまで味方に銃突きつけてたやつの台詞とは思えねェな」

「あの時はまだ、敵か味方か定かではなかったからな」

「ハ。せいぜいローニンがお似合いだよ、副隊長殿」

「ほう、申したな。銛撃ち」

 薄く笑いながら、ムラマサは細い頸に手をやる。

 それはまるで、子供が自身を罰するようだった。

 全てが明かされたわけではない。むしろ疑念は深まるばかりだ。

 けれど。

 ネッドはムラマサのその仕草を見たら、どうでもよくなった。


(もうどうにでもなりやがれ。俺は知らん)

 

 話は終わりだ。

 投げやりな諦めと共に、ネッドはブリキのスキットルを取り出し、最初の一口を呷った。


                   +


 ネモとマゼンテを窓口としてロシアからの機雷図を受け取った『帰鳥』は、北海に散布された機雷を回避しながら、アイスランドに向かって五十五ノットほどで航海していた。途中に、何度か穹撃型と潜血型の威力偵察じみた襲撃が船団を襲ったが、『ノーチラス』の面々の奮戦と、オーメスの指揮が功を奏したのか、さしたる被害もなく船団は北海出口のラルビーク=スカーイェン海峡に差し掛かっていた。

 これはヴェルヌがあとで聞いた話だが、ネッドの射撃統括は凄まじかったという。彼の能力の最大の利点は、自らが見極めた必中の弾道を、他人にも共有できるということだ。その事実が意味するのはつまり、「必ず外さない艦砲射撃」を有した艦隊の誕生である。

 一方、砲撃と機雷の間隙から辛うじて甲板に雪崩れ込んできた潜血型――鮫と蛸の合いの子のような水棲氷惨だ――については、ムラマサがそのほとんどを始末したという。聞けば、甲板の潜血型を掃討した後は、海上を「走り回って」、船団を狙おうとした氷惨を残らず斬り伏せたそうだ。

 全く意味が解らない、と一緒に戦ったバルト海戦線の凍霊は呟いていたし、ヴェルヌもやはり同意見だった。(ちなみにその凍霊は“振動”の異能を持っていたはずだ。『ノーチラス』には服務していないが、甲板上の掃討戦ではかなりの殲滅力を発揮していた)


 ともかく、ヘリスヘイジまでの航海はその三分の一ほどを終えようとしていた。甲板上の監視凧台で哨戒を続けるヴェルヌは、オーメスに嫌がらせのように押し付けられた『シぺ・トテック四号』――例の昆虫入りのレーションだ――市場の腐った魚のような目つきでぼそぼそ頬張る。

 まず、質の悪い芋の泥臭さをごまかすような、必要以上の塩が食欲を減退させる。黒胡椒のような香辛料は氷惨出現以来値上がりしてしまい、経費削減のために最低限の量しか投入出来ないということだった。

 生地に関しても、小麦粉を使えないせいで粘りが足りず、口の中がさんざっぱら乾く。そのうえ、何とか食べ進めていると時々砂利のようにがちりと噛み合う食感があって、吐き出してみたら蟋蟀の羽や頭が入っていたという事態がたびたび起こるのだから、端的に言って始末に負えない。

 エカチェリーナが手をつけるのを止めたという逸話は伊達ではなかった。

(……人間性の凌辱だ。作った奴は舌を猿と取り換えたんじゃないか?)

 氷海での行軍は大量のカロリーと脂肪を必要とする。よって、食べられる隙を見計って食べておけというのが氷海軍における基本原則なのだが、だからと言ってこれ以上この冒涜的な晩餐に身をやつすのは、ヴェルヌの好事家としての最低限の矜持が許さなかった。

『シぺ・トテック四号』を銀蒸着した油紙に丁寧に包んで、バックパックにしまう。……カロリーヌは、ご飯を無駄にすることを許さなかった。

 いつでも美味しいものを食べて笑っていよう、とかが彼女の信条だった気がする。カロリーヌもヴェルヌも旅が好きだった。旅先での食事は、魂を安らかにしてくれる儀式の一つでもあった。

 ずっと、あの約束を覚えている。

(――世界の果てに行くんだ)

 そっと、果てを見るように双眼鏡に目を当てる。

 凪ぐ海の向こうに、カロリーヌの姿を、しばし思い浮かべて――

「え」

 夜吹雪の向こうに、茫漠の気配が見える。

 ゆらめく霧のような、雪を纏う蜃気楼のような、矛盾した静謐の予感が。

 ヴェルヌは監視塔に張り付けてある地図を見た――現在航行中の海域に、このような諸島や建造物は確認されていない。

 伝声管に向かって、鋭く声を張り上げる。

「第一監視はく橋より艦橋へ! 前方左舷十一時に異常影確認せり!」

『――ヴェルヌ氷尉ですか? こちら映画監督に不向きの女です、どうぞ』

ぼうぼうと言うハレーションを纏って聞こえてきたのは、もうすっかり耳馴染んだ彼女の甘く気だるげな声だ。

「ふざけてる場合じゃないんですって! まだ根に持ってるんですか!?」

『うるさいなあ……異常影? それはまた大変じゃないか、ふふ』

「ここの海域にはない影ですよ。偵察凧の投射の許可を下さい、目視で確認します。艦を危険に晒せないでしょ」

『きみ真面目だな~。良いけど、死なないでよね?』

「死にませんよ。心配してくれてるんですか?」

 鼻で笑う音が、伝声管から聞こえた。


『総員、第一監視凧投射態勢に移行せよ。氷爆カタパルト射出用意』

 ほどなくして、ヴェルヌが搭乗していた監視凧橋――『帰鳥』の前左部に配置されている監視塔じみた機構が音を立てて伸長し始める。

『昇位回せ。ええと……艦首は十一時、微速前進でヨーソロー』

 伝声管から聞こえてくるオーメスの声が、一瞬途切れ途切れになる。

 そして、振動。

 監視塔自体が丁字に折れ曲がり、ヴェルヌの乗る監視台はウインチに巻かれて『丁』の後方に引き下げられる。

『射出橋屈折完了。牽索ウインチ確認せよ』

「了解。ウインチ確認、視界良好です!」

『オーキ・ドーキ。氷爆カタパルト、点火』

 その指示を皮切りに、後方で爆発音と衝撃が発生する。

 そして、凄まじい加速度がヴェルヌに覆いかぶさって来る。

 視界が飴細工のように溶け、

偵察凧ていさつはく、展開」

 カタパルトを離陸する直前に、ヴェルヌは監視台に備わったレバーを引く。

 上方の装甲板が爆砕ボルトによって吹き飛び、氷惨皮革の凧翼が展開された。加速度に横突きされた凧の船体が、吹きすさぶ赤吹雪の気流を捕まえてぐんと空の階梯を昇ってゆく。

(氷惨皮革の翼は滅多なことじゃ破れない。雹でもなんでも降ってこい)

 眼下に広がる薄赤い北海を眺めながら、ヴェルヌは風防眼鏡を掛けて凧の操縦に移行する。

 左右の凧翼の傾斜を船体側の手動操作に委託することによって、新たに配備されたこの偵察凧は最長で半径三千メートル圏内までを自在に滑空することができる。カンパネルラが用いる「波」のような索敵手段を人類が有し得ない以上、残る方法は昔ながらの有視界索敵しか存在しない。

 その点において、穹激型の飛翔限界を超える高高度・長距離からの索敵を可能にするこの偵察凧は非常に有用であるとして軍会議にて提唱され――そして最新の砕氷艦であるこの『帰鳥』に配備されているというわけだ。

 母艦とは凧の船体後方に取り付けられたウインチで接続され、これが電話通信のケーブルと命綱の役割を同時に果たす仕組みとなっている。

『ヴェルヌ君? 聞こえてる?』

 ハンドルの横に取り付けられた受話器が、オーメスの声を伝えて来る。

『この距離だと電信は手続きが煩雑すぎるし、開発局に無理言って最新の電話通信を配備させて貰えて良かったよ。そちらの船体に配備されてる電池が少量だから、あまり無駄話出来ないのが残念だけど。うふふ』

「馬鹿言わないでくださいよ。でも、助かります――例の不審な影は真下に見えますね。もう少し接近してみます。高度を下げてくれますか?」

『仰せのままに。昇降機回せ、高度二〇五に』

 ヴェルヌは海面に凧が近づくのを感じながら、キャノピーから身を乗り出す。雲と吹雪を下へと突き破り、雪化粧を纏わせながら凧は空を駆けてゆく。そして。

「――見えてきました。あれは」

 清らかな光を纏う――。

「白い、ピラミッド?」

 そう口に出した瞬間、ヴェルヌの視界にある光景が広がる。


 ≪突如発射された何らかの飛翔体に凧の船体が貫かれ、投げ出される。壊れた凧から、オーメスの呼ぶ声が聞こえる――何とか鉤錘を海面の氷に発射し、態勢を立て直そうとするが、そこをもう一発の飛翔体に撃ち抜かれる≫


 ヴェルヌは凧を全速で回頭させる/その脇を凄まじい風圧が通過する。

 凧は気流に揉まれ、横転した。ウインチが捩じれ、凧の制動が効かなくなる。そこに撃ち込まれる第二、第三の飛翔体。

 明らかにこちらを追い込もうとしていた――下を見る余裕もない。

“予観”が示すままに凧を左右に振り、回避軌道を取りながら錐揉みじみて旋回する。射撃の精度は異様に高い。早晩避けられない射線で撃ち込まれることが予想できた。

「オーメスさん! ウインチ戻して!」

 矢も楯もたまらず叫んだヴェルヌだったが、彼女の判断は早かった。

 しがみつくヴェルヌごと、凧が凄まじい勢いで引き戻される。

 しかし――。


 ≪凧のウインチが高速で振るわれた糸のような何かによって切断される。通信は途絶し、凧が水没する≫


 避けることは出来ない。凧に引っ張られ縦に伸びるウインチに対し、“予観”で視た斬線は横方向に振るわれていた。高度を上げて無理やり鋼線を上方に引き上げたのでは間に合わない。

 そして、これほどの規模の射撃を敢行できる目標となれば――どのようにしてヘリスヘイジから北海海峡までやってきたのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。答えは一つしかなかった。


(――オーメスさん、ごめん)

 ヴェルヌは一瞬目を閉じてから、集音機に向かって怒鳴り付ける。


「――栄光個体、月穿ちカンパネルラを距離二千にて会敵! これよりジュール・ヴェルヌ三等氷尉会敵せり!」


 船体から跳ねるように飛び出して、北海の夜に躍り出る。

 背後で破壊された凧は振り返らず、ただ凍刃を二振り抜き放った。

 澄んだ響きと共に浅葱色の氷の刀身が平たく形作られる。

 左腕の――ガリアの装具が、唸りを上げる。


(コルト。もう一度、一緒に戦ってくれ)


 今はもういない夢見る左手に、ヴェルヌは短凍刃を握り込んだ。






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