第十五話 暗黒の魔導士 その四


「ワレは負の感情が集まって生まれた魔物だ。実体はない。今はただ人間に取りついているだけだ。物理攻撃ではダメージを受けん。取りついている人間が壊れるだけだ」


 ウラノスにはオリバの攻撃がまったく効いていない。


 オリバの額に冷や汗が流れる。

 魔法を使えないオリバにウラノスを倒す方法が見つからない。


「ボサさん、ノバさん。あなたたちは魔法使いです。あいつも魔法使い。あいつを倒す方法を知りませんか?」


 オリバはふたりに小声で相談する。


「奴には魔法攻撃しか効きませぬ。しかし、我々の魔力では奴にかすり傷ひとつつけられませぬ……」


 ボサが悔しそうに言う。


「なんでもいいんです。何か思いつくことを教えてください!」


 すがるような思いでオリバはボサに尋ねた。

 ボサは自信なさげに答える。


「ただの推測ですが……。奴の力の源は人間の負の感情ですのじゃ。奴の負の感情を発散できれば、奴の力を削げるかもしれませぬ」


 負の感情を発散か……。


 オリバは考える。


「おい、ウラノス! お前に言いたいことがある」


 オリバはウラノスに語りかける。


「戦闘中、ずっと思っていたことだが……。……お前、イケメンだな!!」


「……そ、そうじゃ! わしもそう思うておった。ウラノス殿、おぬしはなんというか器の大きさを感じさえる面持ちじゃ。羨ましいのー」


 ボサはオリバの意図を理解し、オリバの意見に賛同する。


「ふたりともしっかりして! あんなやつがイケメンなんて!!」


 ノバは心底驚いてふたりの意見を全力で否定する。


「無駄だ。ワレの負の感情を解消しようとしているのだろう」


 ウラノスは重々しく口を開く。


「最愛の伴侶に裏切られた絶望。親友にだまされた憎悪。天災ですべてを失った者の虚無感。タケノコ派だったのに勘違いされキノコ型チョコレートを与えられ続けた子どもの無念。ワレはそういった強い負の感情でできている。どんな手を使ってもこの感情は消えぬ!!」


「わかるよ、その気持ち。負の感情を消すことはできないかもしれない。けど、共感することはできるよ」


 ノバは一歩前へ出た。


「私もタケノコ派だよ。あなたはひとりじゃない。あなたの気持ち、痛いほどよくわかるんだ」


 ノバは潤んだ瞳で語りかけた。


「お菓子の好みなどどうでもよいわ!! そもそもワレはスギノコ派だ。大昔にはキノコとタケノコに加えてスギノコがあったのだ!!」


 どうでもいいと言いながら、ウラノスはしっかり自分の好みを伝えた。


「そ……そうじゃったのか。男と女のように、人間は大きく二種類に分類されると思っておった。キノコ派かタケノコ派じゃ。しかし、さらに選択肢がひとつ増えてしまった。選択肢が増え、世界はより複雑になってしまったの……」


 ボサも驚きを隠せない。

 七十年近く生きてきた彼でも知らないことはたくさんある。

 今ここで、彼の世界観はより複雑になった。


「ワレは不死の身だ。貴様ら人間よりも長く生き、膨大な知識を蓄えておる。さて、お喋りはこの辺にして、そろそろ貴様らには死んでもらおう。人間の意志の強さとやらが見れて、なかなか楽しかったぞ」


 ウラノスは呪文を唱え始める。

 ウラノスの足元に魔法陣が浮かび上がる。


 もともと大きかったウラノスの体がさらに大きく膨れあがる。


「人間の魔法使いよ。最期にこの魔法を目の当たりにできることに感謝せよ。貴様らが決してたどり着けない究極の暗黒魔法。これが魔法使いの到達点だっ!! 我があるじにして絶望の神・ディスペアよ! 今こそ従順なるしもべのもとへご降臨ください!!」


 ウラノスは上を見上げ、大きく口を開いた。


 ウラノスの口からドス黒い魔力の液体が噴水のように噴き出る。


 ドス黒い液体は空中で一か所に集まり、大きな黒い玉を形成していく。


 ウラノスの口からはドス黒い液がとめどなく噴出し続け、そのすべてが空中に浮かんでいる黒い球に吸収されていく。


 三人はなにもできずにそのようすを眺めていた。

 部屋の空気はどんどん重くなり、呼吸をするだけで息苦しい。


 何が起きているのか分からない。

 ただ、邪悪で大きな力が近づいて来るのを感じる。


 ボサとノバは寒気に襲われ、体が震え始める。

 震えをとめようとしても止まらない。

 理性では抑えられない。


 空中の黒い球が直径3メートルほどになったとき、ウラノスは口を閉じ液体の噴出を止めた。


「我があるじディスペア様! この者たちに本物の絶望をお与えください!」


 ウラノスは黒い球に向かって叫んだ。


 黒い球の中央に一本の横線が入る。

 その横線が瞼のように上下に開き、大きなひとつの目が現れた。

 瞳は赤黒い。


 絶望の神・ディスペアはただ宙に浮いている。


 ウラノスの声が届いているのかも分からない。

 部屋にいる全員がディスペアを見つめている。


 …………。


 突然、ディスペアは血の涙を流し始めた。

 ドス黒くドロドロした血の涙が大きな目から滴り落ち、床に飛び散る。


 床に飛び散っている血の涙から無数の小さい黒い球が浮かび上がる。


 無数の黒い球は天井まで登り、黒い雲になり、部屋の天井を覆い尽くした。


 黒い雲からぽつりぽつりと黒い雨が降り始める。


「オリバ様、この雨にあたっちゃダメです! ホーリー・シールド!」


 ノバが三人を光の防御魔法で包んだ。


 しかし、黒い雨が一滴触れただけで、ノバの魔法は解けてしまった。


「バカが! そんなもの通用するハズなかろう。ディスペア様は神だぞ。神の魔法の前にはすべてが無意味だ」


 ウラノスは得意げに叫ぶ。


 天井に充満している黒い雲はさらに濃くなり、黒い雨はドシャ降りになる。


 オリバたちはびしょ濡れだ。


「もうおしまいじゃー!!」


 ボサが突然叫び、床に手をついた。


「大丈夫ですか! ボサさん!」


 オリバは尋ねる。


「放っておいとくれ!! ワシの人生はもうお先真っ暗じゃ。年金だけで生活できる訳がない。貯金も十分にない。医療費だってどんどん高くなるんじゃ。惨めで孤独な老後を送るんじゃ。だったら今ここで、ワシは人生を終わらしたほうがマシじゃわい!!」


 ボサは顔をしわくちゃにして泣きながら、床を手で叩いている。


「そんなことないですよ! 筋トレしていればいつか良いことがあります! ボサさん! 老後の心配をするまえに、目の前の敵を倒しましょう!」


 オリバはボサをなんとか元気づけようとする。


 だが、ボサは物事の悪い面を指摘し、オリバの言葉を全く聞く様子はない。

 ボサはもうすべてを諦めているのだ。


「もう、全部どうでもいいんだよ。 将来とか家族とか友達とか、そんなの全部なくなっちゃえばいいんだ……」


 ノバは杖を投げ捨て、床の上に仰向けになる。

 黒い雨がノバの全身に降り注いでいるが、それすら気にしているようすはない。


「ノバ! しっかりしろ! ノバには楽しくて充実した未来が待ってるだろ!」


「そんなものないよ! ノバの人生なんて、暗くしてジメジメしてガラスの破片が散らばっているトンネルを素足で延々と歩いていくだけだよ……。この心臓が止まって歩くのをやめられる時が唯一の楽しみだよ……」


「バカなことを言うな!!」


 オリバはノバの両肩を強くゆする。


「無駄だ。これが本当の絶望だ。貴様の意志の力でも防げない。絶望に飲み込まれよ」


 ウラノスは冷徹に言い放つ。


 オリバは膝に力が入らなくなりしゃがみ込んだ。

 黒い雨が自分の心を確実に蝕んでいくのを感じる。


 今まで自分がやってきたことすべてが無意味に感じられる。

 毎日の筋トレも、ボディビルダーの大会で優勝したことも、大魔王討伐もだ。


 すべてがどうでもいい気がしてきた。

 世界のどこにも自分の居場所はないように感じる。


 ここまでか……。

 それも悪くないな……。

 今までずっと頑張ってきたんだから、そろそろ休んでもいいよな……。


 オリバは目を閉じ、頭を垂れた。


 オリバに黒い雨が絶え間なく降り注ぐ。


「雨が降っても地震が起きてもキミの筋肉は逃げない。逃げているのはいつもキミのほうじゃないかい? あきらめたらそこで筋トレ終了ですよ……?」


 コールマンさんの声がオリバの頭の中で小さく聞こえた。


 オリバはハッとする。


 人生を諦めたと思ったけれど、心の奥底では筋トレがしたいのだ。

 オリバの心と筋肉が筋トレを求めていた。


 ディスペアの魔法で無理やり筋トレから逃げさせられたが、本当は今でも筋トレがしたい……。


 オリバの目から涙が溢れる。


 魔法にかかっているとはいえ、筋トレから逃げた。

 筋肉の声を聴かず、筋肉を信じてあげられなかった自分が情けなかった。


 オリバは泣きながら天井を仰ぎ見た。そしてこう呟いた。



「コールマン先生……筋トレが……したいです」


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