ツラくもなくイタくもない生活

なかの豹吏

第1話

 


 現在高校2年の冬、今まで特別仲の良い女の子もいない僕は、どうせこのまま高校生活が終わると半ば諦めていた。


 特に反抗期というものも無く、成績もそれなりに優秀、親しい友達もややおとなし目。 自分自身そんなに目立つ存在ではないし、目立ってもそれに対応出来る自信はない。 見た目も平凡だと思う。


 そんな人生において大きな起伏が無かった僕に、今日変化が訪れる。


 それは……



 ―――初めてのデート。



 いつかそんな日が来るとは思っていたけれど、相手がだなんて想像もしていなかった。


 彼女は可愛くて、明るくて、僕なんかが相手に出来る存在じゃない。


 でも、誰とでも気さくに話す彼女は、僕の数少ない女子との会話の中で、その時間の半分以上を占めていたのだ。

 だから勝手に僕は彼女を好きなって、こっそりと気持ちを膨らませていた。


 だって、彼女には相応しい相手がいたからね。


 彼女の彼氏はカッコ良くて運動も出来る、その自信からか社交的だし、はっきり言ってお似合いの二人だ。

 僕だけじゃなく、他の男子も女子も、その二人を羨む事しか出来なかった。


 そんな日々が続いたある日、信じられない話が僕の耳に届く。 あのベストカップルと言われた二人が別れた。


 最初はそんな筈がない。 そう思ったけれど、あの明るかった彼女のきらきらとした顔が明らかに曇っている。 その事にはクラスの全員が気付いただろう。


 そしてある日、偶々放課後に彼女と僕だけが教室に残った。


 別れる筈がない二人が別れ、偶然にも僕は彼女と二人きり。 考えが頭を巡る、こんな事は二度とないだろうと。


 可能性はほとんどない。 でも、今想いを伝えなかったら、いつか後悔という思い出の中にこの気持ちを埋めるだけだ。 そう思った僕は、半ば取り憑かれたように彼女をデートに誘った。


 告白、ではない。 そこまでの勇気は無かったから……。


 胸の鼓動が速まり、言った以上引き返せない恐怖が襲って来る。 彼女は少し間を置いて、



「いいよ」



 と言ってくれた。




 そして今日、普段服装に無頓着な僕は初めてファッション雑誌を読み、精一杯のオシャレをして待ち合わせに向かっている。


 誘ったんだから僕の好意はわかっている筈だし、それを受けてくれたんだから、その、デートの終わりに告白しても、可能性はゼロ……じゃない。


 期待と不安が頭を過る中、約束の1時間近くも前に待ち合わせ場所に到着してしまった。



 そして1時間後、僕は……







 ――――、見知らぬ公園のベンチに座っている。






 今日は…………寒いな。

 そんな事も気付かなかった、浮かれていたからか。


 バカ、みたいだ……。



 約束の30分前、彼女から届いたメッセージは――――



『彼とまた寄りを戻す事になったの、本当にごめんなさい』



 ……まあ、当然の結果、なのかもね。

 僕と彼女じゃ釣り合わない、彼となら周りも納得の二人だ。


 こうしてあっさりと僕の人生初のデートは、始まる前に終わってしまった。


 初めて買ったオシャレと思われる服達も、見せる前にお蔵入り。



 予定も無くなった僕は、この公園のベンチで砕けた恋心を埋葬するしかない。


 そうだ、ただフラれたんじゃ居た堪れない、こう考えよう。


 きっと彼も彼女と別れて後悔していたんだ、あんなに素敵な女の子だからね。

 そこで僕がデートに誘って、彼が何かでそれを知り、彼女の大切さに気付いて復縁を申し出た。 つまり、僕の失恋は彼女にとって彼と寄りを戻すきっかけになった………とでも思っておくか。


 ……週明け、学校行きたくないな。


 彼女は優しいから、学校でこの事を言ったりはしないだろう。 僕はどっちでもいいけどね。 なんて、ヤケになってるのかな。


 ヤケになるのも図々しいか、そもそも分不相応だ。 僕には何にも無い。 明るくクラスの中心になる事も出来ないし、逆にぼっちだけどオタク的な何かのスペシャリストって訳でもない。


 中途半端、つまらない奴だ。


 そんなその他大勢、枯木も山の賑わいを地で行く僕が手を伸ばすには、彼女は高嶺の花過ぎたんだ。



 季節も心も冬、このまま凍ってしまいそうだよ。



 もうどれぐらいここに座っているだろう。 時間だけは余った残念な休日、別に何時になろうと構いはしないけど。


 そうして虚ろな目でジャングルジムを眺めていると、僕の隣に誰かが座った。

 普段なら驚いたと思う。 二人がけ程度のベンチだし、普通座って来ないと思うから。


 でもこの日、感情が麻痺していた僕はその事を気にも留めず、なんとなく隣の人物に視線をやった。


 見てみると、それは小学生ぐらいのショートカットの女の子で、ベンチに座り、両手で座席の先を掴むようにして前屈みになっている。


 白いTシャツにジーンズを履いていて、上着は着ていない。 寒くないのかな? それに、なんだか寂しそうな顔だ。


 まあ、小学生には小学生なりの悩みがあるんだろうしね。 でも生憎僕には相談に乗ってあげられるような心の余裕が今は無い、ごめんね。


 視線をジャングルジムに戻し、僕はまた無気力にそれを眺めている。

 それから、僕と女の子はどちらも無言のまま、ただベンチに座っていた。




 ―――恋愛は、失恋は辛い。



 もうこんな思いはしたくない。 ……そうだ、恋愛しなければいいんだ。 簡単な事じゃないか。

 でも、そもそも好きになろうと思って好きになったんじゃないだろ。 勝手に、いつの間にか好きになってたんだから。



 色々考えた結果、解決策としては “好きにならない努力” をする。 という事に結論付いた。


 うん、当面はこれで殻に閉じ籠るとしよう。


 ………それにしてもこの子、いつまで居るのかな? 結構時間経ってるよね。


 流石に気になって再度見てみると、僕に目を合わせる素振りもなく、姿勢も変えずに一点を見つめている。


 その目は、幼い無邪気な瞳とはかけ離れた、ような、何も見ていない虚ろな瞳だった。


 本当に、どうしたんだろう。

 その目は今の僕と変わらない程、いや、僕よりも絶望の陰を感じるような………この年頃の子供って、こんな目をするものかな?


 でも、なんだか………何も話していないのに傷を舐め合っているような、何故かそんな感覚を覚えてしまう。


 ………僕も相当精神的に弱っているようだ。


 なにを勝手にそんな事を、それも、こんな幼い女の子相手に。


 僕の方が大人なんだから、話を聞いてあげる立場だよな。 そう思って改めて隣を見ると、



 ――――言葉は出て来なかった。



 そうなってしまう程に、その女の子の表情は全てを拒絶しているように感じたから。


 それに………よく見ると顔や腕にアザがある。


 友達と喧嘩をした、とは思えないような………。



 そう思ったら、嫌な想像が浮かんでしまった。 ニュースで見聞きするような、心の痛む可哀想な子供達の話を。



 そして、



 ―――それは僕ので、現実として起こった。



 見るからにタチの悪そうなガタイの良い男が、その女の子に話し掛けてきた。


 女の子は無言で、相変わらず姿勢を変えず、目線も合わせない。


 その態度に苛立った男が女の子に平手打ちをした、僕が隣に居るのも気にしないで。 それでも女の子は表情も変えずに、声も上げない。


 父親というには若過ぎるし、兄というには離れ過ぎている。 その男は女の子を家に連れ戻そうと、その女の子の髪を掴み、力任せに引きずり始めた。



 その後、





 ―――僕の意識が一瞬無くなった。





 ……なんだ? この強制的に視界を奪われる感じ。


 痛い、とは感じない、今は。

 初めての感覚だ。




 当たり前か、僕、殴られた事ないから。





 ―――殴られた。





 殴られるような事をしたからだよな。

 なんでだろう、なんで僕は……




 ――――この女の子を庇ってるんだ?




 殴られながら、庇うように女の子を抱きしめていた。

 隣に座っただけの、話もしなかった女の子を。


 あり得ない、こんな怖そうな男に僕が?

 なんで? 普段なら怖くて目も合わせない相手だろ?



 ヤケになっていたから?

 勝手に傷を舐め合った仲間だとでも?


 それとも……



 ―――何にも無い自分が、せめて何か一つでも守りたかったのか?


 バカか。 守れる訳がない、弱いんだから。


 でも、もう殴られてるし、やるだけやってみるか。

 こんな幼い子供を痛めつけるクズから “守る” ぐらい、出来たい。


 こんな痛み、失恋に比べたら………いや、痛いな。


 段々痛みが伝わって来た………。


 僕が粘っていると男は殴るのをやめて、今度は女の子から引き剥がそうと僕の身体を掴んで投げ飛ばした。


 方向感覚が無くなって、地面に落ちると同時に硬い何かがぶつかり、おでこの辺りが熱くなる感じがする。


 ベンチにぶつかったみたいだ。 おでこ、裂けたんだな、血が右目を見えにくくしている。


 ごめんね、やっぱり弱い僕には助けるなんて……でも、ああ………






 ―――泣いてる………。






 あの無表情だった女の子が――――



 ………くそっ、なんでだよ………なんでこんな、




 ――――こんな顔させるんだっ……!!




 諦める選択肢が自然と無くなった。

 こんなに必死になったのは初めてだと思うし、これからも無いだろうな。


 僕はなりふり構わず大声を上げて、必死に女の子を抱きしめに戻った。


 その後、なにを叫んだのか、なにをされたのかは覚えていない。

 でも、無様な僕の叫びが届いたのか、誰かの通報でお巡りさんがやって来て、僕と女の子は救出された。



 記憶は飛び飛びだけれど、僕が腕を離した後も、その女の子は泣きながら僕にしがみついていた。



 痛くて、怖かったけれど、なんだかすっきりした気分だ。


 この服、もう着れないな。 ボロボロだ。


 まあいいや、どうせもう着る予定もなかったし。




 そんなに泣かないでよ、助けた甲斐が………無い、ことも無いか………。



 これも初めての経験だしね。


 無表情なこの子が、泣いた。

 ご褒美をくれるなら、今度は笑った顔を見せて欲しいな。………なんてね、僕にじゃなくてもいい。



 誰かに、きっと君だって、可愛い女の子なんだから。




 この日、僕に刻まれた教訓は、




 ――――“恋愛はツラくてイタい” 。




 するもんじゃないね、僕なんかじゃ身体が持たないや。







 ◆







 季節は秋。


 僕は大学3年になっていた。


 過ごしやすい良い季節、僕はあの日の “教訓” からなんの悩みも無く、平和な日々を送っている。


 それなりに良い大学に入れたし、将来は公務員にでもなって役所で働こうかな。


 大学に入ってから男女共に友人は出来たけど、どちらも深入りはしていない。 男友達はいるけど “親友” はいない、女友達もいるけど “恋人” はいない。


 それがツラくもなく、イタくもない生活の条件だからね。 最終的にはお見合いでもするか、それはそれで良いと思ってるから。



 大学からの帰り道、人生の生き方を再確認しながら歩いていると、公園の入り口辺りで制服姿の女の子がうずくまっている。 こんな過ごしやすい気温なのに、どうしたのかな?



「あの、大丈夫ですか?」


 僕が声を掛けると、


「……はい、すみませんが、そこのベンチまで連れて行ってくれませんか」


 辛そうに顔を上げてきたので、「わかりました」と言ってその女の子の鞄を持って肩を貸してあげた。


 ちょうど公園の入り口で良かったと思いながら歩きベンチに座らせて、「救急車呼びましょうか?」と訊いてみると、「大丈夫です、ちょっと目眩がしただけですから」そうは言ってはいるが、顔が大分赤い。 熱があるんだろうな。


 でもまあ、本人がそう言うならそれまでだし。


「それじゃ、お大事に」

「あ、あのっ……」



 ………なんですか? 僕はね、《あなたのような》女の子ひとと距離を置くようにしているんですよ……。


「……なにか?」

「ご迷惑だとは思うのですが、まだ一人だと怖くて、少しだけ………一緒に居てくれませんか?」


「はぁ……」


 なんだ? こんな事そうはないよな?


 また急に具合が悪くなったら怖いからだろうけど、出来れば遠慮したかった。

 見たところ高校生のようだけど、この子……




 ――――可愛い。




 肩にかかる程度の短めで綺麗な黒髪。 整った顔立ちは可愛いと美人の中間みたいな、誰からも好かれそうな顔。 グレーのブレザーに可愛らしい薄黄色のリボンを付けて、同じくチェックの入ったグレーのスカートからは、白く美しい健康的な足が伸びている。 後、今時の女子高生にしては言葉遣いが丁寧過ぎるな、お嬢様なんだろうか?


 そんな事はどうでも良い、こういう美少女は要注意なんだ。

 “好きにならない努力” の一つ、 “可愛い女の子には近づかない” 。 これに限る。


 いくら年下とはいえ、恋愛対象にならない程離れているかと言えばそうでもない………のかな?


 とにかく、深入りは禁物だ。



 とりあえず言われるまま隣に座ったけど、さっきから下を向いて何も喋らないな。 ああ、具合が悪いのにそんなに喋る訳ないか。 ずっと顔は赤いままだし。


「ご家族の方に迎えに来てもらった方がいいのでは?」

「……家族とは、離れて暮らしているので」


 そうなんだ、この歳で一人暮らし? 僕なんかまだ実家だけど……。 でも、顔の赤さは引いたな。 そんなに早く引く?


「大分良くなりました、ありがとうございます」

「そうですか、良かった」


 そう言って僕がこの場を離れようと腰を上げかけると、


「私は名波朱里ななみしゅりと言います。 高校1年生です」


 ………自己紹介されちゃったな。 でも、別にこっちも名乗る事は無い、かな?


「名波さん、具合が良くなって安心しました。 それじゃ」

「お名前、訊いてもいいですか?」

「……はぁ」


 そう……ですか。 そう言われて名乗らないのも失礼だしな。 仕方なく名乗ろうとすると、


「その、助けて頂いた方のお名前が知りたくて」

「助けた、という程の事は……」

「なんだか私、嫌われているみたいですね……」


 ――うっ……対応が冷た過ぎたか。 参ったな……そんなつもりは無いんだけど。


「そんな事ないですよ、失礼しました。 僕は柿崎透かきざきとおるです」


 落ち込んだ顔をする彼女をなんとか励まそうと自己紹介をすると、


「良かった、柿崎さんですね。 ありがとうございます」


 ……だから嫌なんだ、そんな顔で嬉しそうにされたら、封印が解かれてしまうかも知れない。

 でも高校1年って言ってたし、僕とは大分歳が離れているから問題ないか。


 大体勘違いをしている。 彼女は知り合ったばかりのこんな冴えない男に落ち込んだり喜んだりしないだろう。 モテそうだし。


 危ない危ない、恥ずかしい思い上がりだ。


「あの、今日はこの後お忙しい……ですか?」


 また赤くなった。 不安定な熱だな。


「……家に帰りますが、名波さんも早く帰った方がいいですよ? まだ顔が赤い」

「も、もう大丈夫ですからっ。 その、お時間あったら、何かお礼をさせてもらえませんか?」


 お礼って……どうもおかしい。 なんでこんなに引き留めるんだ?

 良く考えたら最初から怪しく感じてきた。 僕を騙そうとしている? ドッキリ的なやつかな?


 とにかく、断るのが安全策だよね。


「いえ、本当に大した事はしてませんから、失礼します」


 今度は本当に立ち上がって背中を向けた、のに……


「……なんでしょう?」


 彼女は立ち上がり、僕の左腕を掴んでいる。

 ちょっと、意味が解らなくなってきたな。 とりあえず顔だけ振り向いてみると、


「お、お礼がダメならお願いがありますっ!」



 ―――お願い?



 完全に理解出来なくなったぞ? 大体なにをそんな必死に……


「いや、名波さん……」

「図々しいのはわかってます、でも……お願いです……」


 “お願い” って、腕掴まれたままだし、これじゃ “強制” じゃないかな? そんな縋るような顔――――ん? なんか………なん、だっけ? ……まあいいか。


「一応訊きますけど、なにが望みなんですか?」

「はい。 私と……その………」


 なんだろう、言いにくそうだけど。 変なこと言わないよね? 変なことってなんだ?



「カラオケに行ってください!」



「…………は?」



 カラオケ?………なんで?



 さっぱり事情が解らなかった僕が理由を訊いてみると、どうやら彼女のバイト先がカラオケ屋さんらしい。 まずそれが意外だった、お嬢様はバイトしないよね? それもカラオケって、ねぇ……。


 で、そこのバイト仲間からしつこく言い寄られていて困っている、そこで僕に彼氏のフリをしてもらってバイト先に遊びに行き、波風立つこと無く諦めてもらう……という作戦みたいだけど。


「ちょっと、無理があると思うよ?」

「な、なんでですか?」


 なんでって……


「僕じゃ説得力ないって、名波さん可愛いから」

「か、可愛い……」


 可愛いから言い寄られてるんでしょ?

 今更驚くことかな?


「こんな冴えない男じゃ彼氏に見えないから」

「な、なに言ってるんですか、柿崎さんみたいな、す、素敵な人、いないですよ……」



 ―――嫌味?



 なんかそこまで言われると悪口だよね? 格好も安定してダサいと思うよ? 顔も平凡だし。


 あとさ……



「腕、離してくれます?」

「……行って、くれますか?」



 ―――やっぱり、強制だったか。



 あんまり疑いたくないけど、最初からこの為だったんじゃないかなぁ?




 仕方なく僕は引き受け、名波さんとそのカラオケ屋さんに行く事になった。


 こちらの条件は二つ、年下の女子高生に会計を払わせるのは恥ずかし過ぎるので僕に払わせる事。 そもそも彼氏役なら彼女に払わせるダメ男みたいで嫌だし。 もう一つは、それが終わったら僕を “解放” する事。


 それが約束出来ないならお断りします、そう彼女に言うと、「わかりました。 でも、今度絶対お礼させてくださいねっ!」と言って交渉成立に至った。



 ………は、無いと思うけどね。





 そのカラオケ屋さんはここから最寄りの駅近くにあるらしく、歩いて5分程度で到着した。


 看板を見ると、よく駅の近くにあるチェーン店のカラオケ屋さんだ。 ここで名波さんが働いてるんだ。


「大学の最寄り駅だし、僕来たことあるな」

「だ、誰とですか!?」

「な、なに怒ってるの?」

「……怒ってません、行きましょう」


 変なの、そして変な一日だ。


 ええと、確か……


「中に入ったら朱里ちゃんて呼べばいいんだよね?」

「はい……お願いします。 私は、透さんって……呼びますね」

「了解」


 さあ、信憑性の低い彼氏ですが、信じてもらえますか?


「やっぱり、手ぐらい……繋いでいた方がいいです、よね……」

「そんなことないでしょ? 手を繋がない恋人なんていくらでもいるだろうし」

「私はそんなの、嫌です……」


 ……そう。 わかりました、じゃあ名波さんの理想に忠実にいきましょう。 でも見た目は変えられないから文句言わないでね、実は傷つくから……。


「じゃあ行こう」

「………はい」


 そう言って彼女と手を繋いでお店に入って行くと、「いらっしゃいませ」と言った受付のカウンターにいる二人の女性スタッフの顔が……一瞬凍った。


 その反応は、バイト仲間が遊びに来たからじゃないよね? 手を繋いで入って来た冴えない彼氏ぼくにだよね?


「……ほらね、やっぱり恋人は無理があるって」

「そんなこと……大丈夫ですっ……!」


 予想通りの事態に立ち止まる僕の手を引いて、猛然とフロントに詰め寄る彼女。 そんなにムキにならなくても……。


「……朱里ちゃん、どうしたの?」


 我ながら情けない、事態を飲み込めないバイト仲間に “どうしたの” って言われちゃったよ。


「どうしたって、お休みだから遊びに来たのっ、か、彼氏と……」


 名波さん、彼氏それが原因なんだよ、彼女達の戸惑いのね。


「そ、そうなんだ」

「そう、ねっ、透さん」

「……ウン、ソウダネ、シュリチャン」


 彼氏、というより、ボタンを押すと喋る人形のように無機質な返事をしてしまった。


 フロントの女の子が部屋の指示をすると、側に来た案内係と思われる男性スタッフが部屋に案内してくれた。 この後フロントで行われる二人の会話が目に浮かぶよ。


 部屋に入ってお互いソファに腰を下ろすと、僕は案内してくれたスタッフにアイスコーヒーを頼み、彼女はアイスティーを頼んだ。 そして二人きりになり、


「今の男の子が言い寄ってきてる人?」

「えっ……はい、どうしてわかったんですか?」


 いや、明らかに態度と目に “敵意” が込もってたんで……。


「1つ年上の人なんですけど、断ってもしつこいんですよ」

「そうなんだ、でもカッコいいと思うけど、なにが嫌なの?」


 僕よりは名波さんに似合うと思うな、確実に。


「嫌っていうか、まったく興味がありません」

「そう……お似合いなのに」


 結構はっきり言うんだな。 あの男の子、ちょっと可哀想。


「……困ってるからお願いしたのに、ひどいです……」

「あ、ああ、そうだったね、ごめん」


 俯いて泣き出しそうな顔をする彼女に気付いた僕は、慌てて謝罪をして場を取り繕う。 目的と真逆の発言だった、反省しよう。 嫌々来たとはいえ、どうせなら役に立ちたいしね。


「なんか働いている人、皆歳が近そうだね」


 まだ俯いている彼女に気不味くなって話題を変えると、「この時間帯はほとんど高校生ですから……」明らかに弱々しいと判る声色でそう呟いている。


 うーん、これは………どうしよう? ――あっ、そうだ。


「僕が無神経だったのは悪いけど、こんな沈んだ感じを見せるのは印象悪いんじゃないかな?」


 目的の達成にはあまり宜しくない、そう僕が提案すると彼女はやっと顔を上げて、


「そうですね、じゃあ恋人らしく扱ってください。 好きな女の子に、接するように……」


 ……そう来ましたか。 困ったな、そんな事をするのは僕の “教訓” に大きく反するんだけど……。


 そうこうしていると部屋のドアが開き、さっきの男の子が飲み物を持って来た。 考えている時間は無い、な。


「この前観た映画は面白かったね、ヒロイン役の女優さんが朱里ちゃんに似ていたからちょっと入り込み過ぎちゃったよ」


 アドリブで架空のデートをでっち上げる。 デートなんか出来た事ないんだけどね。


「そんな、女優さんだなんて……私も楽しかったです、透さん……」


 へえ、上手いもんだ、ちゃんと合わせてくれてる。 男の子の冷たい視線を感じながらテーブルに飲み物が置かれると、「ありがとう」と僕は出来損ないの彼氏とはいえ、偽りの恋人である名波さんの仕事仲間に気遣いを見せた。


 彼は部屋を出る時も疑いの目を向けていたが、気付かないフリをして僕は会話を続けた。


「その制服も似合うけど、あの時のワンピースは可愛いかった………な……」


 ドアが閉まり、彼の気配が無くなったのを見計らってお芝居を終わらせる。 ふぅ……上手くいったのかは微妙だけど、僕には精一杯の演技でした。


「今度は映画ですか……ふふ」


 は? なにを言ってるのかな?


「あのね……」

「ワンピース、着て行きますね」


 どうぞ、着るのも行くのも勝手ですけど……


「……作り話ですし、もう行った事になってますから」

「だから現実にしないと、嘘は嫌いなんです」



 ―――今やっている事は “嘘” ではないと?



「ちょっとお手洗いに行ってきます」


 呆れた顔の僕を残して、彼女は部屋を出て行った。


 可愛いけど、少し変わった子だな。 そんなの本当のデートになってしまう。 もうデートはこりごりだ、どうせ始まる前に終わるんだから。


 ……僕も、トイレ行こう。


 部屋を出て、通路に書かれた化粧室への矢印に従って歩くと、さっきの男性スタッフと名波さんが立ち話をしているのを見つけた。

 咄嗟に曲がり角に戻って身を隠すと、二人の会話が聴こえて来る。


「なんのつもりだよ」

「……どういう意味ですか?」


 これは、関わらない方がいい場面だな。


「わかってるだろ? わざわざ休みに男なんか連れて来て」

「彼氏と遊びに来ただけです、悪いですか?」


 悪くはない、嘘でなければ。


「断るならはっきり言えばいいだろ? こんな事されるのは気分が悪い」

「言ってますよね、何度も。 わかってくれないから彼氏と来たんです」


 名波さんて、結構気の強い子なんだな。 ……相手がしつこいからか、迷惑しているなら当然の態度かも知れないけど。


「あんな拾ってきたようなダサい男で信じると思ってるのか?」


 おお、全部合ってる。

 拾ってきたしダサい、おっしゃる通りです。 信じてもらえないのも当然だ……って、僕、地味に傷つくから……




 ―――え……っ!




 それは、あまりにも衝撃的な光景だった。


 あの基本的には礼儀正しい名波さんが、1つ年上と言っていた彼の胸ぐらを掴んでいる。 嘘でしょ……。


 そして、珍しいぐらい丁寧だと思っていた言葉遣いの彼女から、耳を疑うような台詞が飛び出した。



「お前に透さんのなにがわかる? そもそも好かれる努力したのか? 今の自分で振り返ってもらえないなら自分を磨けよ、みっともなく相手を下げても男は上がんねぇぞ」



 ええと……―――誰? この子。



 名波さん、ではないよね? ねっ?



 だって、別人だもの。

 あの男の子も驚き過ぎて目が点になってるし。



 ―――でも………なんだ?



 ここから僅かに見える彼女とは思えない冷えたあの目。 会ったのも初めてならこんな目をする彼女も初めての筈なのに、寧ろこの目は―――………そんな気がする。



 つい近くで確認したい気持ちに駆られて身を乗り出してしまったらしく、僕の方に向いている彼が気付き、その様子に名波さんが振り返る。


「ッ……!!」


「あ、いや……」


 僕と目が合った瞬間、彼女は大きく目を見開いて、逃げるように女子トイレの中に駆け込んで行った。


 残された僕は、名波さんに打ちのめされた彼と目が合ったけれど、彼は焦点が合っていないような様子で背中を向け、トボトボと仕事に戻って行った。


 心中、お察しします。

 僕もショックですから。



 それからトイレを済ませて部屋の前に戻った僕は、ちょっと中の様子を伺ってみた。 怖かったから。


 ……うん、彼女は戻っている。

 ええと、このまま会計を済ませて帰ってもいいかな?



 ―――怒る、それは絶対に怒られる。



 深呼吸をして覚悟を決めると、 “なにも見なかった顔をして戻る作戦” でドアを開けた。


 元居た位置に座り、ニュートラルな表情を決め込む僕の顔は、きっと気持ち悪い程に不自然だっただろう。

 その証拠に、彼女は俯いたまま無言だ。 僕もだけど……。


 暫く沈黙が続き、彼女がアイスティーをひと口飲んだ後、状況が動く。



「……嫌いになりましたよね、私のこと」

「そんな事ないです」


 即答した。 防衛本能からかも知れない。


「嘘です」

「本当です」


 タイトな会話だ。

 短く、言葉の攻防のように展開していく。 明らかに僕は守り側だけど……。


「あんな乱暴な女の子、好かれる筈がありません」

「…………」


 不味い、ガード出来ない正論攻撃が……… “沈黙は認める事と同じ” 、そんな話を聞いた事がある。

 ど、どうしよう。


「………泣きます」

「――ええっ?!」


 そんな宣言されても………


「……困ります」

「無理です、泣きます」


 ダメだ、圧倒的に押されている。

 でも………冷静に考えてみるとおかしいよな?

 別にあの彼を諦めさせればいいだけで、僕にどう思われようと関係ないじゃないか。 泣く理由が解らない、一体なにが―――って……!


 本当にピンチだ、彼女の肩が震えて、僅かに啜り泣く声が漏れ出した。 もう考えている時間は無い、こうなったら――――



「ごめんなさいっ!」



 謝りましょう。 何に謝っているかなんて問題じゃない、女の子が泣いたら謝る。 これは『雨が降ったら傘を差す』のと同じで、これ以上濡れない為の当然の行為なのだ。



「なんでもします、許してください」



 ―――なんて日だ。


 具合が悪いのを助けてお願いまで聞いたのに、最終的には平謝り。

 これだから可愛い女の子は要注意なんだよ。 僕だって一応男だし、頭では教訓が流れていても、こんな子に頼まれるとそれが流されてつい言うことを聞いちゃって流されてもう行き着く先がわからない。



「………なんでも?」

「はい」



 あ、イタいのはやめてください、苦手なんで。 ツラいのも……はないか、別にフラれる心配は無いんだから。 くそ、過去のトラウマめ……。



「じゃあ、目を閉じてください」

「え……はい……」



 な、なんだ? “歯を食いしばってください” だったらわかるけど、いや、殴られるのはもう嫌だな。



「いいって言うまで、開けちゃだめですよ?」

「……はい」



 ええと、お手柔らかに頼みます。 なんであれ。



「っ!?」

「動かないで」



 思わずビクッとしてしまった。

 予想外の触れ方だったから。 彼女は、僕の前髪を優しく上げただけだった。


 ………デコピン、かな? それぐらいならいい。


 でも、そうじゃなかった。


 またしても予想は外れ、彼女は何故か、僕のおでこの右端にある傷を柔かな指でなぞっている。



 そして―――





「これは………………」




 そう言った。


 多分聞き間違いじゃない。



 意味が解らなかったような………何故か、ような…………。



 不思議な気持ちになって、気が付けば僕は目を開けて彼女を見つめていた。



「まだ、いいって言ってません」

「…………」



 綺麗な、優しい顔と声。


 でも、なんで泣いているんだろう。



「嘘つき」



 ………確かに。

 いいと言われる前に目を開けた、僕は嘘つきだ。



「ごめんなさい」



 泣いている女の子には、それしか無い………よね?



「……泣きます」



 そんな、だってもう………



「……許してください。 なんでも……」



 何故か、言えなかった。

 なにを言われるか怖い。 そんな気がして。


 でも、無慈悲にも彼女は……



「なんでも?」



 そう訊き返す。 観念したように僕は、



「なんでも…………します」



 結局言ってしまった。

 よく考えたらこんな台詞、しか言っちゃいけないんじゃないか?


 僕は、そんなに出来る男じゃない……。



 彼女はまた「目を閉じて」、と言った。 さっきより重い覚悟で僕は目を閉じる。


 今度は『嘘つき』にならないように気をつけないと、ずっとなんでもしなくちゃならなくなる。



 鼓動が速くなる………まるで、初めてデートに誘ったあの時ように。



 ―――違う。 あの時は “攻め” だった、でも今は………



 前髪を上げられたまま、緊張の時が続く。


 そして………




「……!」




 おでこの傷の辺りに、柔らかくて、温かい感触がする。



 それは優しい温もりで、離れていくのが寂しくなるような…………



 そんな感傷に浸っていると、恐らくは温もりをくれたその唇から……




「あなたが……きです」




 途切れた言葉と、切ない吐息……のように古傷が感じた。




 ―――わからなかったけど………わかる、ような…………。




「………なんて、言ったの?」




 大事な事を、言われた気がする。


 だから訊き返したけど、彼女は多分それとは違う、次の言葉を呟いた。




「言ってくれた、私を抱きしめて……」




 それは無い、僕は女の子を抱きしめた事なんか……




「 “絶対守る” って………」




 そんなバカな……自分を守る為に殻に閉じ籠っている僕が、誰かを “守る” なんて………




、私もあなたを守るから。 私と……」




 彼女が言っている意味、その全部はワカラナイ。


 でも、この後言おうとしている言葉は、恐らく僕の “教訓” に背く事になりそうだという直感がする。



 ―――その時、部屋の受話器が鳴った。



 僕は彼女の言葉から逃げるように立ち上がり、それを手に取って、



「はい、10分前、はい、帰ります」



 だらし無い男は、きっと情けない顔で彼女に振り向いた。 僕を睨みつける彼女は、恨めしそうな目と声色で言う。



「嘘つき」


 ――あ、目、開けちゃった。


「ごめん」


 彼女は言った。


「延長で」


 それは、カラオケ……かな? 一曲も歌ってないけど。


 それとも……




「次は、映画ですから」




 ああ、やっぱりか………。





 僕は会計を済ませて、名波さんと一緒にお店を後にした。 手を繋いで。




 この日、初めて女の子にデートに誘われた僕は、もしかしたら、勘違いかも知れないけれど、 “教訓” を忘れる “告白言葉” を言われたかも……。



 時間制限に助けられた、のかな?



 助けられた、なんて失礼だよね。


 相手は僕には不釣合いな程の美少女で、でも、何故か僕をデートに誘ってくれる、変わった趣味の女の子だ。

 本当の気持ちなのかは判断出来ないけれど、もし本当なら、なんでこんな何にも無い僕の事を………



「もう決めました。 私からは言ってあげません」




 歩きながら、強い意志を込めた瞳で彼女がそう言い放つ。


 ………なにを? 聞き取れなかった言葉? それとも、その後言おうとした言葉、かな?




「透さんが思い出してください」




 思い出す? また解らなくなったよ?

 あと、お店出たからじゃ………手も繋いだままだし………。




「それまで、ずっと透さんは “嘘つき” です」




 ………もっとさ、わかりやすく言って欲しいな。




「朱里ちゃんはさ、わかりにくいよ」




 僕がそう言うと、彼女は怒ってから笑って………




「ヒントをあげます。 私達の出会った場所は、です」




 ――――はい?




 再会って、そもそもおかしいでしょ?




「なぞなぞ、好きなの?」


「………もう知りません。 でも、もう、しがみついたら―――離しませんから……」


「え? なに?」



 また聴こえなかったよ?



「自分で考えてください」

「ちょっと……朱里ちゃん?」



 あ……僕ものままになっちゃってる……。


 ねぇ、なんで怒ってるの?


 うーん……あとさぁ、あの時、本当に具合悪かったの?


 なんか、怪しいんだよなぁ………。








 彼女の唇は、見る度 “教訓” を思い出すおでこの古傷を癒してくれた。



 人生初デートの筈だったあの散々な一日も、全部が無駄だったとは思わない。 でも……簡単に忘れるつもりはないよ。



 忘れるとまた―――― “ツラくてイタい” 想い思いをするからね。



 ………そういえば、今はちゃんと笑えてるかな?



「嘘つきな透さん、映画の約束は破らないでくださいねっ」



 デートは教訓に反する、けど………



「……破ったら?」


「泣きます」



 それは困る。



「可愛いワンピースで行きますから、楽しみにしていてください」



 もう、十分だよ。

 そんなに可愛い “笑顔” をされたらね。




 ――――女の子の笑顔は教訓を超える。




 だから怖いんだよ、見たくて近づくと、どうせまた痛い目に遭うから。



 でも、朱里ちゃんを見ていると妙に確信する。



 きっとあの子も今……




 ―――――こんな風に笑ってる。



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ツラくもなくイタくもない生活 なかの豹吏 @jack622

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