愚者は死の淵で、己が何者か知る。
「はぁ……はぁ……きっつぅ…………」
結論から言えば、僕は目標のポイントへと無事たとりつくことができた。
と言っても、実際の所今の僕は瀕死にも等しく、体中血だらけ。けがをしていない部分を探す方が難しいくらいで、血の匂いをむんむんと発している。
ーーでもそんな苦労ももうすぐ終わる……
僕の残る役目は笛を吹き、皆に合図するだけ。ただそれだけだ。
その程度の仕事ならばきっと子供だってできる。
まああたり一面には、気持ちの悪い化け物共が埋め尽くしているという事柄を除けばだが……
「すぅ……」
僕は大きく息を吸い込み、肺に空気を見たしていく。
その間にも魔物たちは刻一刻と僕に近づき、命を脅かすべく行動する。
彼らにもし顔や感情という物があるとすれば、きっと鬼の様な必死の形相をしていることであろう。
--まあ相手が獣の時点で、その様な事考えても全く持って意味のない事柄なのだが……
きっと死の危機に瀕して、僕の脳内は今までにないほど必死に、懸命に動いてくれているのだろう。
それこそ目の前のこいつらの様に。生き残るすべをない頭なりに、必死に、懸命に動かして考えてくれたのだろう。
だとすればもしこの場を乗り切ったら甘いものの一つでも与えなけらばならないという物。
人間。生きる上で、甘い物は必須だ。特に疲れた脳にとっては、猶更。
「これもまた余分な思考だな」
僕はそう自身の思考にケリをつけ、目の前の小さくも、大きい笛を鳴らす。肺の中に存在する酸素をできうる限り使用し、笛を鳴らす。
するとどうだろう。背後から大きな、それこそ僕の笛の音をかき消してしまうほど大きな音がするではないか。
ーーどうやらうまくやってくれたようだな……
カナたちは、やってくれた。
僕の笛の音を精確にキャッチし、反応し、仕事を果たしてくれた。
これほど上司思いの部下もいないという者。やはり彼らを信用したのは、間違いではなかったし、彼らを信じる事が出来た自分が誇らしかった。
「あれ……?」
ただ一つ誤算があったとすれば、爆音の音が凄まじすぎて、僕は馬の背から落とされてしまったという事だった。
「ははは……これは参った……いやはや本当に参った……」
僕の身体は当に限界を迎えている。その様な状態で、落馬したらどうなるか。
その答えは簡単で、魔物たちの前に恰好の餌が置かれるということだ。
分かりやすく言うならば肉食獣が闊歩する檻の中に、手負いの草食獣を放つようなもの。
そこに逃げ道はなく、あるのは目の前の強者に捕食されるという結果のみ。
「は……ははははは‼ 笑えない……‼ 本当に笑えない……‼」
僕は必死に刀を、八雲を魔物たちに目掛けて振るうが、全く届かない。それどころか不安定な態勢で、一心不乱にふるったものだから肩まで外れてしまう始末。
それ以外の部分で言っても、先の逃走劇のせいでほとんど使い物にはならない状態。
状況から言えば完全に詰み。
詰んでいたのは、落馬していた時点で決まっていた事柄ではあるのだけれど、それでも僕としては抗わなかればならなかった。
もしここで僕が死ぬような事があれば、詩織や詩音になんと詫びればいい。
きっとあの二人は僕が死んだとなれば、きっと僕の事を死んでも許しはしないだろう。
特に詩織に至っては、後を追いかねない。それほどにまで彼女は、情が深い人だ。
だからこそ彼女に惹かれたというのもあるのだろうが、この状況下においてはそれはデメリットに他ならない。
もし彼女が死のうものならば詩音が一人残されてしまう。それだけは何としても避けなくてはならない。
つまるところ僕は、何としてでもこの状況を打破し、生きのこらなければならないということだ。
--クソ……‼ 考えろ……‼ 考えろ……‼ 考えろ……‼ 考えろ‼
僕は必死に脳を回転させるが、結果は全て同じ『諦めろ』のみ。
増援も、救援も期待できない。
唯一使える武器も今や使えず、逃走手段の馬は等に消え失せた。
足はかろうじて動くが、今の僕の足で奴らから逃げるのに加えて、崩れ始めている土砂からの逃走など不可能。
それでも僕は、考える。現状を切り抜けられる手段を、生きのこる方法を。
例え四肢が今現在、魔物どもに喰われ、抉られ、裂けていようが気にしない。気にしている余裕などない。
幸い僕の痛覚は既に夥しい量の血を流している事によって、完全にマヒしてくれている。
そうなると僕の死因としては彼らの胃袋に己が肉体を全て食されるか、血が足りなくなって失血死するかの二択だろう。
この両者の内、前者の可能性の方が圧倒的に高い。
本来僕がどうやって死ぬかなど、どうでもいいことなのだけれど、こうも考えてしまうのはきっと僕の脳が無意識に拒絶しているからだろう。
ここで生き残るすべは、矮小な、ちっぽけな、お前程度の人間では
もしこの状況をシドか、はたまたカナが経験しているのなら話は変わっていたのかもしれない。
何せ二人は、
僕みたいな何もない
彼らは
彼らは僕にはない
だから彼らは死なない。少なくともこんな死に方だけはしない。
彼らは代用品である僕とは違って、代えの聞かない特別な存在だから。
昔はそんな彼らに嫉妬もした。いや、今、まさにしている。
僕は彼らの様な
初めは情報を集めるためと彼らに近づいた僕だけど、本当は彼らの持つ魅力に魅了されていたにすぎなかったのだと今理解した。
でもそんな憧れの彼らに僕は、恐怖心も抱いているのだ。
もし彼らが本気を出せば僕の命なんて、一秒足らずで刈り取られるだろう。僕の日常はあっという間に奪われ、壊されるだろう。
詩織だってきっと奪われる。シドが本気で詩織の事を口説けば、きっと彼女は離れていく。
そんな事彼女に言ってもきっと彼女は、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら『そんな事は無い』と言ってくれるかもしれないけど、僕はそんな彼女の言葉を信じることはできない。
心の奥底では信じたいと願っても、信じる事が出来ない。僕はそんな、どうしようもない、
無力だからこそ彼らの傍にいて、自身の日常が壊されぬよう気をはって、見張っていた。
その過程で自身が絆され、己の存在価値を見誤ってしまった。
僕は世の中という機械仕掛けの世界の歯車の一つに過ぎないはずなのに、そんなどうしようもなく救いのない一人にすぎないのに。
彼らの、英雄の、ヒーローの、持っている
わかっていたのに助けると決めてしまった。
彼らと一緒に過ごして、自分も彼らと同じ特別な存在と思っていたかったから。
自分も特別だ。自分はこんなところで死ななない。自分は特別だから。特別な人間には、役割があって、人を助けなくてはならず、こんな陳腐な死に方はしないと、そう思っていたかったから。
本物である彼らの中にいる、本物の振りをした偽物であるのにも関わらず、そんな事を思いあがっていた。
本当は逃げたかった。こんな作戦全て投げ出して、自分一人で、逃げ出したかった。
何もかもすべて投げ捨てて逃げ出したかった。それが僕の本音。死の淵に瀕して初めて知った、知ることのできた、本当の願いであったはずだ。
全く持って道化もいいところだ。とんだ愚者もいた者だ。
死の淵に瀕して己が、何者であるか悟るなど愚の骨頂もいいところ。
結局僕は、英雄と呼ばれる存在であるところの彼らに憧れて憐れに死んだ、道化の一人にすぎない。
死体の一つすら残らない、まさしく愚者にお似合いの最後。
でも愚者にだって意地はある。
結果は同じでも、せめて抵抗はしたという
「ごめん……詩音……詩織……僕……約束まもれ……」
激しく降りしきる雨の中、風音は空へと手を伸ばした。
既に意識が混濁し、はっきりとしない彼は何を思ってその様な事をしたのかも、当の本人であるところの彼にもよく分かってはいない。
ただ一つ言えるのは、彼の脳裏には、彼のこの世で二人しかおらず、何よりも大事な自身の家族に対する謝罪の念のみが存在していたことだけだ。
幼馴染で恋人の少女と異世界に召喚されて五年が経ちました〜今は嫁となった幼馴染と一緒に暖かで、平和な家庭を築いています〜 三日月 @furaemon
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