抹茶×マカロン

夢を見ていた

第1話


<1,un>


 みんみん、と夏が鳴く。アスファルトにまた一粒、また一粒と汗の玉が落ちる。人びとは扇子や団扇でぬるりとした空気を自らに送り、暑いあついとうわ言のように繰り返す。

日光を避けるように、影を探して練り歩く京の街。観光客を含め、人が多く行き交う場所。広い道路では、バスや車が連綿と続いており、信号の色が気まぐれにそれを遮る。

夏のこのような時期になると、有名な祭りがいくつも催され、街はいつもより殊更に華やかに賑わう。

辺りからは、からんころん、と下駄の音が祭りのはじまりを告げる。恋人同士や友人同士、老若男女様々な人たちが、いそいそと、しかし楽しそうに祭りの場へと急ぐ。

「素敵ですねぇ」

 そんな人々をにこにこと微笑ましそうに眺める一人の女。背丈は五尺に満たない、乙女のような体つき。紅の着物に黒の下駄。きりりとした眉に扁桃型の瞳。陶器のような白い肌に、赤い唇が映える。低く丸みのある鼻にやや広いおでこ。そしてちょうど眉の上を乱れもなく切りそろえられた漆黒の髪が流れている。長さは頬の線に揃えて整えてあり、まるで和人形がそこに立っているかのような容姿である。金色の簪が髪を飾り、歩く度にさらさらと澄んだ音が聞こえてくる。絵に描いたような和の人である彼女は、隣に自らと正反対の顔をした相棒を連れていた。

「なあ……」

言いにくそうに落ち着きなく彼女の方を見つめる青年は、眩しいほどの金髪をもっていた。背丈はにゅっと高く、彼女と並び立つと、より背の高さが際立った。体つきはあくまで年相応であったが、どちらかと言えばやや細めのそれであった。スッと伸びた鼻梁に灰色まじりの青の三白眼。どこか気怠げな色が見え隠れしている。目元には茶色のそばかすがあり、やや幼さを感じさせるが、凛とした眉からは彼の揺らぎない意思の強さが伺えられた。が、しかし、きょろきょろと至極満足そうに辺りを見回す連れにはすっかり手を焼いている様子で、困ったように口を開いては閉じ、開いては閉じするのだった。

 そしてついに、痺れを切らした青年が声を掛けた。

「なあセンセ」

「はい」

 センセと呼ばれた彼女は振り返り、にこりと笑った。その屈託のない笑顔に ややたじろぎつつも、青年はぐっと気を引き締め、尋ねた。

「俺らは今日、祭りに行くんだよね?」

「そうですねぇ」

「だってセンセが案内してくれるって自分から約束してきたでしょう?」

「そうですねぇ」

「だから俺、バイトも休んではるばる京都までやって来たんだけど……」

 埒の明かない問答に、青年はぐっとセンセと呼んだ少女に顔を近づけた。凄んでみたのだが、彼女のにこにこは一向に消えない。

「行かないの?」

「行きますよ?」

「なら、そんな悠長に歩いてる場合じゃないでしょ! 遅れちゃうじゃないか」

「あら。悠長なんて難しい言葉よく知ってますねぇ、杏璃は。さすがは真面目なイイ子ですね」

「だから……」

まだ何か言い募ろうとする杏璃と呼んだ青年の口元に、彼女はつっと指を置いた。そして、ごねる子を諭すような口調で言った。

「まだ急ぐときではないのです」

「あと一分で電車が来るのに? 駅はすぐそこなのに?」

「また五分後に来ますよ」

「それさっきも言った……」

肩を落として、「そんで、小物店に立ち寄った……」

「そう急ぐことはありません。祭りは逃げないのですから。むしろ夜の方が人が増えてきっと楽しいですよ。それより何ですか? 今日は急ぐ用事があるのですか?」

「いえ、無いですけど……。だから俺が心配してるのはそうじゃなくて」

「あらもう一分」

「っむああまた!」

頭を抱えて苛立ちを露わにする青年に彼女は近寄って、彼の肩を慰めるように叩いた。

「ほらほら、そう落ち込まずに。大体わたしたちは早めに着いたわけですから、寄り道したって何も不利益にはなりませんよ。むしろお得です。それに。さっきから一体何なのです? わたしが余所へ行こうとするたびに『センセ早く、センセ早く』って。そんなにお祭りに行きたいのですか? せっかく街に出たのですから、少し遊んでもよいではありませんか」

「……それが少しならね」

杏璃はため息まじりに漏らすが、彼女は聞こえなかったかのように、祭りの方へ急ぐ人集りと逆方向にずんずん突き進んでいった。慌てて人の中に入っていった彼女を追って走り出す。一度身失えば大変なことになる。今の発展した社会の常識では考えられないが、彼女は携帯電話のような通信機器を持ち合わせていないのだった。彼は走る。その顔は非常に気怠げで、苛立ち、うんざりしていたが、その目の奥はどこかきらきらとしたものがあった。

「センセ!」

「あらあら。わたしとしたことが。速かったですか? ゆっくり行きましょ、ゆっくりね」

追いついた彼のやや汗ばんだ手を握り、彼女は言葉通りゆっくりと歩き出した。

「暑いですねぇ」

「……そうですね」

「こんな日は冷たくて甘ぁいものが食べたくなりません?」

「そうですね」

彼はその言葉の後、「だから早く祭りに行って露店で何か買いましょう」と続けたかったのだが、徒労感により口を開くのが一歩遅かった。そして、彼の恐れていた事態が起こることになったのだ。

「ここの近くに美味しい抹茶あいすのお店があるそうなのですが」

「!」

「いつも人がいっぱいで、行けなかったんです。行ってみませんか?」

爛々とした目で彼を見上げた。彼は心中、しまったと零した。

「そのお店はお祭りの場所と正反対ですし、今なら空いているかもしれません」

「え、でも、センセ?」

「今が最大のちゃんす、です」

「祭りは?」

「また来年があります」

「だ、だって俺、まだ日本に来て一度も行けてないのに――」

すると、始終笑顔だった彼女がぱっと表情を曇らせた。そして恨めしそうに彼を責めるのだ。

「私が何度このお祭りに参加してると思っているのですか! 露店も山鉾も屏風も神輿も見飽きたったら見飽きたのです! それよりあいすです! 抹茶! あいす!」

「で、でも……」

「何か異論が?」

「……行きます」

「とーっても、えくせれんとです。杏璃くん。とびきりの花丸をあげますよ」

「……メルシー」

繋いだ手を縦に横に振り回し、彼女は嬉しそうに歩き出す。

女心と秋の空。最近覚えた日本語の意味を、身を持って知らされたのであった。


   了


「ところであなた、何人でしたっけ?」

「フランス人です。ヨーロッパの」

「……その、よーろっぱという国は、どこにありますか?」

「!?」



<2, deux>


親しき仲にも礼儀あり。しかし、本当に親しい仲ならば礼儀なんて壁取っ払ってお互いの体をぎゅっと熱く抱擁してもう離さないよなんて睦言を交わしてただゆっくりと時の流れに身を任せながら寄り添っていたいものであります。


「初めまして、こんにちは。アンリ=アブラームって言います」

慣れない異国の言葉で片言の挨拶を述べる。たったそれだけのことなのに、周りはぱちぱちと拍手を送ってきた。

ある日のある初夏の日のことであった。故郷フランスから遥々、異国の地・日本に留学に来ていた俺は、知人の熱烈な勧誘を受けて、よりによって貴重な休日をあるイベントに費やす羽目になった。貴重といっても、ほぼ半日寝て過ごすだけの時化た予定だったが。ちなみに恋人はいない。友人も、あまりいない。

話は戻ってとあるイベントについて、だ。しかしまあそう大したことのない出来事だ、ただ日本人が自分の住んでいる土地を外国人に案内していくというそれだけのもの。案内役も含めて参加者およそ二十。その案内役というのも暇つぶしにやってきた年寄りばかりーーいや、例外も中にはいたが、ともかく、ほとんどが年配の方であった。

まさかの誘った知人がドタキャン(俺の話を聞いた案内役の老人がそう教えてくれた)し、俺は見知らぬ人に囲まれながら、日本の町をうろつく羽目になった。参加者の外国人はというと、どうやらフランス出身はどうやら俺だけらしく、地元話に花を咲かせることもできず、というより元々が仲の良い友達同士で来ているので既に塊ができており、非常に入りづらい。俺は気さくな方でもないから、ヤア!なんて声も気まずくて掛けられない。空気が読める外国人なのだ。だから、ずっと息を殺して何ひとつ口も聞かずに歩いてきた。

案内の人たちが周りの建物や道や草花を指して何やらごちゃごちゃ話しているが、滑舌が悪くて聞こえない。聞こえないふりをした。早く帰りたかった。皆は楽しそうで、俺だけ引きつった顔をぶら下げている。我ながら情けないと思った。気を遣ってか、国籍に関わらず何人かがこちらに話しかけてきたが、もう何も話す気にもなれなくてただ首を振った。友人が来なくなった時点で帰ってしまえば良かったのだろうが、機会を逃してしまい、帰る旨を伝えようとする度、老人たちはあちらこちらへ気まぐれに歩き回っている。やむを得ず、機会を伺う羽目になった。そしてその機会はまだ訪れない。

この辺りは桜で有名なんですよ、と得意げな老人たちの声が響く。顔を上げると一面の桃色、とまでは言えないが、日本風の綺麗な風景が広がっていた。時期がずれたこともあって葉桜の緑の方が目だっていた。まあ、花見の時期だととてもじゃないが、ぞろぞろと列をなして見て回ることはできなかっただろう。しばし休憩ということで、適当な公園に入り、各々ベンチや椅子に座って談笑を始めた。勿論そこに俺は入らない。ぽつんと独り、突っ立っているだけだ。

「葉桜、お嫌いですか?」

と、鈴のような高い声が聴こえてきた。はっと声の方へ顔を向けると、知らぬ間に小柄な少女が立っていた。人懐っこそうな笑顔を浮かべ、にこにここちらを見上げた。

「なぜだかずっと、地面を見ていらしたから。あまりご興味ありません?」

「いえ、そんな……、別に」

話しかけられたという一抹の喜びと、気を遣われたという堪え難い辱めを感じ、赤面するのを感じた。こんな可憐な少女から心配されるとはますます情けない。俺は赤い顔を隠すようにそっぽを向けた。明確なまでの拒否。これで相手も余所へ行くだろうと思っていたが、少女はパタパタと場所を変え、再び俺の隣に立った。

「そういえば、あなただけお名前を聞いていませんでしたね。お名前は?」

「えっと、俺はって言います」

『あなただけ』と言われて、思わず心許してしまった。俺に興味を持ってくれた人がいたのか。なんて。みっともなくて嫌気が差す。

「あら、日本語お上手」

くすくすと着物の袖を口許に当てて、上品に微笑む少女。幼い容姿なのに、纏う空気が妖艶すぎる。日本人は歳がわからないとはよく聞いたが、彼女は一体何歳なのだろう。……聞いてみたい。

「――と、名前を尋ねた方が名乗るのが礼儀でしたね、すみません。わたくし、塚本円花、円い花と書いて円花といいます」

そう言うなり、彼女は地面にしゃがみ込み、何やら文字を書き出した。やや右上がりの達筆な文字。食い入るように見つめるとまた、からころと笑われてしまった。


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抹茶×マカロン 夢を見ていた @orangebbk

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