地獄にいる骸骨は優しかった
夢を見ていた
第1話
『地獄にいる骸骨は優しかった』
カレンダーの数字を眺めながら目が迷子になっていく。あれ、今日は何日だっけ? あれ、今日は何曜日だっけ? あれ、今日、なんだっけ?
「どうしたの? ××さん」
えっと、ちょっと。私は私が恥ずかしくなって「えへへ」と笑うと、「おやめなさい、はしたない」と言われた。
その人は、それから私を見向きもせずに行ってしまった。
私は私で弁明したい気持ちになって、でもそれを聞いてくれる相手もいないので、そのまま黙っていた。
私は、別に、そういうつもりで笑ったんじゃないし。
話の導入に、人と話すときの準備体操で、私は笑ったんだし。……
手首に刃をあてる。
――★――
どこかで、声。
【――それで、しんでしまったんですか? まったくもって分かりませんねぇ――】
目の前に、骸骨。
私は瞳をぱちくりさせた。
「骸骨だ」
「がいこつです」
理科室に飾ってあるような骸骨が、油のさしてあるスムーズな動きで私に挨拶をした。
「こんにちは、はじめまして、あなたのお名前は?」
「……なまえ、」
「アリスですか? それとも、ドロシー?」
そんな海外の女の子のじゃない。「××」とだけ名乗ると、
「ほう、××さん。かわいくもかわいくなくもないお名前ですね」と言われた。
ふつうって言え。
心の中で突っ込んでいると、自分が地面に寝そべっていたことを知る。
ゆっくり起き上がってみると、自然と骸骨のそばに立つことになった。
骸骨は言う。
「ここは地獄です」
「じごく」
「そう。あなたは、地獄へやってきた女の子」
「ふむ」
そういえばそうだった。まるで夢の中にいるかのような感覚なので、何もかもが定かではない。ということは、この骸骨がこの世界の案内役?
「なぜ優しいんですか。同じ穴のムジナだからですか」
詰問。骸骨はカタカタとわらっている。
「あなたはわたしと同じなのですか?」
「……いつかは、おなじになるでしょ」
「白骨化するまで放置されますか?」
「……」
そんなもん、知るもんか。
骸骨はケタケタとわらった。
「それ見なさい。未来を聞くとあなたはとたんに口を閉ざす」
「……」
「行きつく先を教えてあげましょう。『骸骨』ですよ。あなたの肉は年と共に酸素によって腐らされて、骨にしがみつく力をなくして、だるんだるんと、とろりとろりと、とけていってしまいます」
「……」
「ただし、同じではないでしょうね」
骸骨は無い瞳で、私を見ていた。いや、見ていない。ただ虚空がそこにあった。
「ここへ、一人でやって来られただけでも、立派です」
骸骨はわたしを見てくれていると、私が勝手に思っているだけだった。
白い腕が、私の頭を撫でた。ずいぶんと硬くて冷たかった。
「まあ。どうにかなりますって。どうにもならなかったら、いっしょに死んであげますから、そのときまでしばらく頑張ってみてください」
いい加減な骸骨だ。
いい加減な、骸骨。骸骨だ。
……もう死んでるくせに、いっしょに死んであげますなんて。
いい加減で、どうかなるって、いい加減で、適当だ。
それなのに私は。
「泣きたいときもありますよね。あなた、まだ××歳なんですものね」
撫でられる。ごつごつとしていて、木の枝に頭を引っかかれているみたいだった。頭皮に引っかかって痛い。でも、我慢できない痛みじゃない。それにひんやりしている。
その冷たい腕に救われた気持ちになってしまう。
骸骨は私の耳もとに顔を寄せた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。守ってあげます」
「骸骨のくせに?」
「頼りがありませんか?」
「ないよ、ない。だって、掴んだら、折れちゃいそうだし」
地獄の底で、私が本当に頼りたくなったら、きっとあなたしか居ないのだろうけれど、それにしたってあんまりだ。
「ねえ、私が死にたくなったら、いっしょに死んでくれるの?」
「はい」
「約束だよ」
「はい」
「指キリしよう」
「はい」
指キリする。骨を曲げたときに間抜けて『ぽきっ』と音がした。折れてはいなかった。
「……もし、私がこの地獄の底で、勝手に野垂れ死んでたら、」
私はぼそりと呟く。
「そしたら、後追って死ななくてもいいよ」
「そうですか」
「最初だけ側に居て」
「はい」
「それだけでいいや」
「いいんですか」
「今のところは、いいや」
「そうですか」
「そうなんです」
骸骨は黙っていた。本当に、死んでしまったみたいだった。
私も黙っていた。そうしたら、本当に死んでしまえるかなって思って。
――★――
ふと思いついたように骸骨は死のことを話す。それは、当たり前の日常のなかで言う。
たとえば、ご飯のときのお供の感覚で。朝起きておはようの感覚で「ああ今日もしぬには良い晴の日ですね」と言う。特に否定する気持ちも湧かないので、うなずいておく。
骸骨は喜んでいる風だ。
「たとえば、」
そうして骸骨は、何でもない風に死の話をする。
「希死感を否定することは、健全な人間のする行為ではありませんね」
骸骨は言う。
「ひとみな誰しも、死をもって人生を完成させてしまいたいという欲があります」
骸骨は言う。
「死ぬことをあんまりタブー視するから、不健全なことが起こります。たとえば、無理解のあまり寂しさいっぱい抱えて死んでしまうことです」
例えば、と骸骨は地面にあった青い色の骨を拾い上げて、
「この青い色をした骨ーーがいこつは、悲しくって死んだ肉体です。のちに悲しさが骨身に染みわたってこんな色になりました」
骸骨はそれを腰回りにつけていた小さな網かごに入れて、「これは持って帰ります」
「どうするの、それ」
「わたし個人のボーン・アートのための材料とします」
「ふむ」
「あなたは、わたしの助手です。わたしは地獄における芸術家ですので」
骸骨はやや胸を張って、
「あなたはわたしのために、この色付き骨を集めてくるのです」
「ふむ。……」
「そうしたら、あなたにひとつやふたつくらい、わたしの作品を贈ってもいい。きっと気に入ってくれますよ。特にボーンリングなんてものはもうね、希少価値の極みですから」
「何それ指輪じゃないよね」
「指輪です」
私はうげえと顔をしかめて、「骨を指に通すシュミはないよ」
「そうでしょうね。でもまぁ、これを機に付けてみてください」
強引な骸骨である。
「明日は、あなたに大きなカゴをしょってもらって、たくさん集めることにしましょう」
自身のカゴをぱんぱんに膨らませて言った。
「もう入りませんし」
計画性のない骸骨でもあった。
――★――
骸骨は、場所を変える。次に来たのは、真っ白の海だった。
砂浜に立ち、海の方を眺める。しばらく何も言わずに地獄の地平線を見つめているので死んでしまったのかと思った(もうしんでいるけれど)。
私が背負っていた大きなカゴをかさかさと揺らすと、骸骨はそれに気づいて、
「そうですね。見惚れていました。あんまり白いので」
「白いのが好きなの?」
「べつになにいろでも好きです」
言って骸骨は、白い海のそば、波の音を聴きながら、私が背負うカゴに色付きの骨を入れていく。ゴミ拾い用のトングで拾い上げて、そのまま私のカゴに入れていくので、まるでゴミ拾いと同じ感覚だ。骸骨にとってもその程度のものらしい、別段大事に扱うこともせず(というか芸術用に集めているので、素材にしか見えていないのか)、淡々と集めていく。
私は砂浜に散乱する色付きの骨をじっと見つめる。青い骨がたくさんたくさん、あった。ここで身投げしたひとは、悲しい色に染まって死んでしまったのだろうと思う。
五つ位拾い上げたところで、骸骨は新たに持ってきていたシャベルとスコップを取り出した。
「この青は、海の中に入れてしまうと、海の色も染めてしまいそうですね」
「だめなの?」
「だめじゃありませんが、今日のわたしは青の海を見たくない」
そう言って骸骨はそのそばに穴を掘って行った。
「地獄の底に穴なんてあけていいの?」
「いいんです、埋葬ですから」
さぁ、××さんもいっしょに穴を掘ってあげてくださいと言われ、赤ちゃんのこぶしくらいのシャベルを手渡される。
骸骨がシャベルで穴を掘っていく。一度で人ひとりが入れるくらいの大きさである。その縁を、私がちょこちょこと掘って行った。穴の向こうは何も見えない。深淵が覗いている。私はまたちょこちょこと、穴を大きくする。
「これ意味ある?」
顔を上げると、骸骨はこくんと頷いて、
「あなたもいっしょに掘るのが良いんです」
「ふうん」
そうして二人で一緒に掘って行った。
「――生きているとうっかり死にたくなってしまうことは」
骸骨はシャベルを動かし、
「よくあることです。わるいことではありません。生きていればそんなことくらい腐るほどあります」
「腐る、ね」
自分は腐る肉なんてもうないのにね。ジョークである。
骸骨は気付かない。
「そう腐るほどね。それなのに、腐るほどあることを、あれこれと自分いぢめの理由に使ってはいけません。きりがないではありませんか。きりのないことは嫌いです。終わりをちゃんと作らないといけません。まったく」
愚痴りながら、しゃこしゃこと骸骨は地面を掘り続ける。
「まったくこの頃のみんなは、他人いぢめと同じくらい、自分いぢめが好きだからこまります。わたしが生きていたころの者たちは、みんな楽天的でしたよ。そうして、ラクに生きていけました。ラクが一番です。ゴクラクです」
私は自然の思いで、
「楽天的、いいな、うらやましい」
骸骨は顎のあたりを少しずらして――多分ニヤリとして――、得意げに言う。
「いいでしょう。ぜひ真似してみてください」
こうやって、骸骨が言うから、嫌みがないんだろうなぁ。
――★――
骸骨の掘るそばで、私はスコップで土をざくざくと掘り進める。
穴が大きくなってきだすと、骸骨は「あまり穴のそばに近づいてはなりませんよ」と私を留めた。
「どうして?」
「あなたも葬られてしまいますから」
「私もいっしょに行こうかな」
冗談めいて言うと、骸骨は少しだけ黙って、
「そのときはわたしがあなたのお墓をみつくろってあげますから、それまでもうちょっと生きていてください」
私は不覚にも少しじんときて、
「……はい」と答えた。
骸骨はシャベルの手を止めて、向き合ってくれる。
「それはまだ生きたい人の返事ですね」
骸骨はわらった。
「そうしてわたしもそれを望んでいますよ」
骸骨は腰のあたりの骨をうんと伸ばし、
「だって骨の素材はまだたっくさんあるんですから。とてもあなたの骨までアートに使えませんよ。順番というものがあります」
「順番」
「そう。今死なれちゃこまります。ですから、もうちょっとのうのうと生きていてください」
パキッと、乾いた音が骨から鳴った。私はぎょっとしてそちらを見たけれど、なんともなかった。骸骨はまた穴を掘り始めた。
海の波音が、ざざん、ざざんと、遠くで聞こえた。
――★――
「死にたい人は、愛した人です」
「だれを?」
「自分のことを。自我が強くなれば自然と人は死にたくなります。そう、あれこれと問題視するようなことではありません。自分を思えば、愛せばこそです。」
地獄にいる骸骨は優しかった 夢を見ていた @orangebbk
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