食欲のかたまりと

夢を見ていた

第1話



 わたしは食欲のかたまりだ。


 なにを食べても、これ以上食べることができない、という状況に一度もなったことがない。

 毎日、何時、何処であろうとわたしはいつも飢えている。

 

それだからだろうか。

 わたしはみるみる大きくなった。お母さんよりもお父さんよりも家よりも学校よりもビルよりも

 ――地球よりも、大きくなった。

 わたしは今、うちゅう、という空間で上半分、地球という場所で下半分という風に飛び出している。

 下から時々なにかに触られたり、熱くて痛いものに攻撃されたりするけれど。


わたしは、ただただ空腹を満たすことだけを考えて。

 うちゅうでは空気がなく、死んでしまう、と誰が言ったのだろう。わたしは生きている。ちゃんと、生きているのだ。狂いもせず、わたしとして。


 おなかがへった。

 相も変わらないわたしの食欲は、欲望のままに太陽をかじってみた。ものすごく熱かった。今も舌がひりひり痛い。前にホットミルクを作ったとき、待ちきれなくて冷まさず飲んで、あまりの熱さにコップごと引っくり返してしまったことを思い出す。あの後は舌がフライパンで焼かれているかと思うほどに、熱く、痛かった。

もう太陽を食べることはやめにする。

次は土星にしてみた。ビスケット色をしてるくせに、味のなくなったガムみたいにまずかった。表面も中も、全く同じ味で飽きるし、嫌になる。歯ごたえも悪い。

まあでも、輪っかはまだ美味しかったかな。ぱりぱり、という音が心地よかったし、味もガム、というより小さく丸まったアメのようで、まだ甘く美味しかった。

 今はもう全て食べ終わってしまったが。


 わたしはおなかがへると手を伸ばしては、色々なものを食べた。

 でも。どれもこれも、味がない。すごくひどくまずい。地球の物の方がとても美味しかった。わたしは少しさびしくなった。おなかも鳴る。


 そんな思いをしながらわたしは、こちらに流れてきた岩石を手でひょい、と摘まんで口に含んだ。わたしの大嫌いのお豆の味が少しした。思わず吐き出す。

 変に砕かれた岩はうちゅうに従って、ふよふよ浮いてどこかへ消えた。


 そんな時、わたしは思いついた。

 美味しい食べ物がある地球を、食べてしまえばいい、と。

 

とりあえず、胸の辺りの地球の土を掘るように手に乗せた。そしてそのまま口へと運ぶ。なんだかとても可笑しな味がした。可笑しかったけど、ほとんどは塩っ辛い味しかしない。何だかとっても残念だ。喉がひきつくように痛い。塩の入ったビンを水のように押し流した感じだ。


 でも、おなかはへる。わたしは仕方なく口直しとして、火星をかじった。火星はわたしのお気に入りだ。かたいアイスをスプーンでがりがり食べる感触だが、まだ味がある。全体的に水っぽかった。

 すると地球の方から声が聞こえた。わたしはそっと体を折って、耳をすました。

「…………て……と………………だ!」

 全然聞こえないような、ささやき声だったので、わたしは腹を立てた。喋りかけたのはそちらなのに、どうしてわたしに届かないような声でお話するのか。

わたしは思い切り怒鳴ってやった。

「ぜえんぜん聞こえないんですけどおっ!」

 ついでに足を地面にどかん、と蹴りつけたが、対して気にも留めない。わたしは一生懸命になって地球に顔を寄せた。


「……なん……て……こ、と…………て…………だ!」

「はあっ?」

 わたしはもう我慢できなくなって、声がするところの場所を大ざっぱに引っかいた。地面がえぐれ、わーわー言う音がさっきよりも断然聞こえやすくなった。


「なによお!」

「……な、んて……ことを!わしの家族を返せ!返せ!かえせ!」

 耳を思い切り近づけてでないと、やっぱり聞こえない。それに叫んでる豆粒みたいな奴は、小さいくせにわたしの手の上でどたどた動く。他にも多くの人が一緒になってわめく。はっきり言って五月蝿い。

「ああ、もう!」

 わたしはおなかもへっているのでそのまま、胃へと通らせた。

 やっぱり塩の味しかしない。金星を引き寄せ、一緒にして噛み砕く。


「うわあ。金星ぜんぶ食べちゃった」

 お気に入りだったのになあ。と残念がってみるが、おなかは全然ふくらまない。

 地球はそれきり静かになったので、わたしは辺りを見渡してみた。すると目の前を月がよぎったので、両手で蝶を捕まえるように閉じ込めた。そしてそっと逃がさないよう中を観察した。

 月はくるくる回転して、束縛から逃げようとしていた。

 片手で月を摘まみ、親指と人差し指でパンをちぎる手つきで、月の表面を採る。そしてそのまま舌に乗せ、味わう。


「うん。まあ」

 まずくは無いんじゃないかな。

 例えるなら、メイプルシロップを何にも塗らずに舐めた時のようだ。それならば味があるんじゃあないか?と思うけど。それはちょっと違うかな。

 味が濃すぎて、美味しいかどうか、わからなくなった感覚に近い。

 ともかく月は火星の次に味があるけれど、水星よりもまずい、そういうことだ。


 月日はいくつか経ち、何だか下の方が騒がしくなった。

 わたしはそんなこと気にもせず、ただ空腹をなくすことしか考えなかった。あと。地球が回り、わたしの体も回る。そうすると自然と太陽に近づいてし

まう。それだけが今気にかけていることだった。太陽は苦手だ、あれっきりか

ら。

 ぼう、と木星の描く円をみつめていたが、金魚のフンのように纏わりつく一つの惑星をわし掴み、食べた。やっぱりおまけはまずいなあ。ビー玉を舐めているようだ。

すると、地球の方から上へ伸びてくるものがあった。

 ラッパのように口が広がっている機械で、わたしはアヒルを連想して笑った。

下の方はただ細長い管が続いているだけで、メインはこのラッパみたいだった。わたしは笑うのを止め、ラッパを見つめた。


「我々は国際連盟である」


 ラッパは大きな音でそう、はっきりと言ったのだ。わたしは思わず感嘆の声を漏らした。それを嘲笑っていると思ったのか、音は不機嫌そうに言葉をつむいだ。

「我々はお……君に折り入って話があるのだよ」

「へえ。そうなの」

 面白そうなので、空腹を紛らわすには丁度いいとわたしは話に耳を貸すことにした。

「まず一つ目だ。君はどうしてそこまで大きくなったんだ?」

「お母さんに聞いてください。わたしが口にした物ほとんどが、お母さんの作った料理です。あとはお菓子とか」

 ラッパからざわつく音が漏れていた。わたしはほんのちょっと不機嫌になるが、はっきり言ってこのうちゅう、という空間はあまりにも楽しくない。それに美味しくない。おなかがへる、の次に厄介なのはつまらない、なのだ。


 ざわつきがやや治まり、男の声が響いた。

「君はたぶん『伊藤・李佳子』さんじゃないかな」

「あら、そうよ。よく知ってるわね」

「君のお母さんは『伊藤・真理』で旧名は『古森・真理』。お父さんは『伊藤・広文』。違うだろうか?」

「あれ、おじさん何の人?正解だわ」

 すると息を吸う音がして、言葉が出てきた。

「君のお母さん、お父さんはもうとっくの昔に死んでいる」

 え?

「今は2037年12月20日だ」

 え?

「君が知っているのは……せいぜい1986年の頃だろう。あれからもう50年は経っているのだよ。私もいつも君の――足を見ていたからね、私が生まれる前からある……存在していたのだろう」

 え?え?え?

「ど、どういうことよ!わた、わたしはそんなの……」

「1977年、土曜日から始まった月。イギリスの喜劇王、チャールズ・チャップリンが満88歳で亡くなった、12月25日。……君は生まれたはずだ」

「た、確かにその日にわたしは生まれたわ。クリスマスの日でしょう?」

 こほん、と静かに咳払いし、男は一度間をあけて喋りだす。


「失礼ながら君のことは、ほぼ完璧に知り尽くしているのだ。私は国際政府日本代表の桜宮・新左衛門。君とは深く話し合う必要がある、と私はこの宇宙空間のどこであろうと伝わるスピーカを作り出したのだ。どうだろう。よく聞こえるだろうか――」

「そんなのどうでもいい!わたしのお母さんは、お父さんは、友達は!どうなったっていうの!わたしの大事な人は……」

「死んだんだよ」 

 わたしはその声の冷たさに、どきりとした。あんなに元気だったわたしは何処にいるのだろう、おなかも今ではすっかり怯んでいた。

「しかし今、君が落胆する時間は我々にとって不要なのだ。話を続けよう」


 それから男の話は、国際連盟からすると――から始まり、ということで君は我々に協力してもらわないとならない、で終わった。

 話の中に、食欲や不必要やいくらでも、などの単語が入っていたが、わたしはそれどころではなかった。わたしのお父さん、お母さんが死んでいる?

 信じられるはずがない。

「わたしはねえ、お母さんとお父さんに会うまでは、絶対あんたたちを信じないから」

「……それは信じる気がない、ということだろう。それでは我々の話が無駄だったということでしかない。――もしかして君は全く私の話に耳を貸していなかったのか?」

 わたしが黙っていると男は、大層面倒くさそうにため息を吐いて、わたしに言い聞かせた。

「君の食欲は留まることをしらないのだろう?」

「ええ」

「ならばたくさんの物を食べて腹を、いっぱいにすればいいのだ」

 するとその言葉に反応するように、腹が大きく鳴った。それを男に大きく笑われ、わたしは顔から火が出るほどに恥ずかしかった。

 が、満ちることのない腹をどうにかしたいのは、生まれ持った悩みだ。それが無くなるのであれば、これ以上の喜びはない。

 わたしはさっそく男の話を聞き、大賛成した。


 男はわたしの腹を満足にふくらませるために、最大限の力を貸す、と言ってきた。つまりはありとあらゆる食べ物を、わたしのために集めて渡してくれるらしいのだ。

「しかし、そう単純に君の助けをするつもりは毛頭ない。わかるだろう?私が君のためを思い行動するためには、君も行動しなければならないのだ」


 その条件とは〝ただ文句も言わずに、食べること〟。

 わたしはその条件にただ大喜びで、同時に疑問が湧いた。

「ねえ、どうしてわたしの行動が食べること、なの?」

 もっと難しくて大変なことだと思ってた。そう本音を言うと、男はくつくつと笑いだした。

「いや、いいんだ。ともあれ、協力してくれるんだね?」

 わたしは二つ返事で了承した。

 それからしばらくして、地球からロケットが飛び出してきて、宇宙の空気に触れた途端に、小さく爆発した。

 それを怪しげに見ていたら、なにやら大きな袋がわたしの前にぶつかってきた。視線を上げて中を見ると、中にはたくさんのナマゴミ、機械のかけらなど、いわゆるゴミがこれ以上なく詰め込まれていた。


 わたしは食べて、食べて、食べまくったのだ。

 ロケットが運んでくる食料袋は赤と青の二色だけで。赤はおいしい食べ物。青はゴミだった。

 時々発せられる男の質問にわたしは

「このナマゴミはもともと、食材だったわけよね?それなのにどうしてこんなにまずいのかしらねえ」

とか。

「できるなら機械はいやだわ。なんだか電気みたいにビジッってするから」

 とか。

「ふらんす、パン?そう、すごくおいしかったわ」

 などと質問に正直に答えていた。その答えに男は声を高くして喜び、返事を返していった。


 ある日のことだった。

 わたしはいつもどおりに、赤い袋のゴミを嫌な顔をして食べているところだった。

「!?」

 急に足元がぐらり、と揺れた。思わず足を動かそうとすると、なぜだか動くことをしなかった。地球と宇宙と両方に存在するわたしの体は、動いてはくれなかった。


「なに!」

 わたしはこれ以上なく暴れまわった。上半身を使って動き、足の自由を求めた。ゴミの袋が宇宙の彼方へ飛んでいく。

こんなこと、理解できない。わたしは声の続く限りさけんだ。

 あの、桜宮という男にどういうことだ、と問い続けた。


 しかし答えは返ってこない。

 わたしは怒った頭で手を大きく使い、この機会で地球をすべて食べてしまおうとこころみた。おいしい食材、とくにふらんすパンを思い出すと、とても悔しい思いをしたが、仕方のないことだ。わたしはあのしょっぱい味を思い浮かべながら口を開き、地球をちぎった。腹はいつもどおりの食欲を見せる。


 ちぎったことにはちぎった。

 が、それを合図にわたしの体は重く、重くなっていく。


 痛い、それもちぎれそうに痛い。

 わたしはちぎった地球の一部を宇宙に投げだして、そのまま目を閉じた。


 痛い、痛い、いたいよお。

 お母さん、お父さん、みっちゃん、しゅう、りくくん……

 

わたしは泣きながら、そう叫んで、さけんで、さけんで――


 痛い、いたいよお。

 でもなんでだろ。


 すごくおなかいっぱいだあ。

 わたし今、すっごくしあわせだよお。



 なんちゃって。




 とある話 ~①~

『――ジッ――……標的A154‐189 無事撃破成功』

『了解、標的Aはどうなっている?』

『はっ。今は眠っているようですが。しかし、生き返るような素振りはありません。』

『そうか……。しかし、この件はかなり手こずったようだな』

『はい……。足を完全半永久的接着液体により接着させたのはよいのですが……、あまりにも巨体なために、人間の急所――、心臓が見えない状況だったのです。だからといって違う場所を狙い、大きな被害を出させるわけにはいきませんでしたので――。我々は、注意をこちらに向けさせ、少しでもしゃがみこんだ瞬間に、心臓へドン!と一発巨大鉄砲玉を発射させたのです』

『ははは。今日、立派な英雄たちは酒に酔いしれることなのかな?』

『そうですね、ははは。しかし嫁がうるさいものでねえ』

『大丈夫だよ、なんたって君は英雄なのだから。奥様も鼻が高い』

『しかし、あの化け――いえ、標的Aはなんだったのでしょうか』

『いや、もう標的、という名は適していない。――あれは私が物心つく前から存在していたらしい。今はもういないが』

『そうですか……。でもこれでもういつ自分らが襲われるか、とびくびくしなくて良いと思うと……』

『そうだな、私も久しぶりに休むこととしよう』

『はい。ぜひ、そうなさって下さい。――早く、喜びを分かち合えるお嫁さんを見つけてくださいよ』

『……余計なお世話だよ、英雄君』








 とある話 ~②~


 うちゅうを食い荒らした少女の巨大な体は、みるみるうちにしぼんでいった。

 まるで風船の中の空気がなくなるように、一瞬で、無力だった。


 死んだのだ、と人間は理解した。少女は我々に与えてくれるはずの快楽を与えず消えた。人間は怒り狂いながら、同時に嘆き悲しんでいた。


 少女は今、親指にも満たないほどしぼみ、アスファルトに寝転んでいた。どんな表情をしているのかなど、視界に映ることさえなかった。

  

「どうしてだ!どうして、どうしてなんだよ!」

「どうして……?」

「どうして私を食べてくれなかったんだ!?」

 老人は叫んでいた。

 垂れたのどぼとけを必死に震わせて、力いっぱい叫んでいた。それも狂ったかのように。

 いや、実際には狂っていたのだ。

 

老人の後ろにはたくさんの人間が、並び、思い思いに叫んでいた。

「なんでだよ!俺らをどうして食わなかった?!」

「私を救ってくれるはずだったじゃない!ねえ、どうしてよ、理佳子ちゃん!」

「理佳子、あたしを一思いに殺して、この世界から、消して、どうして、なんで」

 この人間は、死にたくてしにたくて。でも、苦しみたくはなくて。

 そんな弱い人間の集まりだった。

 そんな人間は、死ぬ方法として、一つの方法を望み、いまかいまかと待ちわびていた。

 しかしそんな望みも、無残に消え、人間は怒り狂い、叫ぶことしかできなかった。

「りかこ」

 理佳子、という腹を満腹にさせることを知らない少女を思い、人間は叫ぶ。




 少女の小さな体の上をとある一台の車が通りすぎた。


 少女は粉々になった。




 とある話 ~③~



「ねえ、そういえばあなたの隣の家の人、どうなったの?」

「え?えーと、……なんとかさんのこと?」

「え、う、うんそうそう!」

「そうねえ。前にその人が何かに向かって喋ってる、って話言ったでしょう?ほら、〝おいしいか?〟とか、〝国際連盟〟だとか」

「あー言ってたわねえ」

「その人、なんか昔に研究所を持ってた人だったらしくってね。すごく研究熱心で、あまりにも熱心すぎて、自分や他の人まで研究しちゃうかも、って心配になるくらいの熱心さらしいわ。うちの夫がその人と元同僚らしくってね。確か奥さんとこどもさんがいたはずよ」

「へえ」

「夫が言ってたわ。あいつは危ない。死にたがってるって。楽に死ぬために研究してるって」

「そんな人がこの世にいるなんてねえ。考えもしなかったわ」

「でしょう?――で、私思ったんだけど、最近やっと死んだ化け物いるじゃない?あれ、多分そいつの仕業だと思うのよ」

「え?」

「――ある朝早く、研究が終わった。出来たものは一粒の薬で、その薬を一度でも口にしてしまえば、何があろうとその者は一生食欲が治まらない、満腹を味わえない体となってしまう効果があった。

――なぜそんなものを作ったのか、それは痛みもなく死んでしまいたかったから。どんなに幸せを手に入れたといっても、それはけっきょく、偽りのものでしかないもので。小さい頃から夢見た死に近付こう、とがんばっていたのでしょうね

そしてその薬を実の娘の朝食に混ぜた。この際、誰でもよかったのでしょうね。もしかしたら私だったのかもしれないわ」


「そう。危なかったわねえ。でも早々と離婚して正解よ。あなたまだ若かったからすぐ結婚もできたし」

「ありがとう」


「そういえばその人、ニュースで見たんだけど……死んじゃったらしいのねえ。正しくは行方不明なんだけど。雪山に登って遭難?だったかしら。ま、いい年だもの。死にたくなるのもわかるわあ」

 



「ほ、本当?――桜……なんとかの気難しそうなおじいちゃんだった?」


「そうよ。…………ああそういえば聞いてこの前――」

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食欲のかたまりと 夢を見ていた @orangebbk

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