黒の女白の男
夢を見ていた
第1話
■
とある路地裏。黒い髪を散らして、少女は体を丸めて眠っていた。
少女の周りには壊れた家電製品や、黒いゴミ袋など本来の性能の半分も使えない不良品が置いてあった。地面には複雑な形の工具が大量に散らばっており、それによって分解されただろう機械の山ができている。
また、赤青黄といった様々な色のコードが少女を取り囲むように広がっている。さながら蜘蛛の巣である。少女はそれに自由を奪われた一匹の蝶、といったところだろうか。
少女の近くにある丸い小形テーブルの上には、食べかけのおにぎりやパンが無造作に放っておかれていた。賞味期限はとうに過ぎているだろう。蠅が何匹か飛び回っている。お世辞にも衛生的だとは言えない。
少女は身じろいだ。膝を抱えて横になって眠るその様子は、誰が見ても微笑ましく思うものであるはずだ。しかしそんな風景に不釣合いなものがあった。鋭い目。黒いボディ。ギャッギャという不吉さまでも醸し出す鳴き声。カラス。少女の周りには、少女を守護する兵士のように目を光らせるカラス達がいたのだ。どのカラスも隙一つ存在しない。だからこそ、少女はすべてを彼らに委ねて安心して夢に落ちることができたのだった。
人気の無い路地裏。そこに一人の男がやってきた。背丈は高く、同性であっても心惹かれるだろう綺麗な容貌。服装は、金色の刺繍がなされた黒の上着――ボタンはすべて留められている――に、黒のズボンに革靴。歩く度、地面のレンガから、カツンと音がする。乱れの無い歩みや、背筋が伸びた姿勢から男の人柄が推測される。男はわずかに笑みを浮かべていた。カツコツと靴を鳴らして彼は複雑な道が入り混じる路地裏を迷うことなく突き進み、行き止まりの壁の前で足を止めた。そこは少女の寝床であった。カラスは侵入者に対し、威嚇の声を上げる。しかし少女は目覚めない。
「姫は、深い夢の中なんだね」
彼は笑ってカラスたちに話しかける。カラスは人間の言葉は話せない。しかし、話す内容はある程度理解できるらしく、返事代わりに翼を広げて一、二度鳴いた。彼はゆっくり頷いて、体を屈める。カラスたちがしきりに喚くのであまり近づくことはできないが、長い髪からのぞく少女の顔色を窺うことができた。
彼は思う。顔色は少し悪い、息が浅く、荒い。その広いおでこには汗が行く粒か浮いていた。かなり状態が悪い。そこまで観察して、
「おい」
声をかけられた。はっとして視線を動かすと、少女の澄んだ黒い瞳とぶつかった。大きな瞳は、彼女の愛らしさをこれ以上なく引き立てていた。彼は仰け反った。彼の判断は正しかった。その一瞬で身を引かなければ、彼の形の好い鼻が削ぎ落とされていたからだ。少女の両手には大きなスパナが握られていた。
「この変態ヤロウ。寝てる相手を襲おうとは好いご身分ですこと」
「おはよう、姫。素敵な夢が見られましたか?」
「黙れ。お前のせいで気分は最悪サイテーだ」
「それってべつに僕のせいじゃなくない? きっと寝過ぎか何かのせいだよ。僕なんか仕事の徹夜明けで寝不足なんだから」
「なるほど。ではあたしが責任を持って一生の眠りにつかせてやる。もう目覚めなくて好いぞ」
少女は今度は縦にスパナを振る。コードに足を取られた彼はそのままバランスを崩して地面に転がる。そのお蔭でスパナの脅威から逃れることができたが、それは一瞬のことである。さらなる追撃が彼を襲う。――まったくどっちが襲っているのだか。呆れ顔のまま、男はぎりぎりのラインでその攻撃を避ける。そのことが少女の機嫌を悪化させる。みるみる憤怒の形相に変わる顔を見つめながら、彼は口を動かす。
「でも君に会えてよかった。元気出たよ」
「……おいカラス共、何を暢気に見てる……!? あたしの命令無しでも動けるように何度もインプットしてるはずなのに……。ちっ。くそ、早く動け! こいつをもう二度とここに来られなくしてやれっ!」
少女の叫びにカラス達は弾かれた様に飛び上がり、男に襲い掛かった。
それは刹那のことだった。
鋭い嘴に体中を抉られ、彼の体はすぐにぼろぼろになった。着ていた服は破れ、顔中に赤い血が流れ、動きが徐々に鈍くなる。少女はそれを見て、片手を上げた。もうそれで十分だろうと。満足そうな少女はにやりと口を歪めて、地面に投げ出された人間に近づく。そしてしゃがんで、髪を耳に掻きあげながら、人間の耳元にそっと言葉を吐く。
「もう、二度と、来るな」
言葉を区切って、強くつよく思いを込めて。すると、それを耳にしたからだがぴくりと反応した。
「……それはできない」
「仕事だから、か。だとしてもあたしに関する仕事はもうとうの昔になくなってしまっているはずだが?」
少女は立ち上がり、空を仰いだ。暗闇。空の色は黒く、自分の肩に乗るカラスたちと同じ色を映していた。
「〝黒の女王〟であるあたし相手に、仕事できるはずもないね」
その声がひどく寂しく聞こえたのは、彼の鼓膜だけである。誰が聞いてもそれは、自信満々の現れであった。しかし彼はその裏にある感情を捉えていると自覚している。
「警告する。もう、二度とここへ足を運ぶな。何度でも繰り返す。ここに来てはいけない。あたしの邪魔をするな。もう、本当に次からは容赦しない。ここに近づいた瞬間、お前を殺す。お前の顔をカラス達にインストールして、辺り一帯を見張らせる」
「……そんなことは、君はきっとしないだろう」
もうとっくに虫の息となった彼は、それでもあるだけの力を振り絞って、少女の手を取った。優しく、傷つけないように。
「そんなことができるなら、どうして今までやらなかったんだい」
「……ひとごろしなんて、好きでやるやつ、どうかしてるだろ」
声が力無いものに変わる。
「あたしが憎むのは、お前であり、男であり、世界である。あたしはその憎しみから逃れるわけにはいかない。ずっとこの果ての無い怒りと戦っていかなければいけない。だけど。誰が、だれが好んでひとごろしなんてするか。あたしは、必要の無い争いはしたくない」
「――僕との争いは、必要なのか」
初めて発せられた悲痛な声に、少女はわずかに動揺する。
「そうなんだね、姫」
「……その呼び方やめろ」
早く失せろ。少女は言った。男は受けた傷を抱えながら、その場を立ち去った。その手には拳が握られ、ふるふると小刻みに震えていた。
■
黒の女白の男 夢を見ていた @orangebbk
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