ファンタジーワールド

夢を見ていた

第1話

            ☆


パサ、と髪が落ちる音がした。

「……、切りすぎた」

 鏡の前にいる少女の額が露になる。少女はかなり短くなった前髪を摘んで引っ張ってみるが、当然、急激に伸びる気配はない。ため息一つ吐いて、少女はプラスに考えることにした。

「気合いが入りすぎて、前髪を切りすぎた設定にしよう。うん、そうしよう」

 頷く少女は帽子をいつもより深めに被り、先に赤い宝石が入った杖を持って、外へと飛び出した。

 ――今日という日は、彼女の『結果発表』が行われる、大切な日であった。


            ☆


 少女が街の広場に着くと、そこには既に大勢の人間が集まっていた。が、それらの人々すべてが『候補者』ではない。この中にいるはずの二◯◯人が、正式な『候補者』である。――かく言う彼女もその一人である。

「遅れてすみませんッ!」

 広場の人だかりをかいくぐって、やっとの思いで中心にたどり着くと、彼女はそこに立つ兵士に頭を下げた。彼女は本来ならば遅刻するはずもなかった。なぜなら、誰よりも早く目覚め用意をしていたのだ。が、鏡の前での失敗をカバーすべく髪型を整えていたら、あっという 間に開催時間になってしまったのだ。

謝る彼女に兵士は心底嫌そうな顔を向けて、彼女を叱責した。

「貴女は、立派な候補者の一人なのですから、しっかりと自覚を持って下さい。貴女が最後ですよ! 皆さんがどれだけ待っていらしたか分かっていますか? あと少しでも遅かったら、我々は問答無用で貴女の権利を剥奪してましたからね! 分かりましたか!?」

「……はい、分かりました」

「――レイチェル=カールース、次はありませんよ」

 少女――レイチェルは頭を抱えた兵士を放って、舞台に上がる。広場の真ん中に円を描くように置かれた舞台。その中心に二百人の人間が一列に並んでいる。その列に、レイチェルは加わった。ふっと息をついてから、ちらりと横を一瞥する。

 この中で彼女は明らかに目立っていた。

 前髪を失敗したから、服が茶色のロングのスカートだから、杖を持っていたから、大きな帽子を被っていたから、金髪で青の瞳だから。――確かにそれらも立派な理由だったが、最も大きな理由は彼女が女性であったからだ。

 レイチェルが加わった列にいる人間は全員が男であった。女はレイチェル一人のみ。けれど彼女は特に気にする様子も無かった。もう慣れっ子だったからだ。

 レイチェルが列に入ったのを確認してから、マイクを持った兵士が口を開いた。

「今日、二◯◯人の候補者から、一◯◯人の候補者を選出します」

 淡々とした兵士に対して、舞台の周りに押し寄せる人々は大きな歓声を上げた。

「まず、今回の『試験』についての意義を、述べたいと思います。一に、民間から優れた人材を選び抜き、国王の王子王女たちの側近を選び出すこと。二に、民間行事として、大いに楽しむ場を設けること。以上が国王の定めた試験についての説明です」

(そんなの毎回聞いてるってば。もう聞き飽きたから、それ)

 内心辟易しているレイチェルは、適当に視線を泳がした。辺りを見るでもなく見ながら、彼女は思う。

 彼女が参加している『試験』とは、古代の国王自らが作った催しだ。理由は単純。国王は国王である限り、多くの子孫を残すことを義務として課せられる。そして必然的に手の回らない子供たちが出て来てしまう。どんなに多いからといっても、実の子が可愛いと思わないはずはない。その子達を安心して任せられる、信用できる臣下を身近に置いてやりたいと思うのは親心として自然に湧き上がる感情だろう。

しかし、それを王自ら探し出すとなると、あまりにも時間が掛かり過ぎてしまう。よって国王は民間にいくつかの厳しい条件を提示し、それを見事満たした者だけを側近として任命する。側近の地位を得た者は、何不自由なく生活することができる。

この古代国王の試験は、次第に、地方で権力を握っている貴族たちの間にも広まり、彼らの子供たちまでも参加する、大規模な催しと化したのだった。そしてそれは年に一度の大祭として人気を集めることとなり、また国民たちの支持を集めることにも繋がっていった。

――ただし。条件が満たせたからといって、全面的に信頼すると裏切られる可能性がある。あくまで選ばれた者の使命は、国王らの子供たちを、命を賭して守ることであって、それができないとなれば話にならない。よって本当にその者に勤まるかどうかを、王子の親自らが決定するという流れらしい。ここまで漕ぎ着けた人は至極少なく、何万分の一の確率だという噂だ。――所詮は噂なのだが。

そんな厳しい試験なのに、参加者の数が一向に減らないのは、その地位がそれほど魅力的であるということに他ならない。そう、この行事に参加する者は多い。――が、女性の参加者は圧倒的に少ない。

 勿論この国に居る女性が少ないからではない。

 理由はこの試験では、参加者が競い合うことを前提としているからであった。それも、頭だけでなく、体を使う競争を。

「――。以上、国王からの御葉でした。次に、候補者の結果発表を行いたいと思います」

 兵士は、一つひとつ名前を読み上げていった。それを受けて、歓喜する者や泣き叫ぶ者たちが現れてくる。呼ばれなかった者は舞台から降りていく。人数が次第に減ってゆく。レイチェルは思わず目を閉じ祈った。

「サイリー=エンバー、ネイチェル=オリーブ、――レイチェル=カールース」

(やった)

飛び跳ねたくなる体を必死に押さえつけるために、肩を抱き、唇を噛み締めた。

――ここまでは何度でもやって来られた。候補者を減らすだけが目的の小さな試験は何度も合格してきた。この舞台に立つところまでは何度もできたのだ。――けれど、彼女にとっての問題はこれからだった。


「では、王子、王女たちの御対面を――」

そう。ここからが彼女にとっての『試験』。 

王子王女たちが舞台に上がり、レイチェルたちの列と向き合うように並ぶ。観衆が最大級に盛り上がる。兵士の声が響く。

「――では、選んで下さい」

 それを合図に小さな子どもたちが一斉にこちらへ向かって来る。そして値踏みをするかのように立っている候補者の顔を覗き込む。

 試験では死なない程度に、血生臭く危険な競い合いがある。ただし競い合うのは、レイチェルら候補者だけではない。王子王女である『王子王女』たちでさえも、巻き込まれてしまうのだった。それが、『試験』。

国王との面会で晴れて王子王女らの側近となれた者たちは、上から順に順位が付けられる。その順位の高さによって、王子王女たちの待遇が変わってくるのだ。つまり、候補者と王子王女らの両者が、必死で戦い勝ち抜くというものなのだ。

 試験のルールは大まかには同じで、候補者と王子王女らの人数をある程度揃えて、二人一組のペアを作らせる。

ここで初めて、民衆が参加する祭りの形が出来上がる。

 民衆たちは、その中でどのペアが一番を取れるのかを、賭ける。賭けられるのは、一組に限られる。見事当てた者には大量の金が与えられる。たとえ民衆の多くが同じペアに賭けて、そのペアが一位を得たとしても、同じ額の金が彼らに支払われるという決まりだ。また民衆たちは、自分の利益のために試験を妨害することは許されない。あくまで参加者らだけの試験なのだ。妨害した者には金ではなく、厳格な罰則が与えられる。


「わあ……やっぱり大きい人のが強そうだよね」「うんうん。あ、でも、武器が凄い人も強そうだね」「ぼくはどうしよう、誰がいいかな」「わたし、絶対優勝するから! 負けないわ」「おれだって!」

 ちらちらと忙しなく子どもたちの視線が動く。並ぶ候補者たちは、自分の特技などを必死にアピールし、子どもたちを呼び寄せる。ちなみにこれは早い者勝ちである。跪き、手のひらを差し伸べている候補者に王子王女らが自身の手を乗せ、候補者はその手にキスを落とす。自分はこの手の持ち主に服する、という意味を込めて。

 レイチェルはいつになく必死になって手を伸ばし、自身をアピールした。が、それらの声は空しく、観衆の大声によって妨げられてしまう。

「レイチェルどうせお前はまた誰にも選ばれずに失格になるに決まってんだろ!」「全く女なんかが居られる舞台じゃねぇっつうの! お前一人抜ければ、俺らが『候補者』になれる枠が出てくるだろうがっ!」

「早くいつもみたく舞台から降りやがれ! そうすりゃあ、今日落ちた百人から新たに一人、選ばれるんだからな!」

 怒号や嘲笑が響き渡る。それは、聞くに堪えない罵詈雑言であった。レイチェルは意識をそちらへ持っていかないよう、必死に声を上げた。

しかし、彼らの気持ちもわかるのだ。レイチェルは口を動かしながら思う。彼らの行動は至極当然のことだった。なんとしても、自分こそが候補者になりたい。わかる。わかるが、だからといってそれが、勝ちを譲る理由にはならないし、したくはない。絶対に。彼女だって、勝ちたいという強い思いは同じなのだ。

「こ、こっちに来て! 私、私は魔法使いなの! 知ってる? 魔法使いよ、私、魔法が使えるの! 私の得意な魔法は――」 

この言葉に対して、民衆から声が飛ぶ。

「魔法使いは最近、魔力は弱まってきてるって聞くぞ! 騙されちゃいけねぇや王族さん方!」

「黙って!」

 レイチェルは思わず振り返り叫んだ。するとレイチェルの手を取ろうとしていた王子が、その声に驚いて離れていってしまった。それに気づき、思わず手を伸ばす。

「待って! お願い待って!」

 少年は振り返らず、違う男のもとへと走っていった。

(――今年もなの?)

 毎年開かれる試験だが、何度も参加できるわけではなかった。レイチェルはもう、来年には出場できない。たとえ、条件を満たしていたとしても、ペアを作ることもできず失格する人材は、必要ない。

 俯く彼女は、兵士の「残りあとわずかです」という言葉を耳にして、もう駄目だと悟った。すべてを諦め、立ち上がって目を閉じたその時、


――ぎゅっ、と手を握る、優しい温もりを感じた。


「え」

と思わず力無い返事をし、顔を上げた。

そこには、

「……よろしく、おねがい、します」

 銀髪で赤い瞳の、無表情の少年が立っていた。その手は間違いなく彼女の手を握っている。彼女よりも小さな手にはありったけの力が込められていた。

「――ねえ、魔法使いってドラゴンとか呼べるの」

 何も言わない、何も行わない彼女に、手持ちぶさた感を感じさせられたからだろうか、少年は床を軽く蹴りながら小さく問いかける。 その問いに対し、ようやく我に返ったレイチェルが、嘘を吐くことなく否定する。

「いえ、それは無理。魔法使い弱体化が進んでいるのは本当だから、無理よ。大昔の魔法使いなら出来たかもしれないけど、少なくとも私には無理ね」

「……ふうん」

 それでも少年は手を離さない。レイチェルはただその手を見つめている。

 辺りは水を打ったかのように静まりかえっていた。……それでもレイチェルは動かない。――焦れた少年は動いた。

握った手はそのままに、身長差は背伸びで何とかカバーして、もう片方の手で彼女の肩を押し、強引に体のバランスを崩して跪く形を取らせる。そして自分の手の甲を自ら彼女の唇に持っていった。彼の手には、柔らかな弾力のある感触が伝わった。

 そこでようやく頭が追い付いてきたレイチェルが、少年を見上げた。彼の銀の髪は、太陽の光を浴びて、綺麗に輝いていた。その美しさにしばし言葉を失う。

 少年はそんな彼女の姿を見下ろしながらこう問いかけた。

「……ね、その前髪、わざと?」


       ☆


 銀髪の少年の名前はユエといった。ユエは向き合って座っている魔法使いに名を尋ねた。すると、彼女からの意外な切り返しが待っていた。

「私の名前をつけて?」

 急な申し出に戸惑うユエに、彼女は視線をやや上に向けて空を仰ぎ、顎に手を当てて考えるふりをして、話し始めた。「ずっと考えてたの。私を選んでくれた人は、私にとって恩人であり、大切な人になるのだから、これからあなたに仕えていきますっていう意味で、名前を授かろうって。心を一新するつもりでね」

 ユエは返す。「でも君の名前は両親につけてもらった大切な名前だろう」

「えっとね、これは魔法使いの一族――私たちは魔族って呼んでるんだけど、魔族の伝統みたいなものでね、魔族は自分の名前は自分でつけるの。勿論、生まれてすぐは無理よ。だから親から仮の名前を一時的につけてもらって、十二歳を機に仮の名を捨てて新たに自分で考えた名前を名乗るの。――名前というのは、すごい力を持つものとして私たちは考えていてね、自分のなりたいものとかを込めてつけると、本当にそれが叶うの。私もなりたい自分を思い浮かべて名乗ったのよ。そして実はね、その望みが少し前に叶ってしまったの。つまり、今の名前は夢を叶え切った、力を出し切ったお守りみたいな感じ。――だから今度は名を改めて、今度は私の新たな夢とあなたの夢、両方を叶えたいと思うのよ」

「――僕の夢」

「そうよ。名をあなたから。姓は私が。どう・素敵じゃない?」

 ユエはしばらく虚空を見つめて何やらぶつぶつと呟き始めた。どうやら響きの好い名前を探しているようだった。それがわかった彼女は嬉しそうに持っていた杖をいじくって時間を潰した。

 ユエははっと顔を上げて、彼女を見て、その名を呼んだ。

「じゃあ、――サラ。今思い浮かんだから」

 サラは花のように笑みを浮かべた。

「サラね!」

 そして一度立ち上がって、ユエの前に跪いた。彼の手を取ってそこにキスを落とした。彼女の伏せたまつげから覗く瞳が細められ、一瞬で空気が変わったことをユエは肌で感じた。サラの声色が緊張味を帯びる。

「先程は失礼致しました、ユエ様。わたくしをお選び頂けたこと、身に余る光栄。決して後悔はさせませんわ。――サラ=スチュアート、この身はあなたの為に」

「……うん」

 頷いたユエを見て、サラは先程までの真剣な表情が一転して、笑顔が咲いた。

「緊張しちゃった。組決めの時の失敗、取り消さなきゃって思ってたから」

「別によかったのに」

「よくないわよー」

 それから、二人は歩き出した。渡された地図に示された場所へ向かうべく。――背後から忍び寄る影に気づかぬままに。


            ☆


 組決めが無事終了すると、一組ずつに一枚の地図が渡された。そこには、ここ一帯の地形が描かれていて、その中に赤い×印が大きく記されていた。周りの声に耳を傾けてみると、どうもそれぞれが違う場所を指定されているらしかった。サラたちが受け取ったものには、街の近くにある一軒の小屋の上に印があった。

「地図にそれぞれ印があると思います。まずはその指定された場所に向かってください。そこで課題が出されます。それをクリアした者が合格者、その中でも優秀な成果を収めた者から順に、順位が決まってゆきます。その他詳しいことは指定場所にいる者に訊くようにしてください。――では、始め!」

 参加者は一斉に飛び出していった。サラたちも地図を見ながら、その場所へと急いだ。地図はユエが持ち、先頭を走った。

「なんの為にバラバラにするんだろう」

 ユエの問いにサラは首を傾げる。そして、興味無さげに返答した。「別に何でもよいのでは?」

「気にならないの」

「うん」

「なんで」

「そんなことよりも早く行きたいからよ、私初めてここまで来られたのよ! 楽しみじゃないわけないじゃない!」

 促されるままユエは走った。……しかしこの選択が誤りであると気づくのはしばらくしてから。

 会場であった広場から×印までそんなに距離が離れていないはずなのに一向に着く気配がない。サラはしばらくは興奮のあまり深く考えなかったが、さすがに周りが木々で覆われた人気の無い森に入ったところで、何かがおかしいと気づいた。

「ちょっと地図貸して!」

 見れば二人は全くの真逆の方向に突き進んでいたのだった。サラは頭を抱えて崩れ落ちた。「これだけの距離でどうして迷うのよ」

 心身共に疲れたサラは休憩を提案し、遅めの自己紹介を済ませてから、再び立ち上がり、歩き出した。

 森を抜けながら、ユエは地面を見つめたまま先を進むサラに話しかけた。

「サラは」

「ん?」

「どうしてこんな大会に参加してるの」

 その声には、こんなツマラナイ大会に、という否定的な感情が込められていた。

「意外。ユエは乗り気じゃないんだね」

「からかわないでよ」

「ふふ、ごめん。それで、どうしてそんなこと言うの」

「だって、こんなの、……何も楽しくない」

 先を行きながらサラは、顎を上げて顔だけを後ろに向け、逆さまな視線のままにユエを見つめる。短い、揃っていない前髪が揺れる。

「楽しくないの。本当に? 私は今楽しくて仕方ないのに」

「僕はなんでサラがそんなに楽しいのかわからない」

「え、だって。初めて主ができたでしょ、名前もつけてもらったし、これであとは合格して最優秀者という判定を貰う。私にはまだまだたくさんやりたいことがある。素敵じゃない?」

「素敵じゃない」

 否定されてサラは頬を膨らませる。

「なんでよ」

「だって――」

 言葉を発しようとした時、サラに遮られる。

「あなたは私がどれほどこの試験を受けたかったか、知らないから。だからそんなこと言えるのよ。何度もなんども、弱そうだから女だからと理不尽な理由で不合格にされてきた私を。……それがどんなに悔しかったか。力はあるのに、誰も認めてくれない、その悔しさ、虚しさ。とてもじゃないけど言葉に出来ないわ。――でも、今はあなたがいる」

 サラは長いスカートを翻して、ステップを踏むようにして、今度はちゃんと彼を振り返った。その身軽さにユエは思わず声を失った。

「あなたがいるのよ」

「……」

「だから、私はあなたを守ってみせるわ。選んでくれたことを公開させない為に」

 笑う彼女に対し込み上げてくるのは苛立ちだった。ユエは内心舌打ちする。彼女はわかっていないのだ。この試験はそんな可愛らしい競争ではない。血生臭いそれこそ戦争の世界なのだ。ユエの声は自然と彼女の能天気さを責めるような言い方になっていく。

「サラは何もわかってない……! この試験はそんな生易しいものじゃない……。血が流れ、傷つけ傷つけられ、騙し合い、互いを裏切ってもどうとも思わない連中ばかりが参加してるんだ。君は女性だから、他から見れば恰好の標的じゃないかっ!」

 サラの表情がみるみる険しくなってゆく。「ちょっと待ってよ、女性だから弱いっていうの、それはあなたの勝手な――」

「ああそうだね、君は魔法使いの女だから、だから大丈夫だとそう言いたいの? でも君自らが言ってたじゃないか、魔法使いの力は弱まりつつあるって――」

「そうよ」

 サラは否定しなかった。ただ当然のことを当然のように認める、そんな言い方。彼の言葉に対する不愉快ささえ感じられない。その目にも。彼に対する優しさのみが湛えられていた。ユエはたじろいだ。激昂されるか、大泣きされるかのどちらかだと思っていたからだ。ユエはサラを見誤っていたのだった。サラは、彼の言葉の奥に秘められた、彼自身も気づいていない感情を既に察していたのだ。

 サラは落ち着いた声で、首を傾げて尋ねた。

「では何故、あなたはそんな私を選んだの」

「っ……、それは――」

「それは?」

「それは君が、……とても一生懸命だったから」

 視線は自然と落ちて足もとに集中するユエ。その足は行き場を無くして地面を軽く蹴って、何ともいえない感情をやり過ごそうとしていた。言うなれば、照れと言わされたという恥とサラの動じない姿勢に対する戸惑い。そんな入り混じった感情を持て余しながらも、なんとか言葉を紡いだ。しかしその声は今にも消え入りそうなほど、小さくあった。

「……僕、一生懸命な人が好きなんだ。……その、応援したくなる。君のところに行く子が誰もいなかったから、じゃあ僕が代わりにって思った、それだけ。ほんとにそれだけ。正直僕は最優秀とかどうでもいいし、護衛だっていらない。親がうるさく言うから、仕方なくここにいるだけで、だから、サラとは別に主人とか臣下とか護衛とかそんなのになるつもりはないんだ」

 ごめん、と謝るユエ。サラは黙っていた。その沈黙に対し、ユエは聞き取れないほどの声で一言、「どうせすべて無意味だし」とだけひとりごちた。その呟きはさらには届かなかったが、彼女は疾うに心を決めていた。

 風が強く吹いた。帽子が飛ばされそうになってサラはそれに手をやる。ざわめく葉の音がする。サラはそれに消されないよう、声を張り上げて、至極何でもないことのように言った。

「じゃあ、応援していてよ」

「え……?」

 言葉を失うユエに、サラは言葉を重ねる。

「私の目的! ここで一等を取って、権力手に入れて、富を手に入れて、それを全部使いきってでも魔族を守ることよ。魔族は今社会的に弱者として扱われている。弱体化によって抵抗したくても力が無いから。何をしても怖くはない。――だから私が強者としてここで認められることで、魔族の立場を少しでも改善していき、魔族を保護する。そしてもう一つ。それは私個人の目的。……今なお現存する古代魔族の純血を継ぐ魔法使いたちを探し出して会いに行くこと。この為にも、金や力が要る。だから――、あなたはともかく私に協力してほしいの。応援したいと少しでも思ってくれたなら、どうか最後まで……。繰り返しになるけどあなたの安全は勿論保障するわ。絶対に。なんなら、私を護衛係兼世話係とでも考えてくれてもいいわ。何でも命令して。――だからだから、少し、私に付き合って」

 訪れる沈黙。そしてそれを破ろうと、何かを決意したユエが口を開いたその刹那、

「んぐっ――……!」

「動くなよ」

何者かに背後から襲われた。口を塞がれ、手足の自由を奪われたユエの首元には鈍く光る刃が突きつけられている。まさしく一瞬。ユエはそれを見て驚き、思わず後ずさろうとするがうまくいかない。

 状況を把握したサラは、すぐさま持っていた杖を敵に突き付けて、恐ろしい形相で睨みつけた。

「落第者が邪魔するとは、一体どういう了見? そんなに罰を受けたいみたいねェ。」

 底冷えした声色でただ一言命じる。「ユエを放しなさい」

 ユエを人質にする男がにたりと歪んだ笑みを浮かべる。

「ヤだね」

「今なら許してあげられるわ」

 そんなサラの言葉に、男は合図を送った。すると木の陰から何人かの大柄な男たちがぞろぞろと姿を現す。

「森の中に自ら入ってくれたからなァ、好都合だったぜ」

げたげたと下卑た笑い声が響く。サラたちは既に囲まれていた。が、しかしサラに微塵も変化が見えなかった。唯一あるとすれば、彼女の視線がみるみる冷えたものへと変わっていっていることだろうか。男たちは動かぬ彼女を恐ろしさのあまり「動けない」のだと思い込んだ。

 男の一人が話しかける。

「レイチェルちゃん、お前がオレらから奪った参加権、返してもらおうか。今なら許してやんよ」

にたつく笑みに嫌気がさす。サラは顔をしかめて吐き捨てる。「敗けは黙って認めるべきよ」

「そうはいかねェなァ」

 男たちは口々にざわつく。

「お前を動けない体にして不合格者としてこの大会の管理委員に引き渡す。その穴にオレが入ると。そういったわけだ」「ちょっと待てよそれはオレだろ」「まあそれは誰が先にこいつをヤるかで決めればいいだろ」「それもそうか」

「――うん、というわけだレイチェルちゃん。大人しくオレらに潰されてもらおうか、下手に抵抗すれば命は無い!」

 一対多数。尚且つユエを人質に取られ身動きできない状況。誰が見てもサラには勝ち目がなかった。――だからこそ、敵側には明白な油断が存在したし、自分たちの勝利を確信していた。

 各々の武器が一斉に少女一人に向かって振るわれる。

「二つ、言わせてもらうけど」

 サラはその場でしゃがみ込み、杖を握り直した。逃げるためではない。かといって避けるためでもない。

 息を軽く吸い込む。

 それを合図に片足で踏み込み、男たちの方へと飛び出していった。

 

ユエの耳に届いたのは、無数の空を切る音。見えたのは、円を描くように舞っている銀色の何か。目を細める。そしてそれが刃の形をしていることを知る。

(刀……?)

 ユエはさらに目を凝らす。サラは。サラは大丈夫なのか。上がる土埃のせいで目前の状況が把握できない。

(サラ――……!)

 土埃が少しずつ風に吹き飛ばされ、晴れてゆく。まずそこから見えたのは、鈍く光る刃だった。それから変わった形の柄。そしてそれを握る小さな手。その手が優美にも思える動作で舞っている。それに合わせて刀が、一本の紐のように靡いているように見える。刃が波打つ度に誰かの悲鳴が上がる。

「ひっ、ひぃっ!」

 土煙の中から、顔色が真っ青になった男が出てきた。両手両足を無茶苦茶に動かし、何ものかから逃れようと足掻いていた。ユエを捕らえている男がどうしたんだと叫んで問い質すが、すっかり恐怖に染まった男の返答は喘ぐ泣き声だけで全く要領を得ない。

「一つ。私はサラ=スチュアートっていうから、もうその名前で呼ばないでね。」

 風を切る音が、ユエの耳に届いた。そして同時にサラの声が響く。その声が辺りの音という音を消してゆくようだ。喘いでいた男がいつの間にか静かになっていた。ユエがそちらへ視線を移すと、男はパクパクと口を開閉し言葉にならない悲鳴を上げ続けていた。男の目はある一点から動かない。

「二つ。あなたたち、あんまり魔族を舐めない方がいいわ」

男の視線の先には光る刃が。

「後悔するわよ」

 音が戻ってくる。呻き声が、あちらこちらで響いている。その声を目で追いかける暇はない。

 ――次の瞬間には、ユエを拘束していた手が消えていた。支えを急になくしたユエの体が前のめりに倒れかけたその時、温かい何かに抱き留められた。ユエははっとして叫んだ。

「サラ!」

「はぁい」

 微笑むサラに、ユエは言いようのない安堵感に包まれる。

 そしてサラの背後にまた別の男が武器を振り上げているのが見えた。

襲いかかってくるのを、サラはわずかも振り向きもせず、刀を一振りして男の武器をなぎ払った。サラの杖はすっかり姿を変えていた。杖の持ち手から先が刀身になっていた。

「今時、杖振るって呪文詠唱して術が発動するまで待ってくれる敵なんていないでしょう」

 彼女は不敵に笑う。

「仕込み杖」

 笑う。

「今時の魔法使いなら、刀のひとつやふたつ、使いこなせないとね」

 そう思うでしょうと微笑みながら、サラはユエに一礼した。

「改めまして、サラ=スチュアート、魔法使い兼剣術使いです」


            ☆


「先入観よ」

 男たちを呪文で拘束しつつサラは言った。

「魔法使いといえば、杖と帽子とロングスカート、そして何より魔法。弱体化や私が女ということもあって、私を襲ってくるやつらは皆揃って油断に油断を重ねてやってくる。恰好の獲物、なんでしょう? よくはわからないが、弱くなっているという魔法を使う女の子。でも皆忘れてるのねェ、私が何年も続けてこの舞台に立っていることを。――ここに立つまでにもいろいろな試験があって私はそれをずっと合格し続けていたのよ? 登竜門と呼ばれる狭き門を。私が本試験に参加できなかったのは、ペアになってくれる子が一人もいなかったからに過ぎない。力を少しも出さずに落とされてきたのよ? やっと全力を出せるわ。……あっ! さっきのも全力なんて出してないわよ? かなり力加減してたのよ」

 一口でそう言い終えて、サラはユエに流し目で見つめた。そして悪戯っ子のように口元を緩めた。

「後悔しなくて済そうでしょう」

「そうだね」

 素直にうなずかれて、サラは自慢げに胸を張った。「そうでしょうよ」


 それから倒した男共を大会管理委員に引き渡して、目的地へと急いだ。

「男たちはどうなるの」

 ユエの問いにサラは素っ気なく答える。「然るべき罰を受けるでしょうよ」今はもう大会に集中したいようだった。

「興味ないの」

「ないわよ」

「――こんな会話前もしたなあ」

 くすりと笑みを零すユエを、サラはそっと一瞥する。その目は優しくはあったが、どこか不安要素を抱えたような色が浮かんでいた。それに気づかずユエはまた質問を重ねた。

「さっき先入観の話、してたよね」

「ええ」

「でさ、そんなに強いなら、どうして油断させるようなことをするの」

 それを聞いてサラは急に立ち止まった。そして深く項垂れた。ユエもまた立ち止まり、何かあったのかと覗き込んだ。その銀髪の頭をがしがしと撫で回してから、サラは叫んだ。

「勝つ可能性を少しでも上げるためよ! 自信があるからって力をみせびらかす莫迦はいないの、とっておきは取っておくもの、能ある鷹は爪を隠す! わかった?!」

「いたいよサラ……」

「お仕置きですよユエさま――。少しは自分で考える癖をつけなさって。いつだって答えが与えられるわけではないのだから」

「……うん」

 どこか淋しそうにするユエに、サラは仕方ないと息をついて、持っていた杖をユエの前でかざした。サラは彼を一瞥する。

「一見ただの杖」

「うん」

「これをね」

 親指で器用に、はまっていた赤い石を撫でるようにして回した。すると杖の先が木から鉄の刃に変わっていった。ユエは驚き、サラを見た。

「一応これも魔法の一種ね」

 それから、とサラは自分の長いスカートを軽く持ち上げた。ユエは咄嗟に目を逸らしたが、彼女に促されて視線を戻すと、スカートの下はズボンになっていた。

「動きやすくなってるの。ブーツもヒールは低いし、足をしっかり固定してくれてる。ピアスは通信機能なんかも持ってるし色々便利」

 わかった? とサラは苦笑した。少なくとも彼の気は済んだだろう。再び駆け出そうと足を上げたサラに、彼は容赦ない質問をぶつける。

「その帽子は?」

 立ち止まる。そしてユエの頬を両手で挟み、叫んだ。「これを取ったら魔女じゃなくなるでしょう!」

「そういうものなの?」

「そういうものなの」

 納得がいかないらしい不服そうなユエの表情を見て、サラはまたため息をついて、帽子を脱ぎ何やら呟き始めた。そして再び被り直す。

「あなたがそう言うから、オプションつけといたわよ」

「何?」

「秘密よ」

 目的地が見えたサラは速かった。ユエの手を取り駆け出した。質問の時間は終わりとでも言いたげに。ユエは変わらず不服そうだった。


            ☆


「遅かったね」

 小屋に入ると、青いエプロンをつけたひげ面の男がいた。金髪で若く、人の良さそうな笑みを浮かべている。サラは走った勢いのままに尋ねた。

「私たちは何をすればいいの?!」

「おお、元気だな。まあ椅子でも座って落ち着けよ」

 ユエは勧めに従い、乱れた呼吸を整えようとしたが、サラが叫んだ。「落ち着けないわ」

「いやいや……。お坊ちゃんはすごいお疲れの様子ですよ」

「とてもじゃないけど、落ち着けないのよ。遅れを取ってるのはわかってるの、制限時間は? もう優秀者が出たりした?!」

「出てませんって。少なくとも焦って戦うような大会じゃありませんよこれは」

 笑う男にサラは興奮をぶつける。「何それ」

「頼むから休んでくださいよ、これから説明しますから」

「……わかったわ。ユエ、座って。私はいいわ」

 ユエは脚の高い椅子に腰かけ、息をついた。大変そうだなと男に微笑まれ、サラに見つからないように頷く。

 小屋の中は小さな喫茶店のようであった。コーヒーの香りが充満していて、部屋の温度は高い。走ってきた二人にとっては暑いくらいであった。席はカウンター席とテーブル席があり、客は誰もいなかった。

それから、カウンターから男は二人にコーヒーを出し、飲むように勧めた。ユエは有難く受け取ったが、サラは拒否した。まあそう言わずにと男が笑うが、サラは首を振った。

「猫舌?」

 二人が声を合わせて尋ねるが、繰り返し首を振った。

「飲めないの」

「コーヒーを?」

「苦いのだめなの」

 心底嫌そうな顔をしてサラは白状した。いつの間にか意気投合した男二人は楽しそうに吹き出し、笑い出した。

 笑いがおさまったところでようやく説明がなされた。

「この大会では、開催期間を三週間としていて、とあるものを持って来られた者のみを判定対象とします。抜け駆けなし、三週間が終わってから結果が出されます。その時、この国の王と面会することになりますね。失礼のないように。――まあ、それまで動いていられたらの話ですが」

 乾いた笑い声を上げるサラ。苛立っているが、そこはさすがというところか、笑顔の仮面を張り付けている。

「とあるものって?」

男はしゃがんで何かを取り出し、カウンターの机に置いた。それは三つのもの。一つは、白く丸い粒。二つめは植木鉢、そして最後に大きな布。二人は顔を見合わせて、説明を促した。

「この白い粒があるだろう? これが今回のキーだ。こいつはどんな環境状態でも華を咲かせるという非常にレアな植物だ。そしてこれが咲かせる華はなんと決まっていない。誰がどの土でどの水で、どんな方法で育てるかによって、色が変わっていくんだ。まずはこれが華を咲かせられるように頑張ることだな」

「え……」

 絶句する二人の肩を男はポン、と叩いた。

「この植木鉢には持ち運び専用のバッグみたいなのがあるから、それに入れて持ち運べ。いいか、大事に扱えよ、これがないと合格できねぇからな。敵を減らしたいやつらは皆これを狙って攻撃するだろうから、死守しねぇとな」

「――ともかく華を咲かせたらいいのね」

ここでも、のみ込みが早かったのはサラだった。

「そうさ。咲かせたら、まあ王城を目指せばいいだろう。それからも色々やらなきゃならないことがあるが、ともかくはそこまでが目標だな」

「どうやったら華が咲くの?」

 身を乗り出し尋ねる彼女に男は不敵に笑って見せた。白い歯がやけに目立つ。「さあ知らない」

「はあ?!」

 男は笑う。

「条件はさまざま。種によって色々違うんだよ。だからわからない。予測不能。だからこの植物は【未知の植物】なんて呼ばれてる。売ったら即金持ちになれるが、どうする、やめとくか?」

「……何それ」

 ユエはとんと理解できない。まず、この大会で華を咲かせてどうするんだというところで手詰まり感を感じている。まったくもって無意味。だから参加なんてしたくなかったんだと独りごちる。

 サラはというと、ひとまず華のことは置いといて、布に目をやった。

「この布は?」

 しかしこの場合でも好ましい答えは得られなかった。

「それは王城に行けばわかる。行けなきゃ一生わからないままになっちまうが」

「何それ。ほんとどうなって――」

 言葉を失うサラはそっと布に触れた。瞬間。

「っ!」

 光が溢れた。あまりの眩しさに咄嗟に目を閉じる。が、サラだけはそこから目を離すことができなかった。そこには光る文字が浮かんでいた。

(魔法文字――……!)

 そして驚くべきことに、宛名が【サラ=スチュアート様】となっていたのだ。登録した時はサラ=スチュアートではなかった。サラはじっと食い入るようにその文字を追いかけ始めた。そして確信する。この大会の裏側に、魔法を使える誰かがいるのだ。そしてここまでの先読みに、魔法文字の使用。あちらはこちらの情報を握っている。それもかなりの量を。――サラは戦慄する。もしかするとその誰かは、サラを上回る実力者かもしれない。

 布には、一言『パートナーから目を離すな』とだけ書いてあった。

(パートナー? それってユエってこと?)

 サラは首を傾げる。その様子を、ユエが覗き込んだ。「どうしたの」

声をかけられ、正気に戻った彼女はぎこちなく視線を移す。

「文字が……」

「え?」

「あなたから目を離すなって書いてある――」

「僕?」

ユエが身を乗り出してサラの手を引きよく見ようと布に手を触れた途端、

「あっ!」

 まるで紙に火をつけ燃やしていくかのようにじわしわと、しかしあっという間に文字が消え去ってしまったのだった。サラは慌てて何かの呪文を口にするが後の祭で。そして結局ユエは見えず仕舞いだった。

「消えたね」

「……」

「サラ?」

 布から視線を外さない彼女は、彼の声も聞こえていない。頭の中で、何らかの要素が引っ掛かっていた。布からはごく微量だが、今も尚魔力を感じる。サラは顔を上げ、「ちょっと追いかけてみる」とだけ告げて飛び出していった。探知魔法で魔力の主を見つけようと考えたのだ。――。


 残された二人はひとまずサラの帰りを待つことにした。手持ちぶさたになったユエは再び辺りを見渡した。今度は、じっくりと。実際に立ち上がり、近づいたりして観察する。そしてユエは、テーブル席の奥にあるアンティーク調の本棚の前で立ち止まった。そこにはまばらに本が並べられていた。ユエは訊く。

「ここはシャルさんのお店なんだっけ」

男――シャルは答える。「そうさ」

「ふうん」

「本、読みたきゃ読んでもいいぞ」

「――ありがと」

 早速その中の一冊を取り出し、最初から最後まで一気にバラバラと捲った。そしてまた次のものへと手を伸ばし、繰り返した。シャルはすっかり目を丸くしている。「読む気あんのか……?」

 ユエは青い表紙の本を取った。例のように物凄い速さで見ていった。

 ――そこでふと紙の音が止んだ。

「ここに置いてある本は、植物に関するものが多いね」

「ああ、植物好きだからな。ちなみにこの種を王様に提案したのは俺」

「へえ」

「そこは凄いって俺を誉めるとこだろ」

ユエはしばし沈黙してから、話題を戻した。「所々に書き込みがしてあるけど、これシャルさんの字?」

「そうだよ。読めないだろ? 俺の母国語」

 彼の目つきが変わる。

「――ね、その母国語わかる人、いっぱいいる?」

「まず、いないな」彼は即答する。「俺くらいだろうな」

 それを聞き、ユエは安堵するような表情を浮かべた。それを見てシャルはひどく怪訝そうにした。

 構わず、ユエは彼女が飛び出していった扉の方を見やる。扉は開きっぱなし。話は筒抜けだろう。内緒話であっても、だ。

 それでもユエは知りたいことがあった。彼女は、知りたいことがあるならまず自分で努力しろと言った。その言葉に従い、ユエは行動する。


【――ねえ、レイチェル=カールースって魔族、知ってる?】


 彼が口にした言語は、彼が聞いたことのないはずの、シャルの母国語であった。


            ☆


【レイチェル=カールースって魔族知ってる?】

 この言葉にシャルは驚きをあらわにする。

「お前なんで……その言葉を」

【僕がわざわざこの言語を選んだ意味、よく考えて】

 ユエはちらりと扉の方を一瞥する。おっかなびっくりといった様子ではあるが、シャルはゆっくりと自身の故郷の言葉を唇にのせる。

【びっくりした、あんた何でまさか俺の国出身か? ……いや、まさかな】

【僕のことはどうでもいいんだ。聞きたいことは二つ。君はどこ出身の魔族か、と――】

 話の途中で遮られる。【魔族……?! あんた ちゃんと意味わかって言ってるのか――?】

 ユエは溜息をつきながら、渋々答えた。

【わかってるさ。魔族直々に教えてもらったんだから。……まあ、何でわかったかといえば僕にも特技があるって、それだけのこどなんだけどね。――さっきの魔法の、所謂残り香みたいなものを追ってみれば、君にぶち当たったんだよ。サラにはわからないように更なる魔法をかけてるみたいだけど、魔法は魔法。魔法を使った形跡は残る。それが僕にはわかる】

【――あんたまさか】

 絶句するシャルに、ユエは自分の問いに答えるよう催促する。

【それで! レイチェルはどんな人なの? それが知りたいんだけど】

 まだ驚きを隠せずにいるシャルだったが、ひとまず落ち着こうと深く深呼吸し、ユエを見据える。サラはまだ帰って来ない。

【――あんたが言う名は、あまり口にしない方が賢明だ】

【何故】

【誰がどこで聞いているかわからないからだ】

 ユエは眉をひそめる。【どういう意味】

【――まず、俺が魔族だからといって、どんな奴でも知っているというわけではない。魔族といっても色々ある。大まかに、青のヴィヌス、赤のサラマンド、緑のシルクの三つに分けられるんだ。俺はヴィヌス族だが、あんたが言うレイチェルがあの『レイチェル』であるなら、あいつはシルク族に当たる。つまり系統が違う魔族だってことだ。だから、詳しくは知らない。ほとんどが嘘か本当かわからない噂から仕入れた情報だ】

【前置きはいいよ】

 吐き捨てるように言うと、シャルは口調をやや荒くした。

【莫迦野郎、これから魔族と付き合っていくなら、ちゃんと知っておけ。――レイチェルは、シルク族の中で揉め、恐ろしい過ちを犯したと聞く】

【過ち?】

【――神殺しだ】

 響く言葉に、ユエは首を傾げる。

【三つの魔族には、神聖化した生き物を神に見立てて育てるんだ。シルク族は確か……鯨。勿論ただの鯨じゃない、魔法で限りなく神に近付けたものなんだからな。それを奴は殺したのさ】

【それは大変なことなの?】

【当たり前だろ。そのせいで奴は逃げ回る生活を送る破目に陥った。死ヲモッテ償エってやつさ。奴は名もかたれない。呪術さ。他にも追跡術とか色々と呪を抱えて生きてるんだろうな】

 遠くを見据えてから、ふと思い出したように言葉を繋げる。

【そういえばその一連の出来事を英雄化する動きがあってさ。なんでも、レイチェルがしたことはやむを得なかったことで、むしろ悪いのは神――俺らは神獣って呼んでるんだけど――を管理してる奴らだから、とかね。だから、レイチェルの名前を冠して尊敬の意を示したりする奴らもいるらしいな】

【へえ――】

 ユエは少し考えてから、尋ねた。

【これが最後。レイチェルって女? 男? どんな人なの?】

【それは全くの謎だ。管理側が必死に隠してるんだろうな。――ただ俺は縁あってシルク族の神獣をこの目で見たことがあってさ。でかいでかくないの話じゃない。まずあいつを殺せるのは並みな人間、魔族じゃねぇよ】

【……ありがと】

そう言って、ユエは椅子から飛び降り、サラを迎えに行った。


「だめだわ」

彼女の第一声はそれだった。

「この魔法は二重構造になっててね、魔法を組み立てた人と実際に魔法をかけた人がいるの。どちらもわからないわ……」

 落ち込む彼女につい、答えを教えようとした時。

「こら。親切にしてやったのに。それはあんまりだろ」

 シャルに背後から口止めされた。ただの戯れと思ったサラは力無く笑っている。

「じゃあユエ、そろそろ行きましょうか」

「うん」


            ☆


植木鉢は話し合いの結果、ユエが担ぐこととなった。最初はサラが担ぐと言い出したのだが、身軽さを生かした戦術をもつ彼女の持ち味をなくしたくないからと宥めることで決まった。

「どの土壌でも、どの水でも、――どの環境状況でも華が咲く、か。まずは華を咲かせないといけないね」

「早く咲くに越したことはことはないけど、わからないわよね……」

「うん……」

 と、考えあぐねていると、急にユエの足が止まった。

「何か変な感じがする」

「え」

 次の瞬間には辺りが真っ白に包まれていた。煙玉だ。遠くで呪文詠唱の声が聞こえた。

(――私以外に魔族が混じってる……!)

 咄嗟にサラはユエを近くに置こうとして、その手を何者かの手によって阻まれる。サラは叫んだ。

「ユエ、しゃがみなさい!」

 そしてすぐに短く呪文詠唱を終え、思い切り杖を振り回した。魔法によりみるみる巨大化した杖は、一息で辺りの煙を振り払う。

 視界がクリアになる。サラはその一瞬の隙に見えた人影に向かって跳んだ。そして思い切り叩き込む。鈍い悲鳴が次々に巻き起こる。途中、一気に煙が晴れたので、倒した中に術者がいたのだろう。サラはさらに目を光らせ、飛び回る。音はしない。姿が見えたと思った瞬間にはもう立ってはいられない。

(どうも皆、私たちが二人になるのを狙ってたみたいね――。まあ、女だし魔族アピールしてたし当然か)

 杖を振り上げ、遠くに見える敵を叩こうとした途端、消えかけていた煙の塊に視界を奪われる。

「ユエ!」

 敵の方向にはユエがいる。サラは迷わず走り出し、踏み込んだ。

 煙が完全に吹っ切れる。目前には一人の男。サラは跳ぶ勢いのまま、しゃがみ込んだユエの背中に手をつき、杖を相手の首もと目掛けて突き出した。相手は持っていた長身の銃で受けたが、サラは体ごとぶつかっていたので体重がプラスされ、さらに杖が巨大になっていたこともありそのまま押しきる形となった。

「いっ!」

「あなたで最後よ! 動かない方が賢明ね」

 首のすぐ側の地面に杖を突き刺し、相手の自由を奪う。黒髪に布を巻く少年だった。遠くで何者かが動いた気配がしたので、視線を外さず「動かないで!」と叫んだ。まずは彼から、とサラは杖のない方の腕を振り上げて――。

「あんたすげぇな!」

「は」

「ぴょんぴょんって! 鳥みたいに身軽だった! 加勢なんていらなかったな、はは」

 少年は、けたけたと声を上げて笑った。戸惑うサラに、少年は笑いかけた。

「おれはアーティ、そこで動かずにいるのはシーヤ。よろしく!」

「……え」

サラは絶句する。


            ☆


この世界を統治する大国・ギルアでは年に一度、国を挙げての大会が開かれる。成績優秀者から順番に成り上がっていくシステム。王候貴族の子息を護衛するという使命が与えられる代わりに、富と名誉が得られる。武器、魔法なんでもあり。ただし人殺しはルール違反。

これを聞いたアーティは、すぐさまギルアへと向かった。そして持ち前の銃の腕を生かし、一発で候補者となり、ペアを得て、この大会に参加していたのだった。

 彼は自信があった。それを支える実力もあった。候補者を選ぶ試験でも、彼は周りとの実力を見せつけた。五人一組を作り、その中で最後まで立っていた者が次へと進めるという試験。彼は一瞬で決着をつけた。 彼は自分が一番強く、一番早かったと思っていた。しかし。彼以外にも、疾うに終わっていた組があった。二つ。一つは、長身の男。もう一つは、

「うそだろ……」

女が、勝ち抜けた。しかもロングスカートという動きにくそうな恰好をした、魔法使いが、だ。

彼女は地面に座り込んで頬杖をついて、憂鬱そうな目で空を仰いでいた。――。

<帽子邪魔だろッ!>

アーティは心の中で叫んだ。

<あともっと喜べ! 莫迦やろう!>

――これが、彼女の第一印象となった。


 そして彼は、パートナーの少女・シーヤと指定された場所へ赴き、説明を受けた。

 さあ、これからが勝負だ、と扉を開けた瞬間待っていたのは、敵の襲撃。

 早速狙われていたのだ。

しかし、彼が故郷で極めた銃の腕は確かだ。簡単にはやられやしない。ましてやこんな卑怯なやり方など、彼が一番許せない方法だった。彼は怒りを抑えてきわめて冷静に、そして素早い動きで敵を倒していった。――が、途中、何を思ったか敵の男たちは標的を変えたのだ。

「見つけたぞ! こっちだ!」「早くしろ!」

それを聞いた彼は、激怒し、後を追った。正々堂々戦ってこそ筋だ。彼の信条がそうだった。だから、彼は襲われるはずの見知らぬ誰かの為に、加勢することに決めた。パートナーの制止する声を黙殺してまで。 アーティは服についた土を払ってから、サラに握手を求めた。


「俺、本当意味なかったなあ。お前が全部倒しちまうんだもんなあ。すげえよ。魔法使いすごいな」

「……はあ」


 その笑顔から悪意は感じ取れなくて、戸惑いつつも、サラは手を伸ばした。

それを和解の印、戦闘終了の合図と受け取ったお互いのパートナーたちは、焦った様子で駆け寄ってきた。シーヤと呼ばれた少女は、不安そうに彼を見上げている。ユエは彼女の顔を心配そうに覗きこんでいる。二人は笑って「大丈夫」と答えた。


「多分悪い人じゃないよ。私たちを助けようとしてくれてたみたい」


 彼女が言うと、ユエはアーティの前に出て、一礼した。アーティは照れたように頭を掻いた。自己紹介を始めるユエを、アーティの体に隠れて少女が窺う。フードを目深に被っていたからわからなかったが、そこから真っ白の髪が流れていた。サラはその糸のような美しさに心惹かれて、そろそろと近寄ってゆく。そして勢いよくしゃがみ込んだ。目線がぴったりと合う。何と、不安げに揺れる睫毛まで白かった。あまりの可憐さに、サラは見惚れてそこから動かない。


「真っ白だろ!」

 アーティが笑う。「あだ名はシロだ。そのままだが、俺がつけた」


 その名が呼ばれた途端、シーヤの顔がしかめられた。


「あんまり、気に入ってないみたいだけれど……」

「そうなんだ。すごく良いと思うんだが、何故だか嫌がるんだ」


 なーシロ、と頭を撫でた彼に、サラは羨ましそうな目を向けた。

シーヤはその手を払い、サラと見つめ合った。サラは自分に目を向けたことに感激しながら、自己紹介を始めた。


「初めましてシーヤちゃん! 私、サラっていうの。よろしく!」

「……え」

レイチェルさんじゃ……、と首を傾げる彼女に、サラは改名したのと微笑んだ。同時によく知ってるわねと言うと、女のひとだったからと微かな返答が返ってきた。

するとシーヤは、おどおどと視線をさ迷わせてから、サラの肩口の向こうにいるユエの姿を一瞥して、それからすぐに目を逸らした。

何かを勘違いしたサラは、落ち着かない様子の少女の耳元に唇を寄せて、

「ユエって言うの。好い子よとっても。――おすすめ!」と囁いた。

彼女の意図が全く伝わっていないシーヤは、ふる、と睫毛を震わせ瞬いた。その可愛さにたまらなくなったサラは、その白の妖精を思わず抱きしめた。ユエの視線が冷たい。

「何してるの」

「えっと、その、衝動ハグを……」

「こら。彼女も困ってるだろ」

ユエが二人を引きはがす。サラは泣き真似をする。

「強かになりましたねお坊っちゃん」

「お陰様で」

そこに皮肉の色は見えなかった。本心からそう思っているのだろう。サラはすっかり毒気が抜けてしまった。

冗談はさておき、と立ち上がって再びアーティと向き合う。

「何だかよくわからなかったけれど、私たちを助けようとしてくれたみたいなので、一応感謝を」

「別にいいよ! ――それよりもさあ、魔法の話聞かせてよ! なあなあお前どうやって杖とか巨大化にしたの? やっぱ魔法だよなあ! 是非見せてくれよ、俺、昔から魔法使いとか憧れててさあ……!」

質問攻めにするアーティに、サラは逃げるように言葉を発する。

「そうだ! ユエ、私たち急がなくては! 何てったって遅れを取っているんですもの! アーティさん、シーヤちゃん、名残惜しいですが、ご機嫌よう!」

立ち去ろうとした二人を、アーティが呼び止める。

「お前ら、いいのか?」

「何が?」

「敵から『種』奪っておかないでいいのか?」

「種?」

理解できないサラを置いて、何か心当たりがあるらしいユエは、弾かれたように気を失っている彼らに近づき、腕に触れた。そしてユエは一言呟く。

「ポエト」

と。サラは全く理解できなくて呆然としていると、彼の辺りが円を描くように白く光って、光の粒子が飛び散るように消えた。ユエは倒したすべての男たちに同じ行為を繰り返した。サラは隣にいるアーティに尋ねる。


「彼は何をしているの?」

「何って、相手を倒したっていう証明を」

「証明?」


怪訝にするサラに、問われた方も眉をひそめた。


「だからさ、大会の参加権が、この『種』もしくは種が成長した段階のもの、ということになるんだろう? ――えっとつまり、この大会に参加する為にはこの『種』を持っていなくちゃダメで、ライバルたちはこの『種』を狙って戦いを挑んでくるわけで、俺らはこれを死守しなくちゃいけないってことだろ?」

「……ええ、そうよ、種を守るのは知ってるんだけど――」

「君が知らないのは当然なんだサラ。だって教えてもらっていないんだもの」


仕事が終わったらしいユエが、歩み寄りながらそう言う。首を捻る二人に、ユエは説明してみせる。


「僕が案内人であるシャルから、たくさん聞いたんだ。この種の消し方を」

「消し方?」

「そう。倒した敵がまた復活して襲ってくるのは、ルール違反だろう? 永遠と鬼ごっこ状態になってしまうからね。だから参加権である種を奪う。方法はペアのどちらか一方の人間を気絶させ、その人の肌に触れて『ポエト』と言う。種が身近にあろうと無かろうと、この呪文は成立する。……これで彼らは失格になった。僕らは勝ち進んだ。そうやって競い合っていくんだよ」


その説明を聞きながら、サラは眉間に寄せた皺をそのままに尋ねる。では何故。

「何故私には説明がなかったの?」

「君はすぐに出て行ってしまったじゃないか」

「――それはそうだけれど」

サラの問いは当然だった。ならば、まだ説明が終わっていないと引き止めるはずだ。一応は大会を執行する立場にあるのだから。


ユエは魔族の話を聞いた。そして神を殺したとされるレイチェル=カールースの話も。けれどもこれらは彼女の口から聞いたものではない。確かに、サラに知りたがりのままではいけないと言われたからこそ、シャルに問い質したわけであったが、明らかに知りすぎてしまったとユエは感じていた。彼女が名を騙ったのか、本当にその伝説の人物であるのかは分からないけれども、もしもそれが万一に、本当に、彼女の過去であったならばやはり、耳にしてはいけないことだっただろう。だから、ユエは記憶に蓋をすることに決めた。このことはサラ自身から説明があるまで触れない。絶対に。

――シャルは彼にこの種のシステムを話してなどいない。彼が母国語や人に知られていない単語を口にしたりするので、気が動転したあまり、種についての説明の義務を忘れてしまったのだろう。しかし、ユエは店に置いてあった植物の本に一度目を通している。――彼は瞬間記憶能力の持ち主であった。だから、一息に捲った本であっても、全ページ完璧に記憶していた。よってそこに書かれたメモ書きを見て、この種の持つ力を知っていたのだった。サラは白い光を見て、ユエは白い種を見て、これが魔法でできた種だと理解する。間違っても普通の種にそこまでの反応は起こせない。アーティやシーヤはおそらく気づいていないだろうが、この大会は深く魔法と関わっている。サラは警戒する。油断しては、食われる。おそらくこの大会には魔族が多く潜んでいるのだろう。

(それならそうと、もっと堂々としていてほしいものだわ)

――だとしても、守るものはひとつだ。サラは何かを隠している様子のユエを見やりつつも、決意を改める。

「まあいいわ。じゃあユエ、行きましょう」

「う、うん」

見るからに安堵した様子のユエは、大人しくサラに着いて行こうとした。そこに、細々とした声が掛かる。

「待って」

シーヤだ。彼女は怯えるように前に進み出て、ユエを見据えた。

「もう種は埋めましたか」

「種? まだだよ」

二人の会話を、嬉しそうに見つめるサラに、ユエは少し怪訝そうにしてから言う。

「これから土を探しに行くところ」

「わたしも、なんです」

必死に紡がれる言葉に、ユエでなくサラが落ち着かなくなる。がんばれ、と小声で応援する彼女に、更なる懐疑心を抱きながら、ユエもまたシーヤの声に耳を傾ける。

「その、よかったら、一緒に――行きませんか」

「一緒に?」

「はい。この先に綺麗な泉があります。そこの近くの土壌はよくて、花もたくさん咲いているので、きっとこの種もよろこんでくれると思うので……」

「泉」

ユエは何故かその語に引力を感じた。彼はポケットの中から種を取り出した。そして指の中で転がしてみる。水のせせらぐ音が、聴こえた気がした。もしかすると種もその場を望んでいるのかもしれない。これはあくまで直感だけれど、土を選ぶならば栄養の多い、好い土壌の方が好ましい。折角の申し出であるし、何より悪い人ではなさそうなので、ユエは快諾した。サラは彼が尋ねる前から頷いていた。

「シーヤちゃんがんばれ!」

「? どういう……?」

「いいのよ、大丈夫よ隠さなくって! 私ちゃんと黙ってるわ」

そう微笑みかけて、二組のペアは泉へ向かい、歩いてゆく。

彼女らが進む道に多くの敵が潜んでいるというのは、格好の標的であるサラがいるという時点で、当然の結果である。

そしてまた。彼らが返り討ちにされるというのも、当然の結果というところであろうが。――。



一緒に行動しようという提案が受け入れられ、誰よりも喜んでいたのはシーヤではなく、アーティだった。

「なあ、なんか魔法使ってみてよ。いいだろ、俺ら仲間なんだからさあ! 頼むって!」

「――ちょっとつっこみ所満載すぎて困るんだけど……。あのねぇ、私たちはあくまで泉の近くまで一緒で、仲間になった憶えは無いの。それに魔法を誰かに見せて楽しませる為に使うわけないでしょう。能ある鷹は爪を隠す。これ私の持論」

「じゃあなんで魔法使いって一目見てわかるような恰好してるのさ」

 時間が止まる。ユエはアーティを見て、心中手を合わせた。――それは彼女の逆鱗だ。案の定、サラの激昂が飛んでくることとなる。

「私は魔族のためにこの大会に出たのよ。それなのにどうして私が隠さなきゃいけないの? 隠したらそりゃあ、私には好都合よ。私を狙う人たちから見たらただの女ですもの。さらなる油断でやって来てくれるでしょうねェ……。でもそれだと私は一体何のために戦ってるのって話になるの! 魔族が優勝したっていうのが必要なの。それで少しは魔族の存在が認められるはず。そのための戦いなのわかった!?」

「お、おお」

 呆気に取られたアーティは、しばらくは黙って歩いていた。けれどもまた復活したかのように、陽気な声を響かせて彼女に質問をぶつける。うんざりした彼女は、始終落ち着いた様子の二人に助け船を求める。

「アーティ、うるさい」

 シーヤは簡潔に注意した。フードから覗く瞳にわずかな苛立ちが見えた。

「サラさん困ってる」

「だってさ。仲間なんだから別に手の内隠す必要なくないか?」

「……だとしても」

 わかった、とアーティが急に大声を出し、サラと向き合った。わずかに構える彼女に、にっと白い歯を出して笑ってみせた。

「俺から話せばいいんだ」

 そう言って背負っていた長身銃を彼女の前に示した。それから、遠くに生えた樹の実を狙って一発、撃ち込んでみせた。実は標的になったもの一つだけが落ち、木の葉一枚も揺れることはなかった。彼はそれを走って拾いに行き、再び戻ってきて彼女に見せた。

 その木の実は綺麗に真ん中を射抜かれて、虚空が広がっていた。サラは問う。

「弾は?」

「ないよ。空気砲。俺の村独自の技術で空気を圧縮してるから、かなり強いし、弾切れの心配もしなくていいからかなり便利。どう?」

 サラは少し首を傾げて、口元をあげて笑みを作る。「素敵、といったところかしら」

「やった褒めてもらった。これでじっちゃんも浮かばれる」

「え、亡くなったの?」

「いや生きてるけど。ボロの小屋で銃を作って売ってるんだ」

「へえ」

 じゃあ今度はサラの番、と目を爛々と輝かせてサラを見た。私も訊いちゃったし仕方ないか、とサラは諦めて、杖を出す。ユエは驚いてそこに刀身が眠っていることを教えてしまうのかと焦ったが、それにしてはサラの笑みが若干薄暗い。そしてその観察は正しかった。サラは彼に剣術使いであることを教えるわけではなかった。

「よく見てなさい」

 杖の真ん中を両手で握り、彼の目の前に突き付ける。そして何やら早口で呪文を詠唱した。アーティは興奮のあまり体を震わせている。それを一瞥してから、サラは微笑んだ。

「伸びろ、杖!」

 掛け声とともに、両手で杖を思い切り引っ張った。すると、木でできているはずの杖がゴムのように伸び、しなった。それから、宝石のついていない方を空に投げ上げ、再び呪文を唱えた。杖の端は空に消えた。しばし待ってから、サラが杖を思い切り引っ張ると、恐ろしいスピードで杖が戻ってきた。それが何か動くものを捕えている。鳥だった。空を飛んでいたそれを、縄のように体に巻きついて、自由を奪っていたのだった。サラは魔法を解いて鳥を解放した。

「ちょっと張り切りすぎて、可哀想なことしちゃった」

そうしてアーティに挑むように向かい合う。

「これで気は済んだ?」

「す、すげえ、その杖って如意棒みたいに伸びるんだな……」

「ええ」

 微塵も偽りを感じさせないように堂々と嘘をつくサラに、ユエは思わず感動に似た感情を抱いた。そんな彼のことを、シーヤが見ているのも気づかずに。



 さらに先へと進んでいくと、やはりというか、敵と遭遇した。

「ごめんなさいねェ、私、格好の獲物らしくって」

 サラが敵に皮肉を込めてアーティに言うと、彼もまた人の悪そうな笑みを浮かべた。

「莫迦だよなあ。サラの腕を知らずに来るんだもんなあ。ムダに死ぬってこういうこと?」

「いいえ。何事にもムダは存在しないわ。彼らにはここで与えられるものがある。――それは」

 サラはユエに少し離れているよう指示し、アーティはシーヤと一度だけ目を合わせて、お互いに距離をとった。

「それは?」

「――教訓よ」

 油断大敵。敵を侮ること勿かれ。女は弱いという固定観念の罠。そこに気づく初めの第一歩。それを私自らが教えてあげるんだから、とっても親切じゃない?

「確かに」

 二人は一呼吸を共にした。辺りを取り囲む敵、敵、てき。一拍後には、彼女らの姿は見えなかった。数秒後、訪れる悲鳴の嵐。明らかな力の差。愕然とする敵は逃げ惑い、或いはがむしゃらに向かってくる。が、逃げる者は追われ、武器を振るう者は返り討ちにされた。圧倒。ユエはしゃがみ込んで、気配を消しながら二人の姿を見守っていた。

二人に勝ち目がないと知った敵は、こぞってユエを狙ってきたが、すぐにサラが敵の背後に立ち気絶させていったので全く心配がなかった。ユエはむしろ相手の方に同情に近い感情を覚えていた。ここまで無惨にやられては、立ち直ることも難しいだろう。サラが杖を時に巨大に、時に鞭のようにしなららせて変形させ、敵を打ちのめしてゆく。そして大雑把に薙ぎ倒すサラを支援するように、アーティが一人ひとり確実に敵の数を減らしてゆく。狙いは正確で、ブレが存在しない。サラの背後をアーティの見えない弾が、アーティの側をサラの変幻自在の杖が、お互いがお互いを助け合うような戦闘に、ユエは思わず感嘆の息を漏らす。本当に初めて共闘したのだろうかこの二人は。

すると、何かがユエの袖を引っ張った。嫌悪感を隠せず、苛立ちのままにそこへ視線を向けると、シーヤが真っ直ぐこちらを見ていた。


「シーヤ! どこ行ってたんだ?」

「……呪文」

「え?」

「早く。気絶してる今のうちに種を奪っておかなくちゃ」


そう言って彼の腕を取って、這うように進んでいく。気絶した敵にシーヤは手早く呪文を唱えていく。なるほど、彼女はアーティに戦闘を任せる代わりに、倒した敵の始末を任されていたのか。ユエも手伝おうと手をかざし、呪文を口にしようとして、

「その人はもうやった」

と出端をくじかれた。「そこの隣の人、お願い」

「あ、うん」


言われた通りに動くと、シーヤがはっとしたように目を丸くして、彼にぎゅっと近寄ってきた。不思議に思いそちらを見やると、彼女は怯えと焦りとを混ぜこぜにした瞳で、何度も頭を下げた。

「すみません、すみません、無礼を……お許しください!」

「え? 何が……?」

「偉そうに命令だなんて……本当に……わたし、ごめんなさい!」

「え、別にいいよ、どうしたの?」

どうも様子がおかしい。ユエがそっと肩に触れようとすると、「だいじょうぶです!」と、拒まれた。

 しばらくして、

「どうした? シロ?」

 というアーティの声が聴こえた。びく、と体を震わせて視線を上げた。そこには不思議そうにするアーティとサラの姿が。もうすべて倒しきったらしい。

「なにもないっ」

 シーヤは立ち上がり、彼の側に立って腕を掴んだ。アーティは頭が追い付かず、ユエの方に尋ねるが、ユエも首を振った。その縋るように服を掴む手が震えていて、ユエは申し訳ない気持ちになる。

サラがアーティを責めるような目で見た。

「アーティ、貴方が彼女を一人にしたからじゃないの。怖かったのよきっと」

 声も刺々しい。アーティは慌てて否定する。

「いや、これがいつもの手筈でさ。俺が戦って、シロが種を回収する。こいつ、すごい動きが素早いから、ちゃんと自分の安全を確保できるんだ。……だよな、シロ?」

 頷き、ぎこちなく笑うシーヤを見て、ようやくサラは怒りを静めてユエに微笑みかけた。

「ユエは大丈夫?」

「うん……」

 手を貸してもらって立ち上がり、四人はまた泉に向かって歩いてゆく。

「ねえサラ」

「なあに」

 シーヤとアーティとの距離をあけて、問いかける。分からないことは自分で考えろと言われたが、さすがに女心までは女性に訊かないとわからない。大目に見てもらおう。

「女の子が謝る時ってどんな時?」

「え! ユエ、貴方シーヤちゃん謝らせたの!?」

「ちょっと待って察しが好すぎるよ!」

「女の子って私かシーヤちゃんしかいないでしょう! どうして?」

 詰め寄られて、つい答えてしまった。

「命令してごめんなさいって……」

「命令?」

「う、うん」

 サラはシーヤの後姿に視線を送る。命令。あんな可憐な子から出てくる言葉、か?

「僕、彼女に嫌なことしてない、よね?」

「ええ、たぶん……」

「言葉を間違えたのかな? なんだか焦ってたみたいだったし」

「そうね、きっと」


一方で、アーティとシーヤは特に会話を交わすこともなかった。二人は並んで遠くを見つめていた。

「シーヤはシロだし、俺は黒髪だからさ、白黒コンビってどう?」

「却下」

これが彼らが喋った唯一の会話だった。



ようやく四人は目的地の泉に辿り着くことができた。泉は太陽の光をめいっぱい受けて、辺りに反射してていた。小さな泉を取り囲むように樹や花々があり、幻想的で、美しかった。確かにここの土ならば、種もきっと喜ぶだろうとユエは思い、早速、植木鉢に土を入れ始めた。

「何か掘るものがあるといいわね」

そう言って呪文を口にしながら地面を杖で突いた。すると、杖に触れた場所が生き物のようにうごめき出し、何かの形を作り始めた。やがてそれはスコップの形になり、サラはそれを拾い上げて爪で弾いてみせた。土がしっかり固まっている。スコップは二つ出てきて、その内の一つをシーヤに手渡した。

「ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

少し尋ねてみようかと思ったがやめた。


シーヤは転びそうになりながらもアーティのもとへと駆け、受け取ったスコップで掘り出した。しかしうまくいかず、結局アーティが掘りおこした土を鉢に入れるという分担作業に変わった。


サラは黙々と掘り続けるユエに近寄り、膝を折って彼を手伝おうとした。が、彼は持っていた種を手にしたまま動かないでいる。


「どうしたの?」

問うと、彼は首を振ってなんでもないと答えた。サラはそう、とだけ返した。


――最近、相談してくれなくなったなあ。質問攻めされるよりはよっぽどマシだけれど。……。

(思春期かな)

 サラはひとり合点して、土を鉢に入れた。泉が、きらきらと輝いていた。



【私の声が聴こえますか】

ユエの耳に届いたのは、女性の声だった。快い、川音のように美しく流れる声。それが白い種の中から聴こえてくる。周りの人間はその声に気づいた様子がない。ユエだけに聴こえるのだ。彼は驚愕した。こんなことは初めてだったからだ。

 ユエには、瞬時にものを記憶する能力の他に、もうひとつ、『言葉を聴く』能力があった。たとえば、動物や植物などの鳴き声は、人間からするとただの音でしかないが、ユエにはそれが人間の話す言葉のように聴こえるのだった。そしてユエもまた、彼らが使う言語を扱えるのだ。しかし、そのためには、注意深く彼らの言葉に耳を貸さなければならず、かなりの集中力が必要となってくる。それでもこの能力は非常に優れていた。何故ならば、人間の作り出した『もの』に対しても使うことができるからだ。人間の書いた文字、絵、建物であっても、それは例外ではない。ただ得手不得手がある。ユエは書物が好きだったので、動植物や建築物よりも文字の語りかける声の方が聴きとりやすい。ちなみにシャルの母国語を話せるようになったのもこの能力を用いたからだった。

 つまるところ、ユエが集中して種の声を聴いたわけでもないのに、こうして話し掛けられたということが何より彼を驚かせたのだった。

【返事はしないでいて。私、今すごく危ない橋を渡ってるから。――時間もないわね。――簡潔に言うわ、あなたは、彼女から離れてはいけないわ。絶対に。この大会はただの国を挙げてのお祭りなんかじゃない。あなたと彼女は危険に晒されている。特に、あなたは。――ああまだ伝えたいことがあるのに――。仕方ないわ、あなたがすべきことは二つ。彼女から離れないことと、早くこの華を育てることよ……。また会いにくるわ】

 そうして一方的に話が切られた。ユエは呆然とする。――彼女、とはおそらくサラのことだろう。自分はサラと離れることに対して、どうしてこうも強く忠告されるのだろうか。それに、だ。

(離れるつもりなんて、――少しもないのに)

「サラ」

「なあに」

 ユエが呼ぶと、サラはにこにこと微笑んだ。

「僕から離れないでいて」

「ええ」

 サラは聡い。ユエのえも言われぬ不安を機敏に感じ取って、その笑みでもってして安心感に変えてしまう。ユエは常に不安だった。恐れていた。近づきつつある陰に。今もまだ、怯えている。――けれどもそれが小さくなりつつあるのは、サラという存在のお蔭であった。そのことに、ユエも少しずつではあるがようやく気付くことができた。

「サラ」

「はあい」

 ユエは言う。

「好きだ」

「わお」

 あまりの急な告白に、咄嗟にふざけたサラに、ユエは慌てて誤解を解こうと口を開く。

「いやそういう意味じゃなくて、あくまでその、パートナーとして」

「将来のパートナーですか坊っちゃん!」

「大会のパートナーだよサラ、君はちょっとふざけすぎだ」

「坊っちゃんもちょっと思いつきで発言しすぎですよ。シーヤちゃんが聞いてたらどうするの!」

「なんでシーヤが出てくるんだ……?」

 これだからお子ちゃまは、とサラは大袈裟に息をつく。ムッとして相手にするのを止めて土を掘る作業に戻る。サラも自分の仕事をする。白と黒の二人はもうすぐ終わりそうだった。駆け足で鉢に土を入れる。

「魔法は使わないの?」

「こういうのは、手作業の方がいいでしょうよ」

 アーティが、彼女たちとはやや離れたところから手を振る。種を今から植えるという合図らしい。これにはユエが応えて手を振り返し、同時に種を植えた。「なんで同時?」「なんとなく」

 植えてから、せっかく水が近くにあるのだからと泉の水を注いでやると、すぐに芽が出てきた。真っ白な芽は、二枚の子葉を平行に広げた。太陽の光を浴びようと両手を伸ばしたようでもあった。

 ユエは吃驚して声を上げて、サラはやはりと目を細めた。魔法だ。大会の開催期間内に華が咲くように手が加えられている。

 ユエが恐る恐るそれに触れようと手をかざすと、植木鉢がまるで風船が萎むように小さくなっていき、手のひらサイズにまで縮んでしまった。どうやらアーティらも小さくなったらしく大声で騒いでいる。

「サイズは変わっても、芽は大丈夫みたいだね。持ち運びやすく、ってことかな」

「でしょうね」

「じゃあズボンにでも引っ掛けておくよ」

「くれぐれも、潰したりしちゃ駄目よ」

「わかってるよ」

 ふと、ユエはサラを見つめる。

「サラも、これを小さくすることが出来るんじゃないの?」

「ええ、出来るけど、芽に何らかの影響が出るかと思って……」

「そっか」

 小さくなった鉢をもって、こちらへ駆け寄る二人に、サラは手を振った。どうやら魔法使い直々に起こった現象を説明してもらおうと思ったらしい。サラは独りごちる。

「これからどうしよう。華を咲かせるために世話すればいいってことよね? ゆっくりする?」

「とにかく一旦森を抜けるのはどう? ここだと何処から狙われるか分かりにくいから……」

「何処行っても変わらないと思いますよ、ユエ様?」

「――……そうだね」

「まあ、……気分転換程度に場所を変えてみますか。ね?」

「うん。そうしよう」



 アーティらも彼女らの意見に賛成し、森を抜けるまで一緒に行動することとなった。

「いい? あくまで私たちライバルよ? わかってるわよね」

「わかったわかった」

 そんなことより、とアーティはまたも質問を口にする。ユエとしても尋ねたくてうずうずしていたので、彼の存在はとても助かった。サラは妙に自分を隠したがるのだ。特に、魔族絡みになると異常に。

「魔法使いはさ、どうやって魔法覚えるんだ?」

 しかし、質問をぶつけられ続けた結果であろうか、彼女は意外にもすんなりと答えた。

「教えてもらうのよ」

「どんな風に?」

「……まあ、家で、親がお師匠さんみたいに魔法を教える――みたいな感じかしら」

「どうやって?」

 矢継ぎ早な問に、サラはうんざりだと項垂れる。

「――……ほとんどは本を読ませて、呪文とかを覚えてさせられたわね。たまに実習を挟んだりして、魔法使いとして経験を――」

 ユエが、間に入って尋ねた。

「優秀だった?」

「……あ、えと」

 サラは答えにくそうに言葉を探す。

「私はあまり勉強は――というか戦いに使えそうのない魔法はあんまり興味無かったといいますか、細かい呪文を重ねて作り上げてく魔法は苦手といいますか、あんまり呪文覚えてなかったといいますか……」

「だめじゃん!」

 ユエから厳しいお叱りを受ける。

「うぐ、はい。すみません」

 それを見て、アーティがけらけらと笑うので、女性二人がそれを制した。が、あまり効果はない。

「すげえなあ。魔法使いはやっぱり。じっちゃんの話してくれた通りだ!」

 今度は自分の番だとサラは目を眇める。

「じっちゃん、って時々出てくるけれど、どんな方?」

「物知りなじいさんだよ。妖怪と人間が有難い経典を授かりに行く話とか、一人の男が雅やかな女たちと遊びまくる話とか、……あと、魔法使いの話とかよくしてくれたんだ」

「へえ。どんな?」

 サラの目がすっと細くなる。それに気付くことなく、アーティは爛々と光る目でもってして、話し始める。

「この世界は大いなる魔法使い――その中でも最も優秀な三人の魔法使いが作り上げたものなんだって。風と水と火をそれぞれ司る、神様みたいなものだって、じっちゃんは言ってた。今ではもうなかなか見つからないけれど、昔はこの土地は魔法使いで占められていたんだって。だからこの世界は、魔法で発展した世界なんだって。すごくないか? 魔法で世界創っちゃったわけだろ? それで魔法で家とか建てたり、食物作ったり、遊んだり、戦ったり、すげえよ」

「お褒め頂き光栄ですわ」

「……? なんで怒ってるんだ?」

「昔話と現実の差に愕然としてるのよ」

現在、魔族は原因のわからない魔力低下という病のようなものに蝕まれている。それは突然起こり、魔法を使う上で必要不可欠な魔力が年々消えていく。じわじわと。自分が魔族でなくなっていくのが、感覚でわかる恐ろしさ。魔力がなくなったからと言っても死ぬわけではないが、身体がすっかり弱ってしまい、寝床から起き上がることもできなくなってしまうのだ。

 そんな恐ろしい状況が魔族たちを襲っているというのに、魔族以外の、つまりはただの人間たちは何をしただろうか。――残念ながら救いの手が差し伸べられることはなかった。代わりに手のひらを翻すように、魔族の権利を剥奪し始めたのだった。一部では魔族狩りという血生臭い行為も行われていたようだ。

 けれども、人間たちの気持ちも分からないではなかった。人間たちは畏怖していたのだ。魔法という、自分たちに持ち合わせていない能力をもつ魔族らを。一部の魔族が多くの人間を支配下に置くために、その未知なる力を使用したのだ。サラは実際にそれを目にした魔族だ。だから、人間たちを目の敵にしたりはしない。ただこの状況を打開するために動くのだ。

「――昔みたいに、仲良くなれるといいね」

 気づけばシーヤが、サラの近くに立っていた。サラのらしくなく厳しい雰囲気を感じ取って、たまらず彼女の方へと近寄ったのだった。シーヤは彼女を見上げて柔らかに笑ってみせた。サラは何だか救われるような気持ちになり、しゃがんで彼女と目線を合わせ、「ありがとう」と笑い返した。

「わたしたち、ライバル……だけど、敵同士になるのだけはやめようね。わたし、サラさんと戦いたくない」

「わ、私もよ!」

「一緒にがんばる仲間、ライバルだけど困ったときは助け合える仲間に、わたし、なりたい……です」

 仲間。サラがやわらかにではあったが拒み続けた関係だ。

「仲間はね、あまり作りたくないの」

 サラは正直に、シーヤの瞳を見て心中を吐露した。

「仲間って、大事な人たちって、ことでしょう? 大事な人が増えるとね、私、動けなくなるのよ」

「……どうして?」

「大事にしたくなるからよ。離れがたくなるの。私はやらなきゃならないことがあるのに、そこから動くことができなくなるのよ」

 サラはぎゅっとシーヤを抱き寄せた。

「私は魔族の為に、命を賭けているから」

 シーヤはぽつりと零した。

「……じゃあ、わたしたち仲間にはなれないの?」

「仲間と、いうことはできないけれど……、そうね、お互いに戦わない。それを約束しましょう。どうかそれで今は許して――」

 シーヤは小さな手を彼女の背中に回した。そしてすがるように、力を込めた。  

彼女の決意は、ここまでに堅く、強いのだ。――。



 泉は森の奥深くに位置していたので、森を抜けるとなるとかなりの距離を歩かなければいけなかった。

「瞬間移動とかできないの?」

 アーティの問いにサラはもう慣れっこになって、嫌々ながらも答えていた。

「莫迦ね。そんな魔法、弱体化した私たちとは無縁のものよ。魔力が足りなくなって――」

「足りなくなって?」

 三人が息を呑んでこちらを見つめるのが可笑しくて、サラは笑った。皆、結局は魔族というものに興味津々なのだ。

「まあそんなこと絶対やらないわよ。魔族は予め、自分の魔力の残量を正確に把握できるよう訓練されるの。だから間違っても魔力が無い状態で魔法を使うことはないわ」

「魔力は回復するの?」

 これはシーヤの問いだ。サラは幾分やわらかな声色で答える。

「ええ。眠ったり、美味しいもの食べたりしたらね」

 そうして、わき上がる質問もひとまずは無くなったのか、しばらくは森の中を沈黙のまま進んでいった。緑の繁る道をかき分けるように進んでいくと、ユエは妙な違和感を感じた。何だか同じ場所をぐるぐる回っているような気がするのだ。慌ててサラに駆け寄ると、彼女はじっと目前を見据えて視線を逸らさない。

「サラ……」

「ねえ、アーティとシーヤちゃんは」

 言われて初めて後ろを振り返ると、先程まで一緒だったはずの二人の姿が消えていた。ユエの戸惑う声に、サラはやっぱりと心中で舌打ちする。

「幻覚ね。いつからだったんだろう」

 サラは口端を歪めて、誰かを睨み付ける。腰を屈め、ユエを庇うように立つ。

「嵌められた」



「アーティ! どうしよう、二人がいないっ」

「……ちっ、バラバラにする作戦か」

 アーティは銃を構えて静かに向き合う。

「どうも魔法関係みたいだな。是非ともサラ直々に教えてもらいたいもんだ。――と、いうわけだシーヤ、あいつらを探しに行って来てくれ。ここは俺に任せてな」

 それを合図にシーヤは駆け出した。

 ――広い森の中で、二つの戦闘が、開始する。



樹の陰から姿を現したのは、二人。片方がユエの、片方がサラの知る人物であった。

 長い茶色の巻き毛に、吊り目な赤の瞳、フリルでふくれた黒と白を基調としたドレス。無表情の仮面から、隠しきれていない怒りの感情が漏れ出ている、少女。ユエは瞠目する。

 少女の隣に立つ、青の髪をひとつに束ねた、背丈の高い男。長身の刀を肩にのせて、こちらを静かに見つめている。そこに感情の揺れは窺えない。サラは、黙ったまま睨み付ける。威嚇。牽制。様々な意味の混じった視線が、真っ直ぐに交わっている。

「そちらの、女性の方」

 底冷えした少女の声が、辺りに満ちる。ユエは思わず体を強張らせたが、サラは全く動じずに、わずかに視線を少女に移す。あくまで意識は目前の男に向けたままで。

「何でしょうか、お嬢様?」

「――あなた、大人しく引き下がって頂けません?」

 サラは眉をひそめる。「仰っている意味がわかりかねます」

「――ですから。そこのパートナーを置いて、即刻立ち去りなさいと、そういうことですわ!」

 音は無かった。サラはユエを抱えて地面を蹴り、右に避けた。ユエの視線は下に向いていたので、たった今ユエが居た場所が地割れでも起こったかのようにひび割れ、抉れているのを見て、戦慄する。もしサラがいなかったらどうなっていたのか、考えるまでもなかった。そしてそれが、先程まで少女の隣に立っていたはずの男が一瞬で間を詰めて行ったことなのだと知り、怯えの色を目に映す。――が、相手は待ってなどくれない。次なる襲撃がやってくる。サラは素早く動き、その攻撃を避けるが片腕が使えず、さらにユエを抱えて動いているため、得意の戦術を用いることができないのだった。

 このままではやられてしまうと思ったサラは、何度も地面を蹴って相手との距離を取り、向かい合う。サラは開口する。

「何故ユエを狙うの?」

 そう。そこが一番不可解であった。今までの敵はサラを狙って襲撃していたはずだ。なのに少女らは明確な目的はユエだと言う。

(明らかに今までの敵とは違う)

 サラは構える。少女はサラの問いに心底つまらないとでも言いたげに、返答を投げた。

「何故って別にあなたに教える筋合いありませんから。――スピネル!」

 スピネルと呼ばれた男が、彼女たちに向かってくる。サラは舌打ちし、短く詠唱した。彼女の杖から射抜くように風が噴出した。スピネルは剣を盾にして足を踏み込むが、じりじりと後ろへと追いやられる。サラは無駄な魔力を使いたくなくて、それなりに距離が開くと、すぐに魔法を解いた。

「話をしましょう」

 サラは言う。

「あなた方は、私の知る敵とは、違う。ただユエ一人を狙っている。それは、どうして?」

 少女は、嘲笑する。

「何故? 何故って貴女、知らないの? その隣に立つ男が何者かを」

「……ユエが?」

 ふと隣にいるユエを一瞥する。彼は黙ったまま俯いている。その姿は全てを諦めてしまったかのように見えた。それほどまでに、彼の纏う空気は重く、冷たかった。

 少女は言い放った。


「そいつは、大国ギルアを統べる王の第一子息よ!」



 アーティは銃を構えたまま、敵と対峙する。彼の前には、筋肉隆々の巨漢とその隣ににやにやと笑う少年が立っていた。

「シーヤちゃんっていうんだ。可愛いね」

 少年はサラたちを探しに行ったシーヤを追いかけようとした。その足元の地面を、弾なき弾が抉る。


「残念だけど、二人とも俺が相手するんで。よろしく頼む」

「ふうん。ガンバるね」

「頑張り屋さんなんだ」

 少年は巨体な男に指示して、二人がかりでアーティに襲いかかる。彼はまず、巨漢の方を狙った。それを見て、少年はにやにやと笑う。

「残念。狙う順番逆だわ」

 少年は歌うように呪文を詠唱した。それに呼応するように、アーティの足元の地面が蟻地獄のように吸われてゆく。急なことに反応できなかった彼は、そのまま両足をとられて自由を奪われる。必死にもがいて抜け出そうとするが、それよりも早く巨体の男が迫り、アーティを思い切り殴り飛ばした。それにより彼の体は吹っ飛ばされて、周りの木々に叩き付けられた。そのあまりの衝撃に耐えられなかったのか、少年がかけた魔法は解けてしまった。

「おい何してるんだよ」

「いやあ、すみませんねえ、お坊ちゃん」

「お前もっとちゃんとしねぇと、金払わねーぞ」

「はあ、次からはしっかり役目を果たしますんで」

「頼むぞ」

 二人の男がアーティの方へと近づいてくる。巨体の男はバキバキと指を鳴らして、人の悪そうな笑みを浮かべている。少年は勝ちを信じ切ったのか、優越感に浸ってアーティを見下した。アーティは静かに銃を持つ手に力を込めた。それを見た少年は、歪んだ笑顔を浮かべたまま魔法を使った。すると、少年の足元の土が刃の如く尖り、アーティの腕ごと狙って、銃を粉々に壊した。それにより、またもや彼の体が軽く吹き飛ばされる。

 少年は心底愉快そうに高笑いして、尋ねる。

「御気分は如何ですか? 騎士さん。もう全部諦めて、逃げちゃったらどう?」

 アーティは静かに血の混じった唾液を吐き捨てた。樹にぶつかった瞬間に口の中を切ったのだろう。そして黙したまま、ゆっくりと立ち上がる。アーティの顔は前髪で隠れて、表情が窺えない。少年は同情するような言葉を吐いたが、その顔には嘲りの色しかなかった。

「もうやめときなよ。頑張たって無駄だよ。力の差が歴然なんだから。ま、仕方ないよね。だっておにいさんはさ、本当はここに居ちゃいけない人なんだから」

「――どういう意味だよ」

アーティの乱れた髪の向こうから、相手を射殺すように開かれた瞳に、少年は思わずひるむが、自分の覆しえない絶対的な立場を思い出し、堂々と前に出て答える。

「この大会はね。魔族同士の頂上決戦みたいなものなんだよ。確かに一般の人間たちも参加している。数も彼ら人間の方が多い。――けれども、彼らは僕ら魔族により早々に消されている。何故かわかる? 邪魔だからさ。今回の大会は魔族の為だけに開かれたもので、人間はお呼びでないんだ。僕も僕のパートナーも魔族。僕らどちらも実は王侯貴族なんて立派なもんじゃないんだよねー。秘密だけど。……まあ君はもう消えてもらうし、別にいいよね! さようなら、非力で弱小な人間さん!」

 男の巨大な拳が振り上げられる。アーティはそれを一瞥することもなく、ふらふらと立ち、そして、刹那。何発もの空包に似た音が響き、しばらく鳴りやまなかった。

「魔族ねえ」

 アーティは両手に握る小型の銃を見つめて、もう一度辺りに目を戻す。そこには、脚や腕を重点的に狙われ、あまりの痛みに動けずにいる二人の魔族が転がっていた。アーティは来ていたマントを翻し、小型の銃をその中へと仕舞った。

 魔族の少年が苦痛に顔を歪ませて見上げると、丁度彼のマントの中が視界に映った。

「っ!?」

 思わず絶句する。そこには数え切れないほどの様々な種類の銃が仕舞われていたのだ。小型、中型、彼が最初に持っていた長身の銃ほどではないが、大きめのものまで揃っていた。それらはすべて実弾のない銃。しかし、永久的に撃ち続けることができる空砲だった。そしてその圧縮された弾の威力は、実弾とほぼ同等である。

 けれども少年が驚愕したのはそこではなかった。それほどまでに多量の銃を持って動き回っているのだ。空砲といえど、重さは実際の銃と変わらないはずだ。

「銃を武器としてる以上、スペアがあるかもしれないと疑うのは当然だと思うけれど」

 アーティは静かに見下す。浮かぶ表情は無い。サラのような人物であればおそらく、更なる絶望を与えようと歪んだ笑みの一つでも浮かべてみせるのだろうが、アーティはただただ黙し、相手を卑劣なものと見なし、冷ややかな視線を送る。少年はその感情の読み取れないそれに、たまらぬ恐怖を抱き始める。

「あんたら、詰めが甘いよ」

そうしてしゃがみ込み、呻く巨体の男の腹に思い切り拳を捻りこんだ。男の意識は一瞬で飛んだ。手足を貫かれた激しい痛みで既に朦朧としていたのだ。アーティは呪文を口にし、彼らの種を奪った。

それから、少年に無表情のまま近づいてゆく。少年はがたがたと震え始める。それほどまでに、彼の纏う空気はおぞましくあった。

「人間が非力だって?」

「ひっ……!」

 胸倉を捕まれ、足が宙に浮く。その時、変に両足を動かしてしまい、抉られるような痛みが体中に走り、呻き声が上がるが、アーティはただ少年の目を見つめている。

「なあ。なんで人間を見下してるんだ、お前。そんなにお前、偉大な魔族なのか? なあ、俺の知ってる魔族は、お前なんかよりずっとずっと偉大だが、俺らを見下したりなんか一切しなかったぞ、一切も」


 ――なあ。


「サラは――、サラはお前ら魔族の為に戦ってるんだぞ、なあ、お前みたいな奴を守るために戦ってるんだぞ、おい、わかってるのかっ!? こんなくだらねえ奴の為にまで、サラは自分を犠牲にしてるっていうのかよ冗談じゃねえぞっっ!!」

 俺は悔しいよ、サラ。お前が命を賭けて守ろうとしてるものの中に、こんな奴が含まれているだなんて。

「仲間の戦いを穢すな、仲間の思いを穢すな、魔族なら――!!」

 魔族なら、お前も魔族の為に戦えよ、なんで、あいつ独りが、莫迦みたいに頑張ってんだよ。

「俺も――人間代表として生き残ってやる。ただし、俺が勝ち抜くんじゃない。――サラを優勝させてみせる、必ず」

 すまないシーヤ。俺は、お前を優勝させてやることはできない。でも。でもお前なら許してくれるだろう?


 アーティは少年の胸ぐらから手を放して、シーヤを追った。

 少年は遠くなる後ろ姿を、呆然として見つめていた。



「そいつは、大国ギルアを統べる王の第一子息よ!」


 少女の声が辺りに響く。サラは黙ったままのユエに問う。

「本当なの」

「――……本当さ」

 ユエはかすかに頷く。

「――彼女は、ダリア=ギルティア。この国の第三王女、――僕の血の繋がった兄妹だ」

 そして、ユエは一度もサラを見ることなく告げた。

「そして僕は、――ユエ=ギルティアだ。……ずっと黙ってて、ごめん」

 ギルアの国名をもじったセカンドネーム。ユエもまた同じものを背負っている。そしてそれは、あまりにも重く、彼にのし掛かっている。その一切の感情を堪えるような姿にサラは言葉を失った。代わりに、ダリアは刺々しい口調でもってして吐き捨てた。

「この大会は国を挙げての伝統あるお祭だから公にはできなかったけれど、これは魔族の為に設けられた戦いの場なのよ。国王派と女王派に分かれた魔族がユエ=ギルティアの命をめぐって争うの。下らないとは思わない?」

「……どういうこと?」

 ダリアは冷たい一瞥を投げて寄越した。

「あんたは格好の獲物だけれど、本当の狙いはユエ=ギルティアってことよ」

「――違う、何故ユエの命が狙われているのってことよ!」

「貴女、ギルアの王女になんて口きいてるのよ。――。まあいいわ、お情けとして答えてあげましょう。

 ユエ=ギルティアは今から五年前に、この国を狙う魔族に呪いをかけられたの。そいつはユエ=ギルティアの命の代わりに大国ギルアを統べる権利を渡せと交換条件を突きつけてきた。猶予は三年。悠長なものよね、王子の命を握っているという余裕からかしら。――まアともかくこの三年間、国王は必死にかけられた呪いを解く方法を探し回った。――でもどれも全て無駄骨。さらに悪いことに、ユエ=ギルティアの恐ろしい、知られざる過ちが浮かび上がってきた。国王は憤怒した。そりゃあ当然よね、手を尽くして救おうとした息子が過ちを犯していたなんて。それも国を揺らがすほどの。――だから国王はユエ=ギルティアを処刑することに決めた。けれど国王、犯された過ちが世間に露見するのを恐れた(だってそれは国民たちを不安のどん底に陥れるほどのものですもの)。だから、この大会で不遇の事故という扱いでもってして、ユエ=ギルティアを亡き者にするつもり。

 実際に手をかけた者は、必然的に王族殺しの罪を被る。でもまあ、処刑の時は代理を立てて行うのでしょうけれど。影では褒美でも与えるのではなくて? 興味ないから、よくは知らないの。――まあそこで、そのことに反発したのが女王よ。実の息子の命を奪うだなんて、といったところ? 莫迦らしいの一言に尽きるけれど。だって然るべき罰は受けないといけないじゃない? ……さて。貴女はどうするの、レイチェル=カールースさん?」

 サラは静かに首を振った。

「わからないわ。どうして全てを秘密に、闇に葬ろうとするのよ」

「貴女が知るべきことではないわ」

 サラはぎっと相手を睨み付けた。

「残念だけど、くだらない派閥争いに参加した覚えはないの」

「あら意外。魔族は皆そうだと思ってましたわ。――だとしても、そんなことどうでもいいわ。大事なのは、貴女がどの立場に立つかだけよ!」

 風を切る音がした。あまりの速さに反応できなかった。サラの首筋に鉄の刃が突きつけられた。低い、狂気が押し殺されたような声が、サラの耳許で囁く。

「いつまで待たせるつもりだ? このまま殺されてもいいのか?」

「……まさか」

 サラは呪文を唱えた。いつもより長めの、相手を攪乱するための、時間稼ぎの呪文を。

 辺りは濃い霧に包まれる。彼女はユエを抱えながら素早く、その場を離れて草陰に隠れる。そしてユエと向き合う。そして簡潔に言い放つ。

「私が時間を稼ぐから、あなたは逃げなさい」

 ユエは大いに戸惑う。

「サラ、彼女の話ちゃんと聞いてたの」

 サラはふっと微笑んだ。普段と何も変わらない、優しい笑みだった。サラは言う。

「私の立場は何も変わったりしないわ」

 

――あなたを守るわ。


 呆気に取られるユエを置いて、サラは自分の帽子を彼の頭に被せ、逃げる算段などを指示した。ユエは潤んだ瞳でサラを見た。ゆるゆると首を振る。

「きみをひとりにしておけない」

「あなたはアーティたちと合流をして。助けを呼んで欲しいのよ。私ひとりでは……正直、無理かもしれない。あなたにしかできないことなのよ、お願い」

「い、やだ」

「ユエ」

「な、んで……? 死んじゃうかもしれないんだよ? さっきの人、サラを殺そうとしてたじゃないか。――なんで、なんでそこまでしてくれるの、僕なんかを、どうして……」

 今にも崩れ落ちそうになるユエを、そっと優しい両手が支える。サラは笑う。

「あなたが、私を選んでくれたからよ」

 ユエは顔を歪めた。

「それだけのことで?」

 サラは花の咲くような笑顔で、ユエに笑いかけた。

「――あなたにとってはそれだけのことでも、私にとっては何よりも大事なことなのよ」

 そう言って、サラはユエに優しいキスを落とした。それは一瞬だけのものだったが、そこから沢山の思いが伝わってくるようだった。

「行って、ユエ」

 サラはもう振り返らなかった。

「ここは私に任せて」



 サラは霧の魔法を解いた。スピネルが口許を歪める。

「お別れの言葉は済んだのか」

「おかげさまで」

 サラは杖についた赤い石を回した。刃。それでもって自身の服を破ってみせた。これでかなり動きやすくなった。ブーツの踵を地面にぶつけて、ヒールを引っ込める。そして刀を握る。

「へェ、準備万端じゃないか」

「お待たせしてしまったお詫びにね」

「――ユエ=ギルティアの気配すべて消したのか」

「さあね」

 サラは身構える。サラは、目前の男を知っていた。候補者を選ぶ試験で、サラよりも早く、誰よりも早く敵を倒した人物。武器は刀。なのにその太刀が見えなかった。――サラでさえ。

(だから全力で)

 サラは思う。(ここで退くことはできない)

「お互い魔族でも、魔法を捨てた身ってわけだな。面白い」

「何も面白いこと無いわ」

「――じゃあ少しでも楽しめよ!」

 刀と刀がぶつかる。幾度も鳴る、甲高い音が辺りを支配する。男と女ではさすがに力負けしてしまう。かといってダリアを狙うことはできない。彼女を一瞥する余裕までもサラには与えられなかったのだ。サラは一旦身を引いた。そしてしゃがみ込み、一気に地面を蹴り上げて飛び掛かる。しかしそれも優に受け止められてしまう。糸が張られたような緊張感の中で、スピネルは口端を引き上げ、歪んだ笑みを浮かべる。

「レイチェル=カールース、実は俺はなァ、あんたが狙いなんだよ」

 拮抗する中、スピネルは言葉を囁く。

「お前が犯した神殺しの罪を裁くためにいる。あの姫様はユエ=ギルティアを、俺はレイチェル=カールースを。不思議な縁だなァ」

 サラは黙した。力を受け流し、刀を上に弾いた。

「しかしなァ」

 サラは再び宙に浮かび、刀を振り上げる。受け身を取るスピネル。そこから素早く体を展開し、彼の背後に回った。そして一気に突こうとして、振り向いた彼の剣にぶつかる。

「あんた本当にレイチェル=カールースか? いやなア、俺も結構あんたを探したんだが、あんたの名を騙る奴とか結構ぶつかっちまっててよ。名前に呪いがかかってるから改名できないっていうんで、探知魔法使ってみても、当人には引っ掛からない。偽物ばかりだ。何がある? それともお前も偽物か?」

 サラは浅く息を吸い、刀を突き出し、畳み掛けた。凄まじい速さの突きをこれまた凄まじい速さでいなす刀。二つの刃から、激しく火花が散る。あまりの速さに刃の重なる音が連綿として聴こえる。ダリアは思わず耳を塞いだ。それほどまでに二人の戦いは激しかった。

 また、その中で交わされる会話もまた、戦いの一部でもあった。相手の動揺を誘うような言葉を。スピネルは口を動かす。

「レイチェル=カールース、俺はお前と戦うのを楽しみにしてた。だって、神殺しだぜ? そんな大罪聞いたことなかった。余程の腕利きだろう。俺は強くなりたかった。だからお前と戦い、さらなる上の道を目指す」

「――くだらない」

 サラは嘲笑した。

「あなたはまだ、強さの上を知らない。究極の強者が得るものを知らない。だから、そんなことが言えるんだわ」

「なにが?」

「強さの上にはね――何も無いのよ!」

 サラは思い切り腕を振った。ガチン、と剣の重なる大きな音が鼓膜を揺さぶる。風が強く吹いてきた。サラの金髪が、スピネルの青の髪が、風に揺れる。

「何もない。虚無よ。孤独よ。強さってね、極めても無意味なの。――そこに、人を守るという思いを伴わせない限り!」

 スピネルはサラを最も下等なもののように見た。呆れ、失望。声色も心底冷えきったものに変わる。

「その程度かよ、レイチェル=カールース」

「あとね、あなたに悪いから言わなかったけれど。――私、レイチェル=カールースじゃあないのよ」

 サラは意地悪く嗤う。

「サラ=ステュアートっていうの。よろしくね、スピネルさん!」

 サラは思い切り踏み込んだ。それは半ば命を捨てたようにも思えた。が、サラはぼそぼそと呪文を唱え出した。すると、サラの握る剣がみるみる彼の剣を押し退け始めたのだ。彼は戸惑う。今にも形勢が動きそうなこと以上に、彼が探し求めていた人物ではないかもしれないという疑惑が、彼の動きを鈍くした。

(こいつはレイチェル=カールースではないのか――?)

 ――いや、とその思いを否定する。

(今まで戦ってきた中で、こいつが群を抜いて強い……。ならばやはり――。でも何故改名できた? 魔法が効かなかったとでも言うのか?)

 サラはぎっと歯をくいしばる。

「レイチェル=カールースは死んだのよ……。あなたは死人を探しているに過ぎないわ!」

「だ……、まれェ!!」

 剣が大きく振るわれた。サラは彼女の剣ごと薙ぎ倒された。地に倒れ込んだところを、スピネルは剣を突き刺し、激しい感情を称えた瞳で見下ろした。サラの首許に刃に擦れ、赤い筋ができた。そこから、流れるように血が出ていった。

「なァにが、人を守るだ。なんだ? 誰かに巨大な力があれば、その力は全部他人のために使わなきゃならねェ定めでもあるのか? 他人のため他人のためって自分の命犠牲にするのが正義か? 美徳か? あ? 莫迦らしい! 失望したよレイチェル=カールース、いや――サラ、だっけか? まァいいどうせ死ぬんだ。いいかよく聞け、俺の力は俺のもんだ。自分を犠牲にしてくだらねェ他人助けるくらいなら、死んだ方がマシだ」

 スピネルはサラの手を踏みつけた。痛みに思わず手の力を抜いてしまったことで、握っていた剣を彼によって遠くへ蹴飛ばされてしまった。

 さて。と刺したままだった剣を抜き、そのままサラの身体めがけて貫こうとした刹那、サラは柔軟な体を最大限に利用して避け、不安定な体勢のまま相手の腹を思い切り蹴飛ばした。この蹴りは深く入った。が、スピネルは素早く彼女の頬を殴り付けた。それでも彼女は怯まず叫んだ。

「私も! 私もそうだった!」

「あ!?」

「あんたと同じ、人助けなんてくそくらえって思ってた! ただの偽善者だ、命の無駄遣い、意味なんて皆無! そう、思ってた!」


 なのに!


「今、どうしてこんなことしてるのかって思う? ――それはね、そのことを教えてくれた人がいるから。莫迦みたいにまっすぐに、自分を犠牲にする偽善者がいたから。敵を倒す強さなんかひとっつも持ってない弱者が、守られる側の弱者が、誰かを守ろうと懸命になったから」

 サラは立ち上がる。そして地面を蹴り、自身の剣を拾い上げる。

 ――私はその偽善者が大事だった。大事な存在になった。大事にしたいと思った、初めて、心から、思ったの。

「なのに奪われた」

 サラは口内の血を吐き、まっすぐにスピネルを見据えた。しかし彼女が見ているものは彼だとは限らなかった。

「だから、サラ=ステュアートの名に誓った。私はもう、私だけの強さを欲したりはしないと。――そして。」

 そして。

「もう二度と、何人たりとも私の大事な人を奪わせたりなどしないと!!」

 決めたの。すべては、貴方のために。



 シーヤは森の中を駆け巡った。地面からではなく、遠くを見渡すために木々の上を走った。それなのに彼の姿は見つからない。たまらぬ不安に狂いそうになる。シーヤは情けない声が上がりそうになるのを必死に噛み殺して、足だけを動かした。

(ユエ様……。わたしが側にいたのにも関わらずっ)

 シーヤは身軽に森を走り回る。彼女は特別の訓練を受けていた。すべては、そう、ギルア国第一王子・ユエ=ギルティアを護衛するために。

 シーヤは焦る。彼女はユエの母親――つまりはこの国の女王直々に任命された身であり、生まれは貧村で親は既に他界していた。それを拾ったのが女王であった。その出逢いは奇跡としか言えないもので、あと五分遅ければ、シーヤは飢餓のあまり死してしまうところであった。シーヤはこの出逢いに並々ならぬ感謝の念を抱き、女王に揺るがぬ忠誠を誓い、その息子であるユエを特に敬っていた。他の兄妹たちとはあまり関連がなかった。といってもユエとも一・二度目にかかったくらいだが。それでもシーヤにとっては女王と同じくらい大事な人であった。

「シーヤ、貴女もまた、この大会に王侯貴族として潜り込み、ユエを数々の脅威から救って下さい」

 シーヤ以外にも潜り込んだ者たちはいた。勿論彼女は知っていた。が、それに対する嫉妬心は皆無。ただそれだけの重い任務を自分に任せてくれた女王への感謝で胸が一杯であった。

 シーヤは必死になる。そんな中、姿は見えないが、がさがさと足音が聴こえた。シーヤは不思議に思って、その場に一旦降りたってみる。すると視界が少し、歪んでいるように思えるのだ。膨らんでいるような、へこんでいるような。じっと目を凝らしていると、次の瞬間には息を切らしたユエの姿が現れた。シーヤは驚愕のあまり言葉を失った。

 ユエはむちゃくちゃに話し始めた。

「これ、サラが僕に被せてくれて、なんだか、敵に、見つからなくて……。透明? 樹とかすり抜けていけて、なんだろ、やっぱり魔法、だよね! いやそんなことより大変、なんだ!」

「ユエ様……」

 シーヤは彼の説明も頭に入って来ず、その場で泣き崩れてしまった。

「ご無事で何より……です」

「そんなことより、アーティは――」

 すると彼の後ろから、アーティの声が聴こえた。手に酷い怪我を負っていた。それに気づいたシーヤは真っ青になってすぐさま手当てをしようと持っていた鞄から救急道具を取り出す。

「サラは?」

 開口一番、アーティは尋ねた。ユエは弾む息を抑えようともせず、なんとしても自分の使命を、果たそうと口を開いた。

 サラが大変なんだ。スピネルっていう剣術使いと戦ってる。僕はサラに助けてもらったんだ。だから、アーティに今すぐ助けに行ってもらいたい。サラが待ってる。

 そう、言おうとした言葉が。そのためだけに開いた唇が発したのは。

「サラは大丈夫。サラたち魔族だけの戦いが始まったんだ。邪魔はしないでってサラは言ってた。僕はもう少しで殺されそうだった。だから、僕を頼むってサラが言ってた。必ず戻ってくるからそれまで待っててって」

 ――恐ろしいまでの嘘が、彼の口から流れ出た。ユエは瞠目する。恐れおののく。戦慄する。首を力無くゆるゆると振る。……違う。ちがうちがうちがう! 僕が言いたいのは、言わなければならないことは違う、こんな言葉なんかじゃない!

 そう思って何度も声を出そうとするのに、息が、ただ何の意味も為さない息だけが漏れる。頭が壊れそうになるほどに混乱する。意味がわからない。ユエは何度も出た言葉を否定しようとする。しかしアーティらはそれを彼が恐怖のあまり気が動転したものだと取った。シーヤは彼を抱きしめ、アーティは彼の頭を撫でた。大丈夫だ、俺が必ず守る。

 違う。

 違う。

 アーティに守ってもらいたいのは僕なんかじゃない。

 気が狂うかと思った。今、この瞬間にもサラが殺されていたら? 奴らは躊躇いもなく彼女を殺すだろう。バックに国王がいるのだ。それにダリアの国王崇拝は狂気に近い。何でもする。ユエはそれを知っている。だからこそ一刻も早く、アーティを増援に行かせたかったし、それをサラも望んだはずだ。

「っあ」

 ――望んだはず、か?

 ふと唇に触れてみる。あまりに一瞬なことだったから気づかなかったが、かすかに魔力を感じる。ユエは驚愕する。まさか、まさかまさか。

 サラは僕に魔法をかけたのか? 助けを呼ばせないために?

『大事な人は作りたくないの』

 サラが言った言葉が思い出される。

『動けなくなるから』

「っ、サ、ラ」

 栓が壊れた。たまらずわあわあ喚いた。

「サラッッ!! サラ、サラはサラははじめから……、まさかそんな、そんな!」

 初めから決意していたのか。独りで戦うことを。誰も、助けを必要とせず、独りで戦い、――死ぬことを。

「大丈夫だユエ、サラを信じろ」

 ちがう。

「大丈夫ですユエ様、もう大丈夫」

 ちがう。

「サラ――」

 ちがうっ!

 目から涙が零れた。サラは今独りぽっちだ。そして今にも死のうとしている。

 ――僕が。

 せめて自分だけでもと、もと来た場所へ引きかえそうと思うが、今度は足が言うことを聞かない。ぽろぼろと落ちる涙を踏みつけるように、足で踏み込むが、前には進まない。そのままつんのめって、地面に頭を突っ込んだ。

「ユエ!」

「ユエ様!」

 僕の心配はしなくていい! そんなものいらない! だから、だから。

「サラ……サラを」

「――ユエ、お前いい加減にしろ」

 アーティはユエを見据えた。

「お前が信じてやらなくてどうするんだ」

「っ、サラ、サラは――アーティ、サラは」

「お前が、お前だけはちゃんと、信じてやれよ!」

「サラが、アーティ、お願いだ!」

 サラを助けて!

「僕を助けて!」

 ――愕然とした。首を振る。否定したい。何もかも根こそぎ、拒絶したい。なのに。なのになのに。

「大丈夫だって言ってるだろ……!」

「ち、が」

「何が違うんだ莫迦野郎!」

 ついにアーティはユエを殴った。シーヤは二人の間に入る。ユエは喚いた。残酷だった。ここにいる全員は誰も何も悪くなかった。


 ――サラ!



 スピネルは刃を彼女の肩口に埋めた。すんでのところで身を捻ったため、急所は避けられたが、決して浅くはなかった。倒れた彼女に向けて湧き上がる怒りをそのままに、刃で貫こうとした瞬間。

「!」

 バチバチ、と火花が散った。サラを中心に守るように貼られた円形の赤い盾。思わずスピネルは刃をおさめ、素早く離れた。

「魔法……か?」

 それにしては、サラが全く動かないのはおかしい。むしろ痛みにより気絶しているようにも思える。スピネルは再び近づく。そうして剣を振り上げようとして。

 気付く。サラが持っていた剣に飾られた赤の石が、眩しいほとに光輝いているのを。そこから放たれる魔力の量を肌で感じ取り、なるほどとスピネルは呟く。

「そいつが俺らの探知魔法を遮ってたってわけか」

 スピネルは吐き捨てる。

「莫迦らしい。あんたらは守ってばっかだ」

 俺は誰も守ったりしない。スピネルは背を向ける。今、彼女に攻撃をしてもすべてあの盾が吸収してしまうだろう。ダリアを放って、どこかへ去ろうとする。

 ずっとうずくまっていたダリアは、慌てて彼を追った。

 サラの周りには優しい風が吹き渡っていた。その風が、彼女の肩口から流れる血を、すっと止めてしまった。

【女の子なのに】

 声がした。懐かしい、声がした。

【莫迦ねえ、レイチェル】



 ユエは走った。サラが気絶したことにより、彼女の魔法が解け、真実を口にすることができたのだ。走る。走った。手遅れだったらどうしようと恐れながら、手足が固まってしまいそうになりながら、それでも走った。走ることしかできなかった。

「――ユエ」

 そんな時、ユエの名を呼ぶ声がした。ユエは足を止め、ふっと呼ばれた方を見つめた。そこにはボロボロに傷ついた彼女が立っていた。

「――大丈夫、だった?」

 サラの問いに、ユエはこれ以上なく傷つけられた。顔が歪む。涙が零れる。アーティに殴られた頬が痛む。かまうもんか。ユエは思い切りサラに泣きついた。すがった。サラは何もしなかった。ユエは叫んだ。むせび泣いた。何かを言葉にしようにも、何も言葉にならなかった。何も言いたくなかった。なのに何かを言いたくて仕方なかった。涙を止めようとは思わなかった。サラも泣くなとは言わなかった。言えなかった。

「サラ、」

 ユエは涙でいっぱいのぐちゃぐちゃの顔を上げ、サラを見つめた。サラの表情からは何の感情も捉えることができなかった。

 ユエは、ひとこと、吐き捨てた。

「きみは、むごい」

 ユエは泣き続けた。サラは虚空を見つめ、ただ繰り返した。

「ごめん」

 本当に。

「――ごめんなさい」

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