エリザベス
夢を見ていた
第1話
×××
向こうの方から、お父様が厳かな様子で歩いてくる。わたしはそれを憎しみの眼差しでもって迎える。誰がどう見ても、親子とは思えない、殺伐とした関係。
――ひとごろし。
そう、お父様は、わたしの実の父親でありながら、わたしの実の母親を殺した人だった。――否、無実の罪を着せて処刑を命じた人だった。首斬り刑だったと伝え聞いた。最低限の配慮として行ったのは、愛の国という国にいる、斬首の上手い処刑執行人を呼んだことだけ。妻として迎えた女性を、死刑に掛けるだなんてそんな非道なこと……、わたしには信じられなかったし、信じたくなかった。
本来ならばこんな身勝手で人の命を弄ぶようなことは許されてはならない。ならないはずなのに、それを可能にしてしまったのは、他でもないお父様の揺るがぬ地位によるものだった。
お父様と対面する。わたしは口をわざと大きく開けて、だけども目は直視しないようわずかに閉じて、体を反らし、声を張り上げる。
「おはようございますお父様、ご機嫌いかが?」
お父様は黙ってわたしを見下した。わたしは続ける。
「今日も平和ですね。それもこれも、お父様という我が国の誇るべき国王陛下がいらっしゃるからですわねえ」
ねっとりと、皮肉を込めた言い方をする。横目で一瞥すると、お父様の表情がわずかに険しくなっていた。苛立っている、ように思えた。わたしのこの声色で、わたしが何を言いたいかを察したのだろう。忌々しげ。そう表現するのがぴったりだった。
「お父様はすばらしい御方ですから、国民たちは誰でもあなたについて行きたいのでしょうね。あなたの身勝手な振る舞いも受け入れたくなるほどに、お父様を、そう、愛しているのでしょうね。もちろんお父様も愛しているんでしょう? そうじゃなきゃ、国民のために政治なんて行わないでしょう? そうでしょう?」
不穏な空気を感じ取って、周りにいる召使たちが慌てふためく。それでも、お父様は何も言わない。いつだって無言。まるでわたしなんか最初から存在していないみたいに振る舞って。
そのことが、わたしという存在全てを否定しているように思えた。
お父様はどうやら、わたしの言葉を黙殺することに決めたらしい。その場を立ち去るため、動き始めた。
逃げるのか、実の娘から。それはまた、実の妻の前からも逃げることになる。家族なのに。どうして? そう思うと悔しくて苦しくてたまらなくなった。
「じゃあどうして! お母様を愛していたのにどうして殺したのよ! 国民は愛しているくせに、実の妻は愛せないとでも言うつもりなの?! どうして殺せたの、どうしてそんな残虐なことができたのよ、どうしてお父様はそんなに平然としてるのよ……っ! あなた、自分の妻を手に掛けたのよ、どういうことか分かってるの!」
ここまで言っても、お父様からの返答は何も無い。どうせお父様の目にはわたしの姿なんて映っていないんだわ。では、一体何が映っているのかしらね。そんなの、知りたくもないけど。
すれ違う瞬間、そっとお父様の耳に届くかどうかの声で吐き捨てた。
――ひとごろし――
刹那、視界がぐるりと回った。あまりの衝撃に耐えられず、地面に手をついた。耳鳴りがした。頬が熱くなって、遅れて痛みがやってきた。反射的に手で頬を覆い、ぎっと睨め付ける。視線の先には、見下げる底冷えした瞳があった。
「陛下! エリザベス様っ!」
慌てる召使を無視して、お父様はただ一言、
「口を、慎め」
と。抑揚のない、威圧的な声色だった。
お父様は手に持っていた杖でわたしをぶったのだ。下手をすれば、歯が何本か折れていたかもしれないのに。頭に血が物凄い勢いでのぼって――何でもいい、無茶苦茶に怒鳴り散らしてやろうと開口するものの、お父様はとうにその場を後にしていた。娘をひとり放っておいて。
「……ふふ」
わたしは高いたかい天井を見上げる。そしてゆっくりと立ち上がる。召使たちがわたしを心配して駆け寄ってくれた。手を伸ばされた。大丈夫ですかと尋ねられた。
わたしは笑う。頬が痺れて痛くて悔しくて涙が出そうだったけど、無理やり押し込めて笑った。
「ありがとう。もう大丈夫」
いつも冷静なお父様が、感情に任せて娘に手を出すなんて。召使たちも戸惑いを隠せずにいた。そりゃあそうでしょうとわたしはほくそ笑む。お父様がわたしを無下に扱えば扱うほど、わたしに同情する人が出てくる。わたしは気長にその人たちを味方につけ、お父様が独りぼっちになったところを狙って――。
「……待っていてお母様」
わたしたちをこんな目に遭わせた人を、わたしは絶対に許したりしません。生涯、憎しみ続けることを誓います。
あなたの娘であるわたしが、必ず、復讐を成し遂げます。
――必ず、かならず。
×××
城の中にある庭園に赴き、王女は本を開いた。
太陽が朗らかに光を零す、小春の陽気。王女は服が汚れるのも厭わず地面に座り込んだ。木々が彼女の読書の邪魔にならないよう、太陽の光を身に受け、影を作り出している。遠い向こう側には、高い城壁がわずかに見える。
王女は本の世界へと没頭する。そんな彼女の様子を、優しく静かに見つめる人影があった。
人影は長身的な青年で、肩まである藍色の髪を丁寧に束ねていた。服装は誰かと会う約束でもあるのか正装であった。
彼は、息をふっと吐いてから、思い切り飛び上がった。すると、彼の体は無重力のように飛び上がり、高い城壁をも越えて、地面に足を置いた。それからゆっくりと、王女へと歩み寄る。彼女の眼前まで近づいてみた。がしかし、彼女は本に夢中で、一向に気づく様子がない。彼はやや手持ち無沙汰になって、視線をうろつかせたり、身なりを整えたりしながら、声を掛けようか掛けまいか、と悩んでいた。
しばらくそんな状態が続いてから、王女は目が疲れたのか、はたまた視界に何かが入ってきたのか、そっと顔を上げた。そして、王女の顔色は、みるみる驚愕へと変わっていく。緑玉色の瞳がくるくると丸くなる。
青年はそれに対して、待っていましたとばかりに、優美で柔らかな笑みを浮かべて応えた。
「こんにちは王女さま」
そして手に持っていた花束を、照れながらも勢いよく彼女の前に出した。その花束は即席のもののようで、花々はみずみずしく綺麗だが、リボンを急いで巻いたことにより、所々茎が折れていた。彼女は思わずきょとんとする。
「プレゼントです」
気づいてもらえて嬉しそうな彼の、人の好さそう笑顔に、王女であるエリザベスも黙って微笑み返す。しかし警戒は解かない。そして小首を傾げて尋ねた。
「あなたはだあれ?」
「……えっと、魔法使い、です!」
予想外の回答にエリザベスは驚きつつも興味が湧いたのか、
「証拠は?」
と尋ねた。魔法使いと称した彼は、ではまず、と元気に自分を指差して、
「見張りの目をかいくぐってきました」
と言った。
たしかに、侵入者が入ってきたとならば、この城を守っている門番兵たちが大騒ぎしないはずはない。ましてやここは国王の城だ。そんなところに一人のこのこやって来る人間もいないだろうが、万が一にやって来たとして、侵入を許す門番兵ではないだろう。しかし、現に彼は目の前にいる。
それでも、とエリザベスは思う。この城の警備が、比類ないほど厳重であることは耳にタコが出来るほどよく聞かされている。侵入者なんてこの城が出来上がってから一度も入ってきたことがないとは教育係たちの談だ。つまり統括すると信じられなかったのだ。
「……見張りの兵が居眠りしていただけかもしれない。余所見をしていただけかもしれない。もしくは、あなたは実はお父様か誰かに招待されていて、ついでにわたしの所に遊びに来た、と、そういう風にも考えられるわ」
「確かにそうですね。まあ、今のは自慢の一つとでも受け取ってもらって。――それでは、直談判といきましょうか」
言い終えると、彼は受け取ってもらえなかった花束に、そっと息を吹きかけて、宙に投げた。すると花々にくっついていた花弁が萼から離れて、王女を取り囲むように宙を舞い始めた。赤、桃、黄などの色々な色がくるくると廻っている。それに思わずエリザベスは立ち上がって、自分の体を回転させながら花たちの動きを追っていく。その後を、ウェーブがかったブロンドの髪が、追いかけるようにしてなびいていた。
彼女の好奇心溢れる瞳から、うっとりとした陶酔の色が見えたのを計らってから、彼はすっと息を吸い込んだ。すると回っていた花弁の動きが段々鈍くなり、ついには地に落ちた。しかし何枚かの花弁がエリザベスの顔の前でふわふわと揺れていた。彼は促す。
「手を」
言われるがままにエリザベスは小さな両手を開くと、そこに花弁がそっと舞い降りてきた。そこには何やら白い斑点が重なり合ったような模様がついていた。それをじっと見ると形を表しているように見えた。文字? そこではっと気づく。
「ふわあ……」
思わず感嘆の声が漏れる。そこには白い文字で〝Elizabeth〟と並んであったのだ。小さな手から零れぬよう、花弁は何処からか吹いている風によってバランスを保っている。
「ふわ、わ……ああっ! なんてすばらしいの、すごいわあなた! わたしの名前! 花びらに書いてある! どうしたらこんなことが? すごい、ああすごい、あなたとってもすごいわっ!」
花と彼とに視線を行ったり来たりさせて、体全部で歓喜を表現する。そんな可愛らしい様子に彼は目を細めて「お褒めいただき光栄」と恭しく一礼した。
「わあ……。すごく素敵。こんなに楽しいこと今までなくってよ、わたし、すっごく興奮してるわ……」
それからエリザベスは、花びらを破らないように、本の中にきちんと名前順に並べて挟み、深呼吸して気を落ち着かせようとして、それでも気持ちは収まらなくて、その勢いのまま喋り始めた。
「あなた、本当の魔法使いなのね、すごいわ! わたしね、一度あなたみたいな魔法使いに会ってみたかったの。だって皆、本の中の話だって聞かないんですもの。わたしは信じてたわよ? ……そりゃあちょっとは、やっぱりいないのかしらぁってがっかりしたこともあったけど、心の奥底ではちゃあんと信じてた。ふふ、夢みたい!」
ここまで一息でまくし立てて、エリザベスはふらふらと地面に座り込んだ。あまりにはしゃぎすぎて、立っていられなかったのだ。けれども口は回るようで、彼女は悪戯っこのような表情を浮かべながら、魔法使いを見上げた。太陽の光が彼の優美な顔に影を投げ掛けている。
「――ねーえ、あなたはなんてお名前なの? わたし、お気に入りの人には名前を訊くのよ。ふふ、だってちゃんと名前を呼びたいもの。『おーい、リジーやーい』って言われたら、――あ、リジーはわたしの愛称ね――、『はあい』ってわたし、必ず返事をするわ。メアリーは面倒がって無視するけど、やっぱり名前を呼ばれて返事をするって大切で、何より素敵なことじゃない? あ、メアリーは知ってらして? わたしの姉なの。まあ姉といっても色々あるんだけれど。まあそれはともかくわたしが言いたいのは、わたしがあなたの名前を呼んだらちゃあんと返事をしてほしいって、ただそれだけのことなのよ」
「ええ、はい勿論。ああでも、僕の名前はちょっと格好悪いので」
「かっこわるいの!」
すぐさま笑い声が重なる。彼は苦笑しつつも続けた。
「ええちょっと、その、気に入ってなくて。……よろしければあなたに、付けてもらいたくて」
「リジーよ」
エリザベスはすっと立ち上がり、そっと彼に囁いた。そして飛び切りの笑顔で笑う。そしてどんな名前がいいかしらと悩み出した。しばらくの間、うろうろうろうろと彼の周りを歩いてから、ぴたりと彼の背後で足を止めた。すぐに彼の眼前まで駆け足で移動して、大きく口を開いた。
「ウィリアム=セシル=ロバート。わたし、ウィルって呼ぶわ。ちゃんと覚えた?」
「はい」
「言ってみて?」
有無を言わさぬ物言いに気圧されて、ウィリアムは苦笑しつつも、言われた通りに復誦する。彼が一つも間違えなかったことに、エリザベスは満足そうで、ふん、と鼻を鳴らして、腰に手を当て、彼を仰ぎ見る。背丈の差が開いており、彼女は首をぐっと動かさなければならなかった。
「ウィル」
「はい」
「わたしのことはリジーと呼びなさい。敬語も出来れば取って。あ、でも二人きりの時だけね、そうじゃないときっと怒られちゃうからあなた。わたしは別に気にしないんだけど、王女だから色々大変なの」
一しきり笑ってから、エリザベスはとても残念そうに彼を一瞥した。不思議そうに首を傾げる彼に、彼女はため息を一つ、零した。
「あなたがわたしの遊び相手になってくれたら、わたしの毎日はきっと一段と素晴らしいものになるに違いないけれど……、でもきっと無理ね」
「無理?」
この時初めて、ウィリアムは笑顔を崩して眉をひそめた。
「どうして」
「どうしてってあなた……。魔法使いのあなたがわたしに会いに来たのって、つまりはお戯れでしょう? 御暇をもて余した結果でしょう? そうじゃないとあなたがわたしに――魔法使いの立派な身分のあなたが、何の身分も権力もないわたしに、会いにいらっしゃるわけ、ないじゃない」
辛そうに言葉を発する彼女に対し、ウィリアムはなんだそんなことかと、再び笑みを浮かべ始めた。
「そんなことって何よ。わたしにとっては大切なことなのよ」
怒るエリザベスに彼は宥めるように言う。
「ええわかっています。……ただ、私があなたに会いに来たのは、決して遊び心からではなく、つまり、――、心からあなたに忠誠を誓いたいと思ったからであってですね、――」
たまらずエリザベスは言葉を遮った。
「わたしに忠誠を?! お父様でも、メアリーでもなく、このただの何の力も無いエリザベス=テューダーに? あなたって本当にわからない人ね! 言いたくもないけれどわたしはまだ十五の子供なのよ。政治のことも民衆のことも何一つ知らないただの子供よ。王女だけど、女王じゃないわ。子供の王女。 あなたそんな無力な子供に仕えるって、そうおっしゃってるのよ、わかってらっしゃる? ……そんなの変よ」
変呼ばわりされた彼は、少し困ったようにしたが、跪いて彼女と視線を合わせ、ゆっくりと言い聞かせるように話し始めた。
「――あなたは、間違っても無力なんかじゃありません。立派な方です。私はそれを知っています。ここで話をしているだけでもわかります。――実は私はこんな所にいるべき人間ではないのですけれど、あなたに忠誠を誓いたいと思った。だからこうしてあなたの前にいます。エリザベス王女」
「……リジーがいい」
「――リジー。どうか、あなたのお側に置いてください。ただ一言、お許しを」
そうして右手を恭しく差し出した。エリザベスはその手をじっと見つめていた。
「嘘じゃない?」
「嘘じゃないですよ」
「……冗談じゃない?」
「冗談じゃないですよ」
少しの、間。
「――信じていい?」
伏し目がちの瞳。相手に縋るようなそんな瞳。
「信じてください」
迷いを立ち切らせるかのような、強い意志の籠った瞳だった。エリザベスはそれを見て、完全に彼を信用することに決めた。そのまっすぐな瞳がすべてを語っているようにまで感ぜられた。エリザベスは自分の心すべてを託すつもりで彼の手を取った。彼の手はわずかに震えていた。エリザベスは吹きだす。自分の手もまた同じように震えていたのだ。
「わたしの方が先にあなたと一緒にいたいって言ったのに」
最後にそう、拗ねたような物言いをした。
×××
「ところであなた、どうやってわたしに仕えるつもり? 召使なんて募集するようなものではないし、急に『リジー様にお仕えします』なんて言ったって、誰も相手にしてくれないわよ?」
そう言ってすぐにはっと気づいて、エリザベスは悪戯っ子のような表情で言う。
「魔法?」
つられてウィリアムも似たような表情で答える。
「まあ、つまりは魔法ですね」
「ふふ! 魔法使い、なんでもできるのね!」
愉快そうなエリザベスに、ウィリアムは慌てて否定する。
「いえ、万能ではないんですよそれが。いろいろ制限とかありますし」
「へえそうなの。どんなの?」
「えっと。それはまたあとで、お答えしますね。あまり長居は危険かな。見つかると面倒なことになるから」
ウィリアムはふと、エリザベスの顔を見つめ、ある部分で視線を留めた。エリザベスは何かついてるのかと尋ねようとして、右頬に手を伸ばし、それをやんわりと遮るようにウィリアムの指がそこに触れた。彼は痛々しい、とても苦しそうな顔をして、
「少し、腫れてしまいましたね」
と言った。エリザベスは合点して、ええ、と頷いた。ぐっと見上げて彼と視線を合わせる。
「勲章ですわ」
そう答えて、その目に強い光を点した。
「――あなた、知ってるの、わたしたちのこと。過去も見ることができるの」
「……いいえ。僕が関与できるのは、現在のことだけです。それ以外は、――自分の目で、見ていくことにしています」
「ふうん」
目を細めた彼女に、自分の置かれた状況を思い出したのか、ウィリアムは早口に注意事項を伝えた。ここでのことは二人の間の秘密。次会う時は、お互い初対面であるものとして、応対すること。ここまで言い終えて彼は、駆け出そうとして、足を止めた。
「そうでした、最後にお聞きしたいのですが」
「なあに」
「この城の中で、最も優しいお方は誰でしょうか」
エリザベスは今日一番の笑顔を作った。
「キャサリンお母様よ!」
×××
エリザベス 夢を見ていた @orangebbk
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