ぼくのコイバナ聞いてください。

丸 子

ぼくのコイバナ聞いてください。

 メガネが素敵だったんだ。彼女のメガネ。

 きちんとかけてるわけじゃなく、おでこに乗せているあたり、きっとファッションなんだろうな。

 でも、この辺でそんなことしてる子なんていなくて、そもそもメガネを見かけたことがなかったから、ぼくは、ひとめで恋に落ちた。だって、とても似合っていたんだ。白い縁取りメガネ。黒髪によく映えてた。


 初めて彼女を見かけたのは公園だった。

 だいたい決まった時間になるとチラホラと集まる仲間たち。別に大事な話をしに集まるってことでもなくて、集合時間も解散時間もアヤフヤな、いたって自由な集まり。話す内容も大したことない、下らない話がほとんど。

 その日も、ただの習性で公園に行っただけだった。

 そしたら、そこに、輪の中心に、彼女がいたんだ。

 目が眩むほど輝いてた。

 ぼくは見惚れることしかできなかった。


 オシャレに興味のある女の子たちがメガネのことを尋ねている。

 心地よい彼女の声と「鯖江」という言葉がぼくの耳に響く。

 と同時にお腹が鳴った。鯖という響きで反射的に。

 ほかのヤツのお腹も鳴った。そいつと目を合わせて軽く笑い合う。

 すると、インテリを気取ってる男が

「鯖江は鯖の尾と深江の江で鯖江って名前になったんだ」

 なんて、しゃしゃり出て自慢げに話し出した。


 誰が話しかけても、彼女は、ただ微笑んでるだけだった。質問に応える程度で。

 その言葉少なな雰囲気に惹かれた。

 彼女の笑顔が、また、とびきり可愛いんだ。しかも声もいい。まるで『曽根崎心中』のお初みたいだ。

 彼女の笑顔を見続けることができるなら、彼女の声を聞き続けることが可能なら、どんな嫌なヤツでもいいから話しかけ続けてくれ、って祈ったよ。


 その日からぼくは「鯖江」という地名に敏感になった。ラジオで、テレビで、新聞で、その地名を見聞きする度に耳をそばだてて情報収集した。

 鯖江市のキャッチコピーは「めがねのまち さばえ」であること、メガネだけでなく漆塗りや陶芸、和紙も有名なこと、中でも驚いたのは新聞に載っていた滝の写真に鬼の顔のような岩があったことだ。その滝はイボを落としてくれるらしい。

 いつか彼女と一緒に鯖江市に観光に行きたいな、なんて思ったりもした。


 そんな感じで毎日が過ぎていき、気づいたら、あちらこちらでカップルが出来上がっていた。

 季節は春。誰もが浮かれる季節だ。

 ぼくは彼女以外に気になる子なんていないし、一人でいることに焦りもなかった。ただ彼女を遠くから眺めるだけで充分だった。


 彼女の周りには毎日のように果敢に挑む男たちの群れができていた。でも彼女は、ただ微笑むだけ。あの日から何も変わらない。美しさも、輝きも、何一つ。

 そんな彼女の噂を聞きつけて遠方から彼女を見に来るヤツらも現れた。

 それでも彼女は誰ともカップルにはならなかった。


 突然だけど、ぼくには弟がいる。

 ぼくと違ってモテるんだ。それも物凄くモテる。春の陽気に浮かれて女の子をとっかえひっかえしている。

 彼女を遠くから見ているだけで満足しているぼくの存在は弟にとって不可解なものらしい。

「なんで兄ちゃんは眺めてるだけなの?」

「それだけで幸せなんだよ」

「変なの。今は恋の季節だよ。じっとしていられるなんて信じられないよ」

「ああ、お前には理解できないだろうな」

「まったくね。同じ血が流れているなんて嘘みたいだ」

「そうだな。だけど、ぼくたちの父さんはお前と違ってずっと母さんを大事にしてるぞ。同じ血が流れてるのにな」

「そっか、確かに。『一生あなただけを愛し続けます』だっけ、プロポーズの言葉? 今でも、その言葉を守り続けてるね。律儀なことに」

「父さんの悪口は言うな。本気だぞ」

「はいはい。兄ちゃんは奥手なんじゃなくて、まだ子どもだったんだね。パパとママが大好きなんでちゅね」

 威嚇するぼくを避けて弟は笑いながら去っていった。我が弟ながら嫌なヤツだ。


 怒りが収まらずに弟の姿を目で追う。

 弟は、そんなぼくを横目で見ながら彼女に近づいていく。ニヤニヤ笑いを浮かべて弟とは思えないほど歪んだ顔をしてる。

 彼女の取り巻きをあっという間に蹴散らし、彼女に親しげに話しかける。そして彼女の耳元で何かを囁く。

 驚いたように目を大きく見開いてぼくの方を見る彼女。尚も耳元に囁きかける弟。

 どうせ、ぼくの悪口でも言ってるんだろう。根も葉もない話ばかりをペラペラと。

 どうして彼女は弟を嫌がらないんだろう。

 いつから弟はこんなヤツになってしまったんだろう。

 ぼくは思い出す。弟は昔からそうだった。どんなひどい嘘を言っても信じてもらえる。男女問わず年齢問わず、誰からも好かれる人気者だ。そう、まさに九平次のようなヤツだ。


 彼女の目はぼくを見てるけど、彼女の耳は弟の話に集中してる。今は、確実に、ぼくだけを見ている。

 そのおかげで彼女の顔を正面から眺めることができる。大きく見開いた目は次第に細くなり、眉間に皺を寄せ、また目をみはる。

 目は口ほどに物を言う。

 弟の話が終わると彼女はぼくから目を逸らした。そして、また、ちらりとぼくを見た。「ほんとなの?」と言うように。

 今度はぼくが彼女から目を逸らした。なんの話をしてたのかわからないのに、どんな顔をすればいい?

 ぼくは肩を落として家に帰った。


 それからは、もう公園には行っていない。


 ずっと家にいても噂は聞こえてきて、どうやら弟が彼女を狙っているらしい。


 外から、ぼくを呼ぶ女の子の声がして、立ち去る気配がして、暫くして、また違う女の子の声がした。

 ぼくの耳は、その声を聞き逃さなかった。

 まさか? そんな? なんで? どうして?

 色んな疑問符がいっぺんに頭に浮かぶ。

 間違いない、彼女の声だ。

 ぼくは恐る恐る窓から外を覗く。

 彼女がいた、目の前に。


 あの時のぼくは一体どんな顔をしていただろう。


「ねぇ」

 窓越しに彼女の声がする。

「そこからでもいいから聞いててくれる?」

 ぼくは頷いた。

「あなたが公園にいないと、なんていうか、変な気分なの。あなたが私を見つめてくれていたのは気づいてた。それが嬉しかったの」

 ほんの少しの空白。

「いつの間にか当たり前みたいになってて。あなたがいないと落ち着かないの。だから、また公園に来てくれる?」


 ぼくは口をパクパクして、でも声が出なくて。

 そんなぼくを見て彼女が微笑んだ。いつもの微笑み。初めて見た時から変わらない、ぼくの大好きな笑顔。


 その時、家族の声がした。

「あら、何してるの、徳兵衛? お外に出たいの? じゃあ、窓を開けてあげるわね。あら? あらあらまあまあ。徳ちゃんのお友達? それとも彼女? メガネなんてしちゃってお洒落だこと! いいわねぇ。好きなだけ遊んでらっしゃい」

 ぼくは窓から目の前の塀にひょいと飛び乗って、彼女の隣で

「ニャア」

 と鳴いた。


「ぼくは冴えないミックスだけど、キミがかけてるようなメガネが欲しいな」

 そう彼女に話しながら、鯖江までは遠くて行けないから、商店街の眼鏡屋さんに向かって歩き出す。


 ぼく達の恋は決して終わらない。

 しかも『曽根崎心中』みたいなバッドエンドでもない。

 最高の恋物語を一緒に作るんだ。

 この一度きりの命で出逢った最高のキミと。

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ぼくのコイバナ聞いてください。 丸 子 @mal-co

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