貴方が赤茄子を囓るまで
でもん
1
「何事ですか、姉様!」
秋に差し掛かった今の季節。
広大な台地に拡がる草原も赤く色づいています。
そこに突然鳴り響く地響き。
貴方はその音に大きく動揺し、私たちの家である天幕から飛び出してきました。
「軍のようです。コゴミは中にいなさい」
「姉様こそ隠れて」
「私なら大丈夫、姉様は強いのですよ」
「なら、僕も外にいる!」
まだ10になったばかり。
子どもの貴方を戦わせる訳にはいきません。
「コゴミ、姉様の言う事を聞くのです。中に入っていなさい」
「ほら、あんなにも沢山の兵士が近づいてきているのです。僕が姉様を護ります」
「コゴミ!」
「それに……うん、ほら、戦うつもりはなさそうですよ」
近づいてきたのは、二百人ほどの騎馬の軍勢。
ですが、この距離になっても武器を構えてはいません。
それでも周囲に集まってきた武器を持った戦衆は、貴方を守るように前に出ました。
私も腰に差していた剣を抜き警戒します。
「カクム様、彼らは約定を破るつもりでしょうか?」
「もう少し様子を見ましょう。約定を破ればどうなるかくらい知っているでしょうし」
戦衆と私との会話に、貴方は口を挟んできました。
「姉様もですよ。ね、みんなは下がって。約定は守らないと」
貴方はそう言い、先頭に出ます。
幼いとはいえ、一族の長の言葉には皆、従います。
やがて軍勢は私たちから少し離れたとことで停止しました。
「ほら、大丈夫。襲ってくるつもりはないようです」
軍勢の中から出てきたのは、兵士たちを数人だけ引き連れた官服姿の顎髭の長い男。
「こちらにコゴミ殿下はおられますか?」
どうやら狙いは貴方でした。
私は貴方を背中に隠しながら男に問います。
「何用です? 約定をお忘れですか?」
「約定? ああ、言い伝えですね。知ってますよ。そんなことよりもコゴミ殿下はおられるのでしょうか?」
そんなことより?
どういうことでしょう。
大切な約定ですよ?
その疑問を口にするより早く、貴方が答えてしまいました。
「コゴミは僕です」
「え?……男? そんな……王子だったのか」
とりあえず貴方を見て呆然とする男を、ここでは何だからと天幕の中に招き入れました。
兵士の方たちは外で待っていてもらいます。
男は最近就任したばかりの王宮の内宮長と名乗りました。
「亡き陛下は、遺言書でコゴミ殿下について記載しておりました。公文書として有効なものです」
「なるほど、陛下はお亡くなりになったのですね」
まずはそこからです。
私たちには王都の情勢など関係ありませんから。
「先王陛下が僕の父だったのですか。姉様、知っていましたか?」
「ええ、知っていました」
私の言葉に内宮長は少しほっとしたように力を抜いた。
「そうでしたか。ご存じだったら話は早いですね。ただその資料には『コゴミ』とあるだけでしたので、私はすっかり王女殿下だと思い込んでいました」
「女のような名前ですしね」
貴方は自嘲気味に言いました。女性名だということで、同年代の子どもたちから、たまに揶揄われたりもしていたようです。
「それで、僕が男だったら何か都合が悪いのでしょうか」
貴方は不機嫌そうな声を上げ、横目で私を軽く睨みます。なにせ名付けは私でしたので、目を逸らすしかありません。
「むしろ都合が良いかもしれません」
「都合が良い?」
内宮長は事情の説明を始めました。
先王は王太子を立てずに急逝しました。
そのため、継承権を持つ二人の王子が外戚貴族を味方に付けて王位に就こうとしたのです。
言い争いは、やがて泥沼のような内戦へ。
挙げ句に両王子が揃って討ち死にという結末。
その後も混乱は続き、気が付けば有力貴族と継承権を持つ王族は死に絶えていました。
「それで僕に王位に付けと?」
王の遺言に記載されていた継承権を持つ唯一の王族。
内宮長は貴方に平伏して王位へと誘う。
「どうか、この国を導いてください」
「嫌です。それに僕には一族を率いる責務があります」
「コゴミ殿下はこの国のお血筋。こんな僻地にいる鬼人ではなく、私たちの国を率いる重大な責務があります!」
内宮長は、王女を即位させ、残された貴族の中で一番力を持っている子爵を王配として迎え入れる計画を立てていたようです。
とはいえ王統維持には男性の方が都合がいい。
男性であれば、王妃だけでなく側室や妾が次代の王を生む可能性が増えます。
内宮長は泣き落としや脅しを駆使しこのままでは武力行使も辞さない、無理矢理にでも連れ帰るというとまで言い出しました。結局、貴方は折れました。
「姉様」
その眉間には皺が寄っていました。
納得いかないとき、気に入らないことがある時の癖です。
「はい」
「一緒にきてくれますか?」
「喜んで……陛下」
私は貴方に忠誠を誓う。
一族は全て貴方のものです。
命も捧げましょう。
「姉様、僕はそんなつもりじゃ」
「我が身、陛下に捧げます」
貴方は少しだけ悲しそうに微笑み、「わかった。よろしく頼む」と呟きました。
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