1-17.その瞳に住めたなら

 Sカフェからの帰りの道中も、麻宮さんとの話題は尽きなかった。彼女は俺のどうでもいい話を、楽しそうに聴いてくれていたし、彼女もまた、彰吾に迷惑を掛けられた過去の逸話などを話してくれた。

 そんな時に、やっぱり彰吾は俺よりもたくさんの時間を麻宮さんと過ごしていたんだなと考えてしまうのだった。幼馴染なのだから当たり前じゃないかと思いつつも、彼に嫉妬をしてしまう自分を嫌でも見せつけられてしまうのだ。

 話を聞いている限り、彰吾とは昔から仲が良かったというのはよくわかる。だが、どうして彼女はそんな彰吾ではなく、今日という一日の供として俺を選んだのだろうか。別に俺でなくても、それこそクラスの女子でもよかったはずだ。

 それに、ショップでどうしていきなりへそを曲げたのかも結局わからず仕舞いだったし、ボウリングの予定を決めたのも謎だった。彼女は『仕返し』と言ったが、一体何の仕返しだったのか、さっぱりとわからない。

 それに……初めて触れた彼女の手。暖かくて柔らかくて、優しく触れないと壊れてしまいそうだった。今、彼女の手は俺の手の甲からほど近い距離にある。その気になれば、手を繋げてしまう場所に……


「ねえ、麻生君。前、危ないってば」

「え? って、うお!」


 邪な事を考えていたのを見抜かれたのかと思い、声が裏返りかけてしまった。そして、目の前には電柱。あと少し気付くのが遅ければ、電柱に頭突きをぶちかますところだった。前を見てないで、彼女の手ばかり見ていたせいだ。


「もう……さっきから話しかけてるのに全然返事してくれないし、電柱にぶつかりそうになるし。どうしたの?」


 麻宮さんは、そんな俺を見てくすくす笑っていた。


「いや、なんでも……ちょっと考え事してて」


 あわよくば手を繋ぎたい、とか考えていたなんて、死んでも言えやしない。


「考え事もいいけど、ちゃんと前見て歩いてね?」

「はい……」


 彼女は悪戯な笑みを浮かべ、まるで園児を諭すように言った。

 きっと、呆けていて前もちゃんと見ていない子供、だとでも思われているのだろう。呆けていた事には変わりないので、全く何も反論できない。


「今日は色々付き合ってくれてありがとう」


 いつも待ち合わせているY字路に着いた時、麻宮さんが立ち止まって言った。このデートもどきも、もう終わりを迎えようとしている。


「服も買えたし、ボウリングも久々にできたし、素敵なカフェも教えてもらったし……凄く楽しかった」


 少し恥ずかしそうな、でもとっても素敵な笑顔で、彼女は言った。

 その笑顔に、思わず胸がきゅんとなってしまう。胸の一番柔らかい部分を突かれたような、そんな感覚。これまでの人生にはないものだった。


「そうか? 俺もその、楽しかったし、楽しんでもらえてたのなら、よかった」


 俺なんかでよかったのだろうか──そんな気持ちはやはりあるけれど、彼女がそう言ってくれるのなら、素直にそれは嬉しい。


「今日ね、改めて、なんだけど……東京に来てよかったなって思えた」


 麻宮さんは、視線を地面に向けて、手元の買い物袋を弄んだ。


「そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃないってば。新しい学校に馴染めるのかなって、ほんとは結構不安だったんだから」


 俯いているから、彼女の表情はよく見えない。まるで自分を何かに納得させるように、小さく溜め息を吐いていた。


「そうだったのか? ずっとここにいる俺よりもう馴染んでるけどな」


 言うと、麻宮さんは「それはそれでどうなの?」と笑って呆れていた。きっと、それが良くないからこうして寂しい人生を歩んでいたのだと思うのだけれど。

 彼女はもう一度視線を地面に移して小さく溜め息を吐いてから、俺を見て……目が合うと、それから逃げるように空を見上げた。


「うん……東京に来て、本当によかった」


 まるで自分に言い聞かせるように、彼女はそう繰り返していた。

 夜空を見上げた彼女の瞳には、夜の外灯のせいか、うっすらと膜が張っていたように思う。今にも涙が零れ落ちてしまうんじゃないかと見ていて不安になるほどだった。

 彼女が一体どうしてそんな表情をしているのか、俺には一切わからない。でも、この時見せた表情は……学校で見ていた麻宮さんのそれとは異なっていて、思わず抱き締めてしまいたくなってしまうほど、寂しげだった。その寂しげな横顔があまりに切なくて、儚げで……俺には何の力もないのに、守ってあげたくなってしまう。


「その、俺でよかったらさ……」

「ん?」

「いつでも買い物付き合うから。荷物持ちでもいいし、何なら、他の事でもいいし」


 彼女のそんな表情を見たからだろうか。自分でも驚くような事を口走っていた。いつもなら、こんな事思っても絶対に口には出せないのに。

 麻宮さんは、俺の方を見て一瞬驚いた顔をしたかと思うと、恥ずかしそうに笑って、ゆっくりと頷いた。


「……うん。じゃあ、今度は麻生君から誘ってね?」


 そして、嬉しそうにはにかんで、


「待ってるから」


 そう、優しく付け加えた。

 まだ彼女の瞳は、膜が張っていて、潤んだままだった。

 その瞳の奥には、どんな事を考えていて、何を抱えているのかは全く見えない。

 でも、俺はそんな彼女の瞳にもっと映っていたい。そして、その瞳の中に住んでしまえたなら……君がどうしてそんなに寂しげなのか、わかるのだろうか。そんな日が来るのだろうか。そして、そう考えてしまうのは、わがままなのだろうか。

 今の俺には、まだわかりそうもない。

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