11章・真樹と伊織

11-1.待ち合わせ

 桜が咲き乱れていた。風が吹くと桜の花びらが舞い散り、暖かい空気とともに、幻想的な雰囲気を演出している。

 空は晴れ渡り、春らしくぽかぽかしていて花見には絶好の日だ。だが、俺はそんな美しい環境には似つかわしくない暗い気持ちに支配されて歩いていた。いや、暗い気持ちというか、日々自分がちっぽけに感じられてならないのだった。

 俺はため息を吐いて、『花里中央公園』の入口にあった木製ベンチに腰掛けた。今日は、以前約束した伊織との花見デートの日だった。本来であれば、楽しみ過ぎて浮かれまくっていると言っても過言ではなかった。

 にも関わらず、何故俺はこんなにも暗い気持ちなのかと言うと……まず一つ目は、待ち合わせ時間を間違えて一時間早く来てしまった事だ。一時間遅れるよりはよかったのだが、色々ぐるぐる考えていたら、LIMEに記されていた時間を見間違えていたのだ。

 もう一つは、これこそ俺がぐるぐる考える原因なのだが、先日の神崎君の話である。俺は澄み渡った青空を仰いで、目を瞑った。

 先生との失恋話、それから、双葉さんの告白。そして先生に対する気持ちと、双葉さんへの気持ちの差で悩む神崎君。どちらも好きだと思いつつも、好きの度合いや種類が異なっていて、本人ですら困惑していた。

 そんな彼を見ているうちに、事情を知っている双葉さんも自分に自信が持てなくなり、彼女としての立ち位置にいていいのか、迷っていた。それが、神崎君と双葉さんの喧嘩の根本的な理由だった。

 彼の話を聞いてから、俺はずっと考え続けていた。考えれば考えるほど暗くなっていき、自分の小ささを痛感した。

 俺は、自分ばかりが苦悩していると思っていたのだ。恋人が、自分の力量ではどうすることもできない辛い過去を持っていて、それを支えていかなければならない、と。

 もっと自分を高めて、伊織の全てを受け止めてやれる男に一刻も早くならなければならない……それは確かにその通りなのだが、それを意識し過ぎるあまりに、自分だけ苦しくて、周りは何も悩まず楽に生きていると思ってしまっていたのだ。お前らはどうせ普通の男女交際をできているのだろう、と。

『神崎君はさ……双葉さんの全てを背負う覚悟、ある?』

 よくもまあ、あんな上から目線でモノが言えたものだ。あの遊園地での自分をぶん殴りたくなる。神崎君だって、双葉さんだって、悩んでいたのに。

 誰だって何かしら悩んでいるし、他人から見れば大した事では無い悩みでも、本人にとっては重大な悩みだってある。皆人知れず悩みながら成長している。自分だけが悩んでいるのではない。


「はぁ……俺ってほんと小せぇな」


 溜息を吐いて、ベンチに寝転がった。快晴の空に桜の花びらが舞っていた。ぽかぽかとした春の暖かい空気が、俺の眠気を誘う。まだ待ち合わせ時間まで少しあるし、ちょっと寝ようか? そう思った矢先だった。


「どうして真樹君が小さいの?」


 べンチの後ろからひょっこりと俺の大好きな人が現れて視界を覆った。

 俺は驚きのあまり、目を見開いて上手く反応できなかった。不意を突かれると言葉を失うというのは本当らしい。


「ぜ、全然反応無し? 少しくらい驚いてほしいなぁ」


 伊織は少し不満そうに口を尖らせ、ベンチの前に回った。


「バカ、ビックリしたっつの。人間、本当にビビると声すら出ないんだ。実際心臓二秒は停まってたからな」


 俺は慌てて起き上がって彼女に応える。


「そう? なら良かった」


 言って、伊織はくすっと笑った。一体何が良かったのかはさっぱりわからない。


「お前こそどうしたんだよ? いつもは時間ちょうどに来るのに」


 時計を見てみると、まだ待ち合わせ時間の二〇分も前だった。伊織は待ち合わせ時間には遅れないが、それより早く来ることもあまりない。


「さては時間間違えたな?」


 一時間も前からここに居てよくこんな事が言えるものだ。自分で言ってて呆れてしまう。


「違うってば。待ち合わせしたら、いつも真樹君の方が早いじゃない? だからたまには真樹君より早く来ようと思ったんだけど……いつもこんなに早いの?」

「今日はたまたま早かっただけ。普段は五分ぐらい前かな」


 本当は十分前に来るようにしているが、下手に気を遣わせない為に少し遅目に答えた。


「今日はどうしたの?」

「ん? いや、せっかく桜も咲いてるし、春の空気を一足先に感じようかと……」


 決して待ち合わせ時間を間違えて一時間も前からここに居たってわけじゃないさ、と心の中で言い訳した。


「……って言うのは今考えた言い訳で、本当は待ち合わせ時間を間違えたりしちゃってたりして?」


 伊織は小悪魔みたいな悪戯な笑みを見せて言った。

 なに? なんでわかったの? この人いつの間サイコテレパスか何か身につけちゃって心見抜けるようになったの?

 しかし、ここで屈するわけにはいかない。俺にもプライドと言うものがある。


「そ、そんなわけねーだろ? 春の空気をだな、独り占めしようと……」

「だよねー。真樹君がそんなミスするわけ無いもんね?」


 彼女はからかいの表情を崩さなかった。そんな表情ですら愛しくて抱き締めたくなるのが憎たらしい。


「ほら、そんなつまんねー話は良いから、早く行こうぜ。春と言えば桜だろ、やっぱ」

「あ、逃げた。図星だったんだ?」

「断じて違う!」


 断固否定する俺を見て、伊織はくすくす笑って俺の手を取った。

 何か悔しいけれど、幸せだった。

 そう、神崎君に言われるまでもない。

 俺は、絶対にこの手を離してはいけないのだ

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