7-5.嫌な予感

「修学旅行のグループは、五人以上で組む様にして下さい」


 修学旅行の説明の後、担任が言ったその言葉に、俺は内心舌打ちをしていた。何でわざわざ五人以上なのだろうか。別に人数など固定しなくとも、一人でも二人でも良いと思うのだ。もしもの事態を鑑みると、確かに一人では危険だ。しかし、二人程度であれば、構わないのではないだろうか。というより、俺は伊織と二人がいい。実はそれだけだ。

 溜息を吐いて教室を見ると、信がピーンと背筋を延ばして手を上げていた。無駄に演技がかっているところで、嫌な予感がした。


「はい、穂谷君。何でしょう?」

「先生、グループについて異議有りです!」


 その言葉に教室がざわめく。一体あのバカは何を考えてるのだろうか。クラス中の視線が信に向けられていた。


「……っていうか、これは俺の異議じゃなくて、俺のダチの声を代弁したいと思います」


 何だこいつは。とうとう頭もおかしくなったか?

 伊織を見ると、彼女も首を傾げていた。しかし、次に彼が言った言葉は、俺の意識を遠ざけるものだった。


「我が親友、麻生真樹は『俺は伊織と二人でいたいんだバカ野郎! 今更五人でやってられるか!』と間違いなく思ってるはずです! 彼の声を聞いてやって下さい!」


 視界が真っ白になった。教室に爆笑が起こり、俺達を冷やかす声が耳の奥で児玉した。

 また信の言葉が見事に的中してる事に情けなくて堪らない。もはや信に怒鳴る気力さえなくなり、伊織の方をちらっと見てみると、周りの女子に突っつかれていた。

 すると、担任は生徒達に静粛にするように注意してから、俺の方を向いた。


「麻生君……気持ちは解りますが、これはあくまでも修学旅行です。そこのとこをちゃんと自覚して──」

「俺がいつそんな事言ったんですか! あれは信が勝手に言ってるだけでしょうが!」


 再び爆笑が沸き起こった。担任まで笑ってやがる。

 もうヤケクソだ。十人グループでも二十人グループでも好きな様にしやがれ、とふて寝してやる事にした。


「おーい、麻生くぅん。グループ決まったよ~?」


 ふて寝している俺の頭を誰かがコンコンとノックする様に叩いた。別に本当に寝ていたわけではない。俺の周りに人が集まっていたのもわかっているし、誰がいるのかも大体見当はついていた。

 めんどくさそうに体を起こすと、俺の頭をノックしていた眞下詩乃が真っ先に目に入った。彼女のにやにやした顔が苛立ちに拍車をかける。


「良かったねー、大好きな伊織も居て」


 近くにいる人間を見てみると、眞下詩乃・穂谷信・泉堂彰吾・中馬芙美……そして一番遠いところに、麻宮伊織がいた。


「「あっ……」」


 ふと、伊織と目が合う。教室でからかわれた事もあって恥ずかしくなってしまい、俺達は同時に目を逸らした。って、何をやってるんだ、俺達は。小学生じゃあるまいし。

 それを見た眞下と信が噴き出した。


「あんた達、ほんとに付き合ってんの? 何だか小学生みたいな反応よ?」


 やかましい。それは今しがた俺も思ったところだ。


「おい麻生、俺にもちょっとは気ぃ遣わんかい」

「別に俺はそんなつもりじゃ……いや、悪かったよ」


 彰吾がむすっとして俺を睨んでいたので、言い返すよりも前に、謝罪の言葉が出ていた。

 彰吾は先月二十三日、伊織に長年の想いを伝えたが、振られた。それ以来、俺達は同じバンドでありながらもこの時折このように気まずいムードになる事がある。そういった場合は、とにかく俺が下手に出る事で何とか関係を繋いでいた。そして彰吾がこんな態度をした時、伊織もまた、とても気まずそうな、そして申し訳なさそうな顔をするのだった。


「まぁまぁ、落ち着け。一応五人以上のグループって事になってるけど、向こうに着いたら分担すりゃいいじゃねぇか。な?」

「そうそう。それに、分担してレポート制作した方が効率的じゃん?」


 信と眞下が気を利かせてくれた。

 このグループで予めどこを回るかを決め、それをレポートに書いて提出するというのが修学旅行の課題だ。それを考えると、確かに分担した方が良い。というか、分担して欲しい。

 気まずいのは彰吾とだけでなく、中馬さんとも気まずい関係は続いている

 伊織や彰吾を傷つけないように神経を尖らせつつ、更には中馬さんにまでって気遣う……結構、無茶な話だった。

 どうしてただ想いを伝え合い、確かめ合っただけなのに、こんなに気まずい想いをしなければならないのだろうか。

 結局その日のロングホームルームはグループ決めだけで終わった。


 ◇◇◇


 翌日の土曜日、ホームルームが終わると、俺は伊織と冗談を言い合ってる信の元へ行った。


「あ、信。今日一緒に帰らねーか?」


 信はその言葉に溜息を吐いて伊織を見て、再び視線を俺に戻した。


「お前なぁ~……何で可愛いカノジョを誘わず俺を誘うんだ? 麻宮に失礼だろ」

「別に私は失礼なんて思わないよ?」


 伊織は本当に何とも思っていないのか、きょとんとしている。この辺りは付き合う前から何も変わっていない。


「いや、伊織が一緒でも構わないよ。どうする?」

「あ、ごめん。これから詩乃達とカラオケ行くって約束しちゃったから。それで、真樹君も連れて来てって言われてたんだけど……無理、よね?」

「おい待て、何で麻生は誘われてて俺が誘われてないんだよ」


 その言葉は聞き捨てならん、と信が間に入ってきた。


「だって信君、マイク離さないでしょ? 今日は人数多いから、ダメなんだって」

「ひでぇ……俺はそんな風に思われてたのかよ」


 その言葉にショックを受けたようで、信はガックリと肩を落とした。そして、伊織の指摘はおおよそ正しい。こいつはマイクを渡すと離さないし、そしてマイクを持っていなくても勝手にハモってくる。一緒にカラオケに行きたくない奴ナンバーワンだ。


「人数が多いって?」

「神崎君と明日香ちゃんが、普通科の人達を連れて来るんだって」


 おい、ちょっと待て。それって……。


「それ合コンになりそうじゃねーか? 麻生も行った方がいいだろ、その流れ」


 俺の言葉を代弁するように、信が待ったをかける。文句を言いながらもこうした気遣いをしてくれるのが信のいいところだ。


「いや、俺今日バイトなんだ。土曜だけはキツいから来てくれってマスターに頼まれたんだよ」


 俺がSカフェでバイトする期間は、当初冬休みまでの間だけだった。実は伊織にクリスマスプレゼントを買うだけが目的だったので、いずれにしても長く続けるつもりはなかった。しかし、土曜日だけは人手が足りないので、毎週手伝いを頼まれている。またいつ金が必要になるかわからないし、週一程度のシフトであればそれほど負担でもない為、続ける事にしたのだ。


「そっか。じゃあ、私も行くの辞めようかなぁ……」


 多分、伊織本人としてはあまり行きたくないのだと思う。ただ誘われただけというか、断れなかったというか……文化祭の一連の流れから見ても、伊織は案外押しに弱い。


「カラオケくらい行ってくればいいんじゃね?」


 とりあえず俺はそう言った。合コンがどうとかはいまいち深く考えていない。神崎君や眞下もいるわけで、別にそこまで心配する必要もないと思ったのだ。


「えっ、良いのかよ?」

「二人っきりになるわけじゃねーんだろ? なら別にいいだろ。男が参加するからって彼氏同伴なんて聞いた事ないし」


 心配じゃないかと言われたら心配ではあるのだけれど、そこまで過敏になって束縛していたら、伊織とて生活しにくいだろう。誰も知らない連中の中に伊織を放り込むわけではないので、そこまで不安がる必要もない──と思いたい。


「あの……ほんとにいいの? 私、別に行かなくてもいいんだよ?」

「束縛したくないんだよ。それに約束してたのにドタキャンはやっぱまずいって」

「そっか……そうだよね。うん、じゃあ行ってくる」

「楽しんでこいよ?」


 伊織は微笑んで頷き、眞下達カラオケに行くメンバーのところへ行った。その後姿からは、嬉しそうには見えなかった。


「なあ、麻生……前にも似たような事訊いたけど、お前は本気で放任主義なのか? それとも無理してそれを装ってるのか?」

「前者寄りの後者だな」


 俺は苦笑して答えた。ある程度自制して独占欲を抑えないと、とことん束縛してしまいそうで恐いのだ。そんな事はきっと伊織だって望んでない。


「ははっ、やっぱりそうか。男らしいと言うか、バカと言うか……判断に困るぞ」

「困ってるなら〝男らしい〟って思っといてくれ。その方がまだ救われる」

「やっぱり〝バカ〟だな」

「何だよそれ」


 信は溜息を吐いて、俺の目を見据えた。


「あのな? 女ってのは複雑でさ……たまに束縛して欲しい時もあるんだよ」

「でも、カラオケくらいで束縛してちゃ話になんねーだろ?」

「そうか? さっきの麻宮は、明らかに止めてもらいたがってたけどな」


 信のその言葉に、何か背中を急き立てられるような不安感を抱いた。伊織の本音を俺も無意識に感じていたからかもしれない。

 急に不安になった俺は伊織を見ると、彼女が俺の視線に気付き、小さく手を振った。俺は無理に笑みを作って小さく手を振り返す。


「伊織はあたしがちゃんと守るから、麻生君は心配せずにバイトに専念しなさいよー」


 横にいた眞下がぶんぶんと手を振ってそう言ったので、俺は頷いてから、帰り支度をした。

 伊織の背中を見送っていると……何故だろう、その時急に胃が重くなった。

 嫌な予感。そう表現して間違いない。毎度の事ながら、俺はそれが外れる事を祈っている。しかし、残念な事に、未だそれは外れた事がなかった。

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