6-11.安堵
夜の十時を回った頃……部屋で落ち着き無くごろごろしていると、スマホの通知音が鳴った。光よりも速く起き上がってスマホの通知を確認してみると、そこには伊織の名前が表示されていた。音速で彼女とのLIMEトークを開く。文字が出るまでの一瞬ですら遅く感じて、苛立った。
『明日からまた頑張るね! もちろん彰吾も』
変なキャラがマイクを持って唄っているスタンプも一緒に送られていた。それを見た途端「はぁぁぁぁ」と深い安堵の息を吐き、もう一度ベッドに寝転がった。どれだけ俺がこのLIMEに安心させられたか、おそらく伊織本人は全くわかっていないだろう。文体から見る限り、どうやら話が纏まったらしい。もう我慢できなくて、リダイヤルから伊織の番号を呼び出して、発信ボタンをタップした。
『えっ、あっ……もしもし?』
一度目のコールの途中で彼女は電話に出た。予想より早く彼女の声が聞こえてきたので、息を詰まらせてしまったのはここだけの話だ。
「あの、俺だけど……都合悪かったかな?」
『ううん、違うの。そうじゃなくて……私も今ちょうど電話したいなって迷ってたところだったから』
凄い偶然だね、と伊織は笑った。
「そういうの、シンクロニシティって言うんだぜ」
『シンクロニシティ……?』
「意味のある偶然の一致って事かな」
シンクロニシティとは、心理学者ユングの提唱した言葉で、『共時性原理』と一般には訳されている。複数の出来事が、非因果的に意味的関連を呈して、同時に起きる事だ。一般的には、『意味のある偶然の一致』と定義されている。
例えば、今がまさにそうだ。伊織は電話をしたいと思っていた。その時、本当に俺から電話がかかってきた。他にも、偶然噂話をしていた当人がいきなり現れた、等もシンクロニシティと言えるだろう。漫画や映画などでもよく使われる手法で、病室にいる家族が亡くなると同時に、その家族が大切にしていたものがいきなり壊れたり、神棚がガタンと崩れ落ちたりするような描写が、シンクロニシティだ。
シンクロニシティは、俺達の電話のように解釈次第ではプラスの意味にも受け取れるし、神棚のようにマイナスな意味とも受け取れる。ただの偶然だと言われればそれまでだと思うが、俺は何かしら意味があると思うのだ。
と、この前本で読んだ知識をそのまま披露してやると、『真樹君、博識!』と伊織が感心してくれた。今こっそりとその本を片手に持ちながら話しているのは、もちろん内緒だ。
「そうでもないよ。まぁ、要するに見えない力が働いてるって事かな……って、こんな事はどうでもいいか」
互いにふっと笑った。電話越しに伊織の吐息が聞こえる事だけでも嬉しく思える。それと同時に、自分がどれほどこの電話で安心させられているのかも実感してしまった。なんだったら今すぐ彼女の家に行って会いたいくらいだ。
『それで……どうしたの? 真樹君から電話があるなんて珍しいね』
「ちょっと、聞きたかったから」
『あ、彰吾の事?』
「いや、それもそうなんだけど……とりあえず声が聞きたかった」
『えー? どうしたの? 真樹君がそんな事言うなんて、珍しいにも程があるよ』
伊織の声色は嬉しそうだ。何となくどんな顔をしているのか想像できてしまう。こうやって、相手の表情を想像しながら電話するのも、結構新鮮かもしれない。
「悪かったな、珍しくて」
『ううん、嬉しい……』
電話越しだが、照れているのは何となく解った。今気付いたが、確かに俺も大胆な事を言っている。声が聞けただけで浮かれてしまっているのかもしれない。電話の向こうから伊織を引っ張り出したいのが本心だが、さすがに現実的には無理な話だ。
『……あの、ごめんね?』
唐突に伊織が謝ってくる。
『それだけ不安にさせちゃったって事でしょ? 私が今日の真樹君の立場なら……きっと辛かったと思うし』
「バカ。俺はそんな弱くねーよ」
嘘を吐け、と自分にツッコミを入れた。俺という奴は相当な見栄っ張りらしい。自分で自分を苦しめている様なもんだ。
「ただ、彰吾がトチ狂って襲ったりしないかっていうのは心配したけどな」
『もうっ、さすがにそれは無いよー』
伊織はくすくす笑ってそう言った。ちょっと心配していたのに、笑う事はないだろう。
『彰吾もあの時と違って、冷静だったし……そんな事する人なら、きっとこんなに長い付き合いにはなってなかったよ』
「そっか。そうだよな……悪い」
『ううん。そうやって心配してくれるのも嬉しいよ?』
そんな事を言われると束縛に歯止めがかからなくなるからやめてほしい。
それから、彼女は二人で話し合った内容を教えてくれた。とりあえず、彰吾は告白した事に対して謝罪したようだ。バンドや俺との事が気まずくなるとこまで考えられていなかった、軽率だった、と。彼としては、伊織に受け入れてもらえる見込みが多少あったのかもしれない。或は、俺と付き合う前に気持ちだけでも伝えたかったのか……真相は、彰吾にしかわからないけど。
それからバンドについても話し合ったそうだ。お互いが辛いならどちらかがやめようという話になったのだが、それは二人で決めるのは自分勝手過ぎるので、もう少し時間を置いてから考えると結論を保留したそうだ。
この話から察する限り、伊織と彰吾は、以前程仲良くとまではいかないが、最低限の友達としての関係は続けていくようだ。伊織にとって、彰吾とそのご両親はとても大切な存在であるはずだ。少なくとも、大変だった時の彼女を救ったのは間違いない。俺と付き合っているからと言って、彼らとまで絶縁してほしくなかった。
『あっ……それとね』
伊織は少し躊躇しつつも、恥ずかしそうに言葉を続けた。
『ちゃんと言ったから。真樹君と付き合ってるって』
その言葉に、ドキッとする。心臓が高鳴った。彰吾は、一体どんな反応をしたのだろうか。
「……何て言ってた?」
『ううん、何も。頷いただけだった』
「そうか……」
彰吾がどんな気持ちだったのか、想像するだけで胸が苦しくなる。何年間も好きだった女の子が、ひょっこり現れた奴に奪われるなんて、客観的に見るとあまりにひどい。ただ、俺がやった事は、そういう事なのだと自覚しておく必要があった。
『……ひどいね、私』
「そんな事ねぇよ。仕方ないだろ」
他に好きな人がいたり、恋愛対象として見れなかったりしたら、断るのは仕方ない。本当にひどいのは、二股をかけたり、遊びで付き合ったりする奴等の事だ。いや、彼から少なくとも彼にとって全てとも思えるような、伊織という存在を奪ってしまった俺も十分ひどい。
「逆にさ……俺からしてみれば、そうやって悩むところも伊織の良いとこなんだよ」
『え、そうかな?』
「そうだよ。周りにいないか? 誰々に告られたけど振ってやった! とか嬉しそうに自慢してる奴。人の気持ちを真剣に考えてたらそんな事言えないだろ?」
『うん……自慢する事じゃないと思うし、気持ちを伝えてくれた人に失礼だよね』
「そこだよ。真面目っていうか、優しいっていうか……お前のそういうとこ、すごい好きなんだ」
俺がこう思うのは、白河莉緒がいたからだ。彼女は俺の告白を、わざわざ伊織にもわかるように、クラスに流布した。伊織は何も言わないけれど、きっと知っているはずだ。
でも、伊織なら絶対にそんな事はしない。これまでに何人からの告白を断っているはずだが、彼女は自分の口からそれを他者に話す事はなかった。もちろん、誰から告白されたかも言わないだろう。それは、相手の気持ちに真剣に応えているからこそだ。そして、真剣に気持ちを打ち明けてくれたからこそ、彼女はその気持ちを無碍にする事はない。伊織は本当に優しい女の子なのだ。今のご時世で、こんなに優しい子は珍しい。
大抵ちょっと可愛かったりモテたりしたら調子に乗るものなのだけれど、伊織には全くそんな気配が無い。そうやって周りに気を遣っているからこそ、彼女から気苦労が絶えないのだけども……そうやって周囲にずっと気を遣って気苦労をしている様でさえ、彼女の魅力と思えた。
『ありがとう……私も真樹君のそういう優しいところ、大好き』
伊織は照れているのか最後の方は小さくなっていたが、何だか耳元で囁かれてるようで、効果が倍増してしまっている。ああ、畜生。今から会いに行っちゃだめかな。
『な、何だか電話だと変な感じだね! 真樹君も大胆になっちゃうし』
「う、うるさいな」
これは電話のせい、というより、今日一日死ぬ程不安だったからだ。何か自分の気持ちを伝えないではいられない心境に追いやられていた。もちろん、電話だったからこそ言えてるというのもある。面と向かわない分いつもなら言えないような恥ずかしい言葉を言ってしまう上に、結構深い事まで話せるから、電話は不思議だ。でも、大事な話など、顔を見て話した方がいいものもあるし、逆に電話だと喧嘩に発展してしまう場合もある。
今は、どっちがいいのだろうか。ふとそんな事を考えていたが、次の瞬間、俺はこう言っていた。
「あのさ、伊織。ちょっとだけでいいから、今から会えない?」
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