6-9.生まれてしまった歪み

 翌日、久しぶりのスタジオ練習だった。スタジオ練習は二週間ぶりで、今日から四日間毎日行う予定だ。Sスタジオの須田店長が今日から四日間北海道旅行に行くらしく、俺達に好きなだけ使えと鍵を貸してくれたのだ。普通の練習スタジオなら、まずこんな事してくれない。このあたりは、個人経営のスタジオの強みだ。

 演奏予定曲はこの前文化祭でやったコピー曲とオリジナルを二曲。技術的にはおそらく問題は無い。しかし、Unlucky Divaから文化祭の時のような一体感は感じられなかった。一応人様に聞かせれるレベルではあるとは思うが、メンバーである俺達が団結しているようには思えなかった。俺がそう感じるのだから、みんなも感じているだろう。

 原因はもちろん、伊織と彰吾だ。二人は一応挨拶程度の言葉は交わしていたが、互いに顔を見ることもなく、明らかに気まずいオーラが漂っている。今は休憩時間であるが、彰吾は気まずいからなのか真っ先に外をぶらつきに行ったし、伊織も「お手洗いに行ってくる」と言って、スタジオから出て行ってしまった。

 俺と信と神崎君は、何だか気まずい空気が残ったままのスタジオ内で顔を見合わせた。


「何か空気変だよね」

「変というか重いんだよ。麻生、さっさと責任取れ」

「何で俺なんだよ」

「当たり前だ。お前が麻宮と付き合うからこうなったんだろうが」


 それは違う。俺達が付き合ってなかろうが結果は同じだ。付き合う前に彰吾は先に振られていたのだから。


「あっ、遂に付き合う事になったんだ? おめでとう」

「いえいえ、どうも」


 俺と神崎君は何だかよくわからないが律義なやり取りをした。


「そんな事言ってる場合じゃないだろ! どーすんだよ? このままじゃ恥かくぜ?」

「恥かくって……そんなにひどかったかな?」


 神崎君に訊いてみた。


「うーん……文化祭のライブを見た人は『あれ?』って思うかもしれないけど、パッと見ではそんなにひどくなってはいないと思うよ。ただ、演ってる僕等にしてみたら何だか違和感があるっていうか、スッキリしないけどね。耳が肥えてる人なら一発で見抜かれると思う」


 普通の人には多分わからないよ、と神崎君は言った。

 やはり彼も俺と同じ感覚らしい。おそらく違和感とは、俺達の空気そのものが重くて暗いからだろう。いつも彰吾は信と漫才みたいな事をして笑わせていたし、伊織はただ横にいて一緒に笑っているだけで何だか明るい気分にさせてくれた。

 そう……違和感の原因とは、笑いがない事と音楽を楽しんでいない事。その原因はやはり彰吾と伊織にあるのだけれど、もちろん俺も無関係ではない。


「でもよぉ、今の演奏見られたら須田店長に怒られんぜ? 誰にでもできる演奏をしてたら俺達ここ使わせてもらえなかっただろうし」


 そこが問題なのだ。今俺達のやっている音楽は、音楽雑誌やネットのメンバー募集でようやく集まって、お互いの素性も解らぬまま初めてスタジオに入った感じに似ている。お互いが顔色を伺いながら、よそよそしい音楽を奏でているのだ。

 それに、信が神経質になっているのには、別の理由もある。次のライブは、学祭のように、高校生だけのライブではないという点だ。謂わば、ちゃんとしたライブイベント。アマチュアの無名バンドしか出ないが、それでも、初めてちゃんとしたバンドと共演し、お金を払ってきている人の前で演奏をするのだから、恥をかきたくないのだろう。学祭の演奏発表会とは根本が異なるのだ。


「今日はもう練習終わりにする?」

「まだ始めてから一時間も経ってないだろ」


 神崎君と信の意見が割れた。ライブまで残り四日、せっかく自由にスタジオを使えるのだから、みっちり練習したいという信と、今のまま練習しても調子を崩しかねないという神崎君の意見が分かれたのだ。どちらも正しいように思えて、俺はううむと唸った。


「音合わせが出来て技術的には問題無いって解っただけでもとりあえず今日は良しとして、二人にメンタル面の方を何とかしてもらった方が良いんじゃないかな?」


 神崎君の意見は的を射ている。しかし、今日一日早く切り上げたところで二人の関係が回復するわけではない。人間関係のこじれは風邪のように自然治癒せず、放っておいたら悪化する場合があるのだ。


「急がば回れってやつか……確かにそうだな」

「それに、僕等は二人の事情を知らないわけで、何がどうなってるかさっぱりわからないんだよ。その点を麻生君に訊いて、どうすればいいのか考える時間が欲しいからね。二人だけの問題になら関わるつもり無いんだけど」


 このままじゃバンド活動に支障が出る、と神崎君は黙って言った。


「原因って、麻生が付き合い始めた事だろ?」

「いや、僕はそうは思わないな」


 信のその問いに、真っ先に否定したのは、神崎君だった。


「もし自分に原因があると思ってるなら、麻生君の場合何かしら行動してるはずだと思うんだけど、違うかな?」


 一瞬戸惑ったが、頷いた。神崎君がそこまで俺を見てくれていたのは、少し意外だった。

 確かにこの件に関して、半分は他人事として見ている俺がいる。というのも、俺が間に入っても状況を悪化させるだけで、何の解決にもならないからだ。彼の言う通り、もし俺が原因でこうなっているのであれば、何かしら手は打つ。でも、これは伊織と彰吾の気持ちの問題なのだ。外野の俺がどうこう言える問題ではない。


「そっか……じゃあ、今日は練習終わりだ! 彰吾には戻って来たら伝えるから、麻生はカノジョさんに伝えてこいよ。ちゃんと状況は聞かせてもらうからな」


 反論は許さぬ、という表情を作って信は言った。二人の問題だと思ったから誰にも言う気は無かったのだが、この状況ではそうもいかない。神崎君も同じ気持ちなのだろうが、このままでは音に支障が出る。というか、現に出ている。このままみんなが気持ち悪い状態でスタジオに入るのは、確かに時間の無駄とも思えた。

 溜息を吐いて、時計を見た。まだ伊織は戻っていないが、トイレにしては少し長い。

 どこにいるんだろうかと思い、スタジオを出て奥のトイレ方面に向かうと、彼女は休憩室のベンチに座っていた。憂鬱そうな表情をしたまま、手に持っているペットボトルのラベルを指でカリカリと削っている。


「……伊織?」

「あっ、もう練習始まる?」


 こちらに気付いた伊織はハッとして立ち上がった。無理をして作っている笑顔が痛々しい。


「いや、今日はもう終わりにしようって話になった。これ以上続けてもメリット無いだろうし」

「そっか……ごめん」


 伊織はうなだれるようにして謝った。


「昨日せっかく真樹君に色々話してもらって、ちゃんと普通にしようって思ってたんだけど……やっぱり本人を前にしちゃうと気まずくなっちゃって」

「まぁ、そんなもんだろ」


 周りに信達がいない事を確認してから、伊織の肩をそっと抱いて、髪を撫でてやる。


「俺の言葉ぐらいでどうにかなるなら、お前だってあんなに泣かなかっただろうし……気持ちの切り替えって結構難しいからさ。そんな思い詰めんなって」

「ありがとう……真樹君は優しいね」


 その言葉に対して何も答えられなかった。多分俺は優しくない。優しい人間なら、こんなにも周りの人間に辛い思いをさせてないはずだ。伊織や彰吾、それに中馬さん──俺は周りを傷つけてばかりだ。誰も傷つけたくないのに、誰かを傷つけざるを得ない。そんな自分が嫌だった。考え始めると自己嫌悪に陥りそうになる。

 スタジオに戻ると、彰吾も戻ってきていて、みんなは帰る準備をしていた。


「いやー、ほんまスマン! 何や今日はえらい体調悪かったんや」


 彰吾が明るくそう言った。無理をしているのは見え見えだ。


「気にすんなよ。ドラムはバンドの要なんだから、しっかり休んでくれ」


 とりあえずそう返したが、口にしてから自分でも『どの口が言ってるんだか』と呆れた。体調が悪くて演奏がまとまっていないわけではないのを知っているくせに、よくもまあこんな白々しい言葉が吐けたものだ。

 一方の伊織は俺の背中に隠れるようにして、楽譜や飲物等を鞄に仕舞っている。このままじゃ本気でやめるかも知れない──その様子を見て、俺はそう思った。

 伊織は歌の才能もあるし、せっかくバンドを好きになってくれたのに……これをこんな形で辞めさせたくないな、と思う。俺みたいな無能が辞める事で伊織がバンドを続けてくれるなら、俺は喜んで辞める。だが、俺が辞めたところでこの二人の関係は変わらない。それに、俺が辞めたら伊織も辞めると言い出すだろうし、結局のところ、この二人の人間関係を何とかしない限り、この状況は打破できないのだ。

 信と神崎君もそんな彼女を溜息混じりに見ていた。


「今日はごめん……明日は頑張るから」


 支度を終えた伊織が、そう言ってみんなに頭を下げた。暗い表情のまま帰ろうとしたので思わず呼び止めようとしたが、先に彰吾が彼女の名前を呼んだ。


「あーっ、伊織! ちょぉ待ってや」


 いきなり彰吾に呼び止められ、伊織はビクッと体を震わせて「な、なあに?」と振り返った。その笑みはぎこちなく、視線は泳いでおり、彼を直視できていない。俺達三人も驚いて彰吾に視線を送っていた。まさか声をかけるとは思わなかったし、何を言う気だと不安を覚えたからだ。


「元気無いモン同士でラーメン食いに行こや、ラーメン! 伊織の好きな薄味ラーメンの美味い店見つけたんや」

「えっ……?」


 伊織はちらりとこちらを見た。それに対して、笑みを作って『行ってこいよ』という意志を込めて、頷いてやった。一瞬、沈黙がスタジオを支配したが──


「……うん、いいよ。久しぶりにラーメン食べたいかも」


 伊織は迷いながらも、その申し出を承諾した。俺に対して、凄く申し訳無さそうな表情を見せている。


「ほな、俺等先に失礼するわ」

「お疲れー」

「お疲れ様」


 信と神崎君は上がり時の決まり文句を言っていたが、俺は何も言えなかった。パタンと扉が閉まった後、大きく溜息を吐く。嫉妬と不安と、二人の関係を想う気持ち……そういったものが俺の中で葛藤を繰り広げていたのだ。


「行かせて良かったのか?」

「……俺等もメシ食いに行こうぜ」


 信の問いには答えずに、せっせと片付けをした。俺には何もできない。あの場で俺も一緒にラーメンを食いに行くわけにはいかない。かと言って、止めてもメリットが無い。

 結局のところ、伊織を信じて、何も起こらず仲直りしてくれる事を祈るしか、俺には選択肢が無かったのだ。

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