1-13.変わりつつある環境

 俺達が教室に入ると同時にチャイムが鳴った。


「間に合ってよかったね」

「何とかな……それにしても疲れた」

「そんなに疲れる程走ってないでしょ。麻生君、最近運動不足なんじゃない?」


 肩で息をする俺に、麻宮さんが笑いかける。


「ほっとけ。俺は走る事とか運動が嫌いなんだよ」

「だらしないなぁ」


 呆れたように彼女が笑っていて、そこには何だかずっと知り合いだったかのような親しみがあった。にやけそうになってしまったので、照れを隠す為にも机に突っ伏していると、早速喧しい声が聞こえてくる。


「くるぁっ、麻生! 二人で登校とは良い身分だな!」


 穂谷信だった。しまった、とその瞬間に思う。こうやって信達に絡まれないよう、いつもトイレに行ったりして麻宮さんと教室に入るタイミングをずらしていたのだが、今日は時間の余裕がなかったのだ。


「あ? たまたま一緒だっただけじゃねーか。俺は疲れてんだよ」


 こういった信の言葉には聞く耳を持たない。相手にしないのが一番なのだ。


「伊織~! 何で俺と一緒に来てくれへんねん⁉」


 前の席からは彰吾の泣き崩れるような声が聞こえてきた。彰吾が麻宮さんに対して難癖をつけているようだ。ちなみに泉堂の事を俺も〝彰吾〟と呼ぶようになっている。本人から苗字じゃなくて名前で呼べと指摘されたからだ。


「だって、彰吾とは通学路が逆じゃない」


 麻宮さんがちょっと面倒臭そうに溜め息を吐いて、じとっと横目で彰吾を見る。

 同じ時期に転校してきて幼馴染みと言ったら住んでいる場所も近いのかと思えば、実は彰吾の家と麻宮さんの家は高校を挟んで対極の位置にある。ほかに空き家がなかったのだろうか? このあたりの事情は結構謎だった。


「せやかてコイツと来んかて良いやんか~!」


 ぎろりと襲い掛からん勢いで俺を睨んでくる彰吾。面倒臭い……。


「私が誰と来ようと勝手でしょ? ほら、もう授業始まるよ」


 そんな彰吾をさらっと流す麻宮さん。この二人の関係もいまいち掴めなかった。付き合われていても困るのだが、麻宮さんは彰吾が嫌いなのだろうかと思うくらい突き放している節もある。

 彰吾が彼女を好きなのは誰から見ても明らかなのだが、わざわざ一緒に転校してきたのに、麻宮さんは彰吾と意識的に距離を置こうとしているようにも感じる。本当にこの二人の関係は謎だった。


 ちょっとした悪い癖が出てしまって、いや、決して悪気があったわけではないのだけれど、俺は……英文法の授業をサボってしまった。理由は無い。ただ何となくめんどくさかっただけだ。どうせ英文法をゴチャゴチャ細かくわかり難くやるだけの授業だ。あんな授業にでるより自分でやった方がマシだと自分に言い聞かせ、図書室にこっそり入って勉強する──のを建前に、ちょっとだけ寝た。

 授業の時間が終わって教室に戻ると、麻宮さんではない二人女子から声をかけられた。


「あれ~? 麻生君さっきの授業いなかったんじゃないの?」


 そう声をかけたのは、眞下詩乃という子だった。横にはミステリアス眼鏡美人・中馬芙美もいる。

 眞下詩乃は、ショートカットで元気一杯の女の子だ。いつでもテンションが高くて、入学当初はたまに話す仲だったが、知らない間に話さなくなっていた。俺の評判が悪くなったからか、俺と話すなとクラスの女共に言われたのかは知らないが、そんな彼女が何故今頃話して来たのかは不明である。ちょっとうるさいところがあるが、ノリがよくて明るくて感じの良い子だ。結構可愛いし。信とは仲が良いらしく、よく話している。

 中馬芙美については俺もほとんど知らない。眼鏡美人ではあるが、別にガリ勉的な感じではなく、髪は茶髪に染めていて綺麗に整った顔立ちをしている。可愛いと綺麗の中間のような感じの子だ。俺が彼女について知っているのは、微々たるものでしかない。綺麗な外見なので、その容姿とミステリアスさに惹かれ何人か狙った男も居たのだが、話すらまともにしてもらえず撃沈したらしい。ちなみに、信もその一人だ。

 中馬さんは、男を寄せ付けないという以前に、人を寄せ付けない。彼女と話せる女の子はこのクラスにも眞下を除くとほとんどいないのだ。眞下と会話している時にたまに笑っているが、その笑顔が可愛くて、ちょっとドキっとさせられる程度だ。


「え? ああ……」

「前も英文法の授業サボってたでしょ」

「ぐっ」


 ミステリアス眼鏡美人こと中馬さんに追及されて、言葉を詰まらせる。まさか中馬さんから言葉を発してくるとは思っていなかった。ただ、そこにはサボりを咎めるような意図は無く、ただ興味があるだけのようだった。


「え……いや、何かあの細々としたやり方が嫌いだから、かな。だから図書室で自分なりに勉強してたんだけど」


 寝るついでに、と心の中で付け足した。


「へー、麻生君って凄いんだね! あ、麻生君って血液型なに?」


 眞下がそこに被せてくる。血液型がこの話の流れのどこに必要だったのかは謎だ。


「B型だけど……?」

「うっそー⁉ O型かと思った」


 この『うっそー⁉』というのが眞下の口癖であったのを俺は思い出した。懐かしい。


「残念ながら、Bなんだよなぁ」


 俺とある程度親しい奴なら俺が性格的にB型だと言うのは一目瞭然なのだが、客観的に見てる分にはO型に見えるらしい。そういえば以前信にもそう指摘された。


「でも、B型って言えば芙美もBじゃなかった? 同じじゃん!」

「あ、うん」


 中馬さんが頷き、俺と目が合うと微笑んだ。ビックリした。まさか中馬さんに微笑まれる日が来るとは思わなかったからだ。


「ところで麻生君はテストどうだった~?」


 眞下がまた話をぶった切って訊いてくる。おい、血液型の趣旨は一体何だったんだ? というツッコミが入れたくなるが、女子が多い外国語科ではこんな理不尽は日常茶飯事なので、我慢だ。彼女達に論理性などほとんどない。


「文系科目は古文以外は大丈夫かな。理系は……赤点だけは勘弁してってレベルだけど」


 苦笑しつつ正直に答えた。化学、生物、それに数学が特にやばい。


「あたし等もそうだよね~?」


 眞下が同意を求めると、中馬さんも頷く。


「麻生君は三年になっても数学取るの?」


 不意に、その中馬さんが聞いてきた。この人って話せるのか、と変な感動と驚きに見舞われる。声は結構低い。しかし、別にドスが効いているというわけではなく、オトナっぽい綺麗でしっとりとした声の低さだった。歌を歌うと上手そうな……そんな声だ。


「ああ、一応取るつもり。受験に役立つかもしれないし」


 役に立たない率の方が遥かに高いけど、と付け足した。この外国語科は少し特殊で、三年になると理系科目を取るか取らないかは個人の自由となる。

 数学か英会話、生物かハイレベルな現代文、という選択になり、俺は無謀にも数学を選んだのだった。生物は嫌いだったから選ばなかったけど。

 ちなみに化学と物理は元から選択肢に無い。とことんな私大文系向きの学科なのだ。


「凄いね」

「そうか? 無謀とも言うぜ?」

「だって頭良いんでしょ? 英語科の先生が、麻生君は難関私大の問題も解けるって言ってたし」


 中馬さんがとんでもない事を言う。というか、どうしてそれを知っているんだ。誰にも言ってないのに。


「うっそー⁉ じゃあ麻生君って超頭良いんじゃん!」

「い、いや、それは英語だけだって! しかも大問一つだけだから凄くも何ともないし」

「それでも凄いよ。ね?」

「凄い凄い!」


 中馬さんと眞下が顔を見合わせて、なんだか楽しそうに話していた。

 中馬さんに何故かこうして褒め称えられているけれど、俺の少ない情報によると、彼女も相当頭が良かった筈だ。文系科目なら校内でもトップクラスと聞いた事がある。

 弁解しようとした時に担任が教室に入って来たので席に戻ると、麻宮さんがニヤニヤと笑みを作って待っていた。


「……何だよ」

「ほらね?」

「何が?」

「嫌われてたわけじゃなかったでしょ?」


 それが本当かどうかはわからないが、反論はできなかった。

 確かに、あの二人の様子を見ている限り、嫌っていたのではないのかもしれない。一部は本当に嫌っていたのだろうが、ただ友達がそうしていたので自分も、という日本人特有の性質だったのだろうか。麻宮さんは最初からそこまで見抜いていたというのか?


「麻生、後で職員室まで来なさい。理由はわかるよな?」


 俺が色々考えていると、何やら不吉な言葉が聞こえてきた。サボりがバレてしまっていたらしい。「うぐ」っと思わず呻き声が漏れてしまった。ぷっと麻宮さんが前の席で吹き出すのが聞こえた。しかし、これでノコノコと自首しに行く俺ではない。

 ホームルームが終わると、信と彰吾が集まってきた。


「よぉ麻生、どうすんだ? 呼び出し」

「あん? ンなもん行かないに決まってるだろ」


 俺がさも当然のように言うと、麻宮さんが驚きの声を上げた。


「えっ、呼び出しもバックレちゃうの?」


 少し心配しているようだ。


「当たり前だろ。あんなのに行ってたら貴重な土曜の午後がなくなる」


 高校生にとって土曜の午後とは至福の時間。それを教師に邪魔されるわけにはいかない。


「よくぞ言った、麻生! それでこそ俺の弟子だ!」


 俺の決断に信が絶賛する……って、誰の弟子だ、誰の。


「ほんなら麻生もゲーセンでも行くかー?」

「お、いいな。新しい格ゲー何か入ったのか?」


 彰吾にしてはなかなか良い提案を出す。俺はここ数か月ゲーム事情にタッチしていないので、そういった情報には疎くなっていた。


「おぉ、色々入ってんぜー。麻宮も来るかい?」


 しれっと信が麻宮さんを誘う。結局はそれが信の目的じゃないのか? と俺は些か疑問に思いながらも、麻宮さんの方を見た。


「あ、ごめん。今日は友達とお昼食べに行くから……」


 ちらっと麻宮さんがよく話している女子グループを見る。彼女達はもう準備万端と言った様子で教室の前で彼女を待っていた。


「麻宮さーん、早く行こ! 混んじゃうから!」

「あっ、はーい! ……じゃあ、もう行くね?」


 またね、と麻宮さんが俺達に小さく手を振った際、彼女と目が合う。その時麻宮さんが意味深に目元だけで笑ってみせたので、意図を察した俺はこくりと頷く。きっと、今朝した約束の事だ。

 麻宮さんは満足げに微笑むと、そのままグループの元へと小走りで向かっていく。そのやり取りを見ていた信が一瞬にやりと笑った気がしたが、彼は何も言わなかった。


「何や最近伊織ノリ悪いなぁ~」

「まぁまぁ。麻宮さんには麻宮さんの交友関係があるんだし、それは言っちゃいけねーよ」


 誤魔化すように俺は彰吾を諭す。こいつに今のやり取りがバレるとそれこそ面倒な事になりそうだ。


「麻生の言う通りだ! な⁉」


 ばん、と信が背中を叩いてくる。彼を見ると、面白そうにニヤニヤしている。ああ、もしかして今の麻宮さんとのやり取りで何か察したのかもしれない。


「とりあえずマック行こうぜ。腹減ってよ」


 信はそれ以上追及する事もなく、そう提案をした。

 彼の言葉に従って俺達が教室を出ようとした時、眞下と中馬さんの二人と目が合うと、彼女達が手を振ってきたので、小さく手を振り返した。

 まさかこんな日が来るとはな……変わる時は変わるもんだな、と感心しながら信達の後ろをついていった。

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