第17話 集まる者
「ねぇ。ここ入りたい」
キュオは通りのブティックを指さす。
割とお洒落な店だと思うが、躍斗には無縁の世界。センスの良し悪しなど分からないが、キュオをこのままの格好にしておくわけにもいかない。
ドアを押してみるが開かない。鍵が掛かっている。
狭間では昼夜は分からないが時間帯が夜のせいなのか、と躍斗は自らのコリジョン設定を外しガラスの扉を通り抜ける。
振り返り、中から鍵を開けようとするとキュオがゴツンと扉に額を打ち付けた。
躍斗が通り抜けたので、自分も通れると思ったらしい。
思わず吹き出す躍斗に、キュオが涙目で睨む。
鍵を開けてキュオを中へ通す。
やはり中も閑散としているが、何もないわけではない。
少しばかり残っている衣服に手を伸ばし、あれこれと自分の体に合わせるキュオを少し離れて眺めた。
先程までは驚きの方が勝っていたが、元の体に戻れたのがよほど嬉しいようだ。
「思ったよりいいのがないなー。ねえ、これどう?」
キュオが体の前に服を当てて躍斗を振り返る。
「いや、僕には分からないよ。自分でいいと思うやつにしなよ」
「だってここじゃ鏡は映んないんだよ! 誰かに見てもらわなくちゃ」
そうか。鏡の向こうに見えるのは現世なんだ。狭間に居る者は鏡に映らない、と理解するも躍斗に服のセンスが無い事には違いない。
嬉しそうに服を合わせるキュオに「いいんじゃない」を連呼していると、案の定というかキュオは不機嫌になった。
躍斗もそれが分からないほど朴念仁ではなかったが、分かった所で何もできないのが現実だ。
「いや、キュオは何を着ても似合うから……」
キュオは手に持った服を躍斗に投げつけた。
やっぱり何を言ってもダメか、と躍斗は服を頭に被ったまま閉口する。
ここで「そもそも妹の服を兄がどうこう言うのもどうか」などと言おうものなら火に油ならぬ爆弾に雷管、弾丸に撃鉄だ。
キュオはムスッとしたままシンプルなシャツと短パンを選んで外へ出た。
仕方なく躍斗も後を追うが、そんな事をしている場合ではない。真剣にここから出る方法を考えなくては、と足元を見る。
躍斗の影は足の下について躍斗と同じ動きをしている。
レンダー・シャドウも同じく狭間に来たようだ。
前と同じ方法、影に現世から引っ張り出してもらう手は使えない。
戻る為には、鏡などを通して狭間の世界を見る事が出来る狭間能力者に引っ張り出してもらう必要があるのだが、現世にいる能力者と言えばレッドだ。レッドによって狭間において行かれたのだからそれはない。
すると拓馬か? しかし彼はまだ狭間に落とされてはいない。狭間の事を知らないなら、かつての躍斗がそうであったように、共に落ちる事はあっても引っ張り出す事はできないのではないか?
それに狭間に落ちた者は次第にその存在を忘れられていく。
両親も躍斗達の帰りを心配しないし、明日になっても学校も家に連絡したりしない。
キュオが以前レッドに聞いた話によると、思いが強ければそれだけ記憶から消えていくのにも時間がかかるが、肉親など近しい存在の者は割と早く消えていく。
世界としては初めから居なかった事にしたい。捜索などされては後々帳尻を合わすのにも大きな調整力が必要だ。
だから世界は不都合の大きい部分から重点的に修正する。
レッドがどのくらい狭間に居たのかはキュオも知らないが、同じく狭間に落ちた人間の関係者を鏡から観察して得た知識らしい。
鏡越しに現世を見続ける迷い人が、次第に自分の存在が消えていくのに絶望する様を何度も見てきた。
その理屈からすると最も存在が残るのは、肉親ほど近くなくて強い執着を持っている人物。
躍斗にも思い当たる人物がいない訳ではない。
しかし真遊海に頼ると言うのも何となく気が引ける。正直借りを作りたくないし、どこに住んでいるのかも知らない。
真遊海に躍斗の存在を感じ取る事が出来たとしても、助け出す前に誓約書にサインしろと言いかねない。
それならまだいいが、躍斗が望みをかけて真遊海を探し出したとしても、気が付いてもらえなかったら何ともやるせないではないか。
そんな事を考えながら特に目的もなく歩いていると、いつか真遊海と待ち合わせした探偵事務所の近くに来ていた。
確かにここはガラスに囲まれていて、真遊海が立ち寄りやすい場所だ。
しかしこんな時間に誰かがいるはずもないし、ガラス張りだった前面も今はシャッターが下りているので現世の様子を見る事も出来ない。
躍斗は駐車スペースの入り口に設置してある鏡を覗き込む。
「ねぇ、どうして鏡の向こうには現実世界が見えるの?」
前にレッドに聞いた事があるが、その説明はさっぱり分からなかったと言う。
狭間と言うのは現実とは少しズレた空間だ。
隣り合わせの空間で、互いに干渉できないものだが繋がっていないわけではない。
現実世界で壊れた物は狭間の世界でもいつの間にか壊れた物に入れ替わっている。
探偵事務所のシャッターも今は閉まっているわけだ。
だが狭間の世界で物が勝手に動いたり壊れたりする事はなく、いつの間にかそうなっている。
だから現実世界で壊れた物がまだ残っていたりする事もある。
だが鏡に映る物というのは現実世界でもかなり複雑なもので、それを完全に実現させる事は世界といえど負担が大きい。
要は世界は現実に起こる物理法則を実現するのに手いっぱいで、鏡に映る物にまで手が回らないのだ。
それでも普段は「光の反射」という現象を実現させているのだが、稀にありもしない物が映って見えたなんていう怪奇現象が各地で報告されている。
狭間の能力者というのは世界の理に近づいた者の事だから、それがより顕著に表れるのだ。
だから現実世界に居ても鏡越しに狭間が見えたりするし、逆に狭間からは現実世界が見える。
キュオは分かった様な分からない様な、という微妙な顔になる。
「でも手鏡を持って歩いても、向こうは見えないんだよね」
そうなのか。現世にも同じ場所に鏡がないといけないのかもしれないな、と躍斗は鏡を覗き込む。
路地裏なので、遠くに通行人の姿が見える程度で人通りは少ない。
レッドが鏡を狭間との繋がりに利用しているのは間違いないが、それはより世界の理に近づいたからだろう。
繋がりと言えばもう一つ。電磁波の多い場所には狭間への穴が開く。
電磁波によって起こる物理現象を処理するのも世界にとって負担だからだろう。
躍斗も前に狭間に落ちた時には踏切から現世へと戻った。だがその時はレンダー・シャドウと走る電車の力を利用した。
電磁波や鏡に穴があるのは確かだが、現世からは落ちやすいが、狭間からは戻りにくい。文字通り落とし穴のようなものだ。
そのため特に何の能力に目覚めてもいないのに運悪く狭間に落ちる者もいるらしい。
キュオにも何か自覚していない力があるのか、たまたま落ちただけなのかは分からない。
一応鏡に手を触れ、「戻れ」と念じてみるが何も起こらない。
だが鏡の向こうを歩いてくる人影に見覚えがある事に気が付いた。
それは少女。
躍斗の斜め後ろに座っているクラスメート、美空だ。
そう言えばこの近くに住んでいると言っていたのを思い出す。
こんな時間に一人歩きか? と凝視していると脇道から数人の男が出てくる。こっちはいかにもこんな時間にうろついていそうな連中だ。
男達は美空を見つけると、顔なじみのように近づいて行った。
美空の方は後ずさって拒否するような素振りを見せる。
男達は美空を取り囲むようにしてどこかへ誘っているようだが、美空は顔を伏せて縮こまる。
男の一人が強引に手を取って引く。美空は抵抗したが、男の力には敵わず引きずられていった。
躍斗は路地の方を振り向くが、当然そこには誰も居ない。
鏡に向き直ると、美空は通り沿いにある建物の中へと引き込まれていった。
狭間の中でその扉に向かって走る。
当然その中に美空はいないが、放っておく訳にもいかない。
ドアに手を掛けるが鍵が掛かっている。周りを見回すと、そこは桐谷の探偵社の勝手口だった。
蹴破ったのか、こじ開けたのか、人気のない所に連れ込まれては何をされるか分かったものではない。
躍斗が手を伸ばすと、ドアの向こうへと突き抜ける。
「どうしたの?」
事態を飲み込めず、不安気なキュオに「ここにいて」と伝えてそのままドアを通り抜けた。
勝手口の先は小部屋になっていたが、美空を連れ込んだならもっと奥へ行くだろう。
そのまま壁を通り抜けると、真遊海と打ち合わせをした広いスペースに行き当たった。
そこにも誰も居ないが、壁面のガラスには美空達が映っている。
美空の逃げ道を塞ぐように取り囲み、ニヤニヤしながら怯える美空に話しかけているが、口説いているわけではないだろう。
そのうち強硬手段に出る事は想像に難しくないが、躍斗には見ている事しかできない。
男が美空の頬に手をやり、逃げようと下がった彼女の肩を後ろにいる男が掴む。
躍斗は椅子を持ち上げてガラスの一枚を割る。
激しい音と共に破片が飛び散ったが、現実世界に何も影響を及ぼしていないようだ。
落ち着け、と躍斗は自分に言い聞かせる。
ここで何をしても美空は助けられない。現世に移動しなくては。
しかし「移動」という表現はそもそも間違っている。現世も狭間も同じ空間で、少し意識がズレているだけだ。
それに気が付いたから前回は出る事が出来たが、分かっただけで出来るくらいなら苦労はない。
躍斗はガラスに映る美空を見ながら同じ位置へと移動し、心を落ち着けて美空を感じようとする。
しかし焦りがある為か思うようにいかない。
現世に戻る事は出来なくても美空を引き込む事が出来れば当面の危機は回避される。その後の説明が大変そうだが、今はそれ処でもない。
ガラスの向こうでは男が美空の腕を掴んでいた。
もたもたしてる暇はない。
前にキュオを狭間から助け出した時も、キュオに危険が迫っていた。
そこは電磁波の渦巻く場所でも鏡に触れている場所でもない。ただキュオを救いたい一心で狭間から抜き出したのだ。
もし、キュオが同じ目に遭っていたなら?
躍斗は体が熱くなるのを感じた。
美空に大きくなったキュオのイメージが重なると、躍斗は突然腕を引っ張られてつんのめる。
見ると美空の腕を掴んでいた男が、躍斗の腕を掴んでいた。
「な、なんだコイツ! どっから出てきた」
女性に言い寄る姿勢そのままで躍斗を掴んでいた男は、驚いて突き放つ。
「利賀くん!?」
美空も素っ頓狂な声を上げる。
躍斗は現世に戻った事を理解するまで数瞬かかったが、彼らの驚きはそれ以上だった。
明らかに住居ではない建物に、完全に風呂上がりの格好の少年が突然現れたのだ。特に躍斗を掴んでいた男は、愛らしい少女を引き寄せたらそれが男に変わっていた。
パニックを起こした彼は、とりあえず目の前にいる正体不明の人間に拳を振りかぶった。
躍斗はそれを紙一重でかわし、男の顔面に手の平を当てる。
平手打ちと言うほどの強さではない。手を当てて押しただけだ。
だが勢い余っていた男はバランスを崩し、バナナを踏んで滑ったような形ですっころんだ。
残った男達は、頭を打ってのたうつ仲間を見て考えるのを後回しにした。
まず躍斗を痛めつけ、その後で考える。その意思は全員一致したようで、一斉に戦闘態勢を取って動き始める。
躍斗は再び時間を遅めるが、一人一人対応していては追いつかない。この力はそう続けて使えるものではない。
コリジョンロックにも距離が近すぎる。
躍斗は遅くなる時間の中、リーダーと思われる一番強そうな男に焦点を絞って顎を押し上げる。
そのまま先程のようにバランスを崩させ、少し床に叩きつけるように押し込んだ。
一番強そうなので、少し念入りにダメージを与えたつもりだが、後頭部は危険なので心持ち加減する。
やはりいきなりリーダーをやられた男達は一瞬怯む。
残っているのは二人。
二人は一瞬止まるものの、仲間の仇を討たんと飛びかかろうとするが、躍斗が少し大げさにファイティングポーズを取ると途端に腰が引けた。
「不法侵入だぞ。このまま帰るなら見逃すが?」
乱闘が止まった所で会話に流れを変える。うまくすれば引いてくれるし、そうでなくても力が使えるようになるまでの時間稼ぎができる。
「ああ? 何言ってやがる。ここは俺達のナワバリだ」
倒れたリーダーが頭を押さえながら起き上がる。まだくらくらするようで、戦いを続ける様子はない。
「お前こそ誰だ?」
「一応ここの持ち主の知り合いだが……、ここは桐谷って人の会社じゃないのか?」
桐谷という名を聞いて男達の顔色が変わる。
「桐谷さんの知り合いか?」
狼狽する男達に少しずつ事情を聞きだす。
真遊海も初めて会った時はチーマーのような連中を手駒に使っていた。
その後連中とは縁を切ったが、その内の何人かは桐谷がそのまま囲い入れて、結局前と同じように使っていたようだ。
そしてここを溜り場として使わせてもいた。
一応美空も桐谷の知り合いだと伝えると男達の顔は更に青くなった。
更に躍斗が桐谷の上司である真遊海と縁があると話すと、男達の体は震えだす。
彼らは前に躍斗と悶着を起こした現場には居なかったようだが、前チームのリーダーを倒して壊滅させたのが目の前にいる少年なのだと理解したようだ。
このまま立ち去るなら桐谷達には黙っている、と言うと男達は一目散に逃げ出す。
美空はしばらく呆気にとられていたが、少し落ち着きを取り戻して口を開く。
「驚いたー。利賀くんってケンカなんてしないと思ってた」
「いやケンカはしないよ。単にあいつらの上役が知り合いだっただけだよ」
実際躍斗に格闘のスキルなんてものはない。物理の法則が少しばかり分かって、時間がゆっくり流れるから対処できるだけだ。
「ありがとう。助けてくれて」
でもなんでこんな所にいるの? と当然の疑問に行き着いて躍斗は口籠る。
今は帰ろう、と外へ促した所でガラスにキュオが映っているのに気が付いた。顔を真っ赤にしてガラスを叩いている。
外で待たせていたが、狭間でガラスを割った音を聞いて心配して入ってきたのか。鍵が掛かっていたはずだから窓か何かを壊して。
美空に先に出ていて、と言ってキュオの元へ向かう。
ぷうと頬を膨らませるキュオに苦笑いを返してガラスに手を置く。
不思議と出来る気がした。
そのまま手を掴んで引き抜く動作をすると、手の中にはキュオが……いたが、その身長は小学生のものだ。
キュオはへたり込んだまま手足、体を見て「なんでよー」と叫ぶ。
世界は既に妹としてのキュオを認知しているからかな、とあまり慰めにならない言葉をかけながら外へと連れ出す。
美空は小さな女の子が出てきた事に更に驚いた。
「妹だよ。こいつ寝ながら歩き回る癖があってさ。ここに入り込んだのを連れ戻しに来たんだ」
キュオが躍斗の尻にミドルキックを放つ。
美空は怪訝な顔をしながらも二人の格好を見れば納得できなくもない、というように曖昧に頷いた。
帰り道も危険かもしれないので、美空を家の近くまで送っていく。
美空は今両親の仲が悪くて、家でもずっと喧嘩をしているのだと言う。
それで居た堪れなくなって、ここの所よく外へ出ていたと言うのだ。
両親仲の良い躍斗には分からない悩みだが、クラスメートがそんな悩みを抱えていると言うのも捨てては置けない。
かと言って他人の家庭の事情に口を出すものでもないのだろう。
友達として気の利いた事を言ってやれるだけの話術もない。
偶然ではあるが身の危険から救ってやれただけでも良かったのだろうとも思ったが、家にいる辛さとどっちが辛いのかと聞かれると迷う、と言う美空に何とも言えない気持ちになった。
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