第9話 百目の鬼

「なんだって言うんだ、あんな奴」

 桐谷はギリギリと歯を鳴らして呻きながら足早に歩く。

「どこにでもいる、ただのガキじゃないか」

 桐谷も重鎮から見ればどこにでもいるただのガキに過ぎないのだが「これでも自分は成人式を迎えている」という僅かな自尊心があった。

 体格は普通より下。腕も細い。

 威圧感も全くなく、気が小さいような印象だ。

 顔も平均より少し上程度。自分ほど端正な顔立ちとは言えない。

 ファッションセンスに至っては問題外。

「くそっ!」

 がん! とたまたま目の前にあった看板に拳を叩きつける。

 異能力だか何だか知らないが、そんなものは手品に毛が生えた程度のものだ。

 テレビに出てチヤホヤされるのが関の山。いざ使って見せろと言えば何だかんだ理由を付けて断るに決まってる。

 力とは組織力だ。

 一人の力がどんなに優れていようと、多くの人間が集まったものには敵わない。

 躍斗がどんなインチキ技を持っていようが先行部隊をけしかけ、やり口を見切ってしまえば自分でも対処できる。

 これでも実戦部隊の訓練を受けているんだ。そこいらの不良程度では束になっても自分には敵わない。

 しかしアイツは真遊海お嬢様のお気に入り。

 叩きのめした所で、嫌われる事はあっても見直される事はないだろう。

 ああなってしまっては、こっちの力を見せても無駄なのだ。

 お嬢様の目を覚まさせるには、アイツに幻滅してもらうしかない。

 まずアイツのインチキを暴き、無能さを思い知らせた上でこっちの力を見せる。

 そうすれば、若さで曇ったお嬢様の目も覚めると言うものだ。

 ぶつぶつと呟きながらどこへ行くともなく歩いていた桐谷だが、前から異質な人間が歩いてくるのが見えて足を止める。

 日本人に似つかわしくない大柄な体躯にスキンヘッド。顔には無数の刀傷がある。

 袖から出た前腕はビッシリと筋肉の筋が走っていた。

 通行人は皆その男を避けるように歩いている。

 男の風貌も異質だが、なによりそう見せてるのは顔に似合わないカジュアルな服装に、リードの先に小さな犬を連れている事だ。

 客観的には犬を散歩させる飼い主の図なのだが、その取り合わせが異様過ぎた。

 生き物を愛でる顔には見えないし、かと言って太らせて食べるつもりにしても犬が小さすぎる気がする。

 男と犬は、立ち止まる桐谷の前まで歩いてきた。

 桐谷は直立不動の姿勢を取って敬礼する。

「ご無沙汰であります。百目鬼(どうめき)主任」

「……ん? ああ、健二か。奇遇だな。元気にしていたか?」

 お陰様で、と挨拶を返すが、恐る恐る先程から気になっている事を聞いてみる。

「あの……、犬を飼ってらっしゃったのですか?」

 あの鬼も黙るような斬り込み部隊長が? という言葉は飲み込んだ。

「まあ、成り行きでな。……ほら、チーズ。お兄さんに挨拶しな」

 百目鬼と呼ばれた傷の男は足元で尻尾を振る小さな犬、マルチーズを抱え上げる。

 チーズは煩く吠える事もなく、尻尾を振って匂いを嗅ぐ仕草をする。

 意外過ぎる趣味ではあるが、そもそも人のプライベートをどうこう言うものでもないだろう、と桐谷は犬から大男に意識を戻す。

「しかし、なぜ実働部隊を離れられたのですか?」

 百目鬼は実戦経験もある本物の傭兵だ。国内外問わずその道では名を馳せている歴戦の兵士。

 神無月の動向が怪しくなってきた昨今、彼の引退は水無月には手痛い。

 教官としても秀逸で、彼の育てた調査員は多くの成果を上げている。桐谷も鍛えられた内の一人だ。

 その教官も辞退し、今は水無月の顧問相談役。実質的な引退だ。

 彼の引退には様々な憶測が飛び交ったが、どれも核心を突いていない。要は皆納得していない。

「まあ、なんでかな。もうオレの時代じゃない気がしてな。これからは若い世代に任せてもいいんじゃないかってな。そんな奴に出会っちまったからな」

「いや、自分は……、自分達は主任の域には到底……」

 百目鬼は、一瞬キョトンとすると豪快に笑いだす。

「お前もよく出来た生徒だったがな。だが違う。お嬢さんのご執心な小僧がいるだろ」

 桐谷は一瞬何を言われているのか分からない顔をしたが、

「え? まさか。あの利賀っていう」

 ガキですか!? という語尾は裏返ってしまって言葉になっていなかった。

 百目鬼は尚も笑い続けるので、桐谷には冗談にしか聞こえない。

「しかし、あの……小僧は。主任がコテンパンに叩きのめしたと」

 そう聞いている。

 一つの突出した能力など、大人の組織力に比べれば物の数ではない。そう証明してくれた人なのだ。

「あの時はな。あのままトドメさせるならそうだろう。だがそうするわけにいかなかった以上、そこで止めとくのが本当のプロって奴だ。同じ手は二度通用しねぇぞ。オレの長年の勘がここで止めとけと言っている。ま、要は勝ち逃げだな」

 百目鬼は笑いながら犬に顔を舐めさせる。

「自分が、……利賀を倒せば、主任を超えた事になりますか?」

 極めて静かに言うと、百目鬼は大笑いする。

「お前さんも係長だろ。もう俺なんか飛び越しちまったじゃねぇか」

「いえ、肩書など。自分は今でも主任の教え子です」

 百目鬼はもう笑う事はせず、僅かに笑みを浮かべて言った。

「止めとけ」

 桐谷はかっと目を見開いた。

 そのまま直角に折り曲げるような深い礼をし、回れ右して走り出す。

 若いってのはいいよなぁチーズ、と言う呟きを聞きながら桐谷は走る。

 なんの事はない。

 かつての教官は自分を試してくれているのだ。

 止めろと言われて尻尾を巻くようなら所詮それまでの人間だ。

 教官は、次の世代を自分に托してくれたのだ。

 利賀躍斗を倒して、それを証明しろと。

 それが、卒業証書なのだ。

 だが直接躍斗を叩きのめしてもお嬢様が納得するまい。

 まずは予定通り、躍斗よりも先に異能力の少年を確保し、優位性を見せた所で躍斗にも一矢報いる。

 さしものお嬢様も、どちらの方が頼りになるのか分かるだろう。

 いや。分からずとも、躍斗自身にどちらの方が有用なのかを思い知らせれば、奴の方から身を引くはずだ。

 女々しそうな奴だが、多少のプライドくらいあるだろう。

 男である以上、自分より相応しい男がお嬢様のそばにいると分かれば、もう近づけまい。

 桐谷は携帯を取り出すと、任されている調査隊に召集をかけた。

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