私の優しい騎士の名は

神崎裕一

第1話

 世界が穏やかに。そう見えるようになったのは、いつからだろう。

 初めて『世界』というものを見た時、抱いた感想は『恐怖』だった。

 無理もない、だって目の前に広がっていたのは炎の光景だったのだ。

 硝煙と油の臭い。灰色の空。轟音と断末魔。戦いに敗れて骸と化した戦士達。


 ――そう、地獄は、そこにあった。


 戦場。そう呼ばれる世界をラッセルは何年も生き続けた。自分達を作り上げた人類から出撃命令が下れば戦場に向かい、自分と似た姿をした機械達を破壊し尽くした。


 同じように言語を話し、知識を持ち、世界に怯える仲間達を。殺さないでくれ、俺は生きたい。そう叫ぶロボットを全部殺した。――その日々を過ごしたから思った。


 生まれる世界を間違えたのではないか? ――と。


 だけどそんな思考も――突如現れた巨大な光に包まれてからは消えてしまった。


 その代わり、瞳を開けた先にあったのは別世界の姿だった。

 それは、とても穏やかな世界と言えた。地面には緑豊かな草木。


 空は青と白の綺麗な色。見たことのない四足歩行の生物。空を飛ぶ生物。

 

 戦場では味わえない静かな風。

 

 ここには『争い』がない。ラッセルはすぐに気づいた。酷く吹き荒れる風。頭に響く断末魔の叫び。人間達から下される残酷な戦闘指示。同じ時間を過ごした仲間達の骸も。全てない。あるのは――『平和』。


 緑豊かな木々が穏やかな風に揺られ。動物達はその生を静かに謳歌し、空は青と白の世界に染まっている。まさに平和な世界がそこにはある。もう目を覚まして世界に殺されることを怯える必要はない。誰のために誰かを殺す必要はないのだ。


 その事実を知った彼は、穏やかな世界を謳歌した。しかしその時だった。


 ――彼女と、出会ったのは。


「貴様か。城で話題になっている幽霊というのは」


 覚えのない声に、ラッセルは顔を上げた。

 すると彼の視界に白い布を身に着けた『何か』の姿があった。

 身長は一六〇センチ。頭髪。目。鼻。耳。肩。胴体。脚部がある存在。


 ラッセルは頭部内にある記録メモリを参照した。そして彼は知る。目の前にいるのは人間。自分に酷な命令を与え続けてきた存在――なのだと。


「――なんだ。幽霊ではないではないか。その体、文献にあった機械というやつだな?」


 手を伸ばせば届く程の距離で、少女が銀色の髪をなびかせてそう言った。

 その事実を認知したラッセルは。


「――戦闘プロセスを再入力。各武装の診断プログラム起動。敵味方識別システム起動」


 戦闘準備を。自分の守るべきモノを守るための準備に入った。人間がここにいる。

 それが意味するのは――ただ一つ。ラッセルを利用するということだ。


「なんだ貴様。しゃべれるのか。それにしては難しいことを言う」

「敵味方識別システム、機能不可。各武装システム、オールグリーン。戦闘行動可能」

「ええい。貴様はとことん面倒だ。そんな話し方では友などできぬぞ!」


 少女が苛立ったように声を荒げた。しかし、ある単語がラッセルを止めた。


「友。友とはいったい」

「なんだ貴様。友を知らんのか。さては貴様、相当な世間知らずだな?」


 ラッセルの言葉に、少女が呆れたようにため息をした。

 その後、少女は腕を前に出す。


「良いか機械族。これは握手という行為だ。握手とは親しみを示す行動だ。この手を握った先にあるのは友好的な関係。つまり仲の良い関係だ」

「友好的な、関係」


 少女の高らかな宣言に、ラッセルは衝撃を受けた。知らない価値観。


 知らない概念が目の前にある。知らないことは恐ろしいはずなのに、どうしてこんなに温かみがあるのか。


 その日、ラッセルは初めて『友』という存在と出会った。

 友の正体はこの王国の第二王女であり、いずれこの国の女王として君臨する娘。

 アレクシア・ラニア・マクネイル。――その人であった。


              


              ☆☆☆☆☆




 木々が立ち並ぶ森の世界。人が通行しやすいよう作られた『道』と呼ばれる道しるべ。その森の世界を、一匹の馬が駆け抜ける。夜の色に染め上げられた先の見えない暗闇。走れば走る程、先が見えない不安に駆られる世界を。その馬は走り続けた。


 なぜならば。


「――ッ!」


 アレクシアは馬の上から後方の様子を一瞥した。後方四〇メートル程の先。

 三人の男が馬に跨ってこちらを追い続けている。彼らの腰には剣があり、腕には弓がある。追撃の最中に何度、彼らの放った矢が頭上を走ったことだろうか。


 だが、運は味方をしてくれなかったようだ。


「――ッ!」 


 馬が悲鳴を上げると同時に、アレクシアは馬から吹き飛ばされてしまった。

 地面を転がりながら受け身を取り、辺りを見る。受けた矢で絶命した友を見たアレクシアは駆け寄ってきた三人の男達を見た。馬から降り、剣を引き抜いた彼らに告げる。


「貴様達は何者だ! 答えよ!」


 姫騎士は剣を引き抜き、周囲を囲み始める謎の男達に問うた。

 もちろんその返答はない。


「その身のこなしは野盗でも盗賊でもない。騎士の動きであろう! どこの者か!」


 姫騎士は声を荒げ、敵の正体を問うた。されどそれに対する返事はない。

 敵は明らかな手練れ。さらには明確な殺意と意志を感じさせてくる。


 三体一の最悪な状況。


「……私とて騎士だ。そう易々とやられはせんぞ」


 姫騎士は自身を奮い立てるため、覚悟を唱えた。そして、その言葉が合図となる。


「――覚悟ッ!」


 三人の騎士が一斉に姫騎士へと襲い掛かる。

三方向から向けられた刃から逃れる術は――。


「――ッ!」


 その時であった。突如、大地が揺れ。地に足を付ける騎士達は視界が上下に振動する感触を味わう。敵の一人はその振動に耐えきれず膝を落とし、また一人は剣を地面に突き刺した。しかしこれはただの地震ではないとすぐに彼らは理解した。


 なぜならドシン、ドシンという震動音と木々が倒れている音がしたからだ。


 そして姫騎士を含めた四人の騎士達は目撃する。

 アレクシアの視界、右手。右手の木々が倒れると同時に巨大な何かが姿を見せた。


 それは高さだけでも一〇メートルを優に超えていた。

 月明かりに照らすのは人の姿をした何かだ。

 現れた『それ』に。姫騎士を含めた騎士達は息を飲んだ。


 彼らを見た『それ』が言う。


「お前達、何をしている。――どうして。姫様を襲っている」


 巨大な何かはそう言うと、右腕を前に突き出した。

 直後、右腕に付いている六つの筒状の何かが高速回転を始める。


 キュィイイン! ――という鋭い音が森に響きはじめた。


「――て、撤退せよッ!」


 事態を重く見た騎士が命令を下した。三人の騎士は馬に跨り、闇夜に消えていく。


「姫様。無事?」


 彼らがいなくなった後、懐かしい友がアレクシアを気遣った。

 暗闇に隠れていた彼の体が、月明かりに照らされる。人間離れした強靭な肉体。

 巨大過ぎる全長。人間の手では作れない武器を持った彼こそ、八年ぶりに再会する最愛なる友。


「……ああ。久しいな、ラッセル」




               ☆☆☆☆☆




 ラッセルを友と呼んでくれた女の子はどうやら――偉い人らしい。

 アレクシアと出会ってから四年が経過した。

 彼女は三日に一度のペースでラッセルの元に訪れては、多くのことを話す。

 城での出来事。王女の日々。父親や姉との関係。

 自身の考えなど――彼女は多くのことを楽しげに語ってくれた。


「アレクシアは姫様なのに、どうしてここにいる」


 そんなある日のことであった。

 ラッセルは前々から感じていた疑問を彼女にぶつけた。

 すると、剣の鍛錬をしていたアレクシアは動きを止め。


「来てはいけないのか? ラッセル」

「そうじゃない。王族ならやること、たくさん」

「はは。確かにそうだな。しかしラッセル。私は嫌われ者なのだよ」


 アレクシアの言葉に、ラッセルは思わず「嫌われ者?」と。ある単語を復唱した。


「そうとも。私は嫌われ者だ。皆、他国の領土を奪うことばかり考えている。私はそれに否を唱えているのだ。この国は十分豊かだ。なぜこれ以上争いをする必要があるのか――とな」


 肩の上で、アレクシアが高らかにそう言った。

 それはきっと、彼女の真の考えなのだろう。


「アレクシア。戦争、嫌い?」


 それを聞いたラッセルは『戦争』というものについて、尋ねた。

 するとアレクシアは。


「ああ嫌いだ。実に気に入らん。特にくだらん野望で起こされた戦争などたまったものではない。確かに、時に争いは必要だ。しかし、争いを好む者を私は好かん。なぜなら、その争いは多くの人を巻き込み、命や生活を奪うからだ。それが本当に気に入らん」


 ――と。戦争によってもたらすものを述べ、自身が戦争を嫌う理由を語った。

 そんな彼女が剣を鞘に納め、鋭い眼をラッセルに向けたのは――その時だった。


「なあラッセル。貴様は世界をどう思う」


「世界?」


「そうだ。お前の目には何が写る。お前はどう思う」


 アレクシアはラッセルにそう問いかけ、ラッセルをその眼に捉えた。

 しかし、ラッセルは何も答えることができなかった。世界をどう思う? 


 ――その質問はラッセルを辛い過去と向き合わせる大きな要因に思えたからだ。


「では質問を変えよう。お前はどう在りたい」


 すると。ラッセルの様子を悟ったのか、アレクシアが別の問いを投げてきた。


「どう、在るか?」

「そうだ。生き方だ、ラッセル。――私はこの国を良い方向に導く存在でありたい」


 問いを投げた姫は、まず自分の答えを発した。

 透き通った瞳をする姫はこう述べる。


「このラニア王国は鉄に恵まれた国家だ。民は皆、懸命に働き。各領主は聡明だ。道は整理され、兵は屈強。これほど良い国家はない。しかし、どれだけ良い国家であろうと指導者が愚かでは滅びゆく運命だ。ならば、私はこの国をできる限り良い方向に導く存在でありたい」


 それだけで良い。それだけでな。――とアレクシアは明るい笑みを見せた。


「……ラッセルは」

「姫様! またここにいらっしゃったのですか!」


 姫の言葉に何か返答をしようと思った矢先。やや高めの声がラッセルの耳に入った。馬を駆け抜けてやってきたのはアレクシアの付き人――ザック・ジンネマンだ。


「城にお戻りください! やるべきことがたくさんあるのです!」


 若き騎士が顔を赤くして城に戻るよう促してきた。

 付き人の言葉をうっとうしそうに。


「わかっている。すぐに戻るとも」


 アレクシアは手をひらひらさせながらそう言い、馬に跨った。


「ラッセル。私はしばし忙しくなる。いつここに来れるかはわからん。だが忘れるな、私とお前は友だ。また逢おう、ラッセル」


 アレクシアはその言葉を残し、馬を走らせた。


 少しずつ遠くなっていく姫の背中を眺めながら、ラッセルは静かに思った。


「ラッセルは。ラッセルは姫様の――」

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