プロローグ:隣りあう世界、黒の円卓——
◇
無限の蒼穹と、見渡す限り果てしない平原。
朝焼けの古戦場跡でベテランらしい装備に身を包んだ男が二人組の美少女を前に震えていた。
「なぁにぃ〜? たった二人でだァ……? おまえたち二人だけでこれをやっただと? 信じられるか!
今までは、こうじゃなかったよな⁉︎ 見渡す限り五キロ先までクレーター。湖だったのが蒸発し、水辺に沿ってあった街が……俺様の街が全く全然これっぽっちも、跡形もねェじゃねェか……ひぃ⁉」
最初、男の口調にはまだ幾許かの威厳があったが、二人組がそれぞれ睨むと尻餅をついてもんどりうった。
すると、フードで顔を半分隠している割に露出度の高い格好をした少女、二人組の片割れが興味なさそうに傍の蝶々を見出す。ふわっとした黒髪のアバターの頭上には——〈グリフスフィール〉という、馴染みにくいし人名っぽくない名前が表示されていた。
「……。——(疲れた。虚無虚無)」
VRだろうと現実だろうと、友人でない他人と話すことなんて何もない。常々、彼女は思っていた。そう。
————ここは現代で最も古くからあり、度重なるアップデートによって最大級の巨大さを誇るようになった仮想世界。
今、眼前に遠くまで広がるのは黎明期からもう一つの現実であり続けた、超弩級VRMMO——〈ヴァースディメンションエクリプス〉の空と地平だ。
そして。つい今しがた、それが誕生して以来最も大きな戦いが終結を迎えた所だった。
「おい、おまえ。何故私とは目を合わさねェ」
二人組の背後には一直線になった地平線から上る太陽が見えた。
「——言っとくが、滅多なことじゃそいつは口を効かないぞ。見た目がお店のお姉さんみたいでもな」
「眠い」
「聞いたかーあ⁉︎ たまに喋ると思ったら、こうだ。貴重な生声だぜ、聞こえてないといけないから私がもう一度言ってやる」
華奢な剣を地に突いて柄頭に両手を重ねて乗せ、全体重を預けるようにしていた二人組のもう一方。
この惨状を仕出かした主な元凶——赤い髪に狐耳、狐面を斜めにつけた肌色の雪白い美少女は苛立ちを露わに、自分の影がかかった男を見下ろした。威厳の割に彼女は、背が低かった。
「おまえのせいだぞ? ——」
「——はいぃ⁉︎」
「聞こえなかったか? 三度目は、ヤベェよなぁ? それとも……言いたいことははっきり言えよ。もし、そのまま一分も二分も黙ってる気なら、おまえの返事も私がしてやる」
今正に太陽が昇ろうとしている地平線、そのラインはかつてここにあった湖の底の地面。
首筋に刃物を突きつけるように元凶の少女は薄笑いした——邪悪な素顔にかかる狐面を、ぐっと引き上げながら。
「じゃ、おまえが全額を支払っとけな——? 地形が変わっちまったからなあ。都市一つなくした経費が一体どんだけになるか知らねェが、知っててあたしらを雇ったんだよな。いやもしかして、」
リアルではカリフォルニア出身、アバターとほぼ同じ容姿をした十二歳、ヴァースでの名は——〈ネザーフィア〉。
何でもない人生を歩んでいた彼女はその才能を開花させて以来、一躍有名になった。
常人離れした反応速度。
自分と、それ以上に相手の危機への嗅覚。
残逆で邪悪な素の性格。
「都市は無事で傷一つなく、私らの方が跡形もなくなっているはずだったか? なァ」
現代、長らくヘッドギアタイプが主流だった仮想へのダイブ端末は、ウェアラブルサイズまで小型化された。
それは常時持ち歩くことができ、ほんの少し意識するだけで自在に、現実と仮想を行き来できる。
さらに、搭載された自己学習系機能によってデバイスはユーザーの脳神経系と双方向に適応し合い、意識の範囲・脳が認知する領域を少しずつ広げていく。
これにより、慣れれば仮想と現実の世界を同時に体感することさえできる。
多くの人が現実で何かをしている時も、同時に半分仮想のどこかで生きているようになった昨今の時代は——『仮想現実が現実になった現代』として以前と区別され、そんな時代がネザーフィアを特別にした。
「待っ、待ってくれ!」
「あ?」
「許してくれ、頼む! 今、今から——俺たちはきっとわかりあえるっ、友達! 友達‼︎ おお、俺を助けてくれるよな⁉ フレンズになろう……!」
は?
「いや、おまえ。命乞いの癖がつよいな……」
「そうだ! 俺は料理には自信があるんだ——シェフって呼ばれてる、見ろ!」
ネザーフィアは思わず呟いていた。同時に、このレベルの勢いの土下座を至近でされてもその辺を飛んでる蝶々を見てる相方は、凄いと思った。
しかし、すぐに息を呑むことになった。直面し、知ることになったのだった。彼女を特別にした現代、今の世界の多様さ——この男は常識などまるで通じない、VRゲームを一二〇%楽しめる人種なのだと。
「ああああああああ……ァァッ‼」
切腹するような表情をして男は自分の片腕を掴むと、肩の根元から引き千切った……絶叫が空を轟かす。
「……は⁉」
「良いリアクションだ! もっとカモン、うちのリスナーも盛り上がっているッ」
「いや待て‼︎⁉︎ おまえ配信者かよッ、私を見せ物に——⁉」
それから地面に、何と簡易料理鍋を出した。
「そうだ。……。俺は、見せ場をつくらなくちゃいけない。こんな一方的にやられただけじゃ……そこでッ、だ! 男の手料理ということでだな、会食で和解を試みた動画にするのはどうだ⁉︎ ああ心配ないッ、ゲーム上では肉は全部『肉』だ…………はァ、はァァ、このままじゃ終われねえんだよ‼ ヒャーハハハハハハ!」
「おい! 冷静に考えろ。炎上対策完璧か⁉ 物には限度って物がっ。どうなっても知らないからな……⁉ 私のせいじゃねェ……私は何も悪くねえ!」
セーフフィルター——ぼかしとモザイクのかかった名伏しがたい煮物が煮立つと何と、取り箸が背後から伸びてきた。
「食うのかよ⁉」
「ぱくぱく食べるよ。もったいないから——ゲームでは味、変わらないし」
グリフスフィールは平然としていた。
その瞬間だった。
「データにもったいないもクソも、じゃなくて道徳的にいいのか⁉ ……?」
その時、蒼褪めた男の唇が何かを必死で伝えようとするように動いた。
驚愕すべき事が起きているみたいに——。
すると突如、全身に強烈な浮遊感を感じた。急に地面を踏んでいる感覚がなくなり、全身の五感が疾く失せる。
「っと⁉」
「——」
助かった、と内心で思う。慣れ親しんだ感覚は、上空何千メートルからフリーフォールにライドした感じだ。
次の瞬間、今までとは全く別の場所にいた。
一瞬、目眩。
隣には相方のグリフスフィールも健在だが、心地よい朝焼けの温度と光は引き剥がされ、半ば叩きつけられるようにして着地した新しい地面でネザーフィアはゆっくりと立ち上がった……。
全ての処理が完了し、身体感覚も戻るが——白いスモークが周囲には濃く立ち込めて、肌に触れる空気は渦巻いている。
《——へようこそ! 勇敢なる真の戦士として、あなたは選別を受けました。ランダムマップを生成しています——》
一秒か二秒そのまま硬直していると機械的な女性の声が鳴り出していた。今起こったことを説明するナレーションが延々とループ……。
空気が震撼。フードを押さえたグリフスフィールがやや目線を上げ、一言だけ短く呟いた。
「〈ブラックラウンド〉——」
《——〈ブラックラウンド・コロシアム〉へようこそ! 勇敢なる真の戦士として、あなたは選別を受けました——》
《————ランダムマップを生成しています》
視界の一部にゲーム情報を統括表示するリール状のコンソールが表示された。まるで仮想から引き剥がされた気分だ。
HP残量を示す——『32408』という数値を視覚化したサークルの他にはまだ、ブランクになった簡易マップしか表示されていないが、それがあると没入感が台無しになる。
仮想体験の一体感を高めるため、不必要なゲージ等々はデフォルトで表示しないのが昨今のトレンドであるにも関わらずそれが存在しているのは、ゲーム中常時確認の必要があるということ。
すぐにマップが生成を完了し、オープン。簡易マップが描画される。
スモークが晴れた周囲——地面には残骸が散乱。生成されたランダムマップは、地下に設けられた現代の巨大駐車場のようなロケーションだった。
整然と区分けされた地面にほぼ等間隔で太いコンクリートの支柱が並び、電力ケーブルが血管のように壁を這う。換気設備が空気を飲み込み吐き出す平板な音が亡霊のように唸り続けていた。
が、急に地面を激しい火花が迸って来ると、左右に分かれて二人はそれぞれに身を翻す!
「——。来たよ……(来た来た。ざぁこ♪ やっと目が覚めた)」
「!」
抜剣し、地面に突き立ててブレーキする。今までいた辺りで凄まじい衝撃音、遥か向こうのシャフトから蹴り出されてきたエレベーターの箱が一瞬ピンと張ったケーブルを千切り、猛烈な勢いで天井に当たってから直下を地擦りしていった。
ネザーフィアのアバター周囲をガードする電圧の層。
この世界にコンバートされたアバターがライフや防御力等の耐久性能を変換されて付与され、例のサークルで残量を表示される疑似装甲が白焰と放電。配管が剥き出しの壁や天井、均一に舗装された地下駐車場の周囲へ紫電と光塵が散逸する。
プレイヤーインターフェース上のサークルは震動しながら微量だけ欠け、デッドラインに一歩近づいた。
横目をやると前方に、エレベーターを蹴り飛ばしてきた何者かがいる。煙に撒かれたその存在に焦点が合うと——思わず、声を上げた。
「……本物か? ——ははは。嬉しいね⁉ さっきのあたしの活躍を見ててくれたってかァ!」
湯気のような白煙を上げる頽れたエレベーターシャフト。
その残骸を背にして歩き、痩身のアバターが近づいてくる。
目測だと身長は一七〇に少々足りない程度も、足を止め、振り向き気味に斜めに立った薄い身体と異質な装束——プラチナを厚布に加工したフードマントがシルエットを小さく見せている。
相方よりも深く被ったフードに隠れた口元から、靄のような白い息が吐かれたのが見えた。楽しげに笑ったかのようだった。そして——その背には……赤潭色で描かれた、首吊り死体のグラフィティ。
「なァァ? 最低最凶の首吊り女——〈イオリアフレイン〉‼︎」
周囲の帯電が解けると、先の余波で立ちこめている白煙を響き渡る声が切り裂いていく。背布に描かれた絞首死体が振り向き様の見えなくなる間際、まるで生きているかのように踊った。
「イオンでいいよ。長いからね」
瞬間——今まで立っていた地面が突如爆音を上げて揺れたかと思うと、蜘蛛の巣状に亀裂が奔る。巣の中心には拳を構えたグリフスフィール。
踏み込みだけで地を割り砕き、粉塵と砂煙をド派手に巻き起こす拳撃。突進で塵煙を貫いていき、何かをインパクトした反動でブレーキする瞬間、軽い比重分先に噴き出した砂煙に続いて地面が大きく波立つや、跳ね上げられた瓦礫が猛烈な爆勢で天井を二フロア分突き破った。
ソニックブームが空気を震わし、車が何台も弾かれて宙を飛ばされていくと、天井と地面の間で暴力的にバウンドする——!
この世界の名は、
——〈ブラックラウンド〉。
一年程前にリリースされたPVP主体のVRMMOであり、大規模なバトルロワイヤルをメインコンテンツとするこのゲームの特徴は『境界』が存在しないことだ。
仮想と現実——仮想の中の世界と世界は本来隔てられている。タイトルが違えば行き来できない。
しかし、〈ブラックラウンド〉に限っては、あらゆるゲームアバターを強制的にコンバートすることができる。そのスキルや能力は現実の物理法則下で再現され(天地を砕く神の雷ならそのまま、実際に地面を砕く量の電流と電圧となるわけだ)、全て使用できる。
ネザーフィアは白煙に剣を突き出した——
「集束しろ、穿てッ。一条の光となって吠えろ! ——〈イラストリアカノン〉!」
一点集中した蒼い光が、軌道上のオブジェクト全て薙ぎ払いながら突きの軌跡で空間そのものを貫く——狐面を放り捨てたネザーフィアがスキルを発動し終えて尚も真っ直ぐ、剣を掲げ続けると、それが周囲に暴力的な蒼光を波及。
このゲーム——〈ブラックラウンド〉は、互いにインストールしているプレイヤー同士が同ランクなら招待を送り、PVPへ強制参加させることができる。
ランクを決定するレートは、互換タイトルでのプレイングが自動的にトラッキングされ、随時加算されていく。
そして今。ネザーフィアとグリフスフィールを招待したこの相手——絞首死体のシンボルで知られる〈イオリアフレイン〉は、現在世界最高レートを保持し、この無法地帯の頂点に君臨するアバター。
「いつか会えると思ってたッ! あたしは——ここはとっくに臨界だ‼」
初撃の掌打を回避した相手にグリフスフィールが続けて迫り、嘶きの中で追いつめていく。爆速の拳打を二連撃からの——「——終われ」
発声。
跳んで、垂直に爪先を振り上げてから反転踵落とし。邪悪なダメージエフェクトが柱となって数秒間も屹立すると、置き去りにしていた連撃の音が怒号の如く響き渡った。
「——(ミスした……⁉︎)」
それを苦もなく回避した相手へ迫り、呑み込む暴力的な蒼光。ネザーフィアの剣を中心とした力場が周囲へ球状に広がると、強力なパワーウェーブがその中を縦走していく――。
圧していく壮烈な衝撃波と暴風。
周囲のオブジェクトが立て続けに壊音を発し、階を支えるはずの支柱が縦震によって天井を突き上げ共鳴のような嘶きを上げた。
それこそが先程——〈VD〉史上最大の戦いを制し、彼女がこの次元に招かれる端となった能力。
「なあ、知ってるか——?」
【続く】
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