ショートショート Vol1「合い席のランチは紅茶を飲んで」
森出雲
一話完結
小さなプロダクションや会社の多いこの辺りは、洒落たランチのお店をよく見かける。値段も手ごろで、様々な工夫をこらし、最先端の流行を知る客たちを、一口で黙らせる。和風・洋風・イタリアン・無国籍・・・。その日の気分でランチを決めるのも良いかもしれない。
表通りから少し入った路地の突き当たりにその店はある。
窓はなく壁一面をレンガが覆い、大き目のガラスドアを開けると、丸テーブルの四人掛けと壁際に二人掛けのテーブルが並んでいる。下半分がこげ茶の板張りで、上が真っ白な漆喰の壁にはイラストや明るい風景画が飾られている。
十二時十五分前。
彼が店内に入ると、紺色のバンダナを頭に巻きジーンズに白と紺のラガーシャツを着た若いウェイターが、微笑みながら大またで近づいてくる。
「お一人ですか?」
小さく頷くと、『湖に浮かぶ小船』の絵の下の席に案内された。
ウェイターは、CDケースほどの大きさの手書きのメニューを「どうぞ」と小さく呟き手渡すと、氷の入った六角のガラスコップ置いた。
メニューは三つ。
一つはメインディッシュに、お勧めパスタが付いた『本日のお勧めパスタ』。二つ目が、同じメインディッシュにライスまたはパンとお勧めスープの付いた『本日のお勧めスープ』。そして三つ目が、内容の何も書いていない『本日のシェフのお勧め』。
どれにも食後のデミコーヒーが付いてくる。彼は、二つ目の『本日のお勧めスープ』を注文した。
十二時に近づくにつれ、ひっきりなしに客が入ってきた。
サラリーマン風のグル―プ、クリエーターを気取った青年、会話が途切れることの無い女の子たち、次々に席に案内され小さなメニューを見ながらどれも笑顔で注文する。
「お待ちどうさま」
先ほどと同じウェイターが、銀盆に料理を乗せて戻ってきた。
「ナスとひき肉のパイ皮包み香草焼き、自家製低温燻製のソーセージのスープセットでございます」
目の前に置かれた皿には、季節の野菜と太さが二センチほどの白っぽい半分に切られたソーセージ、それに大きさが煙草ケースサイズのクリーム色のパイの包みもの、上にはキノコのソースがたっぷりとかかり半分に切り分けられている。大き目のカップには、大きくカットされた野菜が入ったシチューに近いボルシチ風のスープ。竹篭に入れられた焼き立てのコブシほどの黒ごまのパン。
どれもが挑発するように、香り立っていた。
背後でドアが開く音がする。
テーブルに料理を並べ終えたウェイターは、ドアに向け笑顔で言った。
「いらっしゃいませ」
ウェイターは、再び大またで遠ざかり、入ってきた客に何か言っている。彼が、二口目の香草焼きを口に運んだとき、ウェイターはテーブルの横に立って笑顔で聞いた。
「ご合い席よろしいですか?」
見上げるとウェイターとともに、潔く日に焼けた女性が立っていた。なぜ、潔くかと言うのはともかく、健康そうでキラキラと輝いているその雰囲気が、世に言う『美人』などとうたう形容詞がとても失礼に思えるほど、その存在感を表していた。
彼は慌てて口の中のナスとひき肉を飲み込み頷きながら答える。
「ど、どうぞ!」
ウェイターは再び微笑むと空いていた前の椅子を引き、彼女を招く。同じ小さなメニューを彼女に差し出し、水グラスを取りに一旦テーブルを離れた。
彼女は、メニューと彼の料理を見比べ、唐突に彼に話し掛けた。
「それは、『本日のお勧めスープ』?」
彼は、三口目のナスとひき肉の香草焼きをろくに味わえもせず飲み込むと答えた。
「ええ、そうです」
彼女は、眩しいくらいの笑顔を見せると、まるで恋人に話すように再び聞く。
「美味しい?」
彼は、一瞬、身を震わせ、慌てて答えた。
「とても美味しいです」
ウェイターが、六角形の氷の入ったグラスを置くと彼女に尋ねる。
「どちらになさいますか?」
彼女は、少しも悩む素振りを見せず「シェフのお勧めを」 と答えた。
店内はほとんどの席が埋まっていた。
黙々とひたすら食べることに集中する男性客。一品一品を品評しながら口に運ぶ女性たち。皿に乗った料理を譲り合いながら楽しむカップル。
彼女は、なぜか彼の食べる姿を笑顔で見つめていた。ほどなく、彼女の料理が運ばれてきた。
姫マスの背を開き、そこにポテトとカリカリベーコンを詰めチーズと香草を被せオーブンで焼き上げた魚料理と温野菜に自家製のマヨネーズと粉チーズを振り掛けた和え物。サフランとバターで炒めたサラサラのバターライス。そして、クレソンを浮かべた、ポテトの冷スープ。
彼女は、微笑みながら皿に盛られた料理を見ていた。
彼が、最後の一欠けらのパンを皿についた香草焼きのソースに擦り付けて口に運んだとき、彼女は小さく呟いた。
「うん、今日は幸せだなっ」
彼よりも一瞬早く全ての料理を食べ終えた彼女は、手を合わすとナイフとフォークを皿に並べて置いた。
ウェイターが、彼と彼女の料理皿を同時に下げ、「デミコーヒーをご用意いたします」 そう小さく呟いて離れていった。
彼女はバックの中から、マルボロのアイスミントの煙草と銀製の細いジッポを取り出し、彼に微笑みながら聞く。
「煙草いい?」
彼は、返事の代わりにマルボロメンソールをテーブルに置いた。
彼女の細く長い指が新発売のパッケージから、白いマルボロを一本取り出し、ジッポで火を点ける。火を点けたままのジッポを彼の前に差し出し再び微笑んだ。
彼が茶色のフィルター煙草に火が点いた時、ウェイターが小さなデミカップに入った掠れたようなコーヒーと小さなミルクポットを置き、レシートを小さな透明のガラス製の置物に入れて離れていった。
彼女は、紫色の煙を形のいい唇から細く吐き出し、壁に掛かった絵を見ながら彼に言った。
「ねぇ? ここは、料理は一級なんだけど、コーヒーが全然ダメ。良かったら、どこか美味しい所知らない?」
彼は、飲みかけたコーヒーカップをテーブルに戻し、少し考えた。
「コーヒーではありませんが、とても美味しい紅茶を飲ませる店がありますが?」
煙草の先の火の点いた塊だけを二つに折るように消すと彼女は再び言った。
「ご馳走してくださる?」
彼は、ガラスの置物に入った『一枚だけ』のレシートを取り出し、煙草を消した。
「僕で良ければ」
そう言って、席を立つと、彼女も微笑んで席を立った。同時に、ハンガーに掛かったタオルを引き抜くような素早さで、彼が持っていたレシートを抜き取り、彼の耳元で少しだけ背伸びをするように「私にご馳走させて」と呟いた。
テーブルには、運ばれてきたままのデミコーヒーが、微かに湯気を立てて残されていた。
ショートショート Vol1「合い席のランチは紅茶を飲んで」 森出雲 @yuzuki_kurage
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