第13話

リカ姉は好きにさせてくれた。


俺の顔をじっと見つめて、俺が目を向けたところに手を掴んで置いてくれて

どこかに顔を寄せれば、そこから俺が離れようとするまで頭をそっと押さえてくれていた。

何かを知らせるように、自分を探らせるように、俺に身体を捧げていた。


俺は触れていたかった。「寒い」と言い続けた。

そのくせ布団をかぶろうともせず、アンタの腕と手が背中から離れることだけを嫌がった。

中に入った時も、出した時も、ずっとくっついてた。

アンタに抱かれていた。俺は抱いていなかった。


俺は本当にこれがセックスなのかわからなくなった。

映像で見ていたモノと実際のソレが違う事ぐらいは想像がつく。実践はともかく、知ってはいた。

でも、ここまで俺だけが包まれていいのか。

柔らかくて、やさしくて、やさしい。ただひたすらにアンタが俺のことだけを考え過ぎている。

変だ。アンタのことを考えられない。脳がしびれて言いなりになる。いや、何も言われてない。

ただ嬉しい。俺がアンタのために何もしていない申し訳なさが思い出せなくなるほどに。


リカ姉はずっと笑っていた。どこかで見たような懐かしさを感じた。

喜んでいたらいいのに。でも、どうしてもそう思える自信がわかなかった。

カツラに手をかけた時と、キスをしようとした時だけ、目をきつく閉じて俺を避けたからだ。

突き放された痛み。溶けていくような感覚の中で、それだけが現実を強く感じさせた。



「なんで優しくしてくれるの?」



ぜんぶ終わるまで黙ってた、小賢しくて、でも弱くて寂しくて卑怯モンの俺が

消えたくなるような気分できいた。

離れたくないくせに、便所にいくフリして逃げることばかり頭に浮かんだ。

目も合わせてなかった。

項垂れたように見下ろして、だらけたコンドームを外しもせず、リカ姉にくっつけたまま胸を見ていた。



「オマエに生きてほしいからだ」



俺の頬を撫でながら、リカ姉は言った。顔に視線を感じる。

いつもアンタは俺をまっすぐに見る。だから嫌いだった。



「俺は死ぬ気なんてないよ、そんな度胸はない。ビビりだ。」



心臓の痛みをこらえて、喉の渇きをこらえて

目から落ちたもんがアンタの胸に落ちるのを無視して、クズが喋る声を聴いた。



「違う、前を向いて生きてほしいからだ」



鼻をすすった。喉の奥に飲み込んだ。



「リカ姉みたいに?」



何回も舌をもつれさせながら絞り出した。短くて、明るく強い返事を期待して。

でも、なにも言われなかった。

ためらって、ためらって、ようやくリカ姉の顔を見る。



「アタシは違う」



頬を撫でてくれていた手が、俺の目をふさいだ。

はずそうとして手を重ねた。強い力で押しつけられた。



「見るな」



俺の涙がリカ姉の手に溜まる。

鼻の脇から流れて、口を伝って顎から落ちて行く。



「今はアタシを見るな」



声が何かに耐えて震えていた。押し付けられた手に痛みをおぼえた。

俺はその手の温かさに揺られながら、ふさがれる一瞬に見た顔を思った。


あの悲しそうな顔だった。



* * *



「今更なに恥ずかしがってんだバカ!」



一番落ち着くはずの自宅の風呂場に

女とは思えない豪快な笑い声が響いて、俺は縮みあがった。


全裸のリカ姉にむき出しの背中をバンバン叩かれる。超痛い。

両手でチンコを隠した俺は、トゲの付いた革ジャンを着たモヒカンに

命を含めて身ぐるみ剥がされる直前の、痩せ細った世紀末難民のように洗い場のスノコの上で震えていた。

もちろん、俺も陰毛以外は産まれたままの姿だ。



あのあと、しばらくして俺を押しのけたリカ姉は

何も言わずにカツラを取って下着をつけ、また『リカ姉ロール』を作って壁を向いた。


俺も後始末をしてたら目の前が伸び縮みしてきたので、今度は許可も取らずに隣に横たわった。

眠りに落ちる前、怒られるのを覚悟でリカ姉ロールを抱きしめてみると

なにも抵抗がなくて嬉しかった。小さく「おやすみ」と囁いて目を閉じた。


朝の10時に起こしてくれたリカ姉は、まったくいつも通りだった。

夢だったかと思って、こっそりゴミ箱を漁って

ティッシュに包んだコンドームを解いてしまったぐらいだ。そして安心した。


父ちゃんは仕事で、土曜の母ちゃんはいつも夕方まで帰ってこない。


俺はテーブルに用意されていた二人分の朝メシを並んで食べたあと

淹れてくれたお茶を飲みながら、皿を洗っているリカ姉の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。


不思議な気分だった。言葉もなくて、触れ合いもしなくて、見つめ合いもしない。

ただ繰り返している日常習慣の中、手の届く距離に身体を重ねた人がいるだけ。


美紅を近くに感じていた時の湧きあがるような熱い気持ちじゃない。

以前のリカ姉と接していた時の、親しみと鬱陶しさと殴られるビクつきに慣れてしまった感覚でもない。



「なんだろうこれ」



呟きが漏れた。その時、流されていた水の音が止まってリカ姉が振り返った。

俺は心の声まで漏れてしまったのかと、少し身構えてしまった。



「カツオ、風呂沸かせ。いっしょに入るぞ。」



「あんだって?」



聞いたかシムラ?

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