第10話


「リカ姉は誰かを好きになったことがある?」



汗ばんだ指が少しだけ震えた。隣に、吐息が伝わるほどの隣に問いかける。

温かさをこえて、熱を感じる布団の中の手のひら。

強く握った女性らしさの無いその硬さに、心がなぜか落ち着いた。



「あるよ」



一呼吸おいた囁き声。見つめていた目の焦点がずれた気がした。

なにかを思い出している。遠くを見ている。そう思った。


強い気持ちが生まれた。一瞬で体を焼いてしまう衝動。

胸の中を歪めてかき混ぜて塗りつぶしてしまうコレを俺は知っている。

ここ数日で痛みに藻掻くほど思い知らされた気持ち。

アンタに感じちゃいけないんだろう。

でも知ってるから。


これは嫉妬だ。


きかなければよかった。


* * *


メシを食ったあとは風呂に入って歯を磨いた。

いつもより遅い習慣をこなして時計の針を見れば、時刻は夜の11時。


リビングではリカ姉と父ちゃんが酒を片手に話をしている。母ちゃんは寝たようだ。

聞き耳を立てて後悔した。

学校の話。進学の話。俺の学力について。今じゃなくてもいいだろうに。


部屋に戻ったら半端ない眠気が襲ってきた。

そういやメシだけじゃねえわ、ロクに寝てもいねぇわ。耳鳴り付きで頭が揺れた。



「明日か」



朝の何時からどっちの家で?

なにも聞いてなかったのを思い出して、焦って目が覚める。

いや、セックスしたいんじゃない。そりゃしたいけど、ちょっと違う。

そう、俺は話がしたい。色々と。


消えない想いを連れて生きていくこと。

アンタがくれた嬉しさの理由や、昔から当たり前だと思ってきた三人の関係が変わる不安を聞いてほしい。

今を受け入れる涙を見てほしい。もう見せたくないと思えるように。


俺がそれを話せないなら、話す勇気もないのなら、いつもみたいに殴ってほしい。

それがダメなら、二日ただ傍に居てくれるだけでもいい。


そう思ったら、笑いが込み上げてきた。

リカ姉と休日まで一緒なんて、少し前の俺なら母ちゃんに嘘の伝言を残して逃げてる場面だ。


セックスってなんだ。やっぱセックスだよな。ああ、眠てぇ。



「カツオ、ションベンか?」



寝がえりの勢いで押しのけた布団の中から声がした。

人がボケると子供に帰るのはなぜだろう。曖昧な意識が口をすべらせる。



「うん、しっこしてくるよ」



リカ姉"ちゃん"と続けそうになってハッとした。

なんでいるんだよ。ベッドの中に。俺のベッドの中に。



「アンタ、なにしてんの?」



肩越しに不機嫌な茶髪の女が見えた。

下着姿のリカ姉。ふわっと香るのは懐かしき二日ぶり、いや三日ぶりのアンタのニオイ。

我に返る。ボクが俺に帰る。

腕が邪魔、体をひねる。よし、ブラおっぱい見えた。



「今日だろ、日付変わったぞ」



うるさい、当たり前のことを聞くなって言い方。


「さっさとションベン行ってこい」布団をかぶりながら怒られた。

横蹴りでの押し出し付き。理不尽なり。


”本日より自宅での排泄が許可制になりました。”


15年ものあいだ頭上に君臨してきた暴君の布告が鳴り響く。

便所に入って、釈然としない気分で見つめるイエロービーム。


それでも部屋に戻る時には浮き立つ気持ちが強かった。



「リカ姉、布団!入れてくれよ!!」



芋虫がいた。

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