第三章 その6

 ザ・レストランフランス。

 その直球的過ぎる名前から昔ながらの洋食店ではと想像してしまうが、出される料理は本格的な洋食というちょっと変わった店。

 それが、勝善と莉菜のバイト先だった。


「はぁー、どうしてこうなったのかしら」


 テーブルの上を掃除しながら莉菜はため息交じりにつぶやく。


「ははっ、任せろ姉崎。お前のことは無事、この俺が送り届けてやるからな!」


 妙にやる気になっている勝善を見て、莉菜はより深いため息をつきたくなった。


「にしても、あれがお前の兄貴だったとは」

「あんた私の兄貴に一度も会ったことなかったものね。まぁ、私達が中学生の時は兄貴大学生で一人暮らしだったし、私達が高校生になった時は実家に戻ってきたけど仕事でほとんど家にいなかったから会わなかったのも無理ないわ」


 そう、勝善は一度として莉菜の兄に会ったことがなかったのだ。


「でも、自転車投げて蹴り飛ばすなんて、きちんと状況を確認してからやりなさいよ」

「そのことに関しては深く反省しております」


 勝善は頭を下げ、反省の意を示した。


「あらあらお二人さん、今日はいつにも増して仲がいいじゃない」


 と、勝善と莉菜の会話に誰かが入ってきた。会話に入ってきたのはザ・レストランフランスのオーナー兼店長ピエール市川いちかわ(本名・年齢不詳、性別男、でも心は女……というわけではなく料理修行時代の師匠の口調がうつってしまっただけのバツ一)だった。


「店長、変なこと言わないでください」

「もう、莉菜ちゃんは素直じゃないわね。…………あら?」


 莉菜と会話をしながら厨房の冷蔵庫を整理していたピエール市川はあることに気付く。


「いやだわ。このお肉消費期限過ぎちゃってる」


 冷蔵庫の奥に他の食材に隠れている形で置かれていた肉の消費期限が過ぎていたのだ。


「ちょっと店長、大丈夫なんですか?」

「ええ。量は少ないし、今日使う分は新しいの買ってあるから。でも、もったいないわ」

「もったいなくても捨てるしかないですよ」

「もちろん捨てるわよ。ただ、料理人として食材を捨てるっていうのに抵抗があるのよね。まぁ、しょうがないわ。次からは冷蔵庫の整理をもう少し気を付けてやりましょう」


 そして、ピエール市川は消費期限の過ぎた肉を捨てようとしたのだが、


「待たれよ、店長」


 勝善がピエール市川の行動を止めた。


「あら、何かしら勝善君?」

「そのお肉、どのくらい消費期限が過ぎていますか?」

「えっ? えーと、一日よ」

「ならそのお肉、わたくしがいただきましょう」

「あんた何言ってんのよ」


 勝善の言葉を聞いて莉菜がすぐさまツッコミを入れた。


「姉崎、消費期限の過ぎたお肉を店の商品として出すのはアウトだ。だが、個人で消費期限の過ぎたお肉を食べるのは何ら問題のないことなんだよ」


 勝善は真顔でそんなことを主張する。


「そうでしょ、店長?」

「まぁ、その通りよね…………うん、においは大丈夫そうね。勝善君、これ食べるの?」

「はい!」

「……勝善君の場合、ここで断ってお肉を捨ててもあとでゴミをあさって持って帰りそうなのよね」


 ピエール市川の言葉を莉菜は否定できなかった。


「そんな、そこまではしませんよ」

「いいえ、勝善君とそこそこの付き合いになるけど、その言葉は信じにくいわ。しょうがないわね。念のため冷凍庫に入れて保存しておくから持って帰りなさい。ただし、早めによーく焼いて食べるのよ」

「分かりました!」


 莉菜は、あんたバカね、と言いたいところだったが、人は食べないと死ぬんだ、と勝善が反論するのが容易に想像できたので、何も言わないことにした。

 ともかく、こうして勝善は消費期限が一日過ぎた肉を手に入れた。


 その直後、来客を知らせる扉のベルが鳴った。


「あっ、いらっしゃいませー」


 莉菜はすぐさま客にあいさつをする。


「やぁ、店長」

「あら、礼ちゃんじゃない! いらっしゃい!」


 来店した客は知り合いだったのか、ピエール市川が普段よりもテンションの高いあいさつをしたその瞬間、勝善は何もないところでド派手な音を立てながらずっこけた。


「急にずっこけてどうしたのよ?」

「大丈夫、勝善君?」


 莉菜とピエール市川がずっこけた勝善を心配するが、勝善は大丈夫だと返事をするよりもはるかに優先事項の高いことについてピエール市川に聞く。


「て、店長。れ、礼ちゃんって?」

「礼ちゃん? 礼ちゃんはこのお店の常連さんよ。あっ! もしかして勝善君、礼ちゃんと知り合いなの? どうなの礼ちゃん?」

「ええ、知り合いですよ」


 にたりと笑いながら礼はピエール市川の質問に答え、その答えを聞いた勝善の顔は絶望に染まった。


「しかし、ここが彼のバイト先だったとは知らなかったので驚きましたよ」

「ああ、それは無理ないかもしれないわね。礼ちゃん来るのいつも平日のランチの時間だし、勝善君平日はディナーの時間にバイトしてるから、多分ずっとすれ違ってたのよ。そういえば礼ちゃん、今日は珍しくディナーの時間に来たのね」

「たまにはディナーもいいかなと思いまして。それと少しいいことがありましたから、何かおいしいものでも食べて祝おうかと」

「そうなの! わざわざお祝いにうちの店選んでくれるなんてうれしいわ。今日はとびっきりおいしい料理を食べさせてあげるから!」

「それは楽しみです」

「……なぁ、姉崎」

「何よ?」

「あの人の注文と配膳はお前がやってくれ」

「んー、別にかまわな「勝善君! 料理ができるまで礼ちゃんの話し相手になってあげてて!」……まぁ、がんばりなさい」

「なぜだ…………」


 ピエール市川の指名により、勝善は料理ができるまでの間、礼の話し相手になった。

 そして、莉菜は礼から注文を受けたあと、料理ができるまで厨房付近で待ちながらテーブル席でテーブルを挟んで対面する勝善と礼の会話をこっそりと見聞きしていた。

 自分が知らない勝善の知り合いである礼が気になったからだ。


「何でよりによって俺のバイト先に来てるんだよ?」

「店長が言ってただろ。私はここの常連なんだよ。まぁ、普段は平日のランチの時間にしか来ないんだが、今日はちょっとした祝いで来たんだ」

「祝いって、なんだ?」

「そんなの決まっている。めでたくクロスAが全国ニュースにデビューしたその祝いだ」

「てめぇ、俺がそれでどれだけ心にダメージを受けたと思ってやがる」

「ほう、そんな言葉を吐けるのか。クロスAの姿で宙吊りになっていて、あのままだったら警察に連行されてたお前を係員に変装して助けた私に対して」

「助けていただき、心の底から感謝しております」

「うむ、よろしい。ちなみにニュース映像に使われてるネット上にアップされた視聴者提供の映像を撮影したのは私だ」

「おい、こら」

「最初に私は言ったはずだ。クロスAの活躍をネット上で拡散すると。まぁ、全国ニュースになったのは本当に大きな一歩だ。今後も活躍し続ければ町おこし成功は間違いない。だから目の前で事件が起こったらすぐに私に報告しろ。クロスAの衣装を届けてやる」

「したくねー」


 といった会話を勝善と礼は顔を近づけながらひそひそとしていたのだが、厨房付近でこっそりと見聞きしていた莉菜はその会話を聞き取ることができなかった。

 そして、掃除するふりをしながら二人の会話が聞こえる位置まで移動しようかと莉菜が考え始めた時、


「莉菜ちゃん、前菜できたから運んでちょうだい」

「えっ? あっ、はい」


 ピエール市川が前菜を作り終え、莉菜は慌てて料理を運ぼうとするのだが、


「あの二人、仲良さそうよね」


 ピエール市川の言葉を聞き、動きを止めた。


「そう、ですね」

「……莉菜ちゃん、今、自分がどんな顔をしているか気付いてる?」

「顔、ですか?」


 莉菜はピエール市川の指摘に面を食らった。

 自分が今、どんな顔をしているのか考えもしてなかったからだ。


「そう、顔よ。莉菜ちゃんの今している顔はね、嫉妬している女の顔よ」

「……嫉妬?」

「私、嫉妬している女の顔を元奥さんに何度もされたから見たらすぐに分かるのよ。まぁ、だから離婚されちゃったんだけどそんなどうでもいい話は置いておいて、莉菜ちゃんはこれからお客さんに料理を運ぶんだからそんな顔をしちゃダメよ」

「は、はい」


 莉菜はピエール市川にそう返事をしたが、そもそもピエール市川の話をあまり聞いていなかった。

 自分の今の顔が、嫉妬している女の顔だと指摘されたからだ。


 なぜ、自分は嫉妬している女の顔になったのか。

 莉菜はそれを考えるのだが、莉菜はとっくにその答えに気付いていた。

 しかし、莉菜はその答えを、見ないふりしていたのだ。


 そんなもやもやとした感情を宿したまま、莉菜は料理の配膳を始めた。

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