第一章 その5

 自転車を漕ぎながらアパートに帰宅している勝善は美術準備室での一件をポジティブに処理したあと、あることについて考えていた。


 勝善はこのあと、新聞屋に納入する折込チラシの配送準備をするバイトをすることになっていた。

 そのバイトまでまだ時間があり、バイト前に夕食を済ませるか、それともバイト終わりにスーパーの安くなった弁当を買うか、勝善は考えていたのだ。


そして、自転車を漕いでいた勝善が、アパート近くの公園に差し掛かったその時、


「よぉ、筒森勝善。今、帰宅か」


 アパートの大家である礼が公園から姿を現し、勝善に話しかけてきた。


「お、大家さん」


 アパートの大家である礼に話しかけられたので勝善は警戒しつつ、自転車を止めた。


「実にいいタイミングだ」

「いいタイミングって、どういうことですか?」

「とりあえず自転車を置いてこっちに来い」

「いや、あの、俺このあとバイトが「家賃」今すぐ行きます!」


 先月分の家賃を滞納している勝善は家賃という礼の言葉を聞き、すぐに自転車から降りて鍵をかけ、礼のもとに向かう。


「トイレでこの中に入ってる衣装に着替えてこい」


 礼は勝善に大きめのバッグを渡した。


「えっと、何で?」

「今朝話しただろ? 帰ってきたら家賃について話し合おうと。これはどうせ先月分の家賃を払ったら今月分の家賃が払えないであろうお前への救済措置だ」

「つ、つまり、この中に入ってる衣装に着替えれば家賃免除ってことですか!?」

「ただ衣装に着替えただけで家賃が免除になるなんておいしい話あるわけないだろ。お前にはあることをやってもらいたい。で、その内容について説明するには衣装に着替えてもらった方が話が早いから、着替えてこいと言ってるんだ」

「あっ、そうですか……。それじゃ、着替えてきます」


 世の中そんなに甘くはない。そう思いながら勝善はバッグを持ってトイレに入り、バッグの中に入っている衣装に着替え始めた。




 しばらくして勝善は着替えを終え、トイレから出てきた。


「おお、似合ってるじゃないか」


 礼がトイレから出てきた勝善を見てそう言う。

 勝善が着替えた衣装とは、額に大きく「A」と書かれたマスクに真っ赤なスーツの、ヒーロースーツだった。


「…………何これ?」

「正義のヒーロー、クロスエースだ」


 礼は勝善の疑問に即答した。


「いや、何だよ、クロスAって。てか、これ着て俺に何しろって言うんだよ。ヒーローショーのバイトでもやれってか?」


 傍から見たら痛いだけのヒーロースーツを着てテンションだだ下がりの中、勝善はこのヒーロースーツを着て自分が一体何をするのか、礼に聞いた。


「うむ。それを着てお前にやってもらいたいのは――――」


 と、礼が説明しようとした時、勝善の視界にある人物が入った。


 それは、光だった。


 こんな痛々しい姿を光に見られたくない勝善はすぐさま礼を引っ張って物陰に隠れた。


「おい、何だ?」


 いきなり物陰に引っ張られた礼が当然の抗議をする。


「今だけは黙っててくれ!」


 光に見つかりたくない勝善は必死に身を隠しながら、礼に黙るよう頼む。


「ん? あの制服はお前と同じ高校の…………なるほど。その格好をあの子に見られたくないのか。何だ、あの子はお前が惚れてる子か?」


 状況を理解した礼が、勝善をからかい始める。


「ぐっ!」


 一方、色々と言いたい勝善だったが、騒ぎすぎると光に見つかってしまう可能性があり、礼に何も言い返せず、勝善はそのまま光を見ることにした。


 光は左手にスーパーの袋を持っていた。

 おそらく、下校した時にスーパーに寄って買い物をしたのだろう。

 ということは、光の自宅はこの近くということになる。


「これはいい事を知ったぜ。ふ、ふふ、ふふふふふっ」

「お前、その笑い方ストーカーみたいで気持ち悪いぞ」


 光の自宅が近くにあると考えて自然と笑いが出た勝善を見て、礼が素直な意見を言った。


「ふんふふーん」


 幸い、光が勝善と礼に気付くことはなく、光はご機嫌な様子で歩いていた。


「きょーおうは、カレー。みーんなが好きな、カレー。私もだーい好きな、カレー」


 よほど機嫌がいいらしく、光は絶妙な音程の歌を口ずさみながら歩き、


「ああ、牧野さん。なんてキューティクルな歌なんだ」


 そんな光の歌声を聞けた勝善は感激のあまり震えながらマスクの下で一筋の涙を流し、


「……ふむ。これが恋は盲目というやつか」


 礼は冷静に勝善の状態を観察していた。


 と、そんな感じに勝善と礼が物陰から光を見ていた時だった。

 光の背後から一台の原付バイクが近づいてきた。

 そして、原付バイクの運転手は左手を伸ばし、


「いただき!」


 光が右肩に掛けていたバッグをひったくった。


「きゃっ!? あっ、私のバッグ!」


 バッグをひったくられた衝撃でバランスを崩しかけた光はバッグを取り返そうとしたが、原付バイクは既に光から離れていた。


「はっ! ちょろいもんだ「何がちょろいだ、バカヤロウ!!」ぐはっ!?」


 光がひったくりにあった瞬間を目撃した勝善が物陰から猛ダッシュし、ひったくり犯に飛び蹴りを決める。

 その衝撃でひったくり犯は吹き飛び、運転手がいなくなった原付バイクはバランスを崩して転倒したまま壁に激突、炎上した。


「痛ってぇ…………。って、俺の原付!? てめぇ、何しやが――――」


 自分を蹴り、自分の原付を炎上させた勝善に対してひったくり犯は掴みかかろうとしたが、途中で言葉が詰まってしまう。


 なぜなら、勝善の今の姿は額に大きく「A」と書かれたマスクに真っ赤なスーツの、ヒーロースーツを着た状態であり、自分を蹴った相手がヒーロースーツを着た人間だということにひったくり犯は完全に面を食らってしまったのだ。


「お前、いい度胸してるよな」


 勝善が指の骨を鳴らしながらそう言う。


「へっ?」

「覚悟しろ。お前が何をしたのか、その身にたっぷりと教えてやる」

「ぎ、ぎぃやぁあああああああああああああああああああああ!!」


 勝善は、光のバッグをひったくるという大罪を犯したひったくり犯に制裁を始め、それはひったくり犯が気を失うまで続いた。


「ふぅー」


 そして、ひったくり犯を気絶させたあと、勝善は地面に落ちていた光のバッグを取り、


「はい」


 光にバッグを差し出した。


「えっ、あ、ありがとうございます」


 光は差し出された自分のバッグを受け取る。


「ふむ…………」


 光にバッグを差し出した勝善は辺りを見回してみる。

 辺りには、騒ぎを聞きつけた野次馬がいた。


「じゃ、俺はこれで」


 野次馬を見てすぐさま逃げる決断をした勝善は、その場から離れようとするが、


「ま、待ってください! あなたは、誰ですか?」


 と、光が聞いてきた。勝善は少しだけ考えたあと、


「俺は、正義のヒーロー、クロスA。それじゃ」


 そう答え、どんどん野次馬が増えるその場をあとにした。




「あ、危なかったー」


 野次馬に見つからないように、勝善は先ほどまで姿を隠していた公園の物陰に隠れた。


「今の内に脱いどかないと」


 誰かに見つかる前にヒーロースーツを脱ごうとする勝善だったが、勝善の肩をずっと物陰に隠れていた礼が掴む。


「えっ? な、何ですか、大家さん?」

「…………よくやった、筒森勝善」

「はっ?」

「まさか、まだ何も説明していないのに私の期待通りのことをしてくれるとは」

「あのー、一体何を言ってるんですか?」

「私はお前にそのヒーロースーツを着てあることをやってもらいたいと言ったな」

「ええ」

「私がお前にやってもらいたいこと。それは…………町おこしだ」

「…………はいー?」


 勝善は礼の言葉の意味を理解することができず、そんな間抜けな返事をしてしまうのだった。

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