完全無感覚Human
ゆうみ
第一話 今宵の世界
人の消えたこの世界に、かつての暴力的な明るさはなかった。だからきっと、こんなに多くの星が見えているのだと思う。もう少し僕が幼ければ、夜空の星は全て鬼籍に登った人たちだと考えていたかもしれない。
どちらにせよ、これほどまでに明るい夜空は慣れないもので、僕はそんな星々の煌めきを記憶に焼き付けるべく観察を続けていた。綺麗だったからではない。生きる環境の変化に慣れようとする、生理的な義務感に駆られただけだ。
「ご主じーん、どこですかー?」
突然の声に上を向いていた首を背後に回す。薄暗がりの先に目を凝らと、屋敷の庭を駆ける人影が見えた。その場でくるくる身を翻しながら必死に叫んでいる。焦点を合わせて確認するまでもなく、この場で声を発する存在などメイしかいない。なかなか帰らない僕を探しに来たのだろう。
「ここにいる」
片手を上げて呟く。気が付いたメイが全速力で近づいて来た。ロングスカートが激しく揺れている。
「何してるんですか! 心配しましたよ」
腰に手を当て頬を膨らませるメイ。怒っていることを表すポーズだ。
「星を見てた」
「星? なんでまた……」そう言いながらメイは上を見る。「うわぁ、すっごく綺麗……」
「そうか。綺麗に見えるか」
「それはもう、まさか都会でこんな夜空が見られるとは」
「人が消えたから明かりが減ったんだ」
「何また変なこと言ってるんですか」
やはりこいつは人が消えたと理解しない。もう五回は同じことを言っているのに。
「早く屋敷に帰らないと、叱られるのは私なんですからね」
僕は子猫のように襟を掴まれ引きずられていく。こいつが馬鹿力であることは既知のこと、無駄な抵抗はしない。
「今日の学校はどうでしたか? 確かご主人の苦手な英語がありましたよね。ダメですよ、英語はしっかりやらなきゃ。今はグローバル化の時代、お父様だって世界中を回っていらっしゃって、確か今はシンガポールでしたっけ? 私もいつか行ってみたいなあ……」
あちらこちらに飛んでいく話題の乱気流にもまれながら、僕は引きずられ続ける。こいつの脳内回路は短絡でもしているのだろうか。屋敷にたどり着くまでに五十回ほど繰り返された話題転換を流しつつ、そんなことを思った。
世界から人が消えてもう三日になる。これまで死体は見ていない。だから消えたと表現するしかない。
初めて気が付いたのは学校へ向かう途中だった。通学路にある二つ目の信号機、常ならば車列の絶えないその道に、車どころか歩行者さえいなかった。一定周期で変遷していく信号機を前に、僕はしばらく待ってみた。赤と緑のサイクルが二周ほどしても誰一人姿を現さなかった。だから僕は学校に行くことを止めて町の様子を探ることにした。
探索の結果、この町にいた人は誰一人残っていないと確信した。
現状把握を終え一先ず屋敷に戻ると、掃除途中のメイが二階からドタバタとやって来た。そして例の怒りのポーズをとって、
「まさか学校サボったんですか⁉」と聞いてきた。
「今はそれどころじゃない。町中の人がいなくなっている」と事実を告げると、メイはやれやれと首を振った。
「ご主人、嘘はよくないですよ。特にそんなすぐばれる嘘は」
まあすぐに信じられないのも無理はないだろう。
「今から外に行こう。証拠を見せてやる」
「ダメですよ。私には仕事があるんですから」
そう言って階段にほっぽり出された掃除機を指し示す。
「手伝う。だから終わったら――」
「て、手伝う⁉」
全て言い終わる前に、メイが口を両手で抑えて最上級の驚きを示す。
「あのご主人が手伝うなんて……」
それからわんわんと泣き出した。
「おい、早く終わらせ――」
「このお屋敷に来て苦節七年、ようやくご主人も成長を――」
こうなってしまってはもうダメだ。この駄メイドは基本的に人の話を聞かない。どうせこいつに人が消えたと知らせてどうにかなることもない。そう判断して僕は自室に戻った。
「あ、え、ちょ、お手伝いしてくれるんじゃ」
「やめにする」
メイはしばらくの間、注射を嫌がる子供並の大声で喚いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます