国本論
田中紀峰
第一巻
序
『書経』に曰く、「人民は親しく近付けよ。見下し卑しめてはならない。人民は国家の根本である。根本が堅実であれば、国家は安寧である」と。ああ、君主と人民とは、その権勢を見れば、天と地ほどに違う。しかしその実情を見れば、身体の部位がそれぞれ助け合って生きているようなものである。君臣が疎遠になれば離れ、親しめば合わさる。合わされば国家は安寧であり、離れれば国家は危険である。君主は人民がいるから君主となれるのである。同様に、人民は君主がいるから人民となれるのである。君主が君主でなければ人民はどうして人民であることができようか。人民が人民でなければどうして君主は君主でいられようか。人民は国の根本であり、君主が君主となり得るところのものである。
松平定綱は『牧民後判』を著し、人民を養う道を蒐集した。深謀遠慮というべきである。私、定信は、不肖ながら、先祖の遺訓を謹んで奉じ、朝夕人民を哀れんで、常に人民の病苦や農業のつらさを心がけているが、見えているようで見えてはおらず、聴いているようで聴いてはおらず、到底人民の実情に通達しているとは言えない。そこで常日頃、ひまのあるときは経典や史書に目を走らせて、心を領民に尽くし、やっと庶民の心が、百千のうちの一十ほどがわかるようになってきた。遺訓を要約し、常に座右に置いていつでも手にとって読めるようにしたが、世間の煩雑な仕事に紛れてとうとう初志を貫徹できずにいた。
今年八月、私は体に水が溜まる病気に罹り、肩の痛みに耐えられず、また気鬱を晴らすこともできなかった。ここにおいて読書や書道の嗜みを辞め、弓を射ることも、馬を御すことも、剣や槍の稽古も辞めにした。柱に寄りかかって眠り、庭の中を徘徊し、堂上で足を投げ出して座ったり、悠々自適に養生した。病気は完全に治っていなかったが、『詩経』を読んで気を紛らわせた。「
私は深く思うところがあって、とうとう庶民の病気や農業の辛苦を論述し、また夏・殷・周の三代から明朝に至るまで、世を利し、民を安んずる要術に詳しい人を附録に挙げた。
私は肩が痛かったので口述筆記させ、およそ十一日で完成した。祖先の教えを奉じて敢えて失墜しないことを望むのみである。話題を選んで、決して詳しく書いたわけではないので、読む人はその意図を汲んで、細かなところを咎めないようにしてもらいたい。
天明元(1781)年秋八月二十一日 白川 世子 源定信
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