出来損ないのサンタクロース

夢科緋辻

出来損ないのサンタクロース

「サンタさんなんて、いないんですよ!」


 クリスマスの夜。

 駅前のベンチで俺の隣に座っている女の子が、けんどんな口調で言い放った。


「何だよお嬢ちゃん、藪から棒に」

「お兄さんが変な事を言うからです! こんな遅くまで遊んでる悪い子の所にはサンタさんが来てくれない? ふざけんなです、良い子にしててもサンタさんは来ないんですよ!」


 むふー、とくぼの残る頬を膨らませた女の子は、くりくりとした両目に力を入れて仏頂面になる。

 前髪を横に切り揃えたショートカットに、手の平に乗ってしまいそうな小柄な体。着ているのはピンク色でリボンの付いたコートだが、少し大きいのか、もふもふとした襟のファーでくちもとまで埋まっていた。こんな人の多い駅前じゃなくて、春の木漏れ日が差し込む森の湖畔で出会ったなら妖精と見間違えそうな程に可愛らしい。


「んな事言ったって、もう夜の八時だぞ? 小学校に入ってるかも怪しい女の子が一人でベンチに座ってるのは変だ。さっさと帰れ」

「いやです」

「なんでだよ?」

「……、」


 ぷいっ、と妖精みたいな女の子は不機嫌そうに顔を逸らしてしまう。


 正直、俺はどうしようか困っていた。

 話しかけたのは俺の方だ。余計なお節介を焼いた手前、途中で投げ出すのは気が引けるけど、この子が何を求めているのか分からない。会話する事自体を嫌がっている訳じゃなさそうなのが唯一の救いだけど。


 しばらく見詰めてみても反応がなかったので、仕方なく俺は正面に視線を戻した。


 クリスマスの夜という事で駅前は大層賑わっている。

 ロータリーに出入りするタクシーは普段よりも多い気がするし、歩く人々の表情は弾けそうな程に明るい。朱く頬を上気させて喋る高校生グループや、ケーキ屋さんの箱を持って歩くサラリーマン。この街はベッドタウンとしての側面が強いため、駅から出てくる人は殆どが帰宅途中なんだろう。皆がクリスマスという時間を楽しんでいるように見えた。

 ロータリーの中心には盛大に飾り付けられたクリスマスツリーがあり、カラフルな電飾が冷たい夜闇を遠ざけている。SNSに投稿するためか、道行く人々は交代でスマホのカメラを向けていた。


 ……まるで、スポットライトの当たった舞台の上みたいだな。


 ふと、そんな事を思ってしまった。

 だったら、どんよりと暗い俺達の周りは観客席か。手を伸ばせば幸せな世界が広がっているのに、絶対に関わる事はできない。我ながら何とも卑屈な妄想だと呆れてしまう。だけどまあ、そんな気分になってしまうのも仕方ないか。何せ、事情が事情なのだから。


「……寒いです」

「ん?」

「寒いって言ってるんです。お兄さん、あそこのお店で何か買ってきてください」


 女の子が指を向けたのは、ロータリーの向こう側にある赤い看板のチェーン店。世界で最も有名な唐揚げフライドチキン屋さんだ。クリスマスにチキンを買い求める人が多いのだろう。引っ切りなしに帰宅途中の人々が出入りしている。


「どうして俺が、名前も知らない君に奢らなくちゃいけないんだ?」

「クリスマスだからです。私にプレゼントをください」

「残念だが、それはできない。どうしても欲しいなら店の前でニコニコしてるカーネルおじさんに頼むんだな。クリスマス仕様でサンタ服を着てるくらいだし、きっと今日なら願いを聞いてくれるぞ」


 店の入り口ではにっこりと笑ったお爺さんの像が客を迎え入れていた。恰幅の良い体型に、白い髭を蓄えた優しげな顔付き。赤い服と帽子を装備したその姿は、絵本に出てくるサンタクロースその人だった。ぺしぺしっ、と予約したチキンを待つ子ども達に叩かれても笑顔を絶やさないとは流石の根性である。


「けちんぼ」


 大して失望した様子なく女の子は言った。駄目元でお願いしてきたのだろう。叶えてあげたいという気持ちはあるが、どう足掻いても俺には不可能な事だった。


「大体、お兄さんこそどうしてここにいるんですか? クリスマスの夜に一人で」

「……、まーなんだ、仕事を辞めたからかな。俺には才能がなくて、落ちこぼれで……気付いたら居場所がなくなってた訳さ」


 僅かな逡巡が胸を過ぎったが、結局は話す事にした。こんな小さな女の子にすら話せないとなれば負けた気分になる。それだけは俺の無駄にでかい自尊心が拒否したのだ。


「だったら家に帰ればいいじゃないですか。こんな寒い駅前に来なくても」

「家にも帰りにくい」

「情けないですね、大人なのに」

「大人だからだ。色々あんだよ、子どもの君には分からないだろうけど」


 少しムキになっている自分に気が付いて、口の中に苦い味が広がった。こんな小さな女の子に言い負かされてどうする。みっともない。


「そう言う君は? 小さな女の子が、どうして夜に一人で?」

「……」

「話したくないってか、随分とかたくな――」

「だって、家に誰もいないんだもん」


 意識していなければ聞き逃しそうな声が、北風に連れ去られていった。


「誰もって、お父さんとお母さんは?」

「仕事。たぶん、今日も帰って来きません……私、いっつもひとりなんです」

「なるほど、それで」


 サンタさんなんていない。

 そう言い切った理由がようやく分かった。両親が帰って来ないんじゃプレゼントを貰いようがない。複雑な家庭環境が垣間見えた気がして、痛みで胸が詰まった。


「……寒いなぁ、どうせなら雪が降ればいいのに」


 はあぁー、と。

 ぶかぶかのコートの袖から小さな手を出して白い吐息を当てる。体が冷えてきてのだろう。耳まで真っ赤だし、袖から覗く細い指はせっこうよりも白くて硬そうだ。その手を取りたくても取れない事が歯痒かった。


 妖精みたいな女の子は、口を噤んで道行く人々を眺める。


 くりくりとした大きな瞳で踊るのは、クリスマスの夜。

 クリスマスツリーの電飾に、道行く人々の明るい話し声。だけど、聖夜を彩る輝きは少女に届かない。瞬きをするだけで瞳に映っていた光は消えて、残ったのはみなぞこに沈んだ石よりも冷たくて、濁った、ほのぐらさだけ。深いいんえいに沈んだ顔は、雪空みたいに黒く曇っていた。


「私、クリスマスパーティーがしたいんです」


 それはまるで、絵本の主人公をうらやむみたいな口調だった。


「友達をいっぱい呼んで、部屋を可愛く飾り付けて、ケーキを作って……お父さんもお母さんも笑っているみたいな、そんな楽しいパーティーがしたい……して、みたかったな」


 わずかにれた声を隠すためか、星なんて見えやしない都会の夜空へと視線を向けた。

 その姿が、俺には吹雪に晒された蝋燭の火のように見えた。意識を逸らした途端に消えてしまいそうな儚さが、触れただけで崩れ落ちそうな脆さが、俺の心を猛烈な勢いで締め付ける。万力よりも強い力で握り潰してくる。


「……その願いは、靴下に入りそうにないな」


 そんな冗談しか口にできない自分が心底情けない。

 こんな場所で無意味に座っている自分に怒りが湧いた。


 ぐっ、と強く拳を握る。


 良いのかよ、このままで。

 だって、俺は――


「お嬢ちゃん、ちょっといいかな?」


 唐突に。

 不自然に柔らかい声が、頭上から降ってきた。


 目の前にいたのは二人の警察官だ。青い制服の上から黒いコートを羽織った男性二人組がゆっくりとこちらに近付いてくる。


「どうして、こんな時間に一人で出歩いているんだい? お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」

「……えっと」

「もしかして迷子なのかな? だとしたら、おじさん達と一緒に交番に行こうか。暖かい飲み物を出してあげよう」


 さあ、と一人の警察官が手を差し伸べる。女の子はあたふたと目線を泳がせたが、はっと何かを思い付くと俺に人差し指を向けてきた。


「一人じゃないですよ。お兄ちゃんと一緒にお父さんを待っているんです! もうすぐ駅に着くって連絡があって」

「……、」


 警察官は驚愕に目を剥いてから、後ろにいるもう一人と顔を見合わせた。二人して首を傾げてから、困惑顔で女の子に向き直る。


「……お嬢ちゃん、ちょっと確認したいんだけどね」

「はい?」

? 

「……え?」


 言葉を失った女の子の顔が焦燥の色に塗り潰される。揺れる瞳でこちらを見詰めてきたが、俺はそれを無視してベンチから立ち上がった。


「……ごめん」


 喉の奥から絞り出せたのは、たったの一言だけ。

 前を向いたまま、ポケットに手を入れて歩き始めた。


「ま、待って!」

「こら、君!」


 背後からドタドタと騒々しい音が聞こえてきた。おそらく俺を追い掛けようとした女の子を、警察官の二人が慌てて引き止めたんだろう。何事かと周囲から視線を集めているが、


「待ってください、お兄さん! どこに行くんですか!!」

「仕事だよ」


 歩みを止めないまま、俺は言った。


「ちょっとカーネルおじさんに喧嘩を売ってくる」



       ◆   ◆   ◆



 深い、深い、夜の森だった。

 見上げるように背の高い針葉樹林に囲まれた大自然には、外界から隔絶されたと錯覚する程に人の気配がない。骨の芯まで凍て付きそうな氷点下。辺り一面は濃密な夜闇に溺れているが、梢の隙間から差し込んだ月明かりだけが膝下まで降り積もった雪を照らしていた。


 しんしんと降る雪のせいで世界が音を忘れたみたいに静かだ。ついさっきまで賑やかな駅前にいたせいで、余計にさびしく感じるのかもしれない。


 無言で歩いていると、少し先にログハウスが見えてきた。

 日曜大工が趣味ならば一般人でも作れてしまえそうな建物の隣では、一頭のトナカイが足を畳んで座っていた。背中に雪が積もっている事から鑑みるに、どうやらそこそこの時間こうして俺の事を待っていたらしい。

 ぱちりと瞼を開くと、トナカイは首を回して黒い瞳を俺に向けてきた。立派な二本の角に積もった雪が地面に落ちる。


『随分と重役出勤じゃないか。待ちくたびれて、危うく雪に埋もれてしまう所だったぞ』

「悪いな、準備に時間が掛かっちまった」


 脳に直接響いてくる野太い声に対し、俺は気軽な感じで答える。

 トナカイの後ろに用意された木製のソリのふちに手を掛ける。表面に薄っすらと積もった雪を軽く払った。


『覚悟は決まったのか?』

「……さあな、そんな大層なモンは分かんねぇよ。だけど——」


 淡い光。

 蛍火のような光芒が俺の周りを漂い始め、次第に全身へ纏わり付いていく。


「——今この瞬間、自分がやるべき事だけは理解してるつもりだ」


 光が、弾ける。

 刹那の間だけ真昼よりも鮮烈に闇を打ち消した直後、俺の新しい衣装として存在が固定された。


 赤と白で彩られたサンタ服。

 一度は捨てた俺の制服である。


 冷たい木製のソリの中には白い袋が転がっていた。絵本などでサンタさんが背負っている袋はプレゼントでパンパンになっているが、目の前に置かれた袋はほんのわずかに膨らんでいるだけだった。


 空想上の赤服ジイさんの都合は知らないけど、現代のサンタクロースは子供達に夢を届けるのが仕事になる。

 クリスマスの夜までに子供達から『見たい夢』を聞いてきて、それを届けてあげるのだ。聞き出せた夢が多ければ、それだけ袋が膨らんでいく。言い換えれば、袋の膨らみ具体がそのままサンタクロースとしての優秀さを表しているという事だ。


 俺には、才能がなかった。

 子供達から見たい夢を聞き出すのが致命的に下手クソだった。


 だから、仕事を辞めた。

 現実から逃げ出した。


 だけど。


「俺はサンタクロースなんだ。才能がなくても、落ちこぼれでも、クリスマスの夜はヒーローになれるんだよ」


 知ってしまったから。

 濡れた声で告げられた夢を聞いてしまったから。


 だったら、下を向いている訳にはいかない。


 決然とした表情で、わずかに膨らんだ白い袋を見詰める。中身をわざわざ確認するまでもないだろう。


 たった一つの願い。

 俺が話しかけたせいで辛い想いをさせてしまった女の子の希望。


『随分と軽そうな袋だ。他のサンタがいたら笑われるぞ、そんなスカスカな袋を持っていて恥ずかしくないのかと』

「そんなの関係ねぇよ。数を自慢したいなら勝手にしてればいい。俺はたった一人の女の子の為に、サンタクロースになるって決めたんだから!」


 俺は自信満々に軽い袋を背負い、ソリに乗り込む。


「行くぞ相棒、仕事の時間だ」

『お客さん、どちらまで?』

「泣いている女の子の所まで」


 鞭で軽く相棒の背を打つ。相棒が後脚で地面を蹴ると、重力を忘れてソリが浮かび上がった。


「それにさ、あの子には俺の姿がえていたんだ。普通の人には見えないはずなのに」

『……というと?』

「つまりあの子は、サンタクロースを本気で信じてるんだよ。口では否定しててもな。信じてねぇ奴に俺達は見えねぇんだから」


 サンタさんなんていない。


 その言葉は、サンタクロースに期待しているからこそ出る言葉ではないのか?

 クリスマスの夜に一人ぼっちでさびしいから、俺達をずっと待っているのではないか?


 その可能性だけで充分。

 俺がサンタクロースに戻る為の、充分過ぎる理由になる。


「これ以上、あの子を絶望させない。あの子のクリスマスの思い出を、涙で終わらせたりしない。楽しくて、幸せな、本当のクリスマスってヤツを俺が見せてやる」


 シャンシャン、という軽快な鈴の音と共に。

 出来損ないのサンタクロースが聖夜を駆ける。

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